[抜書き] 『日本人の忘れもの@』


『日本人の忘れもの@』中西進・ウェッジ文庫
二〇〇九年九月十一日 第四刷
    目次
    第1章 心
      まける   おやこ   はなやぐ   ことば   つらなる   けはい   かみさま  
    第2章 躰
      ごっこ   まなぶ   きそう   よみかき   むすび   いのち   ささげる  
    第3章 暮らし
      たべる   こよみ   おそれ   すまい   きもの   たたみ   にわ  
    まとめ 四つの提案
    あとがき
    文庫版あとがき
    解説 葛西敬之


     父親は背中を見せよ
     先年、親友の半藤一利氏と対談をした。 その結論は、近ごろ男がダメになった、ということだった。
     とくにわたしは、父親がダメになったと思う。 なぜか。 父親とは何かが日本人みんながわからなくなり、けっきょく父親の役割を放棄してしまったからだ。 へたにイバれば、封建的だと叩かれると思った結果である。
     しかしむかしは、父親はりっぱだった。 それを支えていたのは、儒教でいう「義」だった。 父親は子に義をつくせと、孔子はいう。
     義とは、ものの道理のことだ。 父は子に道理を教える必要がある。 一方の母は子に慈をつくせと孔子はいった。 母親は子をかわいがればよいのである。 ところが最近の父親は粗大ゴミなどといわれるのをおそれて、子に耳ざわりでないことしかいわない。 猫かわいがりばかりするから母親との役割分担ができず、子どもの方は野放図にかわいがられて大きくなる。
     それでは困る。 父親は憎まれても道理を教えなければならない。 そもそも「義」という文字は「羊」と「我」からできている。 羊は中国で最高の価値あるもので、義のある人間はもっとも価値ある「我」である。 「義」に「言」をつけたものが「議」だから、会議とは会合してことばによって美しい自分をつくることだ(集まる人がみんなそう思っていてほしい!)
    (《第1章 心/おやこ》P.24〜25)


     日本人は色恋をした
     それではいったい、明治以前の日本人は、男女の愛をどう考えていたのだろう。
     恋愛を昔は「色恋(いろこい)」といった。 好色といえば今日ではいかがわしい感じさえつきまとい、好色漢などといわれれば怒るしかない。 「あいつは好色者(すきもの)だ」といわれても同じである。
     しかしそう一概にしりぞけてしまわないで考えてみると、なかなか味わいがある。
     そもそも「いろ」ということばが親愛の気持ちを示すことを、現代人はほとんど忘れているが、古くは母親が同じ兄弟・姉妹を「いろ−−」といった。 「いろね」(兄・姉)「いろと」(弟・妹)と。 「いろせ」はやはり母親が同じ男性である。 この「いろ」とは「親愛なる」といった意味だ。
     一方。女性に「いらつめ」という敬称があった。 「いろの女」という意味で、もっぱら貴夫人に用いられたのは、「いろ」に尊敬の心がこめられていたからである。 男性に対しては「いらつこ」という。
    (《第1章 心/はなやぐ》P.34〜35)


     カミは日本プロパーのことばではなく広くアジアに共通することばらしい。 すなわち、日本語のカミは韓国語のコムと同じではないか。 韓国語ではをコムといい、日本語ではクマという。
     ご承知のように、熊はアイヌ語でもカムイという。 カムイとは神のこと、つまりアイヌでも動物としての名はなく、熊を神とよぶのである。
     じつは英語で熊をさすベアーも神様のことだ。 また昔ケルトにアーサー王がおり、いまもマッカーサー(アーサーの息子のこと)がいるが、このアーサーも熊のことである。 これまた、熊王こと神なる王なのである。
     このように並べてみると日本語も仲間に入る方が自然であろう。 日本語のクマも韓国語のコムも、ともにカミと同語だと考えた方がいい。
     むかし神として祭られていた熊の石像が、いま韓国の熊津の博物館にある。
     一方日本語でも古く、神様へのお供えをクマシネといった。 ずばり、クマはカミと同じことばだということがわかる。
     神武天皇は日本の第一代の天皇だが、九州から東上、大和に王権を立てようとした時、熊野であやしい神の気に当てられて彼の軍隊はみんな意識を失ったという。 これも熊=神の気に当てられた話である。
    (《第1章 心/かみさま》P.72〜73)


