[抜書き]『マタギ半蔵事件帖』


『マタギ半蔵事件帖』
葉治英哉・新人物文庫
2011年1月9日 第1刷発行
    目次
    第一章 組頭マタギの頼み事
    第二章 町使い
    第三章 来満峠越え
    第四章 鹿角通へ
    第五章 代官御仕置
    文庫あとがき


    第一章 組頭マタギの頼み事

    統領(しかり
    (《マタギ半蔵事件帖》P.6)


     「欲の何とか、股(また)が裂ける、と言(へ)やんすべぇ
     わけ知りの組頭(くみがしら)マタギで熊ぐすり作り名人の佐助爺(さすけじい)が、すかさず統領の言葉につけ加えた。 佐助爺がつけ加えた話の中身は、
     「熊鷹(くまたか)が両足に一頭ずつの猪(いのしし)をつかみ、猪が左右に分かれて逃げようとしたのに離そうとせず、ついに自分の股が裂けた
     という昔から伝わるたとえ話のことだ。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.6)


     解体した獲物を小分けにして網袋ぜんぶくろ)に詰めた物を、それぞれの体格に合わせて背負ったにわかマタギの三人は、頑健な与助(よすけ)を先に立て、弥作(やさく)と孫七(まごしち)も後(おく)れてはならぬとばかりに、二匹のマタギ犬の後方(しりえ)に従って、無駄口一つ叩かずマタギ村めざして歩きつづけた。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.8)


     このたびの「春マタギ」で半蔵らは、広大な狩場にほぼ半日行程ごとに設営してある、四つの山小屋けどごや)のすべてに立ち寄った。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.8)


     半蔵の耳に届いた咆哮は、山の神が滝の音を攫(さら)って届けてくれたものと判断した半蔵は、山の神の気を引いておくため、オコゼを拝ませなくてはならぬと考えた。 そこで、おもむろに懐中からオコゼを取り出した半蔵は、奉書包みを一枚ずつゆっくりほどいてゆき、最後の十二枚目には手をかけただけで、思わせたっぷりで止めにした。
     山の神は早く見せろとせがんだ。
     「また、あとにしやんす
    (《マタギ半蔵事件帖》P.10)


     山の神に先導されて一統が笹原を突き進むと、眼前に忽然(こつぜん)と轟音とともに落下する数十丈はあろうかと思(おぼ)しい春滝が出現した。 と同時に、荒々しく踏みにじられた広場が目前七、八間(けん)先に姿をみせた。 広さは優に十五間四方はあろうかというもので、子細に検分すると、一面に熊の血(やごり)が飛び散っていた。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.10)


     「雄同士が雌を争い合った跡に違いねえ
     半蔵が断定、組頭らも交々(こもごも)に頷き合った。
     雌熊を見つけた雄熊らは、おのれの種を残すべく必死に戦いつづけ、やがて、一方が敗れて立ち去ったあとで交尾は行われるが、その場所は遠くないというのである。
     「手分けして、先(ま)んつ負け熊を探し出せ
    (《マタギ半蔵事件帖》P.11)


     次の瞬間、半蔵の熊槍は熊の肋(あばら)三枚目を正確無比に突き刺していた。 鋭利な刃先は熊の胸板を背まで貫き通して、背後の倒木に突き立った。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.13)


     熊は衝撃で激しく四股を足掻(あが)かせ、真っ赤な口を開けて威嚇の唸(うな)り声を立てた。 その口に組頭らの二本の熊槍が突っ込まれ、熊の頭は倒木に釘付けにされた。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.13)


     「お前共(みやど)も代わって熊槍をば押し捲(まく)れっ
     半蔵の下知に応じた三人は、ここを先途(せんど)とばかりに熊槍を押しつづけたが、勝負は半蔵の一撃ですでに決着がついていた。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.13)


     「ショウブ、ショウブ、ショウブ!
     念のため、半蔵は三度勝負声をあげた。
     これを怠り、何処(いずこ)からともなく他所者(よそもの)マタギが現れては分け前が減るからだ。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.14)


     「解体(けぼかい)はあとだ。 担(かつ)いで持っていくぞ
     半蔵は迷わず、解体を後回しにした。 もう一匹の勝ち熊撃ちを優先させたのである。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.14)


