[抜書き]『高熱隧道』


『高熱隧道』吉村昭・新潮文庫
平成二十二年七月二十日 五十三刷改版


     根津たち工事関係の幹部技師たちは、実際の工事現場を関係者以外の眼(め)には絶対にふれさせたくなかった。 労働環境の改善は一般的な問題になっていたが、青年将校たちが見学を申し出た阿曾原谷横抗の坑内には、人間が作業をする環境とは程遠い特殊な世界が形づくられていたのだ。 その実情を一般の者が知ったとしたら、当然そこから労務者虐使(ぎゃくし)という批判が生まれるし、ひろく社会問題として糾弾されるおそれが多分にあった。 そうした世論は公(おおやけ)の機関をも動かして、工事中止命令の発令にまで発展する可能性を十分にはらんでいた。
    (《高熱隧道》P.9)


     その期待は見事に的中して、かれらは坑内の熱さと立ちこめる湯気に堪(た)えきれずに、坑道の半ばにまで達しないうちに息を喘(あえ)がせながら引き返してきた。
     幸いその折取材した記者たちの書いた記事は、「難工事に奮闘する地下産業戦士」という見出しで、坑道内の高熱につつまれた労働環境も逆に戦時下の産業美談を強調する素材として扱われていた。 その上、人夫からきき出したらしい坑内の岩盤温度の数字も、実際は摂氏温度であるのに華氏の温度と錯覚して紹介していた
    (《高熱隧道》P.9〜10)


     工事の監視にあたる県でも、その労働環境が常軌を逸したものであることは十分に気づいていたらしいが、視察にくる監督官も坑道の途中から引き返してその実態は確認していない。 それに黒部第三発電所の完工が阪神地方の戦時下の工業力に大きな意義をもつものだということから軍の要請もきわめて強く、県でも始終黙認という姿勢をとっているのである。 が、その実態が一般に知れわたって社会問題化すれば、監督官庁としてもそれ以上は黙認しているわけにもいかないのだ。
    (《高熱隧道》P.10)


     しかし、日本の最多雨地帯でありその上十五分の一から二十分の一という大きな河川勾配(こうばい)をもつ黒部渓谷は瀑布(ばくふ)の連続で、早くから電源開発の再好適地として注目され、下流から徐々に合計十箇のダムが構築されてきている。 さらに欅平から上流の渓谷にもダム建設の計画がきざして、その調査のために遠く大正七年夏にはすでに、電力関係の調査班が地元の猟師の覚束(おぼつか)ない案内で初めて渓谷の上流に足をふみ入れた
    (《高熱隧道》P.14)


     かれらは、岩の割れ目や草木の根を唯一の足がかりとして黒部川左岸沿いに遡行(そこう)し、四〇〇メートルにおよぶ岩壁をものり越えて立山(たてやま)方面へぬけることに成功した。 その折たどったルートを基礎に、大正十三年夏には測量用足がかり通路としてそのルートの改修をおこない、徐々に通路を補修して測量班もしばしば谷に分け入ることが可能になった。 しかし、その日本電力歩道−略称日電歩道は、やはり、道という一般の概念からははるかに遠いものがあった
    (《高熱隧道》P.14)


     道といっても、その半ばは切り立った崖の岩肌(いわはだ)をコの字型に刻みこんだもので、その幅員(ふくいん)もわずかに六〇センチほどしかない。 その上至る所に桟道(さんどう)と称するものがあって、ボルトを崖の中腹に打ちこみその上に丸太をのせ、人間ひとりを辛(かろ)うじて渡すことができるような箇所もある。 また桟道も渡すことのできない場所には、丸太を六〇センチ間隔で横たえただけの細々とした吊橋(つりばし)や、鎖で連結された梯子(はしご)もかけられている。 しかも、通路の下は一〇〇メートルにもおよぶ切り立った崖が、深い渓谷に落ちこんでいるのである。
    (《高熱隧道》P.14〜15)


     秋の季節がやってきた。
     その頃から、上流の第一工区を請負っている加瀬組に或(あ)る変化が起っていた。 第二工区の佐川組ではすでに横抗も本坑位置に達して本坑工事に手を染めていたし、大林組の担当する第三工区の竪坑(たてこう)工事も大きな進展をみせているというのに、第一工区の加瀬組の動きはほとんど休止状態に近い。 折尾谷の上流阿曾原谷で横抗工事をはじめることははじめていたのだが、急に技師や人夫たちが下山したままあがってこなくなったのだ
     (けつ)を割る工事放棄のではないかという風聞が、藤平たちの耳にもつたわってきた。 しかしそれは、加瀬組が第一工区の請負工事を落札した時から、或る程度は予感されていたことでもあった。
    (《高熱隧道》P.18)


     第一工区は渓谷の最上流の地域にあって、その上全工事中最も工事量も多い。 当然、資金的にも技術的にも重い負担のかかることが予想されたが、加瀬組はそのいずれにも不安があって、発注者の日本電力でもその工事施工には多くの危懼をいだいていた。
    (《高熱隧道》P.18〜19)


     藤平は、噂通り加瀬組が工事放棄をしたとするなら、その主な理由は資材運搬作業が工事運営の上に大きな障害になったのだろうと判断した。 加瀬組でも多くのボッカを雇い日電歩道をつたわって工事用資材を運び上げていたが、その行程は、藤平たちの根拠地よりさらに上流の阿曾原谷仙人谷までさかのぼらねばならない。 加瀬組では、仙人谷のダム工事のために大量のセメントを運び上げていたが、一袋(五〇キロ強)の運搬費を普通では一円四〇銭が相場であるのに八円もボッカたちに支払っている。 しかもボッカたちは、死の危険の多い狭い通路をたどる苦痛からのがれたい一心で袋に小さな穴をあけ、そのため仙人谷にたどり着いた頃には、袋の中のセメントの量も半分ぐらいに減ってしまっているのが常だという
    (《高熱隧道》P.19)


     しかし、事実はちがっていた。 十月上旬宇奈月からのぼってきた日本電力の工事監督主任天地忠夫が、確定的となった加瀬組の工事放棄の理由について意外なことを口にした。 それは、加瀬組の掘りはじめた阿曾原谷横抗が温泉湧出(ゆうしゅつ)地帯に突きあたったらしく、坑内の岩盤温度が掘進するにつれて上昇し、それ以上工事をすすめることに技術的な自信を失ってしまったからだという。
    (《高熱隧道》P.19〜20)


     藤平は、湯気ですっかり曇った眼鏡をはずしていた。 そして、人夫に命じて切端の岩肌に五〇センチほどの深さをもつ細い穴をあけさせ、持参してきた温度計をその穴にさし込んでみた。 温度計の水銀柱は、摂氏六五度の目盛りまであがっていた。
    (《高熱隧道》P.21)


     天知は、いぶかしそうに首をかしげていた。 黒部第三発電所建設工事の予備調査は、すでに十年以上も前の昭和二年五月末から十月中旬までの五カ月にわたる第一回実施調査を皮切りに、その後も小規模ながら毎年夏季に定期的につづけられてきている。 通路が人間の歩行に適当でないため思うような調査はできなかったが、昭和十年四月に水路・軌道トンネルの位置の決定をみてからは調査も本格化して、翌十一年七月には精密な実地測量と地質調査を終了している。 地質関係の調査も、東京帝国大学京都帝国大学の各地質学科の教授に依頼して、その地質が隧道(ずいどう)工事にきわめて適したものであるとの判定も得ていた。
    (《高熱隧道》P.21)


