[抜書き]『歴史・祝祭・神話』


『歴史・祝祭・神話』
山口昌男・岩波現代文庫
2014年1月16日 第1刷発行
    目次
    第一部 鎮魂と犠牲
      ガルシア・ロルカにおける死と鎮魂
      祝祭的世界−−ジル・ド・レの武勲詩
      日本的バロックの原像−−佐々木道誉と織田信長
      犠牲の論理−−ヒトラー、ユダヤ人
    第二部 革命のアルケオロジー
      「ハタモノ」選び
      空位期における知性の運命
      スターリンの病理的宇宙
      トロツキーの記号学
      神話的始原児トロツキー
      メイエルホリド殺し

    解説 勇気とオプティミズム   今福龍太
    人名索引


    第一部 鎮魂と犠牲

     ガルシア・ロルカにおける死と鎮魂

     第三日目、キリスト教徒は反撃に転じ、ついにイスラム教徒を城中に追いつめる。 ここで馬にまたがった攻城軍のキリスト教徒の総司令官と、籠城のイスラム教徒の総司令官の間に、降伏勧告と拒否にいたる修辞の限りをつくした舌技と演技による応戦がある。 これらの祝典劇は町の素人衆によって演じられる。 しかしこういった祝祭性と演劇性の混淆に、人はわが国の地方歌舞伎あるいは人形浄瑠璃に通じる数奇(バロック)の精神を認めるであろう。 夕方にいたるまで、必死の攻防戦が繰り広げられる。 陽が沈む頃、突如として馬にまたがった聖ホルヘ(ジョージ)の人形が炬火の光に照らし出されるように出現して、見る見るイスラム教徒たちを斃し、キリスト教徒の城内突入の途を拓く。 その瞬間に家々の窓から垂らされた旗は赤に白十字のキリスト教のそれに変わる。
    (《歴史・祝祭・神話 ガルシア・ロルカにおける死と鎮魂》P.21)


     このスサノオペルセウスとともに、キリストを想起させる聖ジョージについて、イギリスの社会人類学者エドマンドロリーチは特に一文を草して、これをかつて、フレーザーが知的情熱を傾けて説いたアドニスと対比させている。 しかし、われわれの関心の的である竜、ムーア人と変換可能な悪の化身についていえば、リーチは、を主人公の分身と見立てているようである。 竜の頭が七つあるとすれば、聖ジョージも七度の死を甘受しなければならない、「幾分粗く断定すれば、父、叔父、義理の母にせよ、またたんに上司であれ、われわれには、秘かに消してしまいたいと考える人がいる。 しかし、それが誰であるにせよ、嫌いな人を竜の位置に陥し、ついでその首を斬り落すという行為は、相当の個人的な満足感をもたらすはずである」 彼は述べている(E・R・リーチ「聖ジョージと竜」G・E・ダニエル他『神話或は伝説?』ニューヨーク、一九六六年、八五頁)
    (《歴史・祝祭・神話 ガルシア・ロルカにおける死と鎮魂》P.23〜24)


     祝祭的世界−−ジル・ド・レの武勲詩

     折口信夫桟敷・「さずき」の起原が犠牲の神事に発していることを説明しつつ、『日本紀』神功記●坂王(じんぐうきかごさかのみこ)、忍熊王(おしくまのみこ)の叛乱についてふれている。 つまり、神功皇后が三韓から帰って来たとき、継子の●坂王、忍熊王が叛乱する。 そのとき祈狩(うけいが)をする(祈狩りとは、戦争に勝つか負けるか、誓約して狩りをすること)。そのとき仮○(さずき)を構えた。 するとが出てきて●坂王を食い殺した(●:“鹿”の下に“弭”。○:“广”の中に“技”)
     また、雄略天皇二年秋七月百済の池津媛(いけつひめ)(采女(うねめ)であろうと折口は推定している)近臣石河楯(いしかわのたて)と密通したので、
      天皇大怒、詔大伴室屋大連使来目部夫婦四支於木、置仮○上火焼死。
    とある。 つまり、天皇の逆鱗に触れて、二人ともに両手、両脚を木に張りつけ仮○の上に据えられて、来目部(くめべ)の手で焚殺されたということである。桟敷は、地上にを立てて、その上に野天の物見を作る。 その物見は同時に、神を祀る台、すなわち、天から来る神を迎える台であった。元来は「さずき」が舞台であって、その上に置かれる「はたもの」は、天の神に指定されたものでなければならなかった選ばれるというのはそういった資格を指すのである。 選ばれるためには、常人と同じであってはならない。 本来の桟敷がそうであったように、常人との「交渉を没した姿で、地上からやや高くそそり立って」(『折口信夫全集』第三巻、六九頁)いなければならない正の方向であれ負の方向であれ常人から区別されていなければならない。 折口はつぎのように述べる。
       捧げる物は、天の神の指定したもの、すなわち、先天的に身体に特徴のあるもの条件つきの病気にかかったもの、あるいは結婚法を誤ったもの親子婚が代表になる)などである。 誤って結婚を〔したら〕、それはけがれであって、その蔭には神の使うている女を犯した者を同類とする考えがある。 〔けがれ〕とは、神の物として指定されたもので、そういう者を神に捧げる。 それがしだいに刑罰の意味を生じてくる。(『折口信夫全集』ノート編第五巻、三七一頁)
     この記述に法制史と演劇史の共通の起点を読みとることは不可能ではないが、ここでは、その点には触れない。 しかし構造論的思考を適用すれば、平俗なものにプラス・マイナス記号がつくものは、結局は同位に置くことができるということである。 そこで皇子の地位が問われてくる。 皇子にはプラスの地位が付着することによってマイナスの運命をたどらなければならない神話論的根拠がある。ヤマトタケルの伝説に形象化されたのは、こういった潜在的「はたもの」としての皇子のバロック的祝祭性なのであった。
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.27〜28)