     熊撃ちの定法は肋三枚目を狙うものだ。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.14)


     確かな手応えがあったのに相手は倒れない。 相手が倒れず、双方が睨み合うのは極限状態に近い。 だが、退(ひ)いてはならぬのだ。熊は、逃げる者を追う習性を持つ。 また、怯(ひる)んだが最後、瀕死(ひんし)の状況ですら襲いかかるからだ。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.15)


     「それぁ良(え)がった。 飲み食いしながら、熊をば殺(ただ)ぐまでを話しちゃくれめぇか
     親方は喘息(ぜえら)がもとで統領を罷(や)めたとはいえ、今日は体調がよいようで咳きこむ気配はなく、山立(やまだち)中の様子を聞きたいと言った。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.19)


     お奉行が旅の者に掴(つか)まされた偽の熊胆の欠片(かけら)を飯茶碗の水に浮かせていた佐助爺は、半蔵がお奉行の面前であらかじめ試したときと同じに、クルクルと水澄しみたいに回ったあとで、水は見る間に灰汁色(あくいろ)に染まった。
     これを見て佐助爺は吐き捨てるように、
     「まぎれもなく、偽ぐすりじゃ
     と鑑定結果を言ったのであるが、そのあとで、佐助爺は飯茶碗を鷲掴(わしづか)みにして、その水を喉首を反らして飲み乾したのである。
     「こんな物を飲んで何とする
     半蔵は驚いて飯茶碗を引ったくった。
     「慌てるこたぁねぇ。 結構、効き目があるもんだでな
     佐助爺は口の端に残った物と手の甲にこぼれた物を、もったいないと舌舐(したなめず)りした。
     「効き目があるどえ? 何に……
     「酒の飲み過ぎにだな
     何が可笑(おか)しいのか、佐助爺は腹の皮がよじれんばかりに出し抜けに笑い倒(こ)けた。
     半蔵は呆気(あっけ)にとられたが、偽物が何を材料にどのように作られるかを聞き、偽者づくりが横行する現実に肌寒さを覚えたのである。
     熊胆一匁(もんめ)は金一匁と相場が決まっていて高価だが、熊ぐすりはマタギが信ずるほどに効き目がなく、廃(すた)れる運命にあると思ったからだが、佐助爺はそうはならぬと断言した。
     「だが、値が張るだでな。 それで生業(なりわい)を立ててきた者が言(へ)っては可笑しいが、そこはそれ、おれたち同様に、偽ぐすりで生業を立てている者もいるということよ
     佐助爺は鷹揚(おうよう)なことを言ってのけた。
    (掴:“手へん”に“國”)
    (《マタギ半蔵事件帖》P.32〜33)


    第二章 町使い

     「わざわざ、お届け物とは痛み入ります。 では、拝見させていただきましょう
     本来、進物を玄関先で披見(ひけん)するのは非礼に当たることだ。 だが、当人が来られなくなり、代人が届けてくれたからには、代人の前で進物の中身を確かめ、斯(か)く斯(か)くしかじかの品物であったと、互いに見届け合うことで、後日の行き違いを防ごうとしたものであろう。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.71)


     「へんじゃなす、今朝方早く採ってきた生きのよい青っ葉上げやんすべぇか
     出番が回ってきたとめは、嬉しげな手つきで網袋から山菜を取り出した。 とたんに、強烈な臭気が一同に襲いかかった−−。
     「な、何でい? お前共(みやど)ぁ四人が一度にそろえて、〔ぶすら〕屁(へ)ば放(こ)いたな?
     惣兵衛が言い放って鼻をつまんだ。
     「何だもんだ! 鼻ぁ曲がったべじゃ!
     小春婆さんも鼻をつまんで腰を引いた。
     「知らねどえ? キトピロでがんすだえな
    (《マタギ半蔵事件帖》P.80)


     「そう言(へ)れば、キトピロだぁ!
     今し方、四人一度にそろえてぶすら屁放いたなと、言い放ったのは誰かと疑いたくなる変身ぶりをみせて、惣兵衛は手に取った。
     「失礼した。 いい物もらいやんした。これを食ったうさぎの肉は臭(くさ)くて客にゃ出せねえが、人が食うにゃ何の障(さわ)りもねぇ。 それどころか、元気出て十年若返るべぇ
    (《マタギ半蔵事件帖》P.80〜81)