     「しかし、なんといっても第一の問題は、金銭ですよ
     根津が、笑いながら鳴門に顔を向けた。
     「手当が倍ですからね。 かれらは、あきらかに割のいい仕事だと思っているんです。人夫頭たちの身にしてみれば人夫たちの手当の一割が自分たちの懐(ふところ)に取り分として入ることだし、人夫たちの手当が多ければ多いほどそれだけ収入も多くなるわけですからね。 人夫たちの尻(しり)を叩(たた)いてくれるわけですよ
     鳴門や技師たちの間に、苦笑がひろがった。
     「しかし、こんな悪条件の中で人夫たちを働かせているということが一般に知れるとまずいんじゃないか。 第一、火薬類取締法によればダイナマイトは岩盤温度摂氏四〇度までしか使ってはならないというのに、摂氏七五度まで上昇してきているのだからな。 違反となれば体刑も考えられるし、警察問題にまでなると厄介(やっかい)だぞ
     「その点は、心配ありませんよ。ここまで人はのぼってこないし、たとえのぼってきたところで坑内の切端までは到底入れるものじゃありません。 火薬の制限温度にしたって、伊豆多賀の隧道工事では摂氏六〇度でも事故は起こっていないんですから。 少々それより高くても今のところ危険はないでしょう。まあ、このままそっとしておいて、私たちに工事をやらしといてくださいよ
     根津は、眼を光らせ肥えた体をゆするようにして笑った。
    (《高熱隧道》P.38〜39)


     「それから、これは突拍子もない意見のようにきこえるでしょうが……
     藤平が、口をはさんだ。 眼鏡の奥の眼(め)には、熱っぽい光がはりつめていた。
     「現在の岩盤温度があと一〇度も上るとなると、おそらく坑内温度は五〇度近くにはなるでしょう。 今でも人夫たちは、よく堪(た)えて作業をしてくれていると思っているのですが、これ以上温度が上昇したら作業は到底不可能です。 坑内に入るだけで人夫たちは大火傷(おおやけど)をするでしょう。 今、お話のあった換気のための竪坑、斜坑を掘ることも当然実施すべきことだと思いますが、それ以外に作業に従事するかれら人夫の体を直接冷やしてやる必要があると思います。 具体的な方法として、谷川の冷えた水を吸い上げてホースでかれらに冷水をかけてやったらどうでしょう。 現在でもかれらは、坑外にとび出してくるとバケツで水をかぶって、また入って行きます。 その作業時間の無駄を防ぐことと、さらに効果的にかれらの体を冷やしてやるために、冷水をホースで作業中の人夫に休みなくかけつづけてやるのです
    (《高熱隧道》P.54)


     「しかし、ホースで冷水を人夫たちにかけてやっている奴(やつ)も熱いんだぜ
     天知が、ふと思いついたように薄笑いしながら言った。
     「それも考えました。 その連中には、また後方からホースで水をかけさせます。 さらにその連中も坑内の熱さに堪えられなかったら、そのまた後方に水をかける人夫を配置してもいいのです
     「ホースの列がつづくわけか
     天知の声に、根津も教授たちも可笑(おか)しそうに笑った。
     「笑いごとじゃありません。だいたい隧道そのものが常軌を逸しているのです。 それに対処するには、少々滑稽(こっけい)でも思いきった方法をとらなければならないでしょう
     藤平の思いつめたような眼の光に、笑いはすぐに消えた。
     かれらは、思い思いに思案するような眼をして黙っていた。
     「ともかくその案もみんなで考えてみよう。人夫たちが熱にやられては、工事もなにもあったものじゃないからな
     根津が結論をくだすように言った。
    (《高熱隧道》P.54〜55)


     翌日、天知、根津の連名で技師全員が召集され、技術会議がひらかれた。 まず坑内の岩盤温度は、約三〇メートル前方に摂氏九五度の高熱断層の中心部があり、それを越すと温度は低下して、一〇〇メートル奥の本坑地点では平常地熱になる、という教授の推断が発表された。 そして、その高熱断層を突破する技術的方法について、意見が交された。
     教授の口にした換気用竪坑の案は、すぐに決定した。 峰の傾斜の中途から約三〇メートルほどの深さの竪坑を堀さげれば、丁度岩盤温度摂氏八五度の切端地点に達することも確認された。
    (《高熱隧道》P.55〜56)


     さらに藤平の提案した冷水をホースで人夫に常時ふりかけさせるという案が提出された。 その瞬間、席上にいる者たちの間に可笑しそうな笑いがひろがった。 が、藤平が立ち上がると、かれらの眼からは笑いの色もうすらいだ。
     「あの熱い切端に十分間でもいられる奴がこの中にいるか。 それを人夫たちは、三十分近くもふみとどまって仕事をしているんだ。 おれの案は、そんなに可笑しいか。 お前たち、人夫の苦痛も考えろ。おれたちがいくら技術的な方針を立てても、かれらが作業をしてくれなければ工事は進まないんだ。 おれの案よりいい方法があるなら教えてくれ
     藤平は、荒々しい声で言うと技師たちを見まわした。
     沈黙が事務所内にひろがった。 かれらは互いに顔を見合わせ、しきりに思案するように思い思いの方向に視線を向けていた。
    (《高熱隧道》P.56〜57)


     「火薬の問題ですが……
     火薬担当係の技師が、おびえたような表情で口をひらいた。
     会議に加わっていた技師たちは、ぎくりとしたようにその技師の顔を見つめた。
     「火薬類取締法規のダイナマイト使用制限温度は、御承知のように摂氏四〇度です。 この法規は罰則もきびしくて、違反すれば体刑を科せられます。 ところが現在の岩盤温度は、その制限温度を倍以上も越えてしまっているわけですが、これが警察にでも知れたら工事中止命令を受けることはまちがいないのです
     「それは心配ないんだ
     天知が、即座に言った。
     「この黒部第三発電所の建設工事は、阪神地区一帯の軍需工場の原動力に貢献するという意味からも、国家的要請のきわめて強いものなんだ。だからたとえ法規に違反しても、県の警察あたりでは今まで通り見て見ぬふりをしつづけるにきまっている。 そんなことよりも現実の問題として、岩盤温度がそれほど高まっても果して危険はないものかどうかということの方が心配だ。 つまり、熱のために自然発火するおそれはないかどうかという……
     天知の眼に不安そうな光が翳(かげ)った。
     「ダイナマイトの発火点は、ぎりぎり何度ぐらいだと考えられているんだ
     根津が、火薬担当の技師にきいた。
     「法規の制限温度四〇度も安全性を考えて定められたものですから、実際はぎりぎり九〇度程度かと思います
     「それならそれほどの心配はないじゃないですか。 ホースで人夫に冷水をかける間に岩盤にも水をかければ、それだけ岩盤温度も冷えるでしょう
     技師の一人が言った。
     「一石二鳥というわけか
     天知の表情もゆるんだ。
    (《高熱隧道》P.57〜58)


     早速作業の分担がきめられ、換気用竪坑の掘り下げ工事と黒部川の冷水を坑内に送り込む作業の準備が、それぞれ指名された技師の指揮ではじめられた。
     ホースの配置と渓流の水の吸い上げ装置は二週間ほどかかってととのえられ、中断されていた横抗工事が再び開始された。
    (《高熱隧道》P.59)


     人夫たちは坑道の奥に入り放水がはじまると、天井(てんじょう)から点滴する熱湯を避けるためまとっていた雨合羽(あまがっぱ)も不用になったのか、褌(ふんどし)ひとつの裸身になった。 その後頭部や背中や尻(しり)に、ホースから放たれた冷水が音を立てて水しぶきをあげる。 初めは接近して放水したためよろめく者もあったが、約一〇メートル後方から放水するのが最も適していることがわかった。
    (《高熱隧道》P.59)


     しかし、しばらくすると坑道の奥には、放たれつづける水が排水速度を追い越してたまりはじめ、やがて脛(すね)をひたし腰まで上って、人夫の下半身をその中に没してしまった。 しかもその水は、岩盤の熱と坑内に湧(わ)く熱湯が入りまじって湯気をあげている。
    (《高熱隧道》P.60)


