[抜書き]『いじめの記号論』


『いじめの記号論』
山口昌男・岩波現代文庫
2007年2月16日 第1刷発行
    目次
    1 「挫折」から得る
      挫折を恐れない/ マイナスをプラスに/ 挫折の特権/ 複眼の通訳/ 信濃デッサン館/ 体を読む/ 病気はコミュニケーション/ 私は私の病気です/ ピラミッド型社会の問題/ 第三の型/ フローレス島の日本兵/ 挫折への共感
    2 いじめの記号論
      差別と迫害/ 「テルレスの青春」におけるいじめ/ 一人の若者/ いじめられっ子/ いじめの展開/ いけにえ制度/ いじめは演劇/ 僕の正義/ いじめの終結/ いじめが成立する条件/ ヴァルネラブルとスティグマ/ 有徴と無徴/ 有徴性の強調/ 汚い/ イナーシア/ スケベとスパイ/ 帰国子女/ 現代社会のフラストレーション/ 管理社会を考え直す
    3 決まりと逸脱
      子供の発見/ 怪獣の王様/ 記号作用と象徴作用/ 祭りの「不易流行」/ 法と制服/ サラリーマンの服装/ 美は逸脱から/ バカンス/ 遊びの本質/ アリとキリギリス/ 遊んでひらく/ 子供との再会/ 学校は劇場である/ 異質なものとの出会い
    4 今日の親子関係
      多様な家族単位/ 甘えと緊張/ 仲間で育つ/ 社会と家庭のあいだ/ 大目に見る/ はっきりしない父親像/ 父親の受難/ 上野千鶴子さんの指摘/ 自立の機会をどう与えるか
    5 脱教育のすすめ−−自伝的学校論@
      私のルーツ/ 物心つくころ/ 小学校時代/ 異父兄の思い出/ 数学嫌い/ 可憐な時期/ 目が悪くなる/ 知的スノビズムの中学時代/ 戦争体験/ 「知」の見取図/ 早退・遅刻率二番/ 「知」の楽しみ少年/ 都市の恐さを知る/ 旧制最後の年代/ 予備校時代/ 東大に入る/ エクストラミューラル・エデュケーション/ 大江匡房とフルート/ 雑誌編集長をやる/ 石母田さんへの手紙/ 逸脱のすすめ/ 大学院試験に落ちて
    6 教育は対決−−自伝的学校論A
      柳田国男に会う/ 異人へのあこがれ/ 人類学をやってみよう/ 師との出会い/ システマティックに学ぶ/ 都立大学からOCUへ/ イバダン大学/ 生の展開/ 仮面を破る/ パリでの出会い/ パリ大学で教える/ 教育は破壊
    7 文化とその痛み
      差別の深層構造/ ヴァルネラブルなもの/ スケープコートの象徴性/ 『知の遠近法』に即して
    8 文化の中の光と闇
      文化を見直す/ 表面化してきたサブ・カルチュア/ 悲運の息子が物語るもの/ 定住者と遊行の聖/ 遊行の聖をめぐる柳田と南方の見解/ 村の歴史に潜む毛坊主の役割/ 五木の子守歌にこめた勧進聖の嘆き
    9 悪の文化と魔の文化
      内と外から見る文化/ 小テキストの集合としての文化/ 文化の構造論的とらえ方/ 文明社会のかかえるエントロピーの問題/ エントロピー解消の仕掛け/ 生きるための区別から差別へ/ カタルシスを満たす政治と演劇/ 「悪」と対話する空間としての劇場/ 「悪」と「魔」の培養の必要性
    解説 今だからこそ複雑な魅力  高山 宏


    1 「挫折」から得る

     マイナスをプラスに

     自分がやろうと思ったことがうまくいかないことが挫折だとすると、事件として巻き込まれる場合と、それから、状態としてすでに背負っている場合があります。 たとえば、身体障害などでは自分だけてなく家庭全部が不孝を背負っています。 これもやはり状態としての挫折だと思うのです。
    (《いじめの記号論 1 「挫折」から得る》P.3)


     人間は、視点のちがいによって、その人の判定が変わってくるということがあります。光君という青年の場合は、音の感覚が飛びぬけていいのです。 絶対音階を耳にしっかり持っています。 音楽の演奏などを聴いていても、音程を踏み外すと、すぐそれがわかる。
    (《いじめの記号論 1 「挫折」から得る》P.3)


     挫折の特権

     たとえば耳が不自由、目が不自由、手足が不自由など、状態としての挫折であるハンディキャップを背負っている人には、普通の生活を送っている人にはない感受性と、物の考え方が身につくということがあるのです。 だから、それが特権ともいうべきものになることすらあるわけです。
    (《いじめの記号論 1 「挫折」から得る》P.5)


     複眼の通訳

     その地域の言葉を話せませんでしたので、だれかに通訳してもらう必要がでてきました。 英語をしゃべれる人を探していました。 そうしたら、あの人なら利口者だからいいんじゃないかといわれ、人を紹介してもらいました。 ところがその人は小さいときに目を患って、全盲だったのです。
     半世紀前までこの付近は、きわめて異教的な生活を送っていたところですが、この人は早くからミッションで教育を受けて、英語がとても堪能だったのです。目が不自由だから、逆に聴覚が研ぎ澄まされていたわけですね。
    (《いじめの記号論 1 「挫折」から得る》P.7)


     目が不自由である。 そのために、聞き漏らすまいとして聞く。一回聞いたことは忘れまいという力がしっかりと身についている。 つまり、マイナスの部分が逆にプラスになって作用しているのだと思います。
    (《いじめの記号論 1 「挫折」から得る》P.7〜8)


     ちょっとばかな質問ですけれども、彼に、「あなたはいろんなことに対する判断がとても正しい。 一緒に住んでいてほとほと感心した。 どうしてそんなに的確な判断ができるんでろうか」と聞いたことがあります。 その人は、「目の見える人は、すぐ目の見える目先のことしか考えない。 目で見ることは信用するから、耳の方をあまり使わない。 私は、目の方はだめだから、耳に神経を集中する。 すると、声によって、体の状態もわかる。 注意して聞くと、かつてどういう病気をしたのかということまでわかる。 下手をすると、そのうちにどういう病気をするかということもわかる。 先のことが読めるようになるのです。 耳だけに神経を集中するから、そういうことができるのじゃないか。 自分はそれで必死で生きてきたし、これからもそうやって生きていくだろう
    (《いじめの記号論 1 「挫折」から得る》P.8)


     単眼の視力は、普通は明暗の区別を中心におこなうのだそうです。二つの目を合わせて、はじめて物事の形態から、運動、スピードを見る能力が生まれるそうです。 比喩的ないい方になりますが、単眼は、ただ見たものを見ただけでおわってしまう。 ところが、複眼は、目に見えない部分も読み取ろうというレベルになります。一つのものがこういうふうにもあらわれる、こういうふうにもあらわれるという、可能性を読めることでもあります。 その意味でナイジェリアの全盲の彼は、まさに複眼の思考の持ち主だというわけです。
    (《いじめの記号論 1 「挫折」から得る》P.8〜9)


     体を読む

     この人は、やはり若いころ失明した。 マッサージ師の人の多くはそうですけれども、じつに話題豊富でした。 この人は私たちの気がつかないところで近隣の情報をちゃんと集めている。
     「どうしてそんなにいろいろよく知っているんですか」といったら、「秘密の一つはですね」などといって、「あまり人にはいわないんですけれども、私は目が不自由だから、警察用のラジオを持っているんです」。 市販ですから、違反じゃない。 警察用の事務連絡のラジオを持っていると、事件発生などで、全部いつもじつによくわかる。
     そうすると、土地についての立体的な知識が身につく。 どの地域にはどういう事件が発生しやすいかとかいうこともよくわかる。 どの地域のどの道路のどの辺で、どんな交通事故がいちばん起こりやすいかとかいうこともよくわかる。 土地に対する全然ちがった見方ができるというわけです。 われわれがふだん何も気がつかずに過している町の原風景(トポス)がこの人のなかに重層的にでき上がっている。
    (《いじめの記号論 1 「挫折」から得る》P.11〜12)


    2 いじめの記号論

     僕の正義

     次に、第三に、「僕を慰めたこの時期」というのがありまして、そのときに自分の立場というものを精神的にいろいろ書いたものがあるのですが、これはちょっと飛ばしましょう。 そのあとに、私が読むのはちょっと恥ずかしいのですけれども、「こういうときに山口先生の本を読んで、自分こそヴァルネラビリティ(被害者になりやすい特性)の体現者であると思い、慰められたことを覚えています」とあります。 これが、彼が私に手紙を書くきっかけになったようです。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.41)