     キトピロはマタギ言葉だが、里人は「行者(ぎょうじゃ)にんにく」と呼ぶ春の山菜である。 ユリ科ネギ属の多年草で、和名は野蒜(のびる)である。
     深山の林地内に自生し、行者が食べることから名づけられたといわれる。 強壮効果を持つ山菜として広く知られている。 扁平で幅広の葉を持ち、根元に近いところはほんのりと赤みを帯びている。 夏になれば、一尺も伸びた茎に白や淡紫色の可憐な小花を咲かせるが、強い臭気を放つので顔を背ける者もいる。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.81)


    因(ちな)みに、ぶすら屁という言い方はすかし屁・音がしない屁のことである。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.81)


     両側の店はそれぞれが小店で、軒を深くした造りだが、小店の内と外に雑多な品物を並べて、人々の購買力を煽(あお)り立てていた。
     因みに、小店は「こもせ」とも呼ぶが、現在のアーケードの前身に相当する、日除け、風除け、雨除けの庇付き通路であり、誰が勝手に歩いてもよいものである。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.82)


     いつもは人目を避けるようにして、小店の中を急ぎ足に歩く半蔵だが、市日の日の小店の中は混雑していて歩くどころでない。 だが、人混みが幸いして、羚羊皮(きらそっか)を着込んだ半蔵も米松爺も、犬皮(せたそっか)を着込んだすえととめも目立たず、怪訝(けげん)な顔もされずに助かった。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.82)


     三戸代官所は在府小路にあるが、在府の謂(いわ)れはこうである。
     二十六代南部藩主南部信直(なんぶのぶなお)が、天下人豊臣秀吉から本領を安堵されたのち、同族の九戸政実(くのへまさざね)の乱平定の「奥州仕置(おうしゅうしおき)」を経て、領内七郡の城郭をことごとく破却せしめ、家臣団の居宅を三戸城下に移させてその妻子らを召し置いた。 いわば、人質政策の始まりといってよく、これを「在府」と称した。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.88)


     代官所にはいろいろな役人がいるが、マタギらは「熊胆皮吟味役(ゆうたんぴぎんみやく)」の石井久兵衛を、単に「お奉行」と呼び慣わしている。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.88)


     「これは厳(いか)く失礼をした。 ちと、考え事をしておったのでな。 半蔵どののうしろに控えておるのは、赤目ったぐれの……?
     お奉行は思わず知らずに口走って、あっと呻(うめ)いて慌てて自分の口を手で塞いだ。
     赤目ったぐれとも、赤目ったがれともいう言い方は眼病人を罵(ののし)る言葉である。 米松爺は年中爛(ただ)れ赤目をしているから、そのような陰口を叩かれている。 それをうっかり当人を前にお奉行が口を滑らせ、失態に気づいて取り繕ろおうとしたが、あとの祭りである。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.90〜91)


     六日町は八日町に隣接する町で、仏具屋、金物屋、種物屋などの地味な店構えが多い、いわば商人と町人が混在した界隈(かいわい)である。
     その中で、時村は一際(ひときわ)目立つ総二階屋である。 二階の雨戸の一枚だけは操られてあり、ほかの雨戸には板張りされたうさぎ皮が、折からの春の日差しをいっぱいに浴びて、ざっと百五十羽ばかりも乾されてある。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.96)


     煮売り屋は夏場よりは冬場に繁盛する商いである。 商う煮売りというのは、うさぎ肉に、砕いた凍(し)み豆腐を入れ、これに削ぎ切りにした人参(にんじん)、牛蒡(ごぼう)を加えてぐつぐつ煮込むだけの汁物だ。 これを目当てに市日に町使いする近在の者や、町の衆が気軽に寄って食うのだ。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.96)


     マタギは里人の口に入らぬ熊肉で豪勢な膳延(ぜんば)えはするが、それは山の神から熊が授かった時に限られる。 だから変わり映えせぬうさぎ汁でも申し分なかった。
     残しては店に申しわけが立たぬとばかりに、四人は競って何杯もお代わりをして飯鉢の飯を全部平らげ、脹(ふく)れた腹を撫でて大満足した。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.98)