     ジョルジュ・バタイユは、なによりもまず、彼のうちに、送れてやって来た古代人の存在を指摘する。 古代といっても、それはむしろ古典古代であるよりも、古ゲルマン的な古代であり、さらに「無垢アルケイック)」な原基的人間を指すものにほかならない。 「彼は、あの時代の非理性的な封建諸侯の一人であり、そのエゴイスティックな快楽、無為、無秩序はそのまままた彼のものであった(四四頁)と説く。 彼は生来つつましやかとか限度といったものを知らなかった。 その浪費癖は全くプロポーション節度)を欠いていた。 ジル・ド・レの怪物性を子供っぽいともいうバタイユは、両者の本質的な近さを説きながら、「怪物的であるなどと規定するのはあくまでも理性なのだ。 われわれが怪物的であるなどというのは、その怪物性が、人間に、理性を持った存在の内に現われるからにほかならない。 実際には虎や子供は怪物ではないのだが、理性が支配するこの世界にあっては、彼らの一見上の怪物性は魅惑的なのだ。 彼らは必然性の支配する秩序の外にあるのだ(四〇頁)と、この世界におけるジル・ド・レの位置を的確にいい当てる。
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.45)


     ジョルジュ・デュメジルの古ゲルマン戦士についての研究(『ゲルマン民族の神々』パリ、一九三九年)を援用しながら、彼は、略奪し、撃ち、拷問にかけ、処刑するという野獣的狂暴さに身を任せるのが日常茶飯事であるゲルマンの若き戦士の性向について述べる。こういった暴力性は、戦争という特権的遊戯に向って全生命を燃焼させることを目的づけられた騎士階級に生れたものが多かれ少なかれ分ち持ったものである。戦争はその戦略と、見世物性を考慮に容れたとしてもついには物質・人的資源の費消という性格を持ち、農民がその機能を代表する生産は騎士階級の与り知らぬところであった。 戦争は封建貴族を労働から解放し、遊びに従属させる唯一の手段であった。 遊戯は、社会に蓄積された活力を、外的自然に従属した形で表現する労働より、はるかに激しく放出することによって、人間の世界感覚を活気あるものにする。ジョルジュ・バタイユジル・ド・レのほとんど神話的ともいえる功績を認める。 「彼は人間行動を歓喜に、特権者の遊びに従属せしめようとする動きを、純粋状態で代表する」。レヴィ=ストロースは、「未開社会における首長制の地位」という論文で南アメリカの狩猟採集民の社会での首長の機能の一つに、若やいだ妻たちとともに子供のように遊び戯れることを挙げている。単調で、強い忍耐を必要とする狩猟民の日常生活の中で、首長の遊びは、効用性から切り離された身ぶりの新鮮さを取り戻させる。 封建貴族の生活の様式化と遊戯性にもこのような意味を認めることは不可能ではない。
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.45〜46)


     ジル・ド・レの浪費癖をジョルジュ・バタイユは、アーカイックな社会の多くに観察されるポトラッチという、マルセル・モース「贈与論」について幾らかの知識を有する人にはお馴染みの概念で説明しようとする。 これはいまさら説明するまでもないが、北米北西海岸のクワキウトル・インディアンで観察される原則で、二集団の首長の出会いにおいて燃えさかる炎の中により多くの貴重な資材を投入した方が政治的優越性を確立するという慣行の観察から使われはじめた言葉である。 こういった社会では、「浪費され、破壊された富は現にそれを浪費し、破壊する当の本人たちから見たときには至上の価値を有する(前掲書、一一六頁)
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.46〜47)


     こういった浪費と破壊は農民社会におけるカーニヴァル祝祭においても見られる。カーニヴァルの原則は、経済、言語を含む日常的な交換体系の停止食物の極端な浪費、労働の必然性にかわる遊戯の偶然性によって世界を統合する特権的な無時間の状態である。 こういったカーニヴァルの祝祭的な諸特徴は、日常世界では永劫に呪われた不徳になる。それゆえ、カーニヴァルの終りに、これらの不徳は人形に託して焼き捨てられるか、破壊されるかしなければならない。
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.47)


     こういった西欧民俗におけるカーニヴァルの祝祭的諸特徴が個人の上に体現すると、それは、ジル・ド・レであり、ジル・ド・レが戦った相手の英軍に従軍していたことになる、シェイクスピアの創造になるフォルスタッフである。
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.47)


     C・L・バーバーの見解は、ある意味でわれわれにもっとも近いといえる。 彼はフォルスタッフ純粋に「はたもの」に対応するとみる。フォルスタッフの追放は「はたもの」を捧げること(サクリファイス)による「粛清」(ピューリフィケーション)の業だとする。 「マルディログラカーニヴァルに、村民たちがマルディ・グラの人形にするように、王子はフォルスタッフを『はたもの(スケープ・ゴート)』に仕立てることによって、彼自身の罪からも、リチャード(二世)および、彼の父(ボーリングブルック−ヘンリー四世)の治世に由来する悪運からも解除され、王になり、一身に、騎士の徳および神の恩寵恢復するのである」(『シェークスピアの祝祭喜劇』一九五九年)。 この立場は後述するケネス・バークのそれをうける象徴的行為の理論を反映して、たんなる民俗学的事実の直接的反映を読みとる解釈とは劃然と区別されるものである。 バーバーは、とくにハルとフォルスタッフの間に、日常生活」の論理と「祝祭日」の論理の対立を説く。 ハル王子の分別あるつぎの言葉は、この事実を裏づける。
      若し年がら年中祝祭日を享受しているならば、
      無為に過すことは働くことと同じくらい退屈なことである、
      だが祝祭日がたまにやって来るならば
      これらの日々の来るのが待ちのぞまれる
      ……

      (第一幕二場、二二八−二三〇行)
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.51〜52)


     バーバーのいう祝祭日と平日の対立は、さまざまの文化における基本的対立という形で無限の変種を生み出していく。
     〔平 日〕−平常−節度−方向性−労働−倹約−真面目−秩序−充足−服従……等々
     〔祝祭日〕−異常−過度−無方向性−遊戯−浪費−不真面目−混沌−欠如−反逆……等々
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.53)


     つまり世界を理解するための価値両極性にかかわる問題である。 一つの世界は、一人の個人がそうであるごとく、この両極を往還することによってその全的統一感覚を保持することができる。 これらの両極的価値は、ほとんどの文化で制度的に、時間、空間、集団、職業、個人のタイプ、社会集団内の関係に応じて分配されている。 しかし「祝祭」的価値は「平日」の論理が過度に抑圧的であったりして衰弱していたりした場合、容易に、特定の集団または個人の姿をかりてその「かたち」を現わしうる。 また「生感情ヴァイタリティ)」の過度の所有者は、制度に無関係にそういった形をとりうる。 これらはいずれも「はみ出し」の条件であるが、われわれが繰り返し説くところは、歴史的世界は、その意味作用の根底的秩序を確保するために「はたもの」を欠いては成り立たないという点である。 シェイクスピアがフォルスタッフに認めたのもこういった論理であったはずである。
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.53〜54)