     いじめの終結

       僕は密告、自己防衛のための暴力を用いれば、いじめから脱することができたかもしれません。 あえてそうしなかったのは、暴力を否定し、非力な正当性に固執したためです。 僕は暴力を受ける立場を美化し、自分を美化しました。 純粋な心を持つ弱者が身勝手な強者に敗北するという不条理を、神に訴える弱者の代表であると自分を見なしもしました。 現実を変えるのは自分である、自分の責任であるということは考えませんでした。 僕はある意味でナルシストであり、かつマゾヒストであったのかもしれません。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.42)


       僕は、自分の純粋さが嫌ではありませんでした。 僕はそのころの自分を幼いと感じています。 僕は弱者を演ずることで他人との差違を強調し、自分の優越性を証明しました。 僕はそんな自分に内心気づいていたのかもしれません。 しかし、僕はそのときだれよりも苦しかったのであります。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.43)


     手紙の最後に、「今、僕は優越性の証明を、や文章や絵を書いて、何とか表現する方法でおこなおうとしています。 そして、人を好きになり、人から好かれることに自分のアイデンティティを見出そうとしているのです。 いじめられた告白は、おぞましいことであり、かつ危険なことであります。 いじめとは忘れがたい、忘れたくとも忘れられない心の深い傷であることをわかっていただきたい」というメッセージがついております。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.43)


     汚い

     汚いものなどを排除する構造は、どうも文化のなかでずっと長く継がれているところがあります。 日本の場合にも、実際の言語の上でもはっきりした差別が見えます。 余談になりますが、私は北海道の生れですが、ふだんはまったく意識していません。 ところが、京都の人と話しているといつも意識させられてしまいます。京都は差別が先端的に出てくる地域だからでしょうか。 物心ついたときに、お母さんたちが子供に、身振りによって差別を仕込んでいるようなところがあります。 本来の意味とは似ても似つかぬところまで拡大してしまう文化の怖さが、そこにあらわれるわけです。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.52〜53)


     こういった蝕穢、汚れたものにふれるという思想は、仏教が加わって、深刻になっている。 子供たちの空間にもどこかにずっと投影されていて、結局汚いとか、ゴミ箱とかいうふうないい方に転化されてくる。 たとえば、数年前に横浜で起こった浮浪者襲撃事件などでもそうです。 ゴミ箱=周縁に被害者を押し込んでしまっています多義的で、意味がごちゃごちゃしているところに行くと、かえってそういうふうな行為が起こりやすいといえます
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.53)


     イナーシア

     有徴なものというのは、あいまい多義的なもの、意味がどんどん変わっていくものの表現です。 たとえば、非常に汚い話で申しわけないですけれども、(たん)、ヘド大便などは有徴性の極端なものです。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.53)


     キリスト教を中心としたヨーロッパでは、大便と貨幣は似ているとする考え方がありました。マルチン・ルターの考え方にもあります。 ルネッサンスの画家であるボッシュの描いた「悦楽の薗」という非常に不思議な絵では、後架式の便所で悪魔が大便をしているが、それがそのまま金貨として出てきます。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.53〜54)


     ノーマン・ブラウンという精神分析学者の分析によると、大便は一定の色を持っていないし、臭いもある。 しかもどんどん変わっていく。 金によって物が買いかえられる。変わっていくという点においては、金がつくり出す価値と大便は並行しているといえるのです。 ヨーロッパの思考の中では金と大便が同一視されるのは、当然ではないかと思う。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.54)


     定義不可能な点では、痰やヘドなどは、生ぬるいものともいえないし、冷たいともいえない。 何ともいえない感触です。 乾燥もしていなければ、本当に純粋な水でもない。あいまいなものが人間はいちばん気持が悪いのではないでしょうか。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.54)


     英語にイナーシア(inertia)という言葉があります。 これは、ふれると何もする気がなくなるというような状態をいいます。 たとえば生ぬるさもこれに当てはまる。 ナマというのは、未成熟安定していなくて不完全で、何となくいいかげんです。 つねに否定したくなるようなところがある。死んだ人の髪の毛を見ていると気持が悪い。 なぜかというと、人間が死んでいるにもかかわらず、髪の毛やひげは成長していくからです。 不思議な、定義不可能な部分を見ると、髪もイナーシアであるといえましょう。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.54)


     人間の体の端々にあるもの、たとえばつめなども、人間の意思にかかわらず、成長していきます。 そういうものに対する恐怖感があるので、つめに対する迷信信仰がたくさんあるわけです。 切ったつめを利用して魔術に使ったりします。 つめは何か気持ちが悪いものだという気持ちのあらわれでしょう。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.55)


     それの集大成されたものの一つがです。血のりといったら、べったりしているし、ぬるぬるして生温かい歌舞伎などの暴力シーンでは、シークレットな感じを高めるために、本当にふれたくないもの多義的ぬるぬるしたものを出してくるというところがある。 日本でも、ほかの国でも、よく「血の汚れ」という言葉をいうのも理由がないわけではありません。 血が持っている中間性に対する恐怖感のあらわれではないでしょうか。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.55)


     イナーシアは空間においても同じことがいえるようです。
     日常生活の外でも内でもない、どちらにも属しないような空間。 たとえば、トイレ、廊下、学校の裏庭、登下校する途中のちょっとした曲がり角、それから体育館の陰など、いわゆる一概に定義できない空間がいじめの「舞台」として使われていく。 たとえば、後ろめたいいじめが起こるのは、小学校でも中学校でも、トイレであるのは誰しも気づくことです。 女性徒が水洗便所の水にトイレットペーパーを浸して、いじめる子の頭からポタポタとかけて、全身ズブぬれにしたりします。 トイレが持っている周縁空間をフルに使っています。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.55〜56)


     先ほどの若者の観察にもありましたように、いじめはだいたい一種の劇場性を帯びていますリーダーやそれにごまする演出家みたいな人間、それから観客傍観者がいます。 観客は、見ることによってそれに参加している傾向があるのです。劇場的ななかで、自分たちと同じと思われている人間のアイデンティティが崩れていくのを見てむしろ楽しむわけです。 記号的に無化されてしまうことを楽しむ劇場になっている。特定の人間の記号を抹殺することによって、周縁化していくというところがあるわけです
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.56)


     今までの話からいえることは、記号性の過小と過大の二つのタイプがいじめられると考えられる。 先ほど髪の毛の話をしましたけれども、多過ぎるのも少な過ぎるのも、劣性に入る。 これは多義的で、定義不可能であるという感じを与えるからです。
    (《いじめの記号論 2 いじめの記号論》P.56)


    3 決まりと逸脱

     遊んでひらく

     私が中学校の先生をやっているときから今まで、「大学の先生に比べて中学校の先生は、程度の低い子供を相手にしている」という見方がどうも一般的です。 ところが、事情はずいぶんちがってきているのではないでしょうか。 むしろ今日、子供と接する時間の多い人間は、可能性をよけい持つことになる。 森林浴といった言葉のように、子供浴みたいなことを経験しているところがある。 だから子供と接している時間の多い人は、人間の新しい可能性を探る先兵になるのではないでしょうか。 子供にいろいろなことを伝える一方、逆に子供から何かを吸収することによって、新しいタイプの人間になっていく可能性が十分考えられるのではないでしょうか。
    (《いじめの記号論 3 決まりと逸脱》P.81)


     子供との再会

     先ほどお話ししましたモーリス・センダックは「子供は、大人の準備段階ではない。 本当に子供らしい瞬間の子供は大人と関係ない、そういう子供がどこかへ逃げていって、立ち去ってしまったもぬけの殻が大人である」といっています。大人は、自分の逃げてしまった「子供」の部分を捜し求めて生涯を送っている存在だというのです。絵本を書くのも、自分のなかで失われて、どこかへ行ってしまった子供と再会したいからだといういい方をしています。
    (《いじめの記号論 3 決まりと逸脱》P.81)


    4 今日の親子関係

     多様な家族単位

     昔、日本にも「姥捨(うばす)て」などという伝説がありました。 獲物のあるところをあちこち集団で移動する南アメリカのインディアンの社会では、家族は核家族がカチッとでき上がっておらず、「姥捨て」のように年取って能力のない人をどんどん置き去りにしてしまうのですおばあちゃんは料理をつくることなどがまだできる。 ところが、それに比べおじいさんは、そういう能力がないので全部置き去りにされてしまうのです。
     ではどうするかというと、彼らはたいこもちみたいなを身につけるのです。 首長が行事を主催するときに、首長に対して褒め言葉をいう役割を担おうとする。 それ以外にもかえ歌がうまいとか、なんとか置き去りにされないように芸を磨いて集団についていくそうです。 ずいぶん厳しい世の中があるもんですが、日本でもだんだんそうなってくるかもしれません。
    (《いじめの記号論 4 今日の親子関係》P.87〜88)