     「とめ様は、荒物屋で品定めしていたべ?
     「いい米磨(こめと)ぎ笊(ざる)だの腰籠だのがあったへでなす。 おらは拵(こさ)え方きいていましたべぇ。 帰ってから拵えべえと思ってます。 店の人(ふと)は教えて呉(け)あんしたえ
     「買わねぇで拵(こさ)え方きいていたというのか
     「おらは腕前(てど)よしだと言(へ)られていますべぇ
    (《マタギ半蔵事件帖》P.98〜99)


    第三章 来満峠越え

     「ところが、よろしくなかったのだ。 爪で掻(か)き取った熊胆(くまのい)の欠片(かけら)を湯呑の水に浮かべてみたが、脂(あぶら)を引いてクルクル回ったあとで、水は見る間に濁って灰汁色(あくいろ)になってしもうた!
     「本物は澄んだ黄蘗色(きはだいろ)になりやんす
    (《マタギ半蔵事件帖》P.116)


     半蔵が紙包みから偽物を取り出すと、佐助爺は手に取ってしげしげと眺めて、
     「なかなか立派な長茄子(ながなす)だな。 これだけの物を拵(こさ)える者はざらにゃいねぇ
     と出来上がりに感嘆の声を洩らした。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.130)


     「そうか。 では、一応試してみるべぇ
     佐助は偽物から爪で掻き取った欠片を、飯茶碗に張った水に浮かべた。
     米粒ほどの欠片は脂(あぶら)を引いてクルクルと回っていたが、水は見る間に濁って灰汁色(あくいろ)になった。 見た目は立派だが偽物である。
     前回は、試した飯茶碗の水を一気に飲みほして半蔵を驚かせ、結構、酒の飲み過ぎに効くと笑い捨てた佐助爺だったが、今回は惜しげも泣く囲炉裏の灰に捨てたのである。
     「どうして飲みやせぬ、組頭
     あのとき、口の端にこぼれた物に舌舐(したなめず)りした組頭の変わりように、半蔵は首を傾(かし)げた。
     「見た目は立派な長茄子だが、中身が信用できねぇして飲む気にはなれねぇな
     「前回は、マンボウザメの肝(きも)でやんした
     「これは、たぶんガマガエル(まむし)に(こい)なども使っておろう。 したども、何を使っても一匹や二匹の肝じゃとても足りねぇな
     「ほかに使った物は?
     「ヤドメの葉を煎じて煮詰めた物かもな
     「聞き馴れない葉っぱでやんすな
     「黄楊(つげ)に似た木だどもな。檜枝岐(ひのえまた)にゃ、ベンコウガミだと言(へ)る者がいたっけ
     「檜枝岐村にどえ……
     「南会津の山の中にあるマタギ村だがな
     「そんな遠くにも売りに行きやんしたか
    (《マタギ半蔵事件帖》P.130〜132)


     佐助爺と半蔵の家構えも離れているが、親方の家構えは村外れの山の神の祠(ほこら)にほど近い、里と山の境界の場所にある。 米松爺の家構えはこれらと真反対の南向きの場所に、死んだ頑鉄(がんてつ)爺の家構えと隣り合わせに建っている。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.140)


     村にはほかに五軒の空家が建っているが、五、六年前まではそれらの家からも薪(たきぎ)を燃やすが立ちのぼり、一見、のどかな山村集落の体裁は整っていたのである。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.140)


     しかし、住む者がいなくなって空家になると、家は驚くばかりの速さで荒廃が進み、ついには狐狸(こり)の類(たぐい)の住処(すみか)と成り果てるのである。 村に居残っている者らは、誰に頼まれたわけでもないのに、時折、囲炉裏に薪を燃やして茅(かや)屋根が腐らぬように燻(いぶ)しているのである。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.140)