     はれがましい力と技の競技
     とにかく伝統を守るから相撲はいろいろと特殊である。
     力士は土俵に上がると力水をつけてもらう。 力水といいながら、水を飲むのではない。 口をすずぐのである。 要するに清めである。 神社に参詣する時と同じだ。
     だから塩をまくのもひとしい。 これも清めの塩である。 戦いの場を清浄なものとし、その中で戦うという考えである。
     力士は四股(しこ)を踏み、両手を広げる。 四股は醜(しこ)だという説もあり、その考えによると力の誇示となる。 手の内を見せるのは武器がないことを示すとされるが、一方、手をひらひらとさせる仕草は神代以来の舞いの形式だという説もある。 力士の足の運び(すり足)が舞踊の形式だし、そもそも「すもう」とは「素舞う」、ひとりで神さまにささげる舞いをしたのが相撲の起源だという説もある。
    (《第2章 躰/きそう》P.110)


     「きそう」という日本語は力をせり合うという意味で、勝負することとは根本的に違う。 トーナメントは一つひとつ勝負をきめていく方法だが、リーグ戦は全体として力の優劣をきめる、「きそう」方法である。 前者はいっぺん負ければ、もう死に体だが、後者は最後まで生きていて、優劣に参加する。 相撲は十五日間のリーグ戦だ。
    (《第2章 躰/きそう》P.115)


     そこで漢字を簡略にすることが、中国でも古くから行なわれた。 「」というのは「」の略字で、「か」という発音が「華」と同じだから「化」にかえた。 「(せつ)」もむずかしいから「(せつ)」にした(それから窃盗が簡単になったわけではない)。
     「」も本来は「」だが、面倒なのでもう八〇〇年も前から「塩」になった。 「オレに何でも聞け」といばった男に「シオは何偏ですか」と聞いたら「土偏だ」と答えたという笑い話が「徒然草(つれづれぐさ)」(三六段)にある。 正しくは鹵(ろ)偏である。
    (《第2章 躰/よみかき》P.124)


     カミナリが稲とセックスする
     夏はカミナリの季節だ。 一天にわかにかき曇って世界がうす暗くなり、風が吹いてきたかと思うとざーっと雨が降りだす。 頭の上でカミナリがゴロゴロとなり、イナズマがおそろしく天空をはしる。
     いかにも夏だという実感があって、これもまたおもしろい。
     ところで、あのピカピカとひらめく光をなぜイナズマというのか、考えたことがあるだろうか。 現代人は、あたりまえの名前として、無意識に使っているにちがいない。 じつはイナズマとは「稲の妻」という意味だ。 前にも述べたように(三〇ページ)、ツマという日本語は相手という意味だから、夫も妻もツマといった。 今日、刺身にそえる大根を「刺身のツマ」という、あれだ。 だからあの光は稲の相手で、稲の夫だと考えられたから、イナズマとよばれた。
     つまりカミナリさまの光は稲を妊娠させる夫だったのである。 カミナリが稲をみごもらせる? −−そんなバカな、という人もあるだろうが、じつは最近、落雷したところに生えたキノコの発育のいいことが注目され、光による窒素をもちいたキノコ栽培が注目されるようになった
     やはり、カミナリさまは稲をよくみのらせるから、稲の夫なのである。 イナズマという日本語は、りっぱに科学的に証明されるものであった。
     イナズマということばはいまから一一〇〇年ぐらい前に使われはじめたらしいが、じつはその前はイナズマといわず、イナツルビといった。稲交(いなつるび)。 そのものずばりで、あの光は稲がセックスするものと考えられていた。 突然、空一面が曇り、カミナリが音をたてはじめるのは、天の神さまの性交のおごそかな前ぶれである。 やがて性の力が鋭光となってほとばしり、地上の稲に降りそそぐ。 かくして稲の女神は身重となる。
     いかにもロマンチックな物語だが、一方きわめて自然科学的な認識だった。
    (《第2章 躰/むすび》P.127〜128)


     カナダへいくとメイプルジュースを売っている。 ロシアには白樺ジュースがある。
     いまはみんな清涼飲料水程度に思っているが、そもそもは健康のためのものだった。 それぞれの民族の英知が、いろいろなエキスの健康法を長い歴史の間につくりだしたのである。白樺ジュースは、そもそもクマが山中で白樺の幹を傷つけて飲んでいたことから思いついたものだ
    (《第2章 躰/むすび》P.130)


     味は母系社会である
     八世紀のころできた『万葉集』という和歌集のなかに、ひとりの若者が無実の罪に問われて紀州へ護送されるときの歌がある。 彼いわく「いま家にいたら妻が食器によそってくれる飯を、旅路だからシイの葉っぱに盛って食べる」と。
     この歌のとおり、むかし家族の茶碗に飯を盛るのは主婦の役目だった。 この若者、時に十九歳の若きプリンスだから、妻は初々しい若妻であろう。
     しかも古来日本人は茶碗に飯を盛ることを「よそう」と言う。 「よそう」とは女性が「装(よそお)い」というのと同じで、美しく飾ることだ。  あだやおろそかに、飯を盛ってはいけない。
    (《第3章 暮らし/たべる》P.163)