     はっきりしない父親像

     男は、家族のなかの位置がもともと危ないところがある。 先ほどいいましたように、文化人類学的に見ると、本当はちっとも不思議でないのです。家父長的にいばっているのは必然的なものではなくて、ある文化の、ある歴史の一時的な現象だったからです。 それにいつまでもしがみつくことができないのは当たり前だということになるわけです
     宮本常一が、『家郷の訓』という本のなかで、父と子について、自分のことをかえりみながら、こういっています。
     父と子の縁はうすいのである。 父親がその家にいる家庭でも父は多くの場合母のようになつかしがられなかった。 これは父親が子を可愛がらないからではなく、父の子に対する躾の範囲が母とちがっていたからである。 父の場合はその仕事を主として教え込んだのである。 私の場合には百姓仕事が父によって教えられた。 山へ行くこと草ひきの技は祖父によって次第にならされて来、根気よくすることが教え込まれたが、父によって先ず教えられたことは仕事のショシャであった。 所作とでも書くべきであろう。 姿勢とか態度とかいうようなことを意味するのである。 ショシャのよくないことはショウネ(性根)がその仕事に入っていない証拠である。 「ショウネのすわっていない者くらいショシャの悪いものはない」 と父はよく言っていた。 そうして「男は仕事に惚れなくてはいかん」とも言われた」
    (《いじめの記号論 4 今日の親子関係》P.97〜98)


    5 脱教育のすすめ−−自伝的学校論@

     知的スノビズムの中学時代

     もともとそういう一種の知的スノビズムみたいなものが拡がっていたようでした。 だから藁科さんみたいな人が流れてくるでしょう。 そういう人たちはやっぱり生活の問題があり、蔵書を町の本屋に売る。 それを私は裏から行って買ってきた。 私の家はそのころヤミの砂糖を仕入れてつくったお菓子が飛ぶように売れて、大儲(もう)けしていました。
    (《いじめの記号論 5 脱教育のすすめ》P.117)


     戦争に負けたとたんに、毎日、本が二冊買えるぐらいの小遣いをもらって、網走の中学校の行き帰りにかならず本屋に行きました。 本屋に少しずつ雑誌がふえてきて、「人間」という雑誌の表紙が、ヌード・デッサンだったりしました。 そういうものを片っ端から買ったのです。
    (《いじめの記号論 5 脱教育のすすめ》P.117〜118)


     中学校時代の前後は、いろんなことがあると思います。 私の町の話をすると、美幌海軍航空隊がありました。九六式陸攻で、ノンストップでマレー沖に参加した飛行機です。 しかも陸軍でなく海軍だから、スマートなわけです。 航空基地は、私にとっては一種の秘境みたいな感じがするわけです。 一年に一回の参観だけは許されて、近くによって飛行機を見る。 町には酒保があって、下士官官舎があって、そのなかに住んでいる友達がいたから、そこに遊びに行ったりして、海軍のきわめてモダンな雰囲気にはその頃から接しているわけです。
    (《いじめの記号論 5 脱教育のすすめ》P.118)


     戦争体験

     戦争に負けると、飛行基地としては破壊されて、駐留軍の基地の一つになります。 町に雑役夫の割り当てがくる。 みんな行くのを嫌がります。 私は中学校三、四年でしたが、学校をサボって人の分を引き受けて雑役をやっていました。 帰りに、落ちている「リーダーズダイジェスト」や、GI版のジェームス・ハーシーの小説などを拾って、弁当箱に忍ばせて持って帰ってきたりしました。 また、コミックスを懐に忍ばせてきました。 基地は何となく異境のなかにいる気がして、気分がいいわけです。 果物でも、普通われわれのところに入ってこない一種のにおいがあるでしょう。 別にプルースト的とはいわないが、後半になってニューヨークの町角でその記憶が突如として蘇(よみがえ)ってきたことがありました。
    (《いじめの記号論 5 脱教育のすすめ》P.118)


     雑誌編集長をやる

     そのころ私は、遠山茂樹先生の東洋経済新報社の『太平洋戦争史』五巻本の索引づくりをアルバイトで手伝っていました。 だから、本に関しては、若いころにあらゆる形で関与しているのです。 本について書きだせばきりがないのでやめておきます。
     話を戻せば、「国史研究室」の創刊号に書いた文章は「ブナロードということについて」というものです。 それは、内なる天皇制を問題にしないで批判ばかりしてもダメだというような内容のものでした。 それについては、三つの反応がありました。
     それを読んだ遠山先生には、われわれだって何十年の苦労の末、いろんなことを考えているんだから、一、二年の経験でそんなことを得意になって書いてはいけないと叱られました。 国文学の人民文学派は、おまえの物の言い方は乱暴だといいました。 ちがった反応を示したのは石母田正(いしもだしょう)さんです。
    (《いじめの記号論 5 脱教育のすすめ》P.138)


     石母田さんへの手紙

     私はそのころ、大胆にも石母田さんに、「先生の天皇制に対する考え方は間違っていると思う。 一度お会いしてゆっくりお話したい」と、はがきを書いたことがあります。 返事がきまして、法政大学に何月何日に来てくれという。 研究室に行くと、前の一杯飲み屋に行こうという。 当時、私は酒がほとんど飲めなかったので、ビールを飲まされてフラフラになって、結局は説教されてしまいました。
    (《いじめの記号論 5 脱教育のすすめ》P.139)


     手紙の返事が、「あなたの「ブナロードということについて」という文章はすでに読んでいます。 なかなかおもしろいところがあるので、お話ししたいと思っていました」というものでした。 お話をきいていると、要するに、あなたの文章はすごく鋭い。 これはちょっと手を加えれば、今でもジャーナリズムに通用するような文章だ。 ただし、問題は、竹内好(よしみ)の文章と似ていて、人には鋭く突き刺さるけれども、自分には突き刺さってないみたいだ。 こういうことでは成長は望めない。 大きくなるためには、その両方を兼ね備えなければならないということをいわれました。 あとで、やっぱりしたたかだなと思いました。
    (《いじめの記号論 5 脱教育のすすめ》P.139)


     さらにあとになって「僕は大学に行くのも嫌だから、北海道に帰って、地元の革命のためにつくしたいと思う」と手紙を書きましたら、返事がすぐきて、「そういうのは普通の人ができることだから、あなたみたいな力のある人は、東京に残って勉強してくれ」といわれました。意外と人民を信じてないんだな、と思ったことを記憶しています。 世間の人は意外に思うかもしれませんが、石母田さんとは最後まで親しかったのです。 逆にそういう人の方が師という感じがします。
    (《いじめの記号論 5 脱教育のすすめ》P.139〜140)


     大学院試験に落ちて

     そのころは演劇批評家になろうと思って、芝居を見まくっていました。 麻布の教師を六年やっているけれども、三年目からは演劇も心理主義のくそリアリズムで嫌になったから、西部劇チャンバラばかり見ました。 新宿昭和館地下で「関の弥太っぺ」などのチャンバラ三本立て、有楽町にあった毎日新聞社の地下が二本立ての西部劇をいつもやっていました。 映画評論家になろうとは思っていませんでしが、ただ動くものを見ていたい。 そのころ、われわれの家庭にはまだルームクーラーが入っていなかったから、暑さから逃げるためでもあったのです。
    (《いじめの記号論 5 脱教育のすすめ》P.143)


    6 教育は対決−−自伝的学校論A

     師との出会い

     もう一人の師である馬淵東一さんは、きちんと学問の基礎を教えてくれました。コスモロジーと社会構造の対応など、私は馬淵さんから教わりました。 そういえば「トリックスター」という言葉も馬淵東一さんから聞いたのが最初です。
    (《いじめの記号論 6 教育は対決−−自伝的学校論A》P.150)


     トリックスター理論というのは、そもそもオランダの『ホモ・ルーデンス』の著者ホイジンガが取り上げたものです。 それをライデン学派が、構造論とともに一九三〇年代に発展させた理論です。レヴィ=ストロースはその構造部分を発展させ、私はトリックスター理論を発展させたという関係にあるといってもいいでしょう
    (《いじめの記号論 6 教育は対決−−自伝的学校論A》P.151)


     馬淵さんの講義は、ボソボソしゃべるので何をいっているのかよくわからない。なるべく学生を減らそうと思って、わからない声でボソボソしゃべることにしている、といっていました。学生を減らすにはこれに限ると語っていました。 後にフローレンス島で調査をしているとき、インフォーマントたちから、父たちが儀礼をやるときボソボソとなるべく若者に聞えないように呪文を唱える努力をしていたと聞き、馬淵教授のスタイルがインドネシア的であったことを思い知らされました。
    (《いじめの記号論 6 教育は対決−−自伝的学校論A》P.151)