     岩田中将は、第一、第二工区の日本電力佐川組の技師、人夫頭たちを前に、この工事が戦争遂行上きわめて重大な意義をもつものであることを述べた。 二日前には、ソ満国境張鼓峰(ちょうこほう)でソ聯(れん)軍との間に交戦が起り、ヨーロッパでもドイツを中心に戦争勃発生の気配がきざしはじめ、国際情勢は急激に緊迫の一途をたどっている。中国大陸の戦火も果しない長期戦の道を突きすすんでいる現在、軍需工業力の強化が急務だというのだ。そうした観点から今後も軍としては、黒部第三発電所建設工事にできるだけの協力をつづけてゆくと力説した。
    (《高熱隧道》P.63〜64)


     横抗工事は、坑道内にあふれる湯と立ちこめる湯気にさまたげられながらも、日進一メートルの割合で順調に進んでいた。 しかし、発破(はっぱ)後新たに露出した岩盤にさし込まれる温度計は無気味な目盛りをしめしていた。 教授の指摘した摂氏九五度を越え、わずかずつ上昇線をたどり、七月二十日、不意に一〇〇度の温度計が音をたてて割れてしまった
    (《高熱隧道》P.65)


     早速一五〇度温度計で測り直してみると、水銀柱は一〇七度の目盛りまで上昇していた。
    (《高熱隧道》P.65)


     藤平は、坑口を出ると降雨の中を事務所に急いだ。差し出された温度計の目盛りをのぞきこんだ根津も天知も、その顔からは血の色が失(う)せた。 呆れたことに岩盤温度は、沸騰点(ふっとうてん)を大きく越えてしまったのだ
    (《高熱隧道》P.65)


     教授の推定した最高温度摂氏九五度にはむろん二、三度の誤差があるだろうとは予測していたが、その推定温度より一二度も越えてしまっているというのは、どういうことを意味するのだろう。
     「なぜなんだ
     「一体、どういうわけなんだ
     かれらは、青ざめた表情で譫言(うわごと)のように互に問いかけつづけているだけだった。
    (《高熱隧道》P.65〜66)


     根津が、机の上に置かれた温度計を見つめながら口をひらいた。
     「私の考えを言わせてもらいましょう。 私には、なにか根本的におおきなあやまりがあるように思えてならないんです。 初め地質学の先生たちは、隧道工事のルートにこれほど温度の高い温泉脈が走っていることなど誰(だれ)一人として口に出した人はいなかったはずです。 ところが、横抗を掘り出してみるとこの始末だ。 仙人谷本坑の坑道も温度が上昇してきている。それを予測できなかった学者たちは、出発点からまちがっていたわけだ。 そこで大石教授にここまで来てもらった。 調査の結果、最高温度を摂氏九五度だと指摘した。 それが九五度を突破して一〇七度まで上昇してきている。 これは、あきらかに第二のあやまちを犯したと判断しなければならない。要するに地質学者たちはあやまちを二つつづけて犯したのです。 それは、第三、第四のあやまちを今後も生み出す可能性が十分あると言っていいんだ
     「すると君の言いたいことは、教授の推測が全く信用できないというわけだね
     「その通りです
    (《高熱隧道》P.66〜67)


     「初めからのことを考えてみようじゃありませんか。 横抗口附近の地表は、この奥に温泉脈があることなど想像もつかないように冷えていたのに、加瀬組が三〇メートル掘ると摂氏六五度。 それをひきついでわれわれがさらに三〇メートル堀すすむと摂氏八五度、そして、現在坑口から一〇〇メートル近くくると一〇七度を記録した。 奥へ進むほど熱が上昇してきている。 素人(しろうと)考えからいけば、それは当然すぎるほどに当然のことのように思える。 つまりこの地球というやつは何十億年かかかって表面が冷却してきているが、内部は依然として煮えたぎっている。 地中を奥へ行けば行くほど熱くなるのが自然の成り行きだ。学問的にはさまざまな理屈(りくつ)も考えられるだろうが、こんなに二度もあやまちを犯すようでは到底学者の言葉など信用できないじゃありませんか
     根津の声は、甲高くふるえをおびていた。
     「正直なことを言うと、私も君の意見にほぼ同感なんだ。 日本の地質学研究は世界的な水準に達していると言われているが、温泉湧出地帯に隧道をうがつなどという例は稀(まれ)なことで、そんな性格をもつ隧道工事に助言ができるほどには、学者たちの研究もすすんでいないというのが実情だろう。しかし、だからと言って根津君、ほかになにか頼れるものがあるというのかね
     天知は、根津の顔を凝視した。
    (《高熱隧道》P.67〜68)


     人夫たちは喘(あえ)ぎながら作業をつづけていたが、幸いにも動揺の色はみじんもみせなかった。 かれらは、地質学者の推定した高熱断層の温度も知っていたし、実際の岩盤温度がそれを裏切ってさらに上昇していることも知っていた。 しかし、かれらは、その高熱も一時的なものでその断層を突きぬければ必ず岩盤は冷えてゆくのだと信じこんでいるようであった。
    (《高熱隧道》P.69〜70)


     駈けもどってこなかったのは、その四名だけではなかった。 かれら四名の火薬係たちがダイナマイト装填作業をおこなっている間、その一人一人にホースで水をかけていた四人の「かけ屋」がいたはずであった。 つまり合計八人の作業員が難に遭ったらしいというのである。
     同僚の名を呼びつづける人夫たちは、坑道の奥へ進もうとしている。一刻も早く運び出して治療を受けさせれば、助かる者もいるはずだと思っているのだ。
     「入っちゃいかん
     根津が、人夫たちをどなりつけた。
     装填中に自然爆発を起したということになると、誘発を受けなかった〔残りダイ〕(爆発せずに残されているダイナマイト)がころがっている公算も大きい。 一定の時間を経てからでなければ、切端へ救出に近づいた者も、残りダイの爆発にぶつかるおそれが多分にある。
     「今から三十分後に入ることにしよう
     根津が、腕時計のガラスの曇りを拭(ぬぐ)いながら言った。 そして、技師の一人をふり返ると、
     「天知主任が、仙人谷の現場へ行っているから、電話を入れて暴発事故があったことを連絡しろ。 それから宇奈月の事務所へも連絡だ。事故の詳細については不明だと言うんだぞ。おれたちは、三十分後に切端に入ると言っといてくれ
     と、落着いた声で言った。
    (《高熱隧道》P.72〜73)


     装填されたダイナマイトは、岩盤の熱のために自然発火してしまったものにちがいない。 法定の制限温度をはるかに越えた岩盤を対象としてきたことを思えば、今まで暴発しなかったことが不思議でさえある。
     藤平は、居たたまれぬような羞恥(しゅうち)をおぼえた。沸騰点(ふっとうてん)を越えた岩盤にダイナマイトをつめこませたことは、技術的指導にあたってきた自分たち技術陣の重大な責任である。 たとえ他(ほか)に適当な方策がなかったとしても、それを強(し)いてきたことは技術者として無謀すぎる行為ではなかったか。 それを人夫たちは、自分たち技術の言葉を信じて黙々と作業をつづけてきていたのだ
    (《高熱隧道》P.74)


     藤平は、あわてて眼の前の湯の中に揺れている桃色がかったものに視線をもどした。 漸(ようや)くそれが、内蔵のはみ出た胴体の一部であるらしいことに気づいた。
     藤平は、あたりに立ちこめる火薬の匂いにまじって淀んだ血と脂(あぶら)の匂いに、意識が急速にうすれゆくのを感じていた。
     トロッコが湯気の中から姿をあらわし、藤平の背後でとまった。
     根津は立ち上がると、トロッコの後方に顔を向け、
     「みんな諦(あきら)めろ。 仏ばかりだ
     と、言った。
    (《高熱隧道》P.76〜77)


     湯気の中に淡くつらなっているカンテラの列が動かなくなった。 その中から、噴き出すように号泣が起った。
     「さあ、仏をトロッコへ入れろ
     根津は、カンテラを藤平に手渡すと、身をかがめて目の前の桃色がかった肉塊を抱き上げ、トロッコの中へ落した。
    (《高熱隧道》P.77)


