[抜書き] 『漂流』


『漂流』吉村昭・新潮文庫
平成二十年三月十五日 四十四刷


     年号が安永から天明に改まって以来、異常な天候がつづき、それは農作物に大打撃をあたえていた。 まず天明二年(一七八二)の五月五日には、季節はずれの北風が吹きつけて気温が低下し、山間部には霜さえおりた。 また七月下旬には大雨がつづいて、各所で河川が氾濫(はんらん)し、田畠(でんぱた)は濁水に洗われ、作物は流された。 さらにそれに追い打ちをかけるように、八月二十日には、大暴風雨が襲来し、残された耕作物にも大被害をあたえた。
     本格的な飢饉(ききん)が訪れ、天明三年には、春、夏、秋、冬と霖雨(りんう)がつづき、作物は雨にうたれて腐り、収穫はほとんどみられなかった。 また翌天明四年にも同様の異常気象がつづき、米をはじめ農作物の価格は二倍にはねあがり、庶民は呻吟(しんぎん)していた。
     そうした中で、藩の経済政策が、物価の高騰(こうとう)を一層激しいものにさせていた。 それは国産方仕方といわれる特殊な政策で、売買される商品すべてに税をかけて、強制的に取立てる方法で、それによって得る収入が藩の財政を支えていたのだ。
    (《漂流》P.25〜26)


     そうした体験をもつ長平であったが、船が夜の闇の中をあてもなく吹き流されてゆく経験は初めてのことであり、不気味であった。 かれの乗っている船は、むろん沿岸を航海する山見の船で、陸岸を眼にすることができなくなれば正確な船の位置を知ることも不可能になる。 一応、和磁石はもっているが、それは方向を知るだけの能力しかない。
    (《漂流》P.56)


     四体の遺骨とともに夜をすごすのは薄気味悪かったが、長平は、洞穴の内部を探ったり、浜に出たりしてさまざまなものを見つけた。 浜には、苧麻(からむし)でつくった綱があり、洞穴の中には使用にたえる水桶(みずおけ)が二つあった。 船板からぬきとったらしい釘(くぎ)もかなりあったが、それらはいずれも腐蝕していた。
    (《漂流》P.134)


     翌々日、かれは、再び磯で拾い物をした。 それは、三寸(九センチ)ほどの長さの木札で、そこには寺で見たことのある南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)という日蓮宗の題目が書かれていた。
     かれは、体をかたくして木札を見つめた。 それは、飯櫃のふたと同じように難破した船から流れ出たものにちがいないが、その漂着は特別な意味があるように思えた。 かれの家の宗旨は日蓮宗ではなく、真言宗であった。 宗旨がちがってはいるが、同じ仏教の題目をしるした木札が流れついたということは、仏様が自分に声をかけてくれているように感じられた。
     長平は、木札を胸に抱き念仏を唱えた。 なんとなく気分が安らぎ、淋しさも薄らぐようだった。
    (《漂流》P.181)


     「私は、読み書きもほとんどできぬ一介の水主です。 高僧のようにさとることなどということはとてもできぬ男です。 しかし、なにか一つのさとりを持たなければ、この島で生きてゆくことはできないと思います」
     「そのさとりとは?」
     吉蔵という水主が、長平の顔をうかがった。
     「さとりとは……、口に出すこともおそろしいことだが、この島で一生を暮らそうと思うことです。 しかし、私には、まだそのようなさとりの境地に達することはできません。 どうしても故郷へ帰りたいと強く願っています。 そこで、せめて帰郷は神仏の意におまかせしよう、それまではあせることも泣くこともやめて達者に暮らそうと思うようになりました。 こう考えてから、気持がひどく楽になりました」
     長平は、しんみりした口調で言った。
    (《漂流》P.198)