     歴史的世界といい神話的世界というのも、前者を当事者の証言を通じた再構成であるとすれば、後者は、意図的に再構成することのできる、隠された世界感覚(行為の深く秘められたモデル)のごときものを考慮に容れることを意味する。 われわれがシェイクスピアの架空の人物を、十六世紀のイギリスのエリザベス朝の世界を通して表現された世界についての一定の感受性、それも、きわめて普遍的なものの限定的表現であるとして、歴史的世界の中に組み入れようとするのは、そのような意図を持つからである。 そうすることによって、われわれはまた、われわれ自身の世界の内的宇宙を探求するための隠された函数を手に入れることができるとと信じている。
    (《歴史・祝祭・神話 祝祭的世界》P.55)


     日本的バロックの原像−−佐々木道誉と織田信長

     佐々木道誉は、南北朝の動乱期にその放埓ぶりで異彩を放つエキセントリックな守護大名であった。 この人物はいろいろな意味で、位置づけが難しいとされてきた。 近江の守護としての名家に生まれながら、どこから見ても無軌道としか思えない派手な生活を追い、軍役における節操を欠き、権謀術策の限りをつくし、すべての立居振舞いを豪奢に仕立て、ついには上総山辺郡へ流刑に処せられた。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.58)


     『太平記』巻第二十一「佐渡ノ判官入道流刑(ルケイ)ノ事」(以下、岩波書店「日本古典文学大系」『太平記』T、U、Vによる)の中に「此比(コノゴロ)殊ニ時ヲ得テ、栄耀(エイエウ)人ノ目ヲ驚(オドロカ)シケル佐々木佐渡判官入道道誉ガ一族若党共、例ノ〔バサラ〕(婆娑羅)ニ風流ヲ尽シテ、西郊東山ノ小鷹狩シテ帰リケルガ」と記述されている。 この「バサラ」という言葉を手がかりとして、諏訪春雄氏は、これまで林屋辰三郎黒田俊雄あるいは長谷川端氏らによって展開されてきた佐々木道誉の像をさらに一歩積極的なものに転化しようとする。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.58〜59)


     道誉の節操のなさ、抜目なさ、機敏さ、卓越した戦場駆け引き、古典にたいする深い教養、新しい文化への感受性などは諏訪氏の強調するところであるが、とくに道誉の並はずれた装飾趣味は、ジル・ド・レのそれに対応する嗜好をわれわれに想起させるに充分である。 五条橋の建造において道誉の面目をつぶした管領斯波高経(しばたかつね)にたいする報復のために、高経が道誉を花の下の宴席へ招待した同じ日に、道誉が大原野の小塩山勝持寺に、豪壮な祝宴を開いて洛中の人々の目をそばだたしめ、高経の顔色なからしめたことは、たんに彼の反乱精神のみならず、過剰性への徹底した傾斜を物語るものである。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.59)


     この放逸と奢侈と、なにごとをも祝祭的逸脱と装飾へ向わせずにはおかない道誉のエキセントリシティは彼の流刑についてのエピソードによく現われている。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.59)


     道誉の一族若党どもが西郊東山の小鷹狩の帰路、家来たちに妙法院の南庭の紅葉を折らせて、興がっているうちに、坊官からだれがこのように「御所中」の紅葉を折るのかと詰問されると「御所トハ何ゾ、カタハライタイ言ヤ」と嘲笑し、さらに大きな枝を折り、山法師から追い出されると、道誉は妙法院に焼打ちをかけた。 道誉はこのために山門の訴えにより流刑に処せられることになるのであるが、そのさいの道誉の演劇的自己顕示は絢爛たるものであった。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.59〜60)


      道誉近江ノ国分寺迄、若党三百余騎、打送ノ為ニトテ前後ニ相順フ。 其輩悉(ソノトモガラコトゴトク)猿皮ヲウツボニカケ、猿皮ノ腰当ヲシテ、手毎ニ鶯籠(ウグイスコ)ヲ持(モタ)セ、道々ニ酒肴ヲ設(マウケ)テ宿々ニ傾城ヲ弄(モテアソ)ブ。 事ノ体尋常(ヨノツネ)ノ流人ニハ替リ、美々敷(ビビシク)ゾ見エタリケル。 是モ只公家ノ成敗ヲ軽忽(キヤウコツ)シ、山門ノ鬱陶(ウツタウ)ヲ嘲弄シタル翔(フルマヒ)也。
     ここでも日吉山門の神使たるの皮を(うつぼ)にしたり腰当てにしたりして、涜聖サクリレッジ)の逸脱と演劇的誇示性において彼は「尋常」の生活の外に、つまり風流祝祭的世界に身をおいていたのである。 しかしこのようなタイプの逸脱は道誉のみに使われたものでないことは加美宏氏が「バサラ」の語の考察において示しているところである(「太平記−バサラ−」、『国文学 解釈と観賞』一九七三年二月号)。
    涜聖:“涜”の字は難字
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.60)


     バサラの用法について古典文学大系本の頭注には、建武三年(一三三六)、尊氏が定めた『建武式目条々』の第一条のつぎのような個所を引く。
      近日号婆佐羅。 専過差。 綾羅錦繍。 無カサ。 頗物狂ヒト
     ここにおいても「風流」の語が「婆佐羅」と並んで用いられるのは興味深い。 しかし「バサラ」の華美には基本的にはプロポーション(節度)を欠くことへの演劇的な熱情が潜在的につきまとった。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.60〜61)


     同じことは、その後彦七の太刀を奪おうとして次々に現われる楠木正成の亡霊についてもいいうる。 その経過の間に彦七は「物狂敷成(クルワシクナツ)テ、山ヲ走リ水ヲ潜(クク)ル事無休時」と半狂乱の状態に入ったと描かれる。 ついに太刀を一度奪われる。 その時彦七は「我己ニ疫鬼(エキキ)ニ魂ヲ被(ウバワレ)」と、顔色を変え涙を流してわなわなと震える。 一方、出現する妖怪は、千変万化、シュールレアリストなら小躍りして喜びそうな代物ばかりである。 たとえば「緒人空ヲ見上タレバ、庭ナル鞠(マリ)ノ懸(カカリ)ニ、眉太(マユブト)ニ作(ツクリ)、金黒(カネクロ)ナル女ノ首、面(オモテ)四五尺モ有ラント覚(オボエ)タルガ、乱レ髪ヲ振挙テ目モアヤニ打笑テ、『ハズカシヤ』トテ後ロ向キケル」といったフェリーニ調である。 最後には、彦七盛長の「狂乱本復して」平常に立ち還る。 この間の『太平記』の語り口は、作者が山伏としての小島法師の霊の喚起力を想わせるていのものである。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.64)