     システマティックに学ぶ

     そのほかには、松平斉光という政治学の教授がいました。 フランス語原書講読の講座で、マルセル・モース『民族法学概論』を講読しました。
     この先生は岡山藩士の当主で、鷹揚な性格でしたから、一人でどんどん翻訳してしまう。 受講生はほかに何人かいましたが、いつも出ているのは私だけで、先生が「きょうはここまで」といったら、おわったところに印をつける。 次の講義のときに、「先週はどこまで行きましたか」と聞かれると、「はい、ここです」と教えるのが私の役割でした。 あとはずっと居眠りをしている。 先生の前で悠々と居眠りをする技術をここで養ったわけです。
    (《いじめの記号論 6 教育は対決−−自伝的学校論A》P.151〜152)


     岡正雄さんとか馬渕東一さんは、「期末になってレポートの季節になったけれども、見つくろいで点をつけておいたから、後でレポートを出してくれ」という。 そのため教授会で、「人類学は少し成績がよすぎますな」と、ほかの教授から文句が出たそうです。 そうすると、「われわれは大学時代に劣等生だったから、学生にだけはいい点を上げたいとつねづね思っているので、ついそれが態度に出てしまうんです」と返答していたと聞いています。 それほどの不良学科だったのです。
    (《いじめの記号論 6 教育は対決−−自伝的学校論A》P.152)


     都立大学では、馬渕研究室に行くと、英語、フランス語、オランダ語の本がところ狭しと並んでいます。 先生が「この本はこういう本でね」と教えてくれる。 そういうふうにして私は読書欲を満足させていったわけです。 しかも、知らず知らず、親族理論からはじまって、システマティックに文化的事実を学んだことになります。
    (《いじめの記号論 6 教育は対決−−自伝的学校論A》P.152)


     そのほかにやったことといえば、沖縄の調査や、伊豆七島の大島、新島の調査についていったりしていました。 自分は小さくまとまろうと思わなかったので、年齢、階級組織がどうのこうのという学者らしい論文を書く気はあまりありませんでした。 いちばん本気で人類学を徹底的に勉強したのではないでしょうか。 ちょうど一九五八年から六三年ぐらいの時期です。エリアーデの翻訳などはまだ出ていませんでした。 馬渕さんがエリアーデの本を持っていたので、それを片っ端から読みました。
    (《いじめの記号論 6 教育は対決−−自伝的学校論A》P.152〜153)


    7 文化とその痛み

     差別の深層構造

     ですからコミュニケーションとは、意思を伝達するという面があると同時に、共通のルールを守ることによって暗黙の裡(うち)に「これ以上のことはしない」というような、誓いとか約束などの体系をも意味していることになります。これらの誓いとか約束の集大成が、いわゆる現在の「文化」であると考えることができると思います。 ですから、文化とは必ずしも文明の発達した社会だけが持っているというものではなく、人間の集団が存続していくために必要なルール−−すなわち、これは文字に書かれたものばかりではなく、エチケットや躾、あるいは社会的餌付けとでもいうべき報酬とか罰といったものも含めて、人間がだんだん飼い馴らされていく体系の全体−−であると考えることが出来るわけです
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.171)


     こうして発達史的に人間を考えてみると、本来人間が持っている混沌としたもの(Chaos カオス)に対する執着を本当にふっ切れるのだろうかという問題が出てきます。文化の餌付けともいうべき物事を整序していくやり方は、二つの側面を持っていると思われます。 一つは、とにかく文化で積極的に飼い馴らしていくということで、同時にもう一つは、物事の反面を排除することを教え込むことです。 つまり、これらは何かを選択するということであり、必ず暗黙の裡に排除されるものを作り出していくという過程を含んでいるわけです。
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.171〜172)


     ですから、たとえば我々が「身内」という時は同時に身内でない者を潜在的に排除しているし、あるいは「村の者」といえば、村の者でない者を排除しています。 このように、人間に対してソーシャリゼーション(socialization)が行われる時にはいろんなレヴェルにおいて、人間の行為には無意識の内に排除の過程が含まれているのです。
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.172)


     競争社会においては、競争原理に基づく競争の結果、受け入れられるものと排除されるものがはっきり目に見える場合があります。 しかしその一方では、社会的カテゴリーとして排除されるということもあります。 たとえば、ある特定の人達(社会的に危険と考えられている人達)を差別するということは、日本でも諸外国でも伝統的に行われています。 「なるべくなら、自分はああいうふうにはなりたくない」と思う時は、人間は既に自分の反面を切り捨てようとしているのです。 人間は自分たちが排除したものになる可能性を決して失っていないことを知っているからこそ、排除することによって自分は社会の中心的な価値に入っていこうとするプロセスが存在するということになります。
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.172)


     ヴァルネラブルなもの

     わたしが十五年前にナイジェリアの大学で教えていた時のことです。 学生の中に、小さい部族出身の非常に優秀な人が一人いました。 この学生に対して、大多数を占めていた大部族出身の学生たちは、「この男は他の部族だから、何か呪術を使って先生にも影響を与えているのではないか」というような噂を広めたのです。 この場合も、呪術という考え方がバカバカしいというよりは、学生たちは自分たちと違った人間を徹底的に排斥することによって、自分たち一人一人がパニック状態から逃れようとする衝動に身を委ねたとみねべきだと思います。
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.178)


     スケープコートの象徴性

     思想界についても同じように見ることができます。 かつての一時期、これこそ新しい思想だといわれて一世を風靡した実存主義に代わって構造主義が擡頭した結果、今では構造主義こそ新しい思想だというわけで、大学の先生方できるだけ早く実存主義の衣を脱ぎ捨てて構造主義に着替えようとする。 ですから、思想とモードはあまり変わらないといった冷やかし方がよくなされるわけです。 しかし、それをただ単に冷やかしとして留めずに考えてみれば、人間のキャパシティ(capacity)は限られているわけだから、必ずしも新しいものを常に身に付けるということでなくても、あるものを「古い」といって排除することによってアンデンティティを入れ替えるというようなことは、我々は常に行っているともいえます。
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.182)


     こうした人間の行動の仕組みのくり返しは、潜在的であるだけではなく、言葉で「古い」というように、我々の意識の表面にも現れてきます。 たとえば慣れてしまった後の流行歌手の祀(まつ)り棄(す)てのような現象も、同じ傾向のものだといえるでしょう。
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.182〜183)


     日頃、我々も気が付きませんが、日本の庶民文化史の中にもこうした仕組みが存在します。 庶民の信仰には「御利益」という考え方があって、「あの神様は効く」ということになると、そこへドッと信仰が集まるという現象が江戸時代から仏様・神様・御稲荷様といった形でくり返されてきたわけです。 この現象は、信仰によって病気が治るということもあるけれども、実は「御利益」という言葉の中にはアイデンティティを獲得するという意味があるのです。 すなわち、それによってエネルギーを得て、自分は社会の一番有利な部分で進んでいるといった確信を持ちたいという心理が含まれているのです。 ですから、「新しい」ものに対するちょっとした行為の中にも、既に「古い」ものを捨てるというイメージが付きまとってくるわけです。
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.183〜184)


     『知の遠近法』に即して

     こうした大学紛争などを、自分には関係のない特殊な事件としてみていた間はよかったのですが、カタルシス効果悪循環してくると結局、社会はなんとなく中心的存在に対して潜在的憎悪を溜めていくようになるわけです。 ですから、ある華やかな人が没落したりすると、何かしら非常にスッキリするようなところが庶民にはあるのです。 これは、昔からいわれている「隣の不孝はいい味だ」という農村の人々の気持ちにもよく表されています。
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.191)


     こうした傾向がだんだん社会に一般化していったということは、結局、一部で現れることはより深い原則の局所的なはたらきの結果だということで、それを自分とは切り離していく可能性があるということなのです。 近年の商社のいろんな受難をみると、どうもかつて大学で起こっていたことが飛び火して、だんだんと社会的規模に拡大しているという傾向を感じないではいられないわけです。 大きな商社に対してこのような逆上した憎悪が向けられると、潜在的に喜ぶ人は非常に多いのです。 「あの会社はエゲツない」という形で憎悪の念が溜まっていって、その時にマスコミからたたかれたとなると、その新聞記事を読むことによるカタルシス効果が絶大だと思います。
    (《いじめの記号論 7 文化とその痛み》P.191〜192)