     藤平は、カンテラをかざして根津について歩いた。 根津は、岩肌(いわはだ)にへばりついた肉塊をそぎ落し、湯の底からちぎれた衣服のついている黒いものを抱き上げる。 そして、腰をかがめてトロッコに近づくと、箱の中へ落しこむ作業をくり返しはじめた。
    (《高熱隧道》P.77〜78)


     「ホースはどうした。 こっちへもかけろ
     人夫頭の一人がどなった。 熱気が皮膚に食い入り、カンテラを持つ手が無感覚になってきた。
     再び水しぶきが、周囲であがった。
     「坑内の熱で仏がくさるからな。 一つ残らずトロッコに積め
     根津が、水を浴びながらどなった。
    (《高熱隧道》P.78)


     人夫頭や人夫たちの口から、読経(どきょう)のように低い声がもれている。 死者の霊が坑内にとどまらないようにねがう、かれらの習慣的な祈り方であった
    (《高熱隧道》P.79)


     人夫の手で押されてゆくトロッコが、坑口に停止しているトロッコの後部にかすかにふれてとまった。 それと前後して歩いていた人夫たちが、うろたえるようにトロッコの傍から小走りにはなれて行く。
     藤平は、坑外の明るさの中に停止しているトロッコに眼を向けた。人夫たちがトロッコから逃げるようにはなれた理由が、かれにも漸くのみこむことができた。 坑道の薄暗い湯気の中でおぼろげに見えたものは、明るい雨の中でその姿をあからさまに露出している凄惨(せいさん)な人体の散乱物だった。
     頭の中に、不意に炭酸水の蒸発するような音が沸き上った。 と同時に、はげしい嘔吐感がこみ上げてきて、藤平は肩をまるめると咽喉(のど)を鳴らした。
    (《高熱隧道》P.80)


     坑口の傍に立っていた根津が、トロッコの車輪に足をかけると内部に積まれたものをかかえ上げた。 それは、胸から引き裂かれた上半身であった。
     根津が蓆の上に下すと、人の群れに動揺が起きて輪が一層大きくひろがった。こわれた遺体のむごたらしさに、かれらは思わず後ずさりしたのだ。
     根津は、再びトロッコの内部のものを抱き上げ、蓆とトロッコとの往復を休みなくつづけた。 たちまち根津の体は、顔まで血と脂で染まり、それが降りそそぐ雨水で足もとに流れた。
    (《高熱隧道》P.81)


     藤平は、手伝わなければいけないとしきりに思った。かれらを肉塊にしてしまった直接の責任は、工事課長としての自分にある。 が、根津の抱きかかえているものに眼を向けると、意識のかすむような嘔吐感がこみ上げてきて、血のしたたり落ちるものをかかえる勇気は到底湧いてきそうにもなかった。 人夫頭も人夫たちも、おびえたように根津の作業を見つめているだけで、手を貸そうとする者はいない。
    (《高熱隧道》P.81)


     天知も根津も、打ちひしがれたように事務所の椅子に腰を下していた。第一工区の工事中止は、黒部第三発電所建設工事の全面的な放棄を意味する。 佐川組別班の第二工区、大林組の第三工区のそれぞれの軌道トンネル工事は、すでにその三分の二を終了している。 それまでに犠牲となった七十名に近い人命と資材、労力などすべてが、第一工区の工事中止によって全く無意味なものになってしまうのだ。
     「このままじゃ大変なことになってしまう
    (《高熱隧道》P.88)


     天知は、かれらに東京におもむき、日本電力本社の協力を得てエボナイト製の管を大量に発注するようにと指示した。
     ダイナマイトの岩盤温度に対する方法が見出されたことは、事故発生を防止する上で研究会議の目的の大半を果したのも同じであったが、工事再開のためには、そのほかに多くの解決しなければならない問題が控えていた。 その第二の研究事項は、「労働環境改善方法の件」であった。つまりそれは、坑道内で作業をつづける人夫たちの受ける熱さを、どのようにしてやわらげるかということであった
    (《高熱隧道》P.94)


     第三の議題は、「人夫の健康管理の件」であったが、専門外のことなので、これについては宇奈月町の開業医平川猪三郎の意見を中心に推しすすめられることになった。
     平川は、工事現場に治療機関を設けることを前提条件に、どういうつてをたどって探し出したのか北洋漁業の蟹工船(かにこうせん)に乗っていた医師四名を引きぬいてきて、看護婦四名とともに仙人谷、阿曾原谷の各診療室に常勤者として配置させた。 そして、平川自身も、週一回宇奈月から入山してきて治療の指揮にあたることを約束した。
    (《高熱隧道》P.101)


     平川は、高熱の人体におよぼす影響について異常なほどの熱意をしめし、人夫たちの検診をつづけてそこから多くの結論を引き出した。
    (《高熱隧道》P.101)


     かれの意見によると、高い熱で失神した者の症状は日射病に酷似したもので、高熱につつまれながら作業をしている人夫たちには、全員軽微ではあるがそれに準じた徴候がみられるという。
    (《高熱隧道》P.101)


     こうした症状を放置しておくとそれが累積して後遺症を起すおそれもあり、その予防処置としては、作業を終えた後わずかでも目まいや嘔吐感(おうとかん)を訴える人夫に、必ずカルシウム注射をほどこす必要があることを指摘した。
    (《高熱隧道》P.101〜102)


     また熱さによって人夫たちは大量の汗をかくので、塩分の不足をまねき、また水分を多量に飲むため下痢症状を起しているものが非常に多い。 それらを予防するために平川は、坑内の休憩所に四斗ダルを用意して、その中に消化のよい粥(かゆ)をみたすように指示した。 その粥はカロリーの高い糯米(もちごめ)を煮たもので、塩も多目に加え、人夫が随時ヒシャクですくえるようにする。 また食堂でも専門の炊事婦を雇い入れて、鶏卵・牛乳等栄養価の高い食事を供給させるようにと主張した。
    (《高熱隧道》P.102)


     根津は、経費の膨張をおそれたが、人夫の健康管理がそのまま工事の進行に直結しているという考えから、平川の意見を全面的に受け入れた。 そして、天知を通して富山県庁とも交渉し、それらの食料品を工事再開の折には優先的にまわしてもらうように頼みこんだ。
    (《高熱隧道》P.102)


     また坑内の作業時間についても思いきった改訂をおこなって、一日の実働時間を一時間とし、切端での作業時間も二十分間を限度として一日三回、その間に二時間ずつの休憩時間をはさみ、全員交代制として工事は従来通り二十四時間やすみなくつづけられることになった。
    (《高熱隧道》P.102)


     「新しい変更ルートはこれだ」  根津は、図面にえがかれた隧道ラインを指さした。  旧ルートは、欅平から仙人谷までほぼ直線に近い最短距離を通って設計されている。
    が、新しい変更ルートは、阿曾原谷、仙人谷間の第一工区で大きく迂回(うかい)するように彎曲(わんきょく)されていた。
     「日本電力でも、地質学者の意見に不信感をいだいている。 大石教授の言うようにこれから堀すすんだ場合、温度が低くなるというような期待も全く持ってはいない。 むしろ、温度は上る一方だろうという意見が圧倒的だ。 それに仙人谷から進んでいる本坑の坑道も、摂氏八〇度まで上っているのを考えると、今のままの旧ルートでは火の玉の中へ突っこんでゆくようなものだ。 それで、日本電力でもルート変更を考えてくれたわけだ
    (《高熱隧道》P.103)