     聖人の原点は「日知り」
     聖人を意味する日本語は「ひじり」である。 「ひじり」とは日知りのこと。 その日が何であるかを知っている人が貴いと思われた。
     聖人というとヨーロッパ風に育てられた現代日本人は、すぐキリスト教の聖人、せいぜい宗教上のえらい人をイメージするが、じつは「ひじり」は古いことばで、ほんらいは、宇宙の循環原理にあてはめて、日々を的確に知っていた人のことであった。
     台風が来る日を知っているのでもよい。 苗はいつ植えるかという日の指定でもよい。
    (《第3章 暮らし/こよみ》P.172)


     また、いまでも生きていることばに「八十八夜」がある。 そのころに摘んだお茶がおいしいという理解だと思うが、お茶だけではない。 なにかと苗を植えるにも適したころである。
     これは立春から八十八夜たった日のことだ。
     −−だが、こういうとやはり数えているではないかといわれるだろうか。 もちろん数えるのだが、立春からの季節の変化を数えているのであって、単純な日々の数の羅列とは別物である。
     そもそもカレンダーは日本語では「こよみ」という。「日読(こよ)み」という意味で、「よみ」とは「数える」ということだから、右のように重要な起点を発見して、それから何日目が何であると指摘するためのものがカレンダーだった。
    (《第3章 暮らし/こよみ》P.174〜175)


     そもそもカレンダーの原点は、多く夏至と冬至にある。 たとえば伊勢神宮近くの夫婦岩の中間から太陽の昇るのが夏至であることを、太古の人は発見した。 太陽が間から昇る日を起点として日を数えていけばカレンダーができる。
     青森県の三内丸山遺跡には、屋根がない、柱だけの建物がある。これを太陽の通る柱列だし、考古学者の小林達雄さんは考える
     アイルランドの王は、夏至の日にだけ太陽が眠りの床に届くように設計された墓に葬られ、エジプトの王は冬至の光によって眠りからさめるように葬られた。
     春分や秋分を大切な節目にすることもある。 奈良県の二上山は、それぞれの中日に太陽が二つの頂の間に落ちる。 その関係がカレンダーの上で尊重され、やがて宗教的な意味までつけ加えられた。
    (《第3章 暮らし/こよみ》P.176〜177)


     月は太陽以上に人間の体と深くかかわっているらしい。 しかるに月によるカレンダー(太陰暦といわれる)はイスラム暦に使われるだけで、日本では旧暦(太陽暦と太陰暦をあわせたもの)も捨ててしまった
     もちろん復活する必要はない。 しかし太陽や月のもつ働きに、われわれはもっと目を向けて、自然な循環のなかに体をあずけるべきであろう。 木の芽時に気持ちを大事にし、立冬のころだと思って衣類に心をくばりたい。
     ところがいまのカレンダーには三月三日だから耳の日、九月九日だから救急の日だ、とある。
     すこしはずかしくはないだろうか。
    (《第3章 暮らし/こよみ》P.178〜179)


     むかし中国で人間のことを裸虫といったように、人間はまる裸の無能力動物である。 要するに人間、知恵という武器しかもっていないから、それで武装するしかない。 知恵でつくり出した法や制度で護るしかない。
     ところがこの知恵は、神さまの知恵にくらべると浅知恵である。 たけだけして欲望をおさえることができない。
    (《第3章 暮らし/おそれ》P.181)


     山があるから山に登りたい。 あくなき人類の征服欲はかがやかしい人類の歴史の展開のごとく賞賛されるが、人間をはばむ山には、はばむだけの理由がある。 やまは征服されるためにあるのではない。
     山は山である。 欲望だけを述べた、赤子のようなことばではないか。
     昔の木伐りは山へ入って仕事をするにしても、よく山の神をあがめた。 山の神がおそれるからといって、あのグロテスクなオコゼをぶらさげて歩いた。を腰につけておくと、悪魔が化けて近づいてきても、正体がちゃんと映った。木を伐っても、次のいのちのために、木の末はちゃんと植えた
    (《第3章 暮らし/おそれ》P.182)