     この貧乏神落しは、そのまま、わが国の民俗におけるカーニヴァルの伝統の発顕形態である鎮花祭および御霊信仰にすんなりとつながるのである。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.71)


     折口信夫柳田国男の「をどり』は悪いものを追ひ出す」という命題の上に立って、民俗の中の疫神の位置を説いている。 つまり、踊りは、村々によせかけてくる疫神と考えられるものを追い出すための宇宙論的(コスモロジカル)行為である。 その古い発顕形態が鎮花祭である。 今宮の安楽(ヤスライ)の歌として知られる花鎮めの田歌にしばらく耳を傾けよう。
     や 富草の花や やすらひ(い)ばなや
     や 富をせば(や)なまへ やすらへばなや
     や 富をせばみ(みたち)くらの山に やすらへばなや
     や あまるまでな(やま)やへ やすらへばなや
     や あまるまで命(かたち)をこはば やすらひ(い)ばなや
     や 千代に千代添えや やすらひ(い)ばなや

     ヤスラフ〕ということは花の休息を願って、花の散るのを延期してもらうことである
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.71〜72)


     故筑土鈴寛(つくどれいかん)は、ハナは、「ハタモノ」のハタに関連すると述べる(以下、「鎮魂と仏教」『中世芸文の研究』有精堂)。ハナ(花)が先端という意味を負って、先端を意味すると説く。 つまり、この日常の生活の空間の先端にあるとする。ハタモノ自体がそういった先端として、この世ならぬものと交渉の場・接点であることはすでに折口に従って説いたところである。 「先端を意味するところから、分割という意味が纏うてきている」と筑土鈴寛が説くとき、レヴィ=ストロースの説く「自然」と「文化」の二元的分割の境界に介在するものが、日本の民族において読み解かれているのである。ハナにいづるということは、未見幽冥のものが、あらわになるという意味でのウラ(占・生・未来・内・裏)の意になる。ウラこそは、内と外の境い目、不確定性が確定性を圧する人間精神の特権的境域である。 ウラは裏の彼方とこの世界の繋ぎめ、幽冥境を明らかにしない空間である。 この点は住居の記号学の始発の場ともなろうが、今はこの点に深入りすることはできない。ウラ(占)が不確実性原理に結びつくことは、ほとんどの世界で、占いが、気まぐれ、この世にあの世の原理を導入する仲介者としてのトリックスターに結びつくことによっても明らかである。 ギリシア神話のヘルメス亀占の占いの発明者と考えられ、西アフリカのヨルバ族のいたずら神エシュが占いの守護神である(拙稿「道化の民族学」(6)『文学』一九六九年六月号〔岩波現代文庫版『道化の民族学』第三章〕を参照)ことも、決して偶然の事情によるものではない。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.72〜73)


     神祇令の季春鎮花祭は、大神(おおみわ)・狭井(さい)の二神を祭るとある。おおみわとは大三輪で、三輪山の主神としてのたたり神であり、「さい」は「」、つまり衢し四つ辻の神、内界と外界の交錯する場−−凶のはじまりの指標にほかならない。 「春華飛散の時、必ずこの祭あり、華の散る時、三神共に散じて疫を行う故である」といわれている。 花の散るのは行疫としての風のしわざと考えられた。 この感覚はいまだに「かぜ」という正体不明の病名としてのこっている。 花を散すのは怨霊や疫神の祟りであり、花の死をいうところから人体に及ぶことを考えて、病気や死についての恐怖を避ける信仰が展開した。 これが民俗学的説明であるが、われわれのコンテキストに置き換えると、それはとりもなおさず、否定的な要素に形を与えることによって内なる日常世界の「秩序(オーダー)」を保証しようという行為にほかならない。 これははたもの」をつくり出すことによって宇宙の活性力を導入しようとする行為、つまりジル・ド・レを創出することによって王権と教権の秩序を裏づけた十五世紀末のフランスの神話的世界のそれに対応するものである。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.74)


     こういった、花に対する感受性は、御霊信仰のそれに通じるものである。 御霊信仰は人も知るごとく荒神信仰に通じるものであり、憤死、つまり恨みを残し、この世界の論理では説明し切れない情念を発散させながら死んだ霊魂に形を与える祭式行為であるが、そういった因果論的説明は、そのまま、悪の形相を帯びながら彼岸から立ち現われる死の活力の必要なるゆえんを物語っている。 したがって民俗は、歴史的な人物に、そういったイメージを担わせると信じた瞬間に、こういった民俗的装いを与えてきた。 古くは、神話的形象を媒介としたスサノオ菅原道真鎌倉権五郎佐倉宗吾等とリストは続く。 これらの「人物」に共通するのは、すべて彼らが聖痕を負った「はたものヴィクチム)」として刑の執行の対象になったという点である。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.74〜75)


     折口信夫も、鎮花祭は「村々に寄せかけてくる疫神と考えられるものを追い出してしまう。 つまり送り出してしまうとする(以下、『日本芸能史ノート』中央公論社)。 「踊りを踊って来るものは悪いものなのに、今度は踊りを踊っていて同時に土地を踏みしめて、悪いものをおさえつけると考えてくる。 風の神、疱瘡の神は悪いものなのだが、そのおくりの歌をみると、その神を賛美している」と述べつつ、外来の神、喚起された神の両義性アンビギュイティ)を説いている。 本来風と結びつくことによって、花が凶になるだけなのに、花に死の影を読みとる思考、つまり、日常生活の外延に位置するものについては、吉と凶とは裏がえしであるという思考は、そういった形態が日常生活の活性化のために必要とされることを知るならば少しも不自然なことではない。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.75〜76)