     雪崩の頻発する場所には、雪崩のために草木の生育は全くみられず、岩が露出していてわずかに地衣類がみられる程度である。 また樹木が生えていても、潅木(かんぼく)類は、一般的に屈撓(くっとう)性があるので雪崩におそわれても折れることが少い。 そうしたことから、潅木類の生えている場所も雪崩とは無縁だとは言いきれない。
     結論として、雪崩にあうとたちまち折れてしまう黒部渓谷に多くみられる高山性松科のオオシラビソ(別名青森トド松)の群生地や、大きな樹木の生い繁(しげ)った森をひかえて、その樹齢年数だけはまちがいなく雪崩が発生したことがないという判断をくだすことができた。
    (《高熱隧道》P.122)


     藤平は、人夫たちの苦情を重視してエボナイト製の管に代る遮熱物(しゃねつぶつ)の選択をはじめた。
     初めに考えたのはボール紙の管であった。 エボナイト製の管が一本二十銭もするのにボール紙の管は二銭でできるという経済的な利点がある上に、熱の伝導をふせぐ性質もエボナイトとほとんど変りがない。 藤平は、早速試作したボール紙の管をつかってダイナマイトの装填作業をやらせてみたが、水気に弱いというボール紙の性格が、結局さの使用を断念させた。 切端の岩盤には絶えず水が注がれ、岩盤内にも熱湯が湧出(ゆうしゅつ)している。 ボール紙の管はたちまちそれらの水分を吸収して柔くなり、推しこむうちに曲がってしまったり穴の中でふやけてひろがったりしてしまう。
    (《高熱隧道》P.127)


     熱しきった岩盤を対象としているだけに、ダイナマイトの装填時間が短ければ短いほど、自然発火の危険率は少くなる。 それまでダイナマイトを詰め込んだ管は、穿孔された深さ一メートルほどの穴に二本または三本ずつ一列に押しこまれているが、それを長く一本に連結させて一度に押しこむことができれば、装填時間は当然二分の一から三分の一程度まで短縮できるはずだった。
     そうした簡単な原理に気づいた藤平は、連結方法についてさまざまな材料を利用して工夫しているうちに、を使用することを思いついた。 一本のダイナマイトの長さは、三〇センチほどである。 かれは縦割りにした一メートルほどの竹を用意し、ダイナマイトを二本または三本ずつ必要量に応じて縦に一列にならべ、両側から二本の割竹ではさみ込んで紐(ひも)でしばり定着させた。 そして、うがたれた岩盤の穴にそれをさし込んでみると、穴に多少のゆがみがあっても竹はしなって難なく挿入できる。 むろん装填作業も予期以上に早く終るようだった。
     「お前はおかしなことを思いつく奴(やつ)だな
     割竹でつらねられたダイナマイト管を手にして根津は笑っていたが、その顔には満足そうな表情がうかんでいた。
    (《高熱隧道》P.128)


     根津が、ぎくりとしたように藤平を見た。 火薬庫は、宿舎からかなりはなれた特別の坑道内に設けられている。 宿舎の倒壊事故が、その火薬庫の自然爆発によるものでないことはあきらかで、藤平が口にした火薬という言葉は、人為的にダイナマイトが宿舎に仕掛けられたことを意味する。 しかも、それにはかなり大量のダイナマイトが費されなければならない。
     「まさか
     根津は、すぐに言ったが、その顔には深い戸惑いとかすかなおびえの翳(かげ)が漂っていた。
    (《高熱隧道》P.140)


     係官は、志合谷宿舎の建設地点の選定をした技師も呼ぶように言った。 すぐに技師の青山政五郎と、若い技手の千早俊夫が呼ばれた。
     「お前たちか。 どういうことから、こんな雪崩に襲われるような物騒な所をえらんだのだ。 お前らのおかげで、八十四名もの人間が雪の下に入ってしまっているんだぞ
     係官の怒声に、二人は顔を伏せた。
     青山が、建設地点を定めた理由についてとぎれとぎれに話しはじめた。 植物生育状況、地形、積雪量、冬期間の風向状態等、専門家の意見や文献を参考にしたことを述べた。
     「それで確信を持ったというのか
     青山は、うなずいた。
     「それが、なぜ宿舎がやられるようなことになったんだ。 なぜこうなったんだよ
     係官が、机をたたいた。
     青山も千早も、体をかたくして顔を伏せている。
     藤平は、かれらのために弁明してやりたい気持ちはあったが、口をさしはさむことはできなかった。 たとえ事前に丹念な調査をしたとしても、雪崩が襲来した事実があるかぎり、かれらの宿舎建設地点の選定はあやまっていたのだ
    (《高熱隧道》P.147〜148)


     そのノートは、青山が宿舎建設地点の選定のために集めた資料ノートの一冊らしく、几帳面(きちょうめん)な青山の性格そのままのこまかい活字のような文字でぎっしりと埋められていた。 そのページの終りに近い部分に泡(ホウ)雪崩という一項目がしるされていた。 その記述は、笠原喜三郎という工業専門学校の教授が雑誌に発表したものから書きぬいたものらしく、随所に(中略)という文字が挿入(そうにゅう)されていた。
    (《高熱隧道》P.157〜158)


     泡雪崩は、異常に発達した雪庇(せっぴ)の傾斜に新雪が降った折に発生するが、一般の底雪崩のように雪塊の落下ではなく、雪崩れる際に、新雪の雪の粒と粒の間の空気を異常なほど圧縮して落下するものである。 そして、突然障害物に激突すると、その圧縮された空気が大爆発を起し、爆風は、音速の三倍毎秒一、〇〇〇メートル以上の速さをもつ可能性も生れる……
     「そこには書きとめなかったのですが、底雪崩はゴオーッと底にひびくような音がするが、泡雪崩は爆発音のような音を発するのが特徴だ、とも書いてありました。 また発生の時刻もさまざまで、普通の底雪崩は気温のゆるんでいる時刻に発生するのに、泡雪崩は気温の低下する暁方(あけがた)にも起る。 それも、鳥の羽ばたきや野兎(のうさぎ)の跳躍などささいなことから大崩落が起るのだそうです
    (《高熱隧道》P.158)


     「条件があてはまるじゃないか
     天知が、根津の顔を見つめた。
     「第一に音だよ。 事故が起きた時、志合谷の坑内では爆発音のような音をきいたと言うじゃないか。 それに事故が起ったのは、午前二時だ。 深夜に雪崩が起ることなど不思議に思っていたのだが、青山君の話の通りだとすると、泡雪崩の可能性は十分あると思わないか
     「しかし、泡雪崩なんてきいたことがあるか?
     根津が、いぶかしそうに技師たちの顔を見まわした。 が、誰もそれについて答えるものはいなかった。
    (《高熱隧道》P.158〜159)


     藤平は、ふとんにもぐった。 体が冷えきって、しばらくの間歯の鳴る音がとまらなかった。 「ホウ」か……藤平は胸の中でつぶやいた。 その言葉のひびきには、なにか奇怪な生き物の名称のような無気味さが感じられた
    (《高熱隧道》P.159)


     根津は、泡雪崩の内容と、志合谷事故が泡雪崩と関係があるらしいことを説明し、遺体捜索方法も、その線に沿ってすすめた方が適当ではないかと進言した。
     しかし、係官たちは、大した関心をしめさないようにみえた。
     「毎秒一、〇〇〇メートル以上の爆風が起るんですよ
     根津が、苛立(いらだ)った口調で言った。
     「それがどうしたんだよ
     係官は、薄笑いした。
     「大変なエネルギーじゃないですか。大型颱風(たいふう)の風速でさえ毎秒七〇メートルあたりが限度でしょう。 その十五倍もの速度をもつ颱風が、どれ程の破壊力をもつか容易に判断できるじゃありませんか
     「夢物語でもきいているような気がするよ。 いったいその泡というのは、どこで起ったというんだね。 こうして現実に宿舎には雪崩が襲ってきているじゃないか。 それとも原因は、この雪崩以外にあるとでも言うのかい
     係官は、腹立たしげに言った。
     「それでは、宿舎はどこへ行ったんです。 あの山からの雪崩なら、宿舎は雪崩の雪の中に発見されるはずですよ
     「だからどうだと言うんだ。 本当の原因はな、あんたたちがこんな危険な場所に宿舎を建てたからなんだよ。 そうじゃないと言うのかい。 捜査本部で判断しているように、今にそこらの雪の中から出てくるとしか考えられないだろう。 建物は雪崩に圧されて埋っているんだよ。 妙な理屈(りくつ)をこねまわしていないで、そんなひまがあったらスコップでも手にとったらどうなんだい
     係官は、根津たちをにらみ据(す)えた。
    (《高熱隧道》P.160〜161)