     晩飯を食い切った半蔵は、非常糧食作りに取りかかった。 まず、を一升枡(ます)できっかり一つ量(はか)って、鉄鍋で炒(い)り豆を作った。
     つぎに、米の粉に塩で味付けし、水で湿(しめ)して捏(こ)ねて丸め、熱い灰に埋めて火処焼(ほどや)きにしてカネモチを作った。
     カネモチは「鉄餅(かねもち)」という意味があると、わけ知りの佐助爺から聞いた。 見た目は硬そうだが、口に入れると砕けやすくてあっさりした味がする。 近頃は、胡桃(くるみ)の実や蕎麦粉(そばこ)、小豆(あずき)や大豆の粉を混ぜて練り込み、塩味の代わりに味噌で味付けするマタギもいるという。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.149)


     一夜明けて半蔵は旅支度を始めた。
     熊(いたず)狩ではないから、七つ道具は携行せず、唯一、護身用として山刀(ながさ)を腰に吊るした。 野宿用の掻巻(かいまき)桐油引(とうゆび)きの雨合羽を折り畳み、道中用の握り飯とともに網袋(ぜんぶくろ)に入れて背負った。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.150)


     しかし、これだけでは如何にも心細く締まらぬ話なので、狩のときに手に持つ熊槍(たて)の代わりに、軽くて短い雪箆(こなぎ)を持った。 先端が扁平な雪箆は人を殺傷する道具には見えないから気は楽である。 山道に雪崩(なだれ)を起こす雪は残っていなくても、野盗に襲われた場合は武器にできるし、疲れたときは息杖にも使える。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.150)


     「これから鹿角(かづの)さ行って参(めえ)りやんす。 ついては、また、こいつを頼みやんす
     昨日は〔ぎゃん〕と狐の鳴き真似をして駄々を捏(こ)ねた赤犬だが、しばらくの間面倒をみてくれる家人には、つとめて従順な態度をみせなくてはならぬと土間に控えた。
     「そんなことは心配(あんつこと)しなくていい。 それより、旅支度はうまくいったかい
    (《マタギ半蔵事件帖》P.151)


     「へだばよい。 約束の熊ぐすり、まさかの時のために用意しておいた
     「有り難いことで。遠慮(じんき)なしにいただきやんす
    (《マタギ半蔵事件帖》P.151)


     「急ぐ旅ではなし、上がらせてもらいやんす
     半蔵は膝で摺(す)って板の間に上がり、横座の真向かいの木尻座きじりじゃ)の薪(たきぎ)の上に尻を据え、炉に敷かれた踏板に草鞋(わらじ)の両足をそろえた。
     嬶座かかじゃ)で、炉の自在鉤にかけた汁鍋の火加減を見ていたすえは涙を拭いた。
    (《マタギ半蔵事件帖》P.153)


     「夏坂という村の名は、来満峠を越える坂の名であったと思われる。 冬から春にかけて積雪のために交通が途絶し、(中略)夏から秋にかけて利用する坂道だったと見るべきであろう」(『田子町誌』上巻・町名の由来)」
    (《マタギ半蔵事件帖》P.162)


    第五章 代官御仕置

     「したが、孝助親子三人がいきなり組頭を頼って来たときは、さぞ驚きやんしたべ
     「いや、驚くことはなかったな。 統領(しかり)ならば黙って見過ごすわけはねぇだで、話を聞いてすぐに暮らしが立ち行くようにしたのよ
     「孝助は何をすることになりやんしたか
     「炭焼きしたことがあると言ったので、そこらの水楢(みずなら)だの雑木を伐って焼けと教えて、実地に連れて歩いて段取りさせた。 水楢だの雑木は十年もあればまた伐れるして、余計な金は掛からねぇ。 打ってつけの仕事だんべじゃ?
     「村の共有財産だして文句はながんべ
     「何ぼか礼はすることにした
    (《マタギ半蔵事件帖》P.236)


     「おまつ様は十年待ちつづけたと申した
     「そうだ! 十年も待たせて、罰当たりだであ
     「十両の金は、この秋におまさ様に婿を迎えるので、その支度金にと言(へ)ました
     還りに泊ったとき婿迎えの話が出たのだ。
     「したども、自分にとっては佐助様が下された、手切れ金同様と言(へ)ってました
     「何どえ? 手切れ同様どえ?
     「いたし方ながんすべ? ……組頭
     一度言葉を切って半蔵はつづけた。
     「何時(いつ)まで待っても来ぬ人と死んだお方は同じこと、と言(へ)る話がありやんす
    (《マタギ半蔵事件帖》P.237)




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