    8 文化の中の光と闇

     定住者と遊行の聖

     たとえば日本のかつての信仰の形は、仏教がより広く伝わってお寺がいろいろな村にできてくる以前は、本来は村にお寺というものはなかった。村のお寺ができてきたのは十四世紀ぐらいだろうということが言われているわけです。 国分寺とか大きなお寺は中央とかさういう近いところにはもちろん古代からあったわけですけれども、村というものにはそういうものはなかった。 それで、村の立場から見ると神道と修験道と仏教とそんなに違いはなかった。 そういうふうな宗教的な体験は、たとえば伊勢なら伊勢、熊野ならば熊野といろいろ信仰の中心があったわけですね。 その信仰の中心からいわゆる遊行(ゆぎょう)の聖(ひじり)が常に全国を廻っていて、だいたい「カスミ」と呼ばれる縄張りは決まっていたわけですが、廻る範囲は決まっていた。 そのほかに加賀の白山とかいくつかの宗教的中心があって、その中心から常に移動している。 だから、村の立場からみると、何月になったらどこの聖が来るな、ということがわかるようなシステムであった。 だから、そういう人たちが来るのが待ち遠しいような経験にもなっていた。 あるときにはそういう人たちは宗教的な教えだけを運んで来るのではなくて、孤立していた村の人の立場からみるといろいろなニュースを都から運んでくる。 かつては新聞とかテレビなどというものは無かったから、ほかの地域で起こったことは非常に珍しいわけですが、それが伝わるまでに随分時間がかかる それも実はその宗教的な事業に携わっている歩き聖遊行の聖が自分の伝える悲運の皇子の運命とかいうような物語に混ぜ合わせて語り歩いた。 ですから、ニュースというものが物語と非常に近い性質のものであったわけですね。 そういう聖たちはそういった話、ニュースばかりではなくて、今度はいろいろな品物を運んできた。のないところには塩を運んでくる。 それから反物とかいろいろな物を運んでくる。 ですから、商人の原型というものがそういう遊行の聖でもあった
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.209〜210)


     ですから、村の人の立場からみると、役人は別として、人間というのはこういったよそから訪れてくる人たちとそれから自分たち、そういう二つの種類から成っていた。 自分たちの周りの世界を考える場合に、自分たちのような人、それはほかにも村があるから、そこの村だったらその村には自分たちのような人、それから外からやってくる人たちは、確かに尊い、ありがたいことも伝えてくれるけれども、結局、〔よそもの〕ですから気持ちが悪いわけですね。 それで、その背景がなんなのか知らない。 なにも知らないから気持ちが悪い。 だから、ありがたいという気持ちにもなるけれども、気持ちが悪いから危険だというふうな考え方にもつながってくる。 そこで、そういう人たちは時どきやってきて村の人たちの魂、精神を呪縛し支配するような立場にあった。 〔よそもの〕であるが故に、潜在的に恐怖心を起こしながら、それでかえって人びとの関心をとらえて、支配していくということもありえたわけです
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.210〜211)


     そういうふうに考えていきますと、人間の非常に自然な気持ちとして、自分たちの中心にある部分を保証してくれる存在、それは村の中にもいろいろ中心的な人たち、名主とかいろいろな長がいたわけだけれども、実際はそれだけでは十分でないのであって、やはり人間がときには興奮し緊張して充実感を得るためには外からやって来る人がいなければ困る。 ですから、長い間に人間というものは自分たちの住んでいる全体像を考える場合にそういう二つの種類中心にいるタイプの人たち、それから外を絶えず廻ってくる人たちのタイプと二つを考えて、その両方の間を村の人たちはつきあって行き来する。 そのことによってなんとなく充実感を得ていた
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.211〜212)


     ですから、さきほどお話ししました天皇制にかかわる問題なども、天皇の神話の中で、天皇を中心とした政治の仕組みが一方で語られると同時に、外を放浪して歩くような人たちに近い存在としての皇子の運命というものを語る。 そのことによって天皇制というものの全体的なイメージを人びとは描いたに違いないと思われるわけです。 こういうふうなことは日本文学を考える場合に、ヤマトタケルの場合には叙事詩といって、文学の中でも長編詩のはしりのような物語であると考えられているわけですけれども、日本文学にはこういう放浪の皇子的なものの影は非常に深く落とされている。 こういう存在を折口信夫(しのぶ)が、尊い人たちが放浪する話として貴族流離譚という言葉で表現したわけです。 この貴族流離譚というものは、中央の精神生活と地方の精神生活と同時に自分たちの周りを考えるモデルを与えた。 その中継ぎをしていた人たちは、実際はさきほど申しました遊行の聖中央の悲運の皇子の物語をし、その悲運の皇子が地方を放浪して歩いたという話をする。 そうすると、自分たちが実際は放浪しているわけですから、自分たちの運命に重なって、それで村の人たちもありがたさに涙がながれるというふうな形で、中央を考える仕組みが村レヴェルにも浸透し、村レヴェルで考える考え方が中央の文学やさまざまな文化を作っている制度を考えるモデルになっていった。 そういうことが言えると思うのです。
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.212〜213)


     遊行の聖をめぐる柳田と南方の見解

     柳田国男、それから同じく日本のフォークロアの中では孤立していたけれども巨人的存在であった南方熊楠(みなかたくまぐす)、そういう人たちが書き残したものには、天皇制の必ずしも政治的とばかりいえないような姿を垣間見せる部分がある。 それはどういうことかというと、さきほどもちょっと出てきた言葉であるの問題ですね。聖の問題が、中央にある天皇制と、それからかつてそうであったかもしれないけれども、断片的であって消えてしまったような地方、村なら村レヴェルの天皇制というものを考える手掛かりを提供してくれるといえるわけです。
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.213〜214)


     柳田国男の著作の中で「毛坊主考」という文章があるわけです。毛坊主というのはどういうことかというと、坊さんなんですけれども、普通われわれは坊さんというのは頭を丸めている人たちのことを考えますけれども、毛という言葉がついているように、髪の毛を伸ばしている。 だから、一見、還俗(げんぞく)したように見えるようなそういう坊さんのことをいうわけです。 それは実はかつて坊さんであったけれども坊さんでなくなったというのではなくて、逆にかつて坊さんでなかった人が坊さんということにさせられて、毛坊主と言われた、そういうふうな存在なんです。 柳田はこの毛坊主というものに焦点を当てて考え、かつて日本の至るところの村に毛坊主というものがいたと言います。 いろいろな種類の人を含んでいたけれども、実際はこういった人たちはかつてはと呼ばれていた存在であった。 ですから、これらの人たちの中には仏教に吸収されないで、さまざまな独自の宗教を自分たちで編み出していたこともあったし、神道的な部分を背負っていた人たちもあったし、それから山伏的な存在もあった。 とにかく日本の村社会の中に定着しないで放浪していた聖ですね。 この遊行聖が幕藩体制のもとで定着させられた。 そういう姿を毛坊主という。 しかし、こういうふうな毛坊主というのは、確かにその起原が非常に神秘的であったために村の人たちからは恐れられるとともに、疎まれて、場合によっては嫌われることすらあった。 しかし、村の人たちに対しては精神的に非常に深い影響力を持っていた。 一方、天皇のことを聖の命(みこと)というふうな言い方をする。 これは間違いであって、天皇を聖の命などと言ってこういう聖というものを毛坊主ごときものと一緒にされてはかなわない、という種類のことを柳田国男は書いたわけです。
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.214〜215)


     南方熊楠もそういう問題に触れた「ヒジリという語」という文章を書いて、次のように述べています。 柳田氏の言っているのはおかしいヒジリというのは言葉どおり解釈すれば、これは日を知る、太陽を知る、ということは、かつては太陽の上がる位置を確実に知っていて、季節を知って、それをもとに暦を編み出していた人である。 だから、日というのは単なる太陽を知るということばかりではなくて、時間を紡ぎだす。 ヒジリというのはそういうふうな役割をしていた。 そういうふうな時間を作り出して、暦を作り、設定するという仕事はほとんど政治の中心にある人がやることである。 ですから、そういうふうな部分から占いの仕事も出てくるわけです。 で、こういうふうなヒジリが政治の中心になるのは少しも不思議でないし、実際にヒジリノミコトと言われていた。 例えば、柿本人麻呂の歌集には天皇のことをヒジリノミコトと言っているのであるから、本来、天皇がヒジリ的なイメージを持っていたとしても少しも不思議でない、というようなことを南方熊楠は言ったわけです。
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.215〜216)