     しかし、むかしから水にもぐってアワビをとる海女(あま)は、おまじないの星印などを手拭いやノミ(アワビをとる小刀)にかいて、魔除けとした。 海がそれほどこわいのだとよく知っていて、敬虔な祈りを海の神にささげたのである。
     海女はウエットスーツを着てはいけないのだという。 着ると海中に長くいられるから、アワビをとりすぎてしまうからだときいた
     逆にいうと、ウエットスーツはそれほどに絶大な保護力をもっている。 そのうえにボンベを背負い、レギュレーターをくわえると、人間はほとんど陸上と変わりなくなる。
     何とおそろしいことだろう。 人間、海中では呼吸できないということを忘れさせるのだ。
    (《第3章 暮らし/おそれ》P.184)


     改めて考えてみると、昨今のすまいから追い出されたものの第一は床の間である。 実用性からいうとなくてもいい。 どうせ飾りだと思われるからであろう。
     だいたい床の間があっても掛け軸がない。 花を生けるのも面倒だ、ということになる。
     忙しい現代ではそうかもしれない。 しかし床の間がある意味は、とても大きかった。
     そもそもトコという日本語は、頑丈でビクともしない、絶対に変わらないもののことだ。 家にはとうぜんユカ板を張る。 その上に畳を敷いたり、そのまま化粧板を張ったりする。 しかしユカはいつ抜けたって責任を問われない。
     ところが絶対に安全で抜けたりはしない一隅が「トコの間」なのである。 そこは建物の晴れの場所として必要だった。 だから昔、殿様はそこに座った。 天子や将軍になると、さらに床の間は一段と高く、豪華に作られた。
     それほどに床の間は特別に迎えた客人、一家のあるじが座るべき場所として聖空間であった。
    (《第3章 暮らし/すまい》P.192〜193)


     火が消えた家庭
     つぎに変貌をとげたものに、家庭の火がある。
     これまた、そもそもは、といった話から始めると、いまわれわれは家を「一軒二軒」と数えるが、昔は「ひとへ、ふたへ」と数えた。 この「」とは、かまどのことだ。 多少年配の人は「へっつい」ということばをご存知だろう。 その「へ」である。 要するに釜をおいて下から火を燃やす、あの場所のことだ。 今のガスレンジに当たる。
     ガス台で家を数えるとなると、ガス台が一家に二台あっては困る。
     それほどに昔は必ず一家にかまどは一つだった。 なぜか。 昔は、家の中心に火を焚く場所を置いて、一つの建物が造られたからだ。 竪穴式の住居などを見た人は思い当たるだろう。
     それがやがていろりに変化する。 別に晴れがましい床の間がある一方、日常生活のだんらんは、いろりを囲んで行われた。 いろりのまわりに、主人の座る場所、妻が座る場所が、それぞれきちんと決められている。
     農家のいろりはずいぶん長くつづいたが、商家などになると、いろりはなくなる。 なくなったが、時代物のテレビや映画を見ていると、一家のあるじは必ず長火鉢の後ろに座っているではないか。 つまり生活の中心は長く長く、どんなところでも火であった
     だからこそ「伝統の火を消さない」などということばも生まれた。 そしてこの生活習慣はヨーロッパでも同じで、古い家屋が暖炉を中心にした居間をもつことを見る人も多いだろう。
    (《第3章 暮らし/すまい》P.195〜196)


     火が神聖であるゆえんは、火が恐ろしい点にもあるが、火が燃料だけでなく闇を照らすものである点にもあった。 私事になるが、学生時代、伊豆の天城山中であちこちのわさび田を作る人たちが、夜になるといっしょに寝る小屋に、一晩泊めてもらったことがあった。 仲間三人、伊豆を無銭旅行していた時のことである。
     わさび作りの人びとは、いろりにほだをくべて、宵のうち、ひとしきり歓談をする。 火がみなの顔を照らし出す。 そしてほだが燃えつきると、世界は漆黒の闇となる。 思い思いに床の上にごろ寝をした。
     火が灯りであることを、この時以上に実感したことはない。 ところが灯りである火の役目は、電灯の出現によって、とって代わられた。 以後、火は燃料としてのみ見なされ、ガスレンジにだけ存在することとなった
     こうなると火は一ヵ所と限らない。 「二世帯用に台所を別にしました」という建売住宅の広告を見た時、何千年かつづいた、火を中心とするすまいがついに終ったと、私はひとり感慨をもらしたことだった。
    (《第3章 暮らし/すまい》P.196〜197)


     はたして昔の日本人は、花が主役の庭を造ったろうかと考えてみたが、十一世紀の一つのエピソードを思い出すだけだ。
     ある人が通りがかりにのぞいた邸の庭にたくさんの花が咲いている。 思わず入りこむと主人が出てきていわく。
     父が死にましたが、魂は蝶になるといいます。 そこで父が蝶になって飛んできてほしいと思って、こんな花を植えています。
    (《第3章 暮らし/にわ》P.226)




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