     こういった転位は民俗における斎藤実盛(さねもり)像に働きかける。時宗実盛信仰の関係は筑土氏も説くように、死霊の喚起インヴォケーション)という機能によって説明される。 この時宗の特徴は時宗と熊野、つまり山中における「死と再生」を説く教義と結びつくことを可能ならしめた。 代々の遊行聖人は、必ず加賀篠原実盛遺跡で供養する習俗は『満済准后日記(まんざいじゅごうにっき)』のつぎの条からも確かめられる。
      斎藤別当真(ママ)盛霊於加州篠原出現ノ逢遊行上人。 受十念云々。 去三月十一日事歟(か)ノ率都婆銘令一見了。 実事ナラバ希代事也。 (応永二十一年〔一四一四年〕五月十日条)

    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.76)


     諸国の虫送り神送りの行事に実盛の人形を作って村境に捨てることは、災害に形を与えて日常生活に緊張感を蘇らせ、そのゆえに日常生活の中には収りきらない霊を生活の外に送り出すことであり、諸地方に散在する実盛像はそういった霊を封じ込める場であった。 西欧のカーニヴァルのマルディ・グラの人形が、前年の災厄の責任者として、村中を喧騒とともに引き廻された挙句、村境で焼き捨てられるという習俗は、まさに実盛人形のそれと対応するものであることは、かつて書いたことがある(拙稿「『社会科学』としての芸能」『本の神話学』中央公論社、一九七一年、岩波現代文庫、二〇一四年)。 焼け残った送窮神が福の徴しであるという考え方は、西欧民俗においても変りない。 フランス革命が大がかりなマルディ・グラの祝祭であったという考え方が承認されるとするなら、断首された死体からほとばしる血をハンカチーフにひたして護符にしようとした女性たちの心情に、時間の制約を越えて、ジル・ド・レの祭壇に、母乳の豊穣性を求めた十五世紀の女性的な心情が神話的な共時空間を介して反映していることを、だれが否めようか。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.77)


     織田信長の中にわれわれの見出すのは「例外」と「新しさ」、つまり、やはり、風流日本的バロック)の具体化なのである。
      其時信長の御仕立、髪はちやせんに遊ばし、もゑぎの平打にてちやせんの髪を巻立て、ゆかたびらの袖をはづし、のし付けの太刀、わきさし二ツながら、長つかにみごなはにてまかせ、ふとき苧なはうでぬきにさせられ、御腰のまはりには猿つかひの様に火燧袋、ひやうたん七つ、八つ付けさせられ、虎革、豹革四つかはりの半袴をめし。  (太田牛一本『信長公記』角川文庫)

    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.77〜78)


     その例外的な残虐性伝統破壊者イコノクラスト的衝撃性行列異風異装への嗜好は信長にジル・ド・レに匹敵する演劇的表現を与えた。折口信夫は信長のそういった面をつぎのような言葉で捉えている。
      祇園祭りが流伝していった国々では、祇園祭りのときには貴賎老若のことごとく異風行列のなかへ混った。 国々の大名のうち、これをやらなかったものはあるまい。 そのうち最も有名なのが、織田信長である。 これはただの異風ではない。 尾張の津島天王の影響を受けている。 当時は舶来の品がたくさんはいっているので便利だった。 この祭りの練り衆の風俗は華美であり、ハイカラであり、かつ誇張されていて乱暴を行うことはついて廻って離れない。
       (『折口信夫全集』ノート編第五巻、三四四−三四五頁)

    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.78)


     信長の編成した鉄砲衆にしてからが、そういった異風の現われかたであった。 折口信夫はまた、風流に発する祭礼的な異風を「かぶき」と規定しつつ、鉄砲衆を典型的なかぶきと規定した。 「鉄砲はまだ渡って間もない頃で、極くはいからに感ぜられた。 自然〔かぶき〕という語の最も進んでいたものである」(『日本芸能史ノート』中央公論社、二五五頁)としつつ、異=鉄砲者=カブキという三田村鳶魚(えんぎょ)の等置法を採用している。
    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.78〜79)


     犠牲の論理−−ヒトラー、ユダヤ人

     犠牲の問題を生の哲学の核にすえて人間の暗黒へ向かう行為の起点を探りあてたのがジョルジュ・バタイユであるとすれば、同じ行為をその基底に読みとって政治の象徴体系を読み解こうと試みたのがケネス・バークである。
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.81)


     バークの象徴理論は、最近やっと、アメリカの現象学的探求へ向かう人類学者が接近しだしているが、長い間、その一見通俗的でありながら難解な構成のゆえに、社会学者によって敬遠されてきたといっても過言ではない。私などがここで簡単に持ち出すと、これから学問の奥義として秘かに持ち込もうとする秘伝を廉売する「はねあがり」のデマゴーグ的行為として心ある学者の顰蹙を買うかもしれない。 また、例のひけらかしかと思われるのも覚悟の上である。 しかしわれわれの照準を定めるためにきわめて有効な装備品であるから、これを放置しておくことはできない。 ただ、意図の性質上どうしても解説になるのを免れることはできない。気に入らない向きは飛ばしても、小論の理解にとくに支障があるとは思われない。
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.81〜82)


     人間社会は個々人が共通に恩恵にあずかる〔象徴的〕生贄なしにやっていけないのではないかという怖れ、これが、バークの象徴論の核心に近い部分にあり、彼はこれを人間行為の「究極的動機づけモティヴェーション)」の中心部に相当すると述べている。
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.91)


     一見このバーク理論は当り前のことをもったいぶっていっているように映るかもしれない。 たしかに、人間が三人いたら最初にすることは二人が一人を置きざりにして陰口をたたくというきわめて些細な日常的心理にはじまって、共通の政敵を選び出すことによって見せかけの同盟を急造する政治家の常套手段にいたるまで、生贄選び」はありとあらゆるところでみられる心理的緊張の回避にもっともふつうの手段とみえるかもしれない。 近いところでは、国内・外のドル危機に対し、日本を「生贄」に仕立てることに全力を傾けるニクソン政権の政策も、「生贄」の条件を備えている日本および日本人も、「生贄」理論を満たしているありふれた状況の一つであると映るかもしれない。たしかに、そうである
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.91〜92)