     五木の子守歌にこめた勧進聖の嘆き

     そういうことを別の形で毛坊主・聖についていうならば、この米村さんという人の考え方なんですけれども、この地方で興った民謡で全国的に知られているのが五木の子守歌という歌で、この歌についての米村さんの解釈は、これは子守歌で“奉公にやられた子守が自分の運命を嘆いて歌う歌である”というふうに普通は考えられているけれども、決してそんなことはないのであって、「おどまぼんぎりぼんぎり、ぼんからさきゃおらんと」という歌があるとしますと、その盆の季節にやってくるというのは、ちょうど農閑期に上納金を集めにやってくる毛坊主の歌であったと考えてよろしいのではないか。 だから、仔細に検討していくますと、この歌はまた「おどまかんじんかんじん」という言葉が入ってきますね。 この「かんじん」というのは子守の歌だとしたら「かんじん」の意味が通じないわけです。 毛坊主は上納金を集めにくる。 お寺のために上納金を集めるのは勧進という言葉で実際に言われているし、そういうふうなことに携わっていた坊さんは勧進聖というふうに言われていて、東大寺などはそういう勧進によって歴代ずぅっと再建されてきていたわけですから、勧進という言葉は非常に当たり前に受け入れられてよろしい。 ですから、この「おどまかんじんかんじん」という歌の中には、こういった毛坊主・聖の嘆きがこめられていると考えたほうがいい。 ですから、自分は異邦人としての勧進である。 「あんひとたちゃよかしゅう」というのは、うらやましいよか衆ではなくて、普通の日常の生活の中に安穏に生きている人たちである。 だから、そういう人たちの着ているものとかそういうものは自分と違って非常にまともないいものである。 自分たちとは違うのだ。 「よかしゅう、よかおび、よかきもの」というふうな形で歌われている。 ですから、この五木の子守歌を一番一番検討していくと、むしろそういった毛坊主の立場を歌った歌というふうに考えたほうがいいという米村さんの考え方は納得できるわけです。 ですから、五木の子守歌一つでも、そういった文化を光の立場からだけでなくて、闇の部分も含めて考える、固定した部分ばかりではなくて、移動している部分の角度からも考えてみるということによって違った側面が出てくるわけです。
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.219〜220)


     このような例に見られるものは、というものが、かつては村の人の信仰、あるいは信望を一身に集めて、その村の人たちの魂を救うという役割を持っているけれども、その救うということの意味の中には、今度は徹底的に恐ろしい危険がやってきたらその人が真っ先に義性になる。 だから、この場合に毛坊主というふうな存在の位置は、確かに中心ではあるけれども、まず最初に殺されるという危険性も含んでいる。 要するに、非常に大きな危険がやってきた場合に、その人が死ぬことによってすべての災いを消してしまう。 そういうふうなスケープゴートとしての役割をも含んでいる。 ですから、政治とか宗教の中に潜在的に持っている、必ずしも光ばかりではない、闇の部分も自分の内側に背負っている存在であった。
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.220)


     これをもう一回戻ってより大きなスケールで考え直してみると、さきほど申しました天皇制の中にある皇子たちが絶えずいろいろな形で神話とか、実際にも皇子の陰謀は古代史においてはいろいろ伝えられているけれども、そういうふうな政治的な危機の場合には皇子が義性になるという形で政治の歴史にも現れているように、政治の中心にあるものの中には、光の当たる部分だけではなくて、闇も背負っているというふうな姿があって、その姿なしには一つの文化のある部分は大きな影響を及ぼすことができないということが言えるのではないでしょうか。
    (《いじめの記号論 8 文化の中の光と闇》P.220〜221)


    9 悪の文化と魔の文化

     内と外から見る文化

     先程申しましたように、文化というのは何か、いかがわしいところがあって、「文化人」などと言えば何となく、もう、いかがわしさそのものの感じが既にするんですね。 大体、洋裁学校でも最近は、「文化何とか学院」とか何とかいっておりますし(関係者がおられないことを祈っておりますけれども)、また戦後も「文化鍋」「文化の日」とか色々ありましたが、文化ということは一向にはっきりしないですね。 一応、教科書に書いてあるような意味での「文化」というのは、一つの言語の集団が、親のジェネレーションから子のジェネレーションへというように、次の世代に伝える生活体系の全て、それを文化というふうないい方をするわけです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.225)


     そうしますと、この文化というものには、本来価値判断というのは全然入っていないはずです。 しかし、実際使われている時には、文化というのは何か価値判断があって少し高級というふうな言葉を想像させる
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.225)


     この文化という言葉が、実際に現在使われているような形で使われだしたのは、十九世紀の末だといわれます。 そもそも、文化というのは、ドイツ語圏や英語圏では、本来は大体、畑を耕すぐらいのことだったといわれているのですね。 畑を耕して庭に手入れをすると、そこに何となく一種のまとまりが出来てくる、そういうものを、そもそも文化といったのではないだろうかというふうにも考えられているわけです。 ですから、時代によってその人間が、自分たちの社会をどう考えるかによって、文化という言葉の意味もずい分変わってきております。 本来、その文化という言葉は、教科書に載る意味では、価値基準が入っていないから、高級文化といういい方は成り立たなくて、文化は文化であるということになります。 しかし、実際に使われる時はやっぱり、クリスチャン・ディオールの香水は文化というけれども、お百姓さんの香水を「文化の素」とはあまりいわない。 これはあまりいい例じゃないんですけれども。 どうしても価値基準が入ってしまうと思うわけです
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.225〜226)


     小テキストの集合としての文化

     大体、人間の社会において、一つの文化の中では、いろんな形の小テキストが、一種の、暗黙の裡に行われる意思の疎通、コミュニケーションとなっている。 そのコミュニケーションには、行儀作法から食事のエチケット、挨拶の仕方、時によっては服装・歩き方、に至るまで大体の流れがあって、その流れに従っている。 その流れの全体が文化であって、一つ一つの流れは、文化の大テキストに対して、小テキストになっているというわけです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.230〜231)


     よく「世界は書物だ」というふうないい方がなされます。 それはシェークスピアがいった言葉で有名になったのですけれども、要するに、最近は「読む」という言葉も非常に広く使われてきています。 ですから、「都市を読む」などといういい方をするわけです。 ということは、都市を解読するという意味です。 都市が出来るために、その基礎になっている色々なルールがある、例えば、ニューヨークなら、縦の通り、アヴェニューの間の距離はもの凄く長いけれども、横の、ストリートの間隔は非常に短い。 そういうことを知らないと、ああ、すぐいけるなと思いながら、もの凄く歩かなくてはなせないようなことになります。 この場合、都市を「読む」ことを知っていれば、いくらでも、時間とエネルギーを、省略できるのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.231〜232)


     文化の構造論的とらえ方

     この文化というものには、文化が積極的に奨励する部分と、なるべく目をそむけるか排除しようとする部分の、両方の部分がある。 その両方をみなければ、文化というものはなかなかはっきりいえないんじゃないかというふうな結論に、今や達しつつあります。 文化の中で、良いものばかり取り上げて、「善」というふうなことをいっているだけでは、「善」そのものもわからないかもしれない
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.233〜234)


     我々が、善という場合には、必ず、潜在的に「悪」のこともある程度考えている。「悪」というものの見本がなければ、何が善であるかということが、はっきりしないことすらあります。 それでは、その文化を見る立場の中で、善とか悪とかいうものには、どういうふうな背景があるのかということになります。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.234)


     文化を構造論的に考えるということはどういうことかというと、既に今までお話してきたなかでも触れてきましたように、例えば作法を考える時に無作法を自然に考えるという考え方です。 そういう考え方は、ある意味では、弁証法的な考え方ともいわれていたと思うのですが、弁証法的な考え方は、ある時期から唯物論に引きつけられて、狭苦しくなってきた。 そのために世間を説明するのにあまり有効でないというふうに見られることが多くなって、文化の深い匿(かく)れた成り立ちを考えるにはむしろ、構造論的に考えた方がいいのではないかという考えが支配的になったのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.234〜235)


     構造論の立場の中で、文化というものはどういうふうに考えられたかと申しますと、構造論の根本は、まず人間の住んでる条件、人間の条件ですね、これをまず文化と考える。 そしてそれはどういうふうにしてできたかというと、これは、自然を排除することによって出来たとするわけです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.235)


     この場合の自然というのは、ちょっと限定された意味での自然なんです。 文化という言葉もそうですけれども、我々が何げなく使っている言葉には、よくよく考えてみると、正体がはっきりしない言葉が沢山あると思うんですね。 この自然という言葉も、その一つだと思います。 自然という場合に、我々がすぐ頭に思い浮かべるのは、風景としての自然、我々の住んでいる、都会あるいは町や村から、外へ出て拡がっている自然ということですね。 このような地理的な自然ということもありますけれども、自然という言葉は、そういうふうな風景だけに使われるのではなくて、いわゆる、耕された土地に対する、耕されていない土地、それを自然というふうにも使ってくるわけです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.235)


     自然という言葉は、最近、少しずつ隠喩メタファーとして使われるようになっている。 ですから、実際の自然、いわゆる自然科学が探求しているような自然と、それから我々が普通「自然な態度である」とかいうふうにいってる自然とは、ちょっと距離がある。 自然科学が対象とする自然というのは、あくまでも、ものによって構成されている総体であるから、それをいい出すと、いわゆる文化に対する自然などというのはなくなって、あるもの全てが自然ということになってくる。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.236)