     「ガラスですよ
     技手が、手にしたものを差し出した。
     藤平たちは、白い軍手の上にのせられた光るものを見つめた。
     「どこにあった
     「ここです
     技手が、足もとを指さした。 踏まれた雪の底に、光ったものが数個突き出ているのが見えた。
     藤平は、持っていたスコップでそのあたりを掘ってみた。 が、ガラスの破片がさらに三箇出てきただけで、ほかにはなにも掘り出されなかった。
     「猟師の一升瓶(びん)のかけらともちがうようだな
     根津は、ガラスの破片を見つめた。
    (《高熱隧道》P.166)


     しかし、これら四組の遺族たちは、その後思わぬ不利な立場に立たされることになった。 すでに遺体を確認し骨を引きとった八十組の遺族たちには、会社の弔慰金以外に自動的に死者一名に対し、一、〇三〇円の保険金が支給されたが、遺体の引き取りに肯(がえん)じなかった四組の遺族たちには、保険金の支給が三年後に延ばされることになった。 つまり死者が遺族に確認されなかったため失踪者(しっそうしゃ)扱いとなり、三年間の猶予(ゆうよ)期間を経て支給するという保険法の条項にふれたのだ。
    (《高熱隧道》P.175)


     県警察部を出た根津たちは、佐川組本店に集った。 日本電力の鳴門工事部長は、東京でひらかれた土木学会で第一工区の隧道工事が話題にのぼり、それが狂人沙汰(ざた)と非難されたという話をもらした。
    (《高熱隧道》P.179)


     かれらは、言葉数も少く互の意見を低い声で交し合うだけだった。 すでにかれらには、県警察部の意向にさからう気はなかった。 が、ただ工事中止による黒部第三発電所建設工事の崩壊にともなう、経済的な重圧を恐れているのである。 黒部渓谷に投入された●大(ぼうだい)な資金と資材は、放棄されてそのまま朽(く)ちてしまう。 宿舎は廃墟(はいきょ)と化し、隧道は廃坑の坑道のように、管理されることもなく自然の落盤でやがては閉ざされてしまうだろう。 そして、その後に残されるのは、日本電力の崩壊と、工事請負代金未収による佐川・大林両組の倒産なのである
    (《高熱隧道》P.179)


     事務所の椅子(いす)にもたれていた技師や技手が、藤平の姿を眼にすると一斉(いっせい)に席を立ち、かれの傍(そば)に走り寄ってきた。
     「現場総引き揚げだという話がありますが、本当なんですか
     技師の一人が、口もとをこわばらせて言った。
     「だれがそんなことを言った
     藤平はぎくりとしたが、反射的に自分の口から出た語気の強さに安堵(あんど)をおぼえた。
     「宇奈月できいたんです
     「ばかを言うな。 そんなことがあるはずがないじゃないか
     藤平は、荒々しい声をあげた。
     「工事中止命令が出たんじゃないんですか
     「知らん。 そんな通達はなにも受けていないよ
     藤平は、無性に腹が立ち、険しい眼つきで技師たちを見まわした。
     技師たちは、口をつぐんだ。 が、かれらの顔には依然として不安そうな表情が消えなかった。
     白けた沈黙がひろがった。
    (《高熱隧道》P.182)


     水は間もなくひいて危険は去ったが、その日の午後、志合谷事故の犠牲者全員に天皇陛下から金一封が御下賜(ごかし)されたことを、宇奈月事務所から電話で知らせてきた。
    (《高熱隧道》P.190)


     藤平は、すぐ宇奈月までくだったが、迎えた根津もかれも、その一名あたり二十五円の金額については、遺族たちの悲嘆をやわらげるのに効果があるだろうという程度にしか考えなかった。 そして、遺族に対する自分たちの責任が、幾分か軽くなったような気持ちをいだいた。
    (《高熱隧道》P.190)


     しかし、その御下賜金の下附決定は、藤平たちの想像もおよばない大きな波紋を周囲にひき起こしていた。 殊(こと)に富山県庁県警察部の反応は大きかった
     そのかれらの黒部第三発電所建設計画第一・第二工区に対する工事の全面的な中止の意志はきわめてかたく、それはほとんど確定的なものになっていた。 たとえ中央本省から工事再開命令が出されたとしても、かれらは犠牲の大きいことを理由に強硬な反抗をしめすにちがいなかった。 かれらは、黒部渓谷(けいこく)の特殊な性格を知りつくしていて、そこで工事のおこなわれることがほとんど不可能であると判断していた。
     しかし、御下賜金の下附決定は、かれらの態度をたちまち突きくずしてしまった。 それは、かれらの批判をさしはさむ余地の全くない、おかしがたい絶対的な力をもつ声として受けとられたのだ。
    (《高熱隧道》P.190〜191)


     御下賜金の下附には、県側の強い意向をひるがえさせようとする中央本省の政策的な工作もあったのだろうが、そうした事情に気づいてはいても、県も県警察部も御下賜金の対象となるような重要な工事を、自分たちの意思で中止させることは到底許されないことを知っていた。 それどころか、たとえ犠牲はどれほど多くとも、積極的に工事続行に協力しなければならない立場にあることをさとったのだ。
    (《高熱隧道》P.191)


     またその波紋は、当事者である日本電力・佐川組にもおよんで、御下賜金の下附をそのまま手をこまねいて傍観しているわけにはいかなくなった。 そのため日電側では早速緊急会議をひらいて死者一名に対して一、〇〇〇円ずつの特別弔慰金の支払いを決定、また佐川組でも総額一〇、〇〇〇円にのぼる弔慰金を支出して遺族たちに平等に配布することを定めた。
    (《高熱隧道》P.191)


     事情はたちまち一変して、工事続行の気配は濃厚になり、三月二十二日には、県・県警察部からそれぞれ独自の立場で日本電力、佐川組に対して一日も早く完工に努力せられたし」という要旨の通達が発せられた
    (《高熱隧道》P.191)


     藤平は顔色を変えた。 ただちに富山市から二〇〇度温度計を数本とり寄せて測定してみると、水銀柱は、呆(あき)れたことに摂氏一六二度まで上昇していた。
     「覚悟の上だ。 たとえ二〇〇度になろうと三〇〇度になろうと掘りすすむんだ
     根津は、荒々しい声で叫んだ。
     工事を強引に推しすすめることに、むろん藤平も異存はなかった。 人夫たちの体は完全に熱に順応し、坑内の熱さに堪(た)えられなかった者は一人残らず下山してしまっていて、工事現場にはたとえ瘠せきってはいても強健な体をもった人夫たちだけが残されている日当も普通賃金が一円八〇銭の相場なのに、いつの間にか割増し金が加えられて、一日七円から八円の金額が支払われるようになってきているかれらは岩盤温度が何度に上昇しようとも、日当さえ増額していけば作業をつづけてくれるにちがいなかった。
    (《高熱隧道》P.198)


     七月中旬、仙人谷側坑内で二人の死者が出た。発破(はっぱ)が終った後、坑外へ運び出すためズリをスコップでトロッコに積みこんでいた折、突然炸裂音(さくれつおん)が起り、ズリ出し人夫二人が内臓をはみ出させ、他の七名も手足をふきとばされたり顔面に岩粉を食い入らされたりして、一人残らずかなりの傷を負わされたのだ
     根津と藤平は、仙人谷に急行した。 調査の結果、ズリの中に埋れていた残りダイが、ズリの中にこもった熱で自然発火したものであることがあきらかになった
    (《高熱隧道》P.203)