     多分、バークのこの、可視現象の世界の象徴的世界における「完成」という理論は、アフリカでひろく見られるウィッチクラフト(=妖術現象を説明するのに有効な手かかりとなるであろう。 それは、病気、災害など日常生活の現実における欠損が、象徴世界において「ウィッチ」(=魔女)を見出してこれを特定の集団や人に「この現実」で押しつけることによって「象徴的」に捕われる、とする考え方である。 この時象徴的に「完全な」具体性を帯びた「はたもの」は、多くの社会で、異邦人女性野心的な人集団短い時間に目立って幸運をつかんだ人家族親族等である。 日本の憑きもの現象に似たようなプロセスが存在することは諸家の等しく認めるところである。
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.95)


     中央集権的な権力の根拠は、バークによると、分割による統治である。この場合、階級による分割がもっとも大きい。 生産手段、財産、技術、さまざまの権利の分割、固定という点からいっても解りやすい例である。 この点を権力の基礎と見る点でバークはマルクスの後継者である。 しかし、権力の前提を必ずしも公権力、強制力の独占およびイデオロギー操作のみとみないという点で、バークはむしろマックス・ウェーバーに近づくはずである。ダンカンバークの「秘儀」という考え方が「カリスマ」理論に近いと説く。マルクスにおいてはネガティヴなものでしかない宗教が、バークの理論においては、人間理解のモデルとして積極的な役割を演じている。 これはバークが人間を象徴の動物であるとしている点からくる当然の帰結である。 バークの象徴論の観点からいうと、デモクラシー、社会主義、ファシズムの違いは部分的に解消する。 これは、分析の観点からいうのであって、選択の原理を問題としているのでないしたがって「統治」という言葉が「管理」「指導」という言葉に置き換えられようとも、人間はそれを、「たてまえ」の影響から免れている象徴というフィルターを通して捉えるのである
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.95〜96)


     さて、「権力者」は、秘かに−−意識的、無意識的に−−、紛争」のみが人間の潜在的活力を引き出すことができると考えるために、いかに「紛争」を助長するかということが重要な課題となる。アーカイックな社会なら他部族という潜在的な敵が間近に存在するから、統治は容易であるトライバリズム(=部族集団への忠誠心)と今日いう場合、デモクラシーとの対比でまったく捨てられるのがつねであるが、象徴的次元で考えると、ある正当性を主張できるはずである。 民族国家においては一括して権力にゆだねられている象徴操作を、部族社会では個人および小集団が行使していることを考えると、一概にこれをしりぞけることはできないはずである。 ところで、紛争が国外の敵に向けて煽られているあいだは、国内の紛争は回避することができる。 ところが国外の敵が消滅するか、協定によって平和が達成するかすると、なんらかの形で敵は国内に見出さなければならない敵がいなければ、つくり出さなければならない。悪意に満ちて、それも強力な敵の存在のみが権力の強化を正当化するからである。アメリカ史はこういった立場を正当化する素材に満ち満ちている
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.96〜97)


     インディアン、黒人が象徴的に演じて来た役割を今は問わないにしても、サッコ=ヴァンゼッティローゼンバーク夫妻事件に見られる危機回避の方法、マッカーシー旋風のすべてが国内の敵を仕立てるための運動であったことは、アーサー・ミラーが劇作品(『めまい』)で象徴的に再現したところである。これらの国内の敵は、共通して、なんらかの意味で、エキセントリックであるかエキセントリックなイメージで仕立て上げられている。 外的に強者であるか弱者であるかということは、このさいたいして重要ではない。 ただたんに、われわれの内側にはない、われわれと違う、なんとなく〔いけすかない〕といった条件さえあれば、国内の敵はいつでも作り出せるのだ。 この点においてヒットラーはまたしても一点を稼いでいる
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.97)


       (ユダヤ人は抹殺さるべきであると考えるかとの質問に答えて)
       「そうではない」とヒトラーは答えた。 「そうなったら、われわれはユダヤ人を作り出さねばならぬことになる。人は、抽象的な敵だけでなく、はっきり目に見える敵を必要とするのである」。 「カトリック教会も悪魔だけで満足しているわけではないではないか。彼らとて、戦意を喪失しないためには、はっきりと目に見える敵を必要とするのである……
                (ラウシュニング、前掲書、二六九頁)
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.97〜98)


     政治的世界における鎮魂の術は、
    (1)「生贄」選び出して共同体の罪と穢れを吸収させるために罪の告白をさせる、
    (2)これを破壊する、
    という二つの過程を含む。
    (1)と(2)は不可分の関係にあることはいうまでもない。 (1)が大きければ大きいほど(2)はこれに見合う体裁を整えなければならない。 しかし(1)の大きさを決定するのは共同体の危機の深さである。ときには戦争という形でしか(1)と(2)の間の決済をつけることができない場合がある。 戦争を決定している要因は、必ずしも通常説明されているように、経済学的および国際政治学的な局面で尽されるものではない。戦争が祝祭の一形式であるというバタイユ(『呪われた立場』ポアン叢書)やカイヨワ(「戦争と聖なるもの」小刈米●訳『人間と聖なるもの』せりか書房)の提言の根本的な正しさを認めるものにとって、これは自明のことである。 したがって、戦争と、裁判および刑罰のあいだに本質的な相違を認めることを拒否することは、政治の象徴論的次元を伐り拓こうとするものにとって必要な知的衝撃療法であるかも知れない
    (●:“日見”で1文字)。
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.105)


     裁判はそれゆえ、為政者にとって重要な役割を演じる。 なぜならば不服従−−悪の原理−−を象徴的に顕現し、様式化し、舞台(さずき)に載せ、服従に内在する原理(中心の強調)の威力に光輝が添えられるために刑罰は必要である。 告解はこのとき中心的な役割を占める。
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.105〜106)


     ところで、バークが政治機構の象徴論的次元について綜合的に語った論文に「七つの官職」とい論文がある(『歴史への姿勢』ボストン、一九三七年)。 この論文の中では、政府の機能を七つ挙げている。 その七つとは、
    (1)支配、
    (2)サーヴィス、
    (3)防護、
    (4)知識の伝達、
    (5)見せ物の提供、
    (6)(精神的)治療、
    (7)ポンティフィケート(法王職のごとき最高の位置の保持)である。
    (1)から(4)までは、機能の性質およびそれらに属する官職、機構であってふつうの政治学の教科書に書いてあるようなことととくに変らない。 (5)以後は、とくに象徴論的な次元に属することで、教科書的記述をはみ出るものである。 「見世物(娯楽)」についてバークは次のように説明する。未開社会において、見世物的機能は吟遊詩人(後には宮廷道化)に限られているように思われるが、国家が組織する式典には当事者の説明は何であれ絶えず見世物的色彩が纏いつく。 この点では、近代社会においては、見世物は巨大産業として国家から独立した(三〇年代以後の社会主義国家は例外)から、演者と観客の分離、後者の受身な姿勢が成立してきた。 と同時に「朕を楽しませよ、さもなくば、首がとぶぞ」といった、観客の側の独裁的傾向が発達してくる。
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.108〜109)