     それに対して、いわゆる文化を考える場合の自然というのは、人間の手の入っていないところ、手の届かないものを自然という傾向がある。 そういう意味での自然は、自然科学の自然とは違って、いわゆる、メタファーとして使われる自然なんです。 この構造論で、文化のことを問題にし始めたレヴィ=ストロースという、フランスの人類学者がいっているのは、要するに、文化というものは、例えば近親相姦や人肉嗜食をやめるという具合に、自然的な状態から人間が抜け出した時に成立するような、生き方の問題であるということなんです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.236)


     ですから、動物と人間を対比した場合に、動物が文化を持っているということはいわないけれども、人間は文化を持っているということはいえるわけです。 何故かというと、結局、動物というものは、予定調和的に遺伝によって仕組まれたもの以外に、はっきりとした、家族とか、そういった決まりを持たない
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.236〜237)


     例えば、人間は、人間になる以前は、親でも子でも近親相姦をやっていたかもしれない。 動物は近親相姦は当たり前である。 ところが、ある時期において、人間は断固として近親相姦ということを止めてしまった。 自分の群れ、集団を決めたら、血縁・血族を決めたら、その内側では基本的に何親等に至るまで、性的には交わらないということによって、まず、自然的状態と、自分達が生きるルールを持った状態とを区別するようになってくる。これが、文化の基礎であるということを、そのレヴィ=ストロースはいったわけです。 例えば、音楽というものを例にとると、ただガチャガチャと無方向に音を出している、これは音楽とはいわない、雑音にすぎない。 これに対して一定の音調、コードですね、それを取り出してきて、組み合わせる。 そうすると、雑音とは全然対比的な、ある種の秩序というものが出てくる。それを音楽というし、そういうことによって、音楽は文化になってくるんだということを、レヴィ=ストロースはいっています。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.237)


     また、秩序に従っているような状態においては、全ての問題が予測可能である。 ところが、犯罪、あるいは「悪」と規定されるものは、その予測を不可能にしてしまう。 そして実は、この秩序というものに対して、それに反する力が必ず存在しているというふうな奇妙な状態が、いつも続いている。 それが、いわば文化の中において、内と外と対比されるような時に、はっきり現われてくるわけです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.240)


     文化の内と外ということをいい出したのも、やはり、現在のソヴィエトの記号学をやっている人達なんですけれども、この人達は昔ロシア人がロシアと考えたのは、やはり「内」で、その「外」に野蛮人がいるというふうに考えています。 またその他色々な領域においても、例えば自分の村は、「内」であり、その「外」はエチケットを知らない野蛮な連中が住んでいる所だというふうに、必ず「」と「」というふうな考え方で区別した。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.240)


     エントロピー解消の仕掛け

     それでは、前産業社会では、エントロピーというものをどういうふうに処理してきたのかということについて幾つか例を考えてみたいと思います。 実はこのエントロピーというのは、実体は、普通我々が「悪」といっているものにかなり近いのですね。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.244)


     いわゆる悪は、秩序に対して、それを崩壊させ、混沌に導くものである。社会を停滞させ、社会が成り立っている秩序を、崩壊させる方にも導くかもしれない。 ですから、全くマイナスの方にしか働かない作用であるように見える。 ところが、実際に、いろんな人間の文化をみてみますと、おかしなことに、ある時期において、そういうふうなエントロピーと付き合うことによって、かえってそれを消してしまうか、自らの内に吸収してしまうかというふうなことをやっている場合が多い。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.244)


     一番簡単な例でいいますと、いろんな社会で「祭り」といわれているものですね。 これにはそのエントロピーを消す作用があった。 その祭りも、文化によっていろんなものがありますけれども、一番世界的に拡がった形態は、カーニヴァルという形態ですね。 日本でいえば、大体、ドンチャン騒ぎの無礼講というふうな形で現われるわけですけれども、いろんな国の文化の中で年の変わり目などに、カーニヴァルがあります。 カーニヴァルといえば、リオ・デ・ジャネイロの「リオのカーニヴァル」というのがよく知られています。 リオのカーニヴァルの特徴はまず、仮装をする、それから、日常生活のルールは全部、そのカーニヴァルの間は停止してしまう。 だから、人間は、かなりしたい放題のことをする。 普段たしなめられるようなことも、どんどんする
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.244〜245)


     このカーニヴァルというのは、大体ブラジルで盛んになったんですけれども、その起原は実際は、ヨーロッパで、一般的には、はるか中世あるいは中世を遡ってギリシャにも見出されるものです。カーニヴァルというのは、ある一定の時期、人々が日常生活で従っているルールを、全部止めてしまう。 普段は非常に慎ましやかな食生活をやっている人達でも、散々飲み食いする、あるいは、普通は非常に上品に暮らしている人も、そのカーニヴァルの行われる広場においては、汚い言葉で罵り合ったりする。 とにかく、ありとあらゆる普段やらないようなことをやるわけです。 普段やらないことといっても、殺人以外はということですね。殺人だけは、そこを許容してしまうと、全く人間社会が成り立たなくなってしまいますから。 そういうカーニヴァル的な期間とか、時間というふうなものを持つことによって、人間は非常に違った気分に入っていけるのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.245)


     「」というものをエロスという形でいうとすると、「」というものは、同じくギリシャ語でいうところのタナトスという言葉でいわれるんですけれども、タナトスというのは何かというと、ものごとを動かないようにしてしまう、全然動かないようにしてしまうことで、それは「死」ですね。 その状態に対して、ものごとを、どんどん活気づけてくる、それがエロスの本来の意味であって、「生」の意味でもある。 だから、エロス対タナトスという点に絞ってみると、このエントロピー悪の要素というのは、最終的には「死」のイメージをちらつかせているわけです。 ですから、悪魔の絵でよくみられるものというのは、大抵、骸骨が顔になっているのですね。 ヨーロッパの悪魔のイメージというのは、「死」というものが、人間のやろうとすることを全部否定してしまう、そういうふうなことから、固定してきたといえるのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.252〜253)


     こういった祭りの例は幾らでもあります。 私がお話したメキシコの例のように強烈な形でないとしても、何となくそういうふうな祭りというのは、どこにでもあるんです。 例えば、日本の村にしても、「実盛様」という虫追いの行事などでよく行われているように、斎藤実盛の人形を作って、それを村中暴れさせて、村の境で焼き捨てるというふうなことをやります。それもやはり、エントロピーの発散方法であったということができるのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.253)


     ですから、前産業社会というのは、これは主に民俗学が対象とするような社会なんですけれども、そういった祭りを行うことによって、一年に一回、秩序に対して全く反対のもの、反秩序と付き合う「悪」と付き合うことによって、もっと生き生きとした感じ方というものが保証されたわけです。 ここで何故そんなことが必要なのかということを考えてみると、人間の時間に対する考え方、そういうものが少し関係があるというふうな説もあります。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.253〜254)


     それはどういうことかといいますと、人間というのは、時計の時間というのがあるから、いかにも自然にキチッと刻まれた時間に従っているように見えるけれども、時間をリズムと考えると、人間は自分の体を中心に、いろんな時間を持っているはずです。 例えば女性の時間、これは本来、時計のなかった頃には、月が太陰暦として、暦の基礎だったわけで、月の運行に支配されているという意味では、女性の方が、いわゆる本来の時間に近かったのです。 多くの社会では、その母なる大地というふうなものを、いわゆる人間の生活のリズムの基礎に考えた例が、非常に多いんですけれども、我々の生活においても、時間というものは、やはり人間の体のリズム、精神のリズムに合うものとして意識されている。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.254)


     時計の時間だけでものごとを処理していくと、人間というのは、非常に単調な存在になってしまう。 人間が一番怖れるのは、単調なものごとの連続でありますから、継続することはいつまでもいいことだということじゃなくて、継続しているものは、何か一時期止まらなくてはならない、そこで、時間の区切りがつくわけです。 そこで、初めて人間は、何か自分がまとまりのある単位の中に入ったような気がするのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.254)


     大体、一年の時間でも、考え方は色々あります。 例えばギリシャの場合は円環を描きながら、ずっと進行して上の方へ上がっていく時間だというようないい方をします。 一概にはいえないわけですけれども、大まかにいえば、時間を直線によって進行すると考える社会と、それから、円のように、無限に繰り返していると考える社会があります。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.254〜255)


     そうすると、始まった時は新鮮であるけれども、終わった時には汚れてしまって、力を失っていると考えるような考え方があるわけです。 大体、農業で生活している社会というのは、本来そういうふうな時間の考え方をしているんです。 時間というものは、初めは非常にフレッシュである、新年においては新鮮であるけれども、その年の瀬になると、時間の進行と共に段々、時間の汚れがたまって、時間のエントロピーといってもいいようなものがたまってきて、そこで一回、死ぬかどうかして、そういうふうな動作によって生まれ変わってくる。 そうすると、人間の気持ちも非常にフレッシュになってくるのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.255)