     即死した人夫二人の体は、運搬に便利なように手足を強引に折り曲げ大きな袋の中に詰めこまれたが、内臓が露出している上、一時間ほど坑内の熱の中に放置されていたため、すでにひどい腐臭を放っていた。 袋は人夫の肩に負わされ、担架にのせられた七名の重傷者とともに日電歩道を阿曾原谷までたどりつき、それからトロッコで軌道トンネルを下って行った。
     遺体は、宇奈月で検視された上焼骨されたが、県警察部からは係官の出張も全くなく、宇奈月派出所の警官が簡単な事情聴取をおこなっただけで、工事責任者にもなんの呼出しもおこなわれなかった
    (《高熱隧道》P.203〜204)


     八月十日、両工事班の切端の距離は、わずかに二九メートルにまで接近した。
     その日根津は、両工事班に対して、掘進競争に三万円の懸賞金が用意されていることを発表した。 人夫たちは、思いがけぬ多額の懸賞金に呆気(あっけ)にとられていたが、それはたちまち激しい興奮に変った。 そして、その懸賞金が、掘進距離までまさり、さらに鑿先(のみさき)貫通を果した側に六〇パーセント配分されることを知ると、かれらの興奮はさらに高まった。
     激しい掘進競争が、開始された。 岩盤温度は、両班とも摂氏一五四度。 岩盤に穿孔(せんこう)作業が終ると、孔に氷の棒がさし込まれるのももどかしいようにダイナマイト管が装填(そうてん)され、導火線に火が点じられてゆく。 やがてダイナマイトが炸裂し、一メートル強の深さで岩盤が崩れ落ちると、ズリ出し人夫がトロッコを押して切端に走り寄る。 そして、ズリが満載されると、トロッコは、轟々(ごうごう)と車輪の音をひびかせて坑外へと出て行く。
    (《高熱隧道》P.205)


     しかし、熱気と湯気の充満した坑内での作業は、人夫たちを苦しませた。 かれらは、なるべく低い温度にふれようと腰をかがめ水を浴びながら作業をつづける。 殊に、仙人谷側坑道では、軌道トンネルと同じように坑口から切端にむかって下り勾配(こうばい)になっているので湯は切端附近にたまり、人夫たちは、眼(め)を充血させて作業をつづけていた。
     その頃(ころ)、陸軍省から阿部信行陸軍大将が、工事進行状況を視察におとずれ、欅平で全工区の工事責任者をまねき説明をきいた
    (《高熱隧道》P.223)


     阿部は、第一工区の水路隧道工事はいつ頃貫通の見こみかとたずねたが、根津は、来年五月頃を予定していると答えた。 さらに、仙人谷でのダム構築工事も来年末ごろまでには完工、黒部第三発電所建設工事も、工事開始後四年4ヵ月をへて終了されることが確認された。
     阿部は、国家非常の時であるから工事に一層の努力を傾注するように、と訓示して欅平をくだって行った。
    (《高熱隧道》P.223〜224)


     国際情勢の息づまるような緊迫感は、黒部渓谷の工事現場にもつたわってきていた
     九月一日、欧州(おうしゅう)ではドイツ軍機動部隊がポーランド国境から一斉(いっせい)になだれ込み、二日後にはイギリス・フランス両国がドイツに対して宣戦を布告、また九月十七日にはソ聯(れん)軍がポーランドに侵入を開始、欧州全土に戦火がひろがっていた。 一方、ソ満国境ではノモンハン事件が日本軍の敗北に終り、第二次世界大戦の危機が急速に熟しはじめていた。
     そうした時代的な危機感は技師・人夫の出征という形であらわれて、工事現場では、深刻な人員不足に悩まされるようになっていた。 そのため人夫の平均年齢は上昇して、中年以上の者の数が圧倒的に多くなっていた。
    (《高熱隧道》P.224)


     根津は、積雪期を前に第一・第二工区の四工事現場に建っている宿舎の再検討を命じた。むろん越冬中、雪崩(なだれ)による災害を予防するためのもので、殊に志合谷の宿舎を破壊した泡(ほう)雪崩の発生可能の地点に建てられていることはないかどうかにその焦点がしぼられた。
     担当技師たちは、それぞれ四カ所の宿舎に散ったが、その調査は多分に気休めの域をでないもので、かれらの提出した答えも、おそらく安全だと思われるといった類(たぐい)のものばかりであった。 宿舎建設地点は、すでに建設前に入念な検討がくわえられた上で定められたものであり、各谷で最も安全度の高い地点がえらばれていた。しかし泡雪崩は、どこからともなくやってくる。 それを防ぐのには、常識的な知識だけでは到底追いつくことはできないのだ。
    (《高熱隧道》P.224〜225)


     泡雪崩の学術的な研究を紹介した笠原教授のその後の話では、志合谷宿舎を襲った泡雪崩は、やはり世界的にも稀(まれ)なほど大規模なもので、たとえ黒部渓谷でも、これほどの泡雪崩はこれからも滅多に発生することはないだろうということだった。
     教授の言葉は、根津たちの不安をやわらげてくれた。 たしかに鉄筋コンクリートの宿舎を、山一つ越して五八〇メートルの遠くまで吹きとばしたという雪崩の話など耳にしたこともない。 それは、おそらく百年に一度か二百年に一度あるかないかの特殊な現象だったのだろう。
    (《高熱隧道》P.225)


     しかし、根津は、大事をとって阿曾原谷、仙人谷の各工事宿舎の補強増設をはかり、とりあえず両宿舎の周囲に二階まで達するような幅一メートルの厚い石づくりのをめぐらさせた。 また泡雪崩の発生は、気温が極度に低下し猛吹雪に襲われた日に起る確率が高いことに注目して、そのような気象条件が重なった折には危険注意報を出して、宿舎内部の者を坑道内に避難させることなどを定めた。
    (《高熱隧道》P.225〜226)


     しかし、それらの人夫たちも、岩盤温度一四八度を記録した第二工区の水路隧道工事に従事した折尾谷工事班の人夫をのぞいては、高い坑内温度にたえきれず、稀(まれ)に勇を鼓(こ)して切端に近づく者も意識を喪失し、直接工事に従事できる者はほとんどいなかった。
    (《高熱隧道》P.227)


     日本電力の若い社員が、
     「なぜあいつらは、こんな危険な仕事から逃げ出そうとしないんでしょう
     と、問いかけてきたことがある。
     藤平は、笑っただけで答えなかったが、人夫たちが高熱に喘(あえ)ぎ、死の危険にさらされながらも工事現場からはなれないでいる理由はただ一つ、高い日当にあるのだ。 かれらは、普通の作業に従事していたのでは手にする金額も妻子を辛(かろ)うじて食べさせるだけで、衣服まではなかなかとどかないことを知っている。 むろん貯(たくわ)えなどにも縁がなく、ただ働きつづけて年齢を重ね、やがて年老いて工事現場からも追い立てられることも知っている。
    (《高熱隧道》P.230)


     そうしたかれらにとって、第一工区の作業は、妻子に衣服を買いあたえ、小額ながらも貯えをつくる恐らく一生に一度おとずれるかどうかという好機会にちがいなかった。 かれらの日当は、普通の坑内夫の四倍は支給されているし、その上工事現場が人里から遠くはなれた所にあることが、自然とかれらの浪費を防ぎそれだけ金を貯える結果をもたらしてくれていたのだ。
    (《高熱隧道》P.230〜231)


     藤平は、時折かれらにはげしい恐怖心をおぼえることがある。 坑道を歩いている時、肩をかすめて小型のハンマーが落ちてきたり、ノミが頬(ほお)をかすめたりすることを何度か経験している。 見上げると、そこには何気ない表情をして作業を続けている人夫の姿がある。 過失かそれとも気づかずにいるのか、と、そのまま通り過ぎるのが常であったが、それが回を追うごとに為体(えたい)の知れぬ恐怖感となって胸をしめつけてくる。
    (《高熱隧道》P.232)