     ここで、バークは報道の見世物的性格について触れる。 七つの機能といっても、それはおのおの完結的なものではない。 この報道も「知識の伝達」と重なるようである。 一般にニュースは正確な情報を伝達すると考えられている。 しかしながら、ニュースが果たしている機能はこの面にとどまらない。 正確さといっても、社会科学者の考える基準から考えると、ふつう流されている形式でのニュースは決して正確とはいえないはずである。 この問題に今は深入りしないとして、ニュースの持つ見世物性は、その演劇的性格に現われている。 三面記事に欠かすことのできないのは一定量の殺人、苦難、不幸といった、小説にでもならなければ楽しむことのできない小物語の寄せ集めである。 つまりニュースにはローマの闘技場に似た性格がある。 われわれは想像上ばかりでなく現実の「犠牲(ヴィクチム)」を見物する。 記録映画や写真にしても、他人の不幸のお墨付きの上演に読者や観客を誘うところがある。次の一節はバークニュースの本質に関する洞察の深さを示している。
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.108〜109)


     「ニュースには〔政府〕の延長といったところがある。 つまり、選択、タイミング、力点の置き方(記事の位置、見出し等)」によりニュースは人々の『現実世界』についての考え方を導いていく。 こうしてニュースは、一定の状況のもとで、何が妥当で適切な政治のあり方であるかという判断に影響を与える。ニュースがこのように焦点をぼかす限り、それは失政の延長である(同書、三六二頁)
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.109〜110)


     つぎに治癒は、「見世物」機能と重なることはいうまでもない。 ここでバークが意味するのは精神的危機からの治癒、つまりカタルシスの作用である。 これは、とくに説明することもない。 この章においてわれわれの試みてきたのがこの点にかかわっているのであるがら。 第七の「ポンティフィケート」という表現は、バークも多少はわかりにくいかもしれないとことわる。 これは人間のふつうの生活形態の範囲では説明のつかない自然の事象に、行為、儀式の形を与えて、統一感覚を世界にもたらす働きを指す。 バークはこの役割を精神の慰撫(われわれのいい方では鎮魂と名づけようかと思ったと述べる。 つまり、一点を越えると、通常の治癒方法では癒し難い精神の状態がある。 集団的な別離、苦難、死といった状態について対応しうる職分は「精神の慰撫」としか名づけることができないという。 「文化概念としての天皇制」といったいい方がなされる時に、きわめて近いものがいい当てられているといえなくもないようである。この役職は人間の「彼岸」との関連に責任を持つという意味で最終的なものである。 「彼岸」なるものを信じるかどうかは別として、この役職は人間を「彼岸」との関連で取り扱うのである。 さらに別のいい方をすると、人間の説明できる部分を、説明できない部分との関連で位置づけるということになる。 ここで、理性と非理性の橋渡しをするといえば身も蓋もなくなるから、政治的世界に作用する表層の心理と深層の心理の橋渡しをするとでもいっておこうか。 橋渡しでやっと「ポンティフィケーション」〔ラテン語のぽんとpont=橋〕の原義に近い言葉がでてきたというわけである。 ここまで説明すれば、あとは「有限」と「無限」、「自然」と「超自然」、レヴィ=ストロースの使うような意味での「文化」と「自然」(人間の裡なる)といくらでもいい換えることはできるだろう
    (《歴史・祝祭・神話 犠牲の論理》P.115〜116)


    第二部 革命のアルケオロジー

     「ハタモノ」選び

     レーニンが舞台から去ると、指導部は法規に定められたように「集団指導」の方式に立ちかえることになった。党は、つまり政府は、政治局が多くの場合代行する中央委員会の権力によって指導されることになった。 政治局すなわち上級政治局員のメンバーにはトロツキーももちろん加わっていたが、事実上は、ジノヴィエフカーメネフスターリンからなる三人組(トロイカ)とよびならわされる神聖同盟に分与されるということが了解されるようになった。 この三人は陰謀好きな二流政治家だった。 彼らは反対派に走ったり、あるいはまったく党の外部に追い出されたりし、寝わざしかできない人間ばかりだった
    (《歴史・祝祭・神話 「ハタモノ」選び》P.121)


     ジノヴィエフはこの中でもとくに頼りにならない人間で、レーニンとの関係ではまったく虎の威を借る狐といった立場にあった。 ジノヴィエフは、にもかかわらず、その幾分荒々しいがさわやかな印象を与える風貌と能弁によって、彼がソヴィエト議長を務めた知性の街ペトログラードを中心に煽動政治家として一定の人気を勝ちえていた。 しかし実務の上ではまったく無能な存在で、彼を知る者のあいだでは「無節操で卑怯者」という評判さえ立っていた。 古参ボルシェヴィキであるにもかかわらずカーメネフとともに十月革命の蜂起反対派に廻ったことが、なによりも深い心の傷になっており、この傷に触れる者には生命を賭しても戦う構えをみせていた。
    (《歴史・祝祭・神話 「ハタモノ」選び》P.121)


     一九二三年のはじめ、スターリンは、政治局の会議で、トロツキーにたいする猛烈な攻撃の火ぶたを切った。 スターリンは、巧妙にも、トロツキーが副首相就任を拒否していることを非難した。 「彼が任務に服そうとしないのは、権力に野心があるために、レーニンの補佐役の一人になるくらいでは満足できないからだろうとあてこすった。 ついで、悲観論者、誠意に欠けた人間という非難を浴びせ、敗北主義者だときめつけた」(ドイッチャー、前掲書、一〇一頁)。 彼は、トロツキーがレーニンとの対話において、「やがてカッコーがソビエト共和国の弔鐘をうち鳴らすだろう」といった言葉をトロツキーに当てこすって、おおげさに繰り返して見せたりした。 事情を知る者にはとんでもない誹謗であるということは明らかであるが、政敵にたいし効果的なレッテル貼りをするのが大衆政治の妙味であるとしたら、これはスターリンの計算に軍配が挙るのが当然であろう
    (《歴史・祝祭・神話 「ハタモノ」選び》P.125〜126)