     かれも、小豆で酒などできぬと言った。 米の選択のむずかしさからはじまる酒造りは、米なしに考えられぬという。 が、かれは、清蔵たちに笑いながらもその製法をつたえた。
     長兵衛は、まず麹(こうじ)をつくることだと言った。
     「米の糠(ぬか)をとりのぞいて、きれいに洗う。 それをよく水を切って、一日たってから大釜(おおがま)の上にのせて蒸す。 それから、その蒸し米をぬれた莚(むしろ)の上にひろげ、暑い室(むろ)の中にいれておくと、麹ができるのだ」
     長兵衛は、言った。
     「その麹が、米を酒に変えるのだな」
     清蔵が、長兵衛の顔を見つめた。
     「そうだ。ただし、それは米の場合で、小豆などではできまい。 お前たちは、本当に酒を造る気なのか?」
    (《漂流》P.246)


     八五郎は、流木を切って板を作り、それらを久七の作った釘でつなぎ合せて戸立てを組み立てた。 そして、敷木戸立板に溝(みぞ)をきざみつけ、うまく接合するようにノミでけずった。 戸立板は、敷木に四本の釘でとめられる。 それは4ツ釘と称される重要な釘だが、久七は念入りに鍛えて作った。
     船首(ミヨシ)と船尾(戸立)が、敷木にとりつけられた。
     「航据(かわらず)えの祝いをやらねばならぬ」
     儀三郎の言葉に、栄右衛門も同意した。
     「舟を造るために、必ずやらねばならぬ大切な行事だ」
     栄右衛門は、深くうなづいた。
     航据えとは、造船をはじめる折の作業で、無事に完工をねがう祝いの儀式もおこなわれる。
    (《漂流》P.363)


     寸法をはかって、カジキを敷木にとりつける作業がはじまった。
     船は、木片を集めて造る関係から、必然的につぎはぎだらけにものになる。 船首のミヨシも、通常は一本であったが、五本の材によって組み立てられ、船尾の戸立(とだて)も四枚の板が使われていた。 カジキも例外ではなく、九枚の板を使用しなければならなかった。
     器用な八五郎が、板をカンナでけずり、寸法を合わせる。 板と板をつなぎ合わせるのには、舟造りに不可欠な縫い釘(くぎ)が使われた。
     まず板と板の接する表面が、金槌(かなづち)でたたかれる。 それは木殺しと称される工程で、完成した後にその部分が水をふくむと木がふくれ、それによって水が浸入するのをふせぐのだ。
     次に、一方の板の端に短冊(たんざく)状の溝(みぞ)をつくる。 そこに縫い釘を打ち込み、相手の板をつらぬく。 縫い釘は、太くて長い。 しかも、それは湾曲(わんきょく)していて、板と板を縫うように接合させてしまうのだ。
    (《漂流》P.372)


     長平は、自分が最も長く無人島にいたため一般の食物に対する味を忘れてしまっていることに気づいた。 九年半前、儀三郎ら大坂船の者たちが漂着し所持していた米飯をあたえてくれた時も、すぐに嘔吐(おうと)してしまった。 自分の体は、鳥肉を主食とすることになれて正常な食物をうけいれなくなっているらしい。
    (《漂流》P.408)


     八丈島には五つの村があり、戸数は四千だという知識も得た。 八丈島には田がないので江戸から米が送られ、八丈島からは織物が年貢(ねんぐ)として送り出されるが、御用船のほかは船の往来が少ない。 それは、遭難の危険が多いからだという。
    (《漂流》P.412)


      無人島ヨリ乗来(のりきた)ル小船並諸道具荷物改之覚
     一、小船   一艘
       是(これ)ハ無人島ニテ寄木ヲ拾ヒ打立申候(そうろう)
     一、艪(ろ)  五丁
       内四丁ハ大坂船ヨリ取上置候  一丁ハ薩州船ヨリ取上置候
     一、綱  二房
       是(これ)ハ島ニテ〈イツサキ〉ノ木ノ皮ニテ作申候
    (《漂流》P.421)


     「漂流」は、江戸時代の一人の漂流者の記録に基づいて書かれた小説である。 しかし、作者が序文で言っているように、その記録は、幕府または漂民の生れた土地の藩の取調べ書であって、漂民の手記ではない。 漂着した絶海の孤島で何があったのかは、いささか窺(うかが)い知れるかもしれないが、そこで十二年も暮らさなくてはならなかった人間の心情については、むろんまるで触れられていない。 その空白を埋める事が、作者の情熱の対象となったに違いない。
    解説 高井有一
    (《漂流》P.432)




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