[抜書き] 『遠い幻影』


『遠い幻影』吉村昭・文春文庫
2005年9月25日 第3刷

短編集目次
梅の蕾
青い星
ジングルベル
アルバム
光る藻
父親の旅
尾行
夾竹桃
桜まつり
クルージング

遠い幻影
あとがき
解説 川西政明


     町の性格は、町の成立の歴史そのものと深いかかわり合いがあった。
     明治初年、維新動乱後の不安定な世情を反映して犯罪者が激増し、さらに新政府の施策に反対して続発した叛乱で捕えられた者も多く、獄舎は収容者で充満した。 そのため、老朽化した獄舎を破って逃走する事故が多発し、それは年間千名を超すほどであった。
     その窮状を打開しようとした明治政府は、北海道内に大規模な収容施設の設置をくわだて、好適地を物色した末、原生林におおわれた人跡未踏の極寒地を選定し、そこに壮大な獄舎と附属建物を建設した。
     おびただしい囚人が送り込まれ、看守の宿舎も建ちならび、自然にそれらの生活必需品を納入する商人たちも集ってきて町が形成された。 公的機関もととのって町はにぎわいをしめしたが、監獄の分散政策によって大正中期に監獄は旭川に移転した。
     刑務所は全国各地でいまわしいものとされ、新設はおろか既存のものまで僻地に追いやられる傾向がある。
     そうした中で、この町では受刑者収容施設の誘致運動が起り、それに応じて少年院についで刑務所が新設され、行政関係者の間では得がたい町とされているのである。
     赴任したかれは、まず刑務所の外観に驚きの眼をみはった。 ゆったりした敷地をもつ美術館とでも見まがうような瀟洒(しょうしゃ)な建物で、広い前庭には円形の池があり、あずま屋もある。
    (《ジングルベル》P.58〜59)


     ジーゼルカーは、丹念に駅にとまることを繰返し、多くの高校生が乗ってきたり、海産物を売りに出た帰りらしい籠や箱を手にした中年の女たちが乗りこんできたりした。 が、ジーゼルカーが進むにつれて乗客はヘリ、窓外に人家の絶えた雪原がひろがった。
     久美子はなぜこんな所にまで来たのだろう、と窓外に眼をむけながら胸の中でつぶやいた。 恐らく男の故郷があって、男に連れられてやって来たにちがいない。
    (《父親の旅》P.134)


     町が夜間攻撃の目標にされて家が焼かれれば、必然的に空襲とは縁のない東京の郊外、または農村地帯に移り住むことになる。 町からのがれ出たかったが、家があるからにはそれは叶わず、宿借りの貝のように背にからみついてはなれない自分の住む家屋が、いまわしくてならなかった。
    (《クルージング》P.243)


     当時の新聞を調べてみるのが手っ取り早い方法だが、それについての記事がのっているはずがないのを私は知っている。 報道機関に対する軍の統制はきびしく、戦争を続行する上で好ましくない記事の掲載は厳禁されていた。 その事故を目撃した者、轢死した者の遺族などすべてに、口外を禁じたことは容易に想像できる。
     しかし、と私は思った。 戦時中に闇のなかに封じこめられた出来事であったとしても、戦後、それについての回想を口にし、書き記している人もいるのではないか。 もしかすると、それが県内新聞などに大きく採り上げられて、県民には広く知れ渡っているのかも知れない。
    (《遠い幻影》P.271)


     これらの短編を読むと、吉村昭のなかに、人は稲光する雷雨、激浪をうちあげる暴風、火を噴く山、地を揺する地震を避けようもなく経験するが、そのあとには風がそよぎ、空は晴れ、星はまたたき、大地は緑に輝く時がかならずくるという確信があることがわかる。 荒々しい経験をしたあと、人は穏やかで普遍的な世界を肯定する場所を見つけるにいたる。 それが人生の自然なのだと吉村昭は言っているように思える。
    (《解説 川西政明》P.300)


    【関連】
    [抜書き]『暁の旅人』
    [抜書き]『破獄』
    [抜書き]『漂流』
    [抜書き]『大本営が震えた日』
    [抜書き]『海の祭礼』





    12/02/18・・・12/02/24(了)