     ともかく、これ以上死者を出さずに工事を完成させることだ……藤平は、自分に言いきかせるようにくり返しつぶやく。 かれらの本質は、単純で素朴(そぼく)でそして従順だ。 それが却(かえ)って不気味だとも言えるのだが、事故のないかぎり、かれらは大人しく眠りつづけてくれるにちがいなかった。
    (《高熱隧道》P.232)


     遺族の群れは、夕方警察官につきそわれてやってきた。 泣きわめく声が、坑道に満ちた。
     当然かれらの間に、遺体引き取りについて混乱が起こることが予想された。 かれらの眼にも、むろん炭化したものが自分たちの肉親であることはわかりようがなかった
     しかし、意外にもかれらの遺体引き取りは、円滑にすすめられた。 かれらは、それぞれ名札のつけられた遺体をそのまま認め、遺体の詰めこまれた袋を背負う人夫たちの後から、つぎつぎと坑道を去っていった。
     かれら遺族が、遺体を素直に引き取ったのは、おそらく志合谷事故で遺体の退き取りをこばんだ遺族が保険金の支払いを遅らされたことを知っていたからにちがいなかった。 そしてさらに、炭化した遺体を目にしたかれらは、その無慙(むざん)な形態から引き取りをこばむなんの手がかりもつかめず、むしろそこに置かれた名札の氏名が、唯一(ゆいいつ)のより所のように思えたのかも知れなかった。
    (《高熱隧道》P.239〜240)


     五月中旬、残りダイの爆発事故が仙人谷側坑道で起り、三名の穿孔夫の体は四散し、五名の穿孔夫と「かけ屋」の人夫は重傷を負った。 それを追うように三日後には、突然噴出した熱湯で阿曾原谷工事班の穿孔夫二名が上半身火ぶくれになって、一名は五時間後、一名は十八時間後に死亡した
    (《高熱隧道》P.250)


     藤平は、それらの事故が起る度に、自分の胸にひそむ恐怖感が一層たかまるのをおぼえた。 が、人夫たちは、事故が起ってもはっきりとした反応をしめさず、その顔もほとんど無表情に近い。 遺体が軌道トンネルをトロッコで下って行っても、かれらは見送ろうともしない。 ただ口を閉ざして、眼を冷やかに光らせているだけであった。
     藤平は、かれらの沈黙とこわばった表情におびえた。 作業を終えた後、かれらは仮宿舎でひっそりと時を過している。 かれらのすることと言えば、衣服の裏側にうごめく虱(しらみ)取りとその卵をつぶすことだけである。 その身をかがめた姿が屯(たむろ)している光景は、藤平の恐怖感を一層つのらせた。
    (《高熱隧道》P.250)


     その発破直後、切端でくりひろげられた光景は凄絶(せいぜつ)だった。 二人の穿孔夫が、硝煙(しょうえん)の立ちこめる切端に突きすすむと、崩落したばかりの熱いズリの上に駈(か)けのぼった。 「かけ屋」が、後方から穿孔夫めがけて二本のホースの水を叩(たた)きつける。 岩盤とズリから水をはじき返すすさまじい音と同時に湯気が喚声をあげるように噴き上がり、たちまち穿孔夫の体をつつみこんだ。 しかし、穿孔夫は、鑿岩機(さくがんき)をはなさない。 重々しい轟音が、休みなく湯気の中からとどろいている。
    (《高熱隧道》P.252)


     交代の穿孔夫が、ズリをかけ上った。 鑿岩機の音が一瞬やんだが、また新たな轟音が起った。 ズリの山からおりてきた穿孔夫は、二人とも仰向(あおむ)けに倒れた。
     やがて、鑿岩機が不意にうつろな音に変った。 探り鑿(のみ)の尖端(せんたん)が、仙人谷側坑道の切端に突きぬけたのだ
     人夫たちは、号泣することも忘れたようにただ腰を落し、荒く息をしているだけだった。
    (《高熱隧道》P.252)


     黒部第三発電所建設工事は、仙人谷ダム完成を最後に、昭和十五年十一月二十一日に完工。 全工区の犠牲者は三百名を越えたが、その中で佐川組請負いの第一・第二工区の人命損失は二百三十三名を占めていた。 またこの建設工事を計画指導した日本電力株式会社は、この難工事を最後に、戦争遂行のために設けられた電力国家管理法にもとづいて解体され、大半の土木技術者たちは国内・外に散った。
    (《高熱隧道》P.255)


     解 説  久保田正文

     黒部第三発電所建設工事全体を背景にしているけれども、『高熱隧道』のテーマは、この阿曾原谷側軌道トンネル工事における一年四カ月の、自然と人間とのたたかいである。 岩盤温度六五度からはじまって、掘鑿の進行にしたがって徐々にエスカレートし、何段階かを経てついに一六六度にまで達する。 ハッパ用ダイナマイト使用については、火薬類取締法で四〇度が限界と法定されているのであるが、はじめからその限界は無視されている。 当然勃発(ぼっぱつ)する事故に対して、つぎつぎに新しい対策を現場処理してゆかなくてはならぬ。 人夫たちの坑内作業三〇分さえも、やがて二〇分にきりつめられる。 水冷装置なども工夫される。 地質学者たちの調査や分析がいかに無責任なものであるかも、現実の前に暴露される。 この全工区での死者は三百名をこえているが、そのうち佐川組請負いの第一・第二工区の人命損失が二百三十三名をしめているとしるされている。 作中に分散して叙述された、たとえば二回の〈泡(ほう)なだれ〉を含むいく度かの事故での、阿曾原谷側工事の主要事故死者を合計しただけでも百八十八名にのぼる。 第三章に叙述された七月二十八日の、死者八名を出した爆発事故での、根津の屍体(したい)扱いの場面は、この作品での前段のヤマ場である。 昭和十三年冬の、第一回泡なだれのときには死者八十四名を出しているのであるが、この事件が後段でのひとつのヤマ場であるとともに、いわゆるモンスーン地帯にあって、比較的おだやかな自然条件にめぐまれていたと信じられていたこの日本列島も、部分的にはどれほどすさまじい自然の暴威に、偶然的・瞬間的におそわれるものであるかという、かくされた事実をまざまざと示している。
    (《高熱隧道/解 説  久保田正文》P.260〜261)


     昭和十一年八月から、四年間にわたって、これらの巨大な人間的犠牲を含む工事が強行されたことの全体の背景には、言うまでも鳴くイタリアやドイツやにおけるファシズム、ナチズムに呼応した日本の帝国主義的侵略主義の全体が働いていることを、作者は見通したうえで構成している。 工事監督の直接責任官庁である富山県庁が、度かさなる事故に際して工事中止命令を出すが、国家権力は、陸軍省から陸軍中将を主班とする視察団を派遣したり、泡なだれ事故のあとには天皇の見舞金(死者一人あたり二十五円)をとどけたりすることによって、急場をごまかしてゆく。 つまり国家がみずからの手で法律を無視する状況を作者は周到に描きこんでいる。 昭和十二年七月七日の中日事変決定段階以後の状況に応じた、わが国の戦時体制に組みこまれた土木工事であることを、作品は明らかに認識している。 のみならず、この工事の国家的なスケールにおける非人間性を、そこに酷使されている人夫たちが、自然成長的に自覚しはじめて、〈なにかが起〉りはじめている姿をも、作者は結末部分に書きとめている。 もっとも、この〈なにか〉は、現実には不発に終り、むしろ労働者たちの無気味な沈黙に圧された根津太兵衛ら工事の監督・推進に当った三人が、ひそかに山を去ることによって作の結末がつくられているのではあるが。
    (《高熱隧道/解 説  久保田正文》P.261〜262)