     ですから、多くの文化の祭りというものには、そういうふうなものに合わせて作られているところがあって、先程から申していますような、カーニヴァルなどは、正にそういうふうな、一年において蓄積されてきたエントロピーを、この際放出してしまうことによって、もう一回甦って、また新しい時間に立ちかえろうという、円還的な時間の考え方が成り立っているような社会で、いえることであるわけです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.255)


     カタルシスを満たす政治と演劇

     犯罪の多くの部分には、一方では、正義の味方がこれを断罪すべしというふうな側面もあるけれども、犯罪を起こす人間に対しては、何か、どこか我々が親しみを感ずるところがあるわけです。 弱い者いじめの犯罪というような、ケチなものにはあまり同情できないということがあるんですけれども、例えば、四、五年前に起こった事件では、梅川という男が、大阪で銀行を占拠して、華々しく撃たれて死んでしまった。 その時に、長時間テレビを見ていて、何となく梅川に同情する気持ちになった人が、案外多かったという。 そう感じるというのは、そういった」と取引するというふうな、潜在的な欲求というものが我々にあるからなんじゃないかという気がするのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.263)


     多くの世界の歴史の中で見られるところでは、どうも施政者というものは、時々そういうふうな犯罪を、処刑ということによって見せ物にしたという事実があります。 例えば、中世における、ジャンヌ・ダルクの問題なんかそうですね。ジャンヌ・ダルクは聖女である、けれども、女としての基準を超えてしまったわけです。 そこで、戦争に使える時だけはそれを認めて使って、戦局が不利になったとみると、実は魔女だったというふうにして、「悪」の方に転化してしまうジャンヌ・ダルクは悪魔と取引していたということにして処刑するわけで、そういうことを見せられて、人々は何となく心の底で、今度は満足してしまうのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.263)


     施政者というのはいつもそういうことをやる可能性があるんですね。 だから、イラン革命が段々行き詰まってくると、前には大統領だった人が、今度は悪人に仕立てられる。 それから、中国においては、かつて毛沢東の側近であったような人達四人を、今度は悪の権化として仕立てて、裁判劇をやる。 これも、やっぱり、中世の魔女狩りでやっていたと同じことであり、このようなことによって、大衆をコントロールしようという技術を、常に、施政者というのは使うおそれがあるわけです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.264)


     施政者ばかりがそれを使うんじゃなくて、今度は、いわゆる民主主義というものも潜在的にそれを使うことがあります。 その場合は、それは、非常に健康的に使っているわけですね。落ちると思わなかった人が選挙で落ちたなどというのは、これは一種の引っくり返しの劇にもなるし、その場合に、血を流さない、犯罪という過程をとらないことに、民主主義の健全さがあると思うのです。 そういうふうに、政治の場合は、どこかに、処刑の場面を持っているというふうな傾向があるのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.264)


     ニクソンの場合には、ベトナム戦争という問題があって、結局、ベトナムで受けた傷というものを、何らかの形で癒さくてはならなかった。 そうすると、一番効果的な、そんな場合のスケープゴートとしてニクソンがあったわけです。 彼はベトナム戦争がなかったら大統領にもなれなかったかもしれないんですけれども、とにかく、行き詰まりがない情況であったならば、ああいうふうなことは何もお構いなしに、どんどん先に進めたかもしれないですね。 選挙で負けるまでは。 ところが、不幸にして、そういうふうなスケープゴートの役割を演じさせられたわけです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.266)


     それに対して、日本の場合にも、やっぱり高度成長がどんどん進行しているような時には多少のことは大目に見ましょうという形で済む、総理大臣の犯罪なんてことをいわないでも。 ところが、低成長期に入ってきたから、あまり大きなことをいわれちゃ困るというふうな時代になってくると、何かこう、パッとしない人のほうがいいじゃないかというような感じが、段々高まってくるわけです。 それで、景気のいいラッパというのが少し邪魔になってきたということで、やっぱり政権交代につながるような形の事件が、実際の日本でも起こってしまった。 あの場合も流血を伴わないでやられているわけですから、やはり政治もどこか基本的に持っているような仕掛けというものを、実際に実現していながら、しかもまだ健全であるという状態であったと思うんです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.267)


     世界の歴史を考えてみると、政治にはずい分そういうふうなことによって成り立っているという面があると思います。 政治は、行政的な面において、一見公平にあらゆる人間が幸福になるようなことをやっている部分もあるわけです。 それが行政の本質でありますけれども、しかし、政治というのは、もう一つにはやっぱり、見世物であるということは隠すことができない。 そのことによって、政治というのは、何かある特定の人の不幸を引き起こすことによって、他の人を満足させているような、そういうふうな傾向もあるのです。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.267)


     「悪」と対話する空間としての劇場

     大体、劇場の起こりというものは、日本においては、本来、河のはずれとか、それから村のはずれにある地蔵堂みたいな所にあったんです。 日本の村々には、国分寺などというものがあったとしても、村にお寺が出来たというのは、中世も十四世紀以降のことじゃないかといわれるのですけれども、それ以前も以後も、村にお寺がないような所には、大抵、地蔵堂というのがありまして、そこはちょうど、村のはずれ、つまり村の内と外との境ですね。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.269〜270)


     大体、境界というものは、非常に気味の悪いものであって、内と外との両方につながっているから、論理的に区別のつかない所である。 そういう所には、何となく、外のエントロピーが、そこまで入ってきているというふうな感じがするわけです。 そういう境界に地蔵堂を建てることによって、外からきたいろんな流れ者の坊さんを、そこに泊めたりする。 そこで、坊さんが、人形使いをやってみせたり、いろんな、踊りを演じたり、物語や口説き、説教節を唄ったりすることによって、演劇的な機会を持ったのです。 それが、劇場のイメージの、一つの源流ではなかろうかというふうに考えられます。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.270)


     「悪」と「魔」の培養の必要性

     先程もいいましたように、前産業社会においては、そういう、知恵というようなものを文化の中に持っていたわけです。 ところが、今我々が生きているポスト・インダストリアル・ソサエティはそういうものを失っていて、人間の陰の部分との対話というものを、何か回復しなければ、それが、我々の予想のつかないところで、どんどん表面化してくるような、そういった社会になってきていると思います。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.278)


     ですから、一九六八年頃から、何か我々のコントロールを超えた、そういう現象がよく起こってきた。 例えば、学生がどうしてあれほど、あの時期に、暴れなくちゃならなかったかというふうな問題、また、何故今頃になって、暴力の問題が中学校で表面化してきてしまったか、それから、あらゆる奇怪な、例えば人間の肉を食うような犯罪とか、そういったものを、考える手がかりとして、我々自身が、あらゆる機会に、文化の中の、小テキストとしてどこかに含まれている「悪」の要素というものを、絶えず、解読する、対話する、ということを考えていく必要がある。自分達の一部に「悪」というものの要素を、潜在的に培養するわけで、ちょうど、甘い汁粉を作るために塩をちょっと入れるのと似たような意味で、どこかに「悪」の要素というのが、部分的に含まれてくる必要があると思います。
    (《いじめの記号論 9 悪の文化と魔の文化》P.279)


    解説 今だからこそ複雑な魅力

                          高山 宏

     この本が刊行されるのは二〇〇七年二月ということである。 後世のどこかの時点からみると『いじめの記号論』という標題に、はっきり時代の刻印が読みとられはずだ。
    (《いじめの記号論 解説 今だからこそ複雑な魅力》P.283)


     二千年紀(ミレニアム)を迎えるあたりから日本社会の激変ぶりには凄いものがある。 片やひょっとして世界史的といってよいほどの情報の−−それもカネがらみの−−洪水、片やなんのかんのいっても機能はしてきた古い価値もろもろの根こそぎの崩壊。 教育はその両方にもろにかかわらざるを得ないところで限りなく潰滅に近付いている。終りが始まった日本
    (《いじめの記号論 解説 今だからこそ複雑な魅力》P.283)


     しかし、いやはや現実は説明モデルでは仲々追いつけなくてねと堂々と言い放つ、論としてはきっとネガティヴなこの本のあり方にこそ、ぼくなど魅力を感じる。 そう、山口さんと並んで、いまこそ意表を突く教育論を飽かずお願いしたい松岡正剛さんだったら、きっと“fragile”な本と言うだろう。それを言うならやっぱり道化(フール)な本だ。 山口さん自身は、そう言って笑うはずだ。
    (《いじめの記号論 解説 今だからこそ複雑な魅力》P.289〜290)