     こういった場面では、機先を制する者が勝つ。 スータリンは敵の長所も弱点も知り尽くしていたのに、トロツキーはなんの研究もしていなかった。 したがって巧妙に計算された攻撃にたいして、後手、後手と廻ることになっていた。 攻撃される者には、そういわれても仕方がない外見があり、攻撃する者は自分の姿を隠している。弁解につとめれば自分の格を落とすと考えてトロツキーは無視するだろうという計算までなされていた。 否定しようがないすれすれのいい廻しがなされている一方では、トロツキーの野心を公衆に印象づけ、他方ではトロツキーに尻ごみさせるトロツキーが大衆に対する自分の外見を気にしていることを知りぬいた攻撃であった。
    (《歴史・祝祭・神話 「ハタモノ」選び》P.126〜127)


     レーニンの後継者になりたい野心があるあてこするのが、トロツキーをなによりも動揺させる方法であるということをスターリンは知り抜いていた。 しかしはっきりと言葉の上でそれを出さないのも巧妙であった。もしはっきりと、トロツキーには野心があると公言した場合に、疑われるのは彼であるということも知って仕掛けた罠であった。 作戦は見事に功を奏し、トロツキーは虚を衝かれて狼狽した。 彼は、しどろもどろの、これまでの彼には考えられなかった冴えのなさで弁解した。トロツキーは完全にスターリンの投げかけた心理的な投網にひっかかって、その呪縛にのせられ、無為無策というディレンマに陥った。 スターリンの攻撃はまったく時宜にかなったものだった。
    (《歴史・祝祭・神話 「ハタモノ」選び》P.127)


     一方レーニンは、スターリンが関係する問題(ラブクリンについて)の批判書を政治局に送った。 トロツキーはその公開を要求しつづけたが政治局は拒否し通した。 トロツキーは中央委員会とこれに関連する諸機関の改組、民主化を要求しつづけた。 これに対して、三頭グループのほうは、トロツキーの反レーニン的傾向なるものをデッチあげ、針小棒大に宣伝することに狂奔した。
    (《歴史・祝祭・神話 「ハタモノ」選び》P.127)


     これにたいして、トロツキーは二月二十三日、中央委員会に宛てて書簡を送り、これ以上彼らが誹謗を続けるならば「こちらがほとんど一度も反撃しないのをいいことにして、〔彼らが〕あまりにも野放図に言いふらしているほのめかしを論破するためには、必要とあれば、そうした事実を全党員の前に暴露する権利を、わたしは保留するものである」(ドイッチャー、前掲書、一〇四頁)と述べた。 これはいかにもトロツキーらしい稚拙なやり方であった。敵が不意をついてきたあとに、彼は攻撃を予告したのである。 彼の目算では四月の第十二回党大会が、その機会であった。 「彼は党内の同志をかばう不文律のうえから、自分がとるかもしれない対抗策を相手に知らせておく義務があると思ったのだった。 おかげで彼は不意をうつ有利さを自分から奪い去り、相手に鉾先をかわす暇を与えたことになった」(ドイッチャー、前掲書、一〇四頁)
    (《歴史・祝祭・神話 「ハタモノ」選び》P.127〜128)


     スターリンの戦略は、まず最初に用心深く、敵の力を探り、試し、抵抗の激しさを計算に入れ、弱点を探し出すところにはじまる。 つぎに彼は前進して試みの一撃を加え、退いてその効果に目を注ぐ。 最後に、その結果を完全に確かめると、殺戮の挙にでる(フィッシャー、向後英一訳『スターリン伝』新潮社、五六頁)。シェイクスピアが典型的なルネッサンス型の政治家として描いた人物像にそのまま重なる。 スターリンのやり口を熟知しているルイス・フィッシャーは、スターリンのなし崩し方策は、彼のもっていた「一種の原始的な用心に由来する」ものであり、それが彼の生まれつきとくに強かった攻撃的性格を表面上は和らげていたとして、外形にこだわらないスターリンについてつぎのように述べる。 「スペイン人にとっては、牛の殺し方がきわめて重要である。 スターリンにとっては形式はどうでもよいのだ。 問題なのは結果であって、外観ではない。 スターリンは挫するくらいなら一時屈する方を選ぶ。 敗戦を招くよりは退却を選ぶ。 自らの力以上のことをやるよりは、自分が弱いという印象をつくり出す。 ……スターリンの目指すところは世の賞賛ではないのである」(フィッシャー、前掲書、五七頁)。 この言葉はスターリンの強さとトロツキーの脆さの原因を見事についている。
    (《歴史・祝祭・神話 「ハタモノ」選び》P.128〜129)


     なぜトロツキーは、ここ一番という時に、跳ぶことができなかったのか。 レーニンが後継者に等しい地位に就くことを依頼した時、なぜ彼はしりごみし、スターリンが彼に鉄槌を下そうとした時、なぜあっさり戦いの場から身を引いてしまったのか身内と戦うことの嫌悪、野心的であるという世評を裏づけたくない謙虚さ、他の新指導者たちが眼中になかった、勝機は本気でやればいつでも握ることができるという楽天的性格、本来の隠者的性格等々さまざまの推測を行うことができる、E・H・エリクソン『青年ルッター』を範として精神分析学の立場から書かれた『革命的パーソナリティー−−レーニン、トロツキ゜、ガンジー』(ニューヨーク、一九六七年、七一頁)中でE・ヴィクター・ウォルフェンシュタインはこの点について興味深い分析を試みている。
    (《歴史・祝祭・神話 「ハタモノ」選び》P.132)


     神話的始原児トロツキー

     二二年頃のトロツキーと時代の微妙なずれについてドイッチャーはつぎのように表現する。
       トロツキーの風采と演説は相変わらず群衆の心をときめかす。……演壇上のトロツキーは体躯も実際よりは大きく見えた。 彼の演説は昔のままの勇壮な語調で鳴り響いた。 だがこの国ももうヒロイズムや、遠大な展望や、高遠な希望や、大げさな身ぶりには飽きていた。……彼の天才的な雄弁はいまだにどのような集りでも聴衆を魅惑した。 だが、その魅惑にはすでに疑問が、疑惑さえもが、まじりこんでいた。 彼の偉大さや革命への功績が疑問視されたわけではないが、あの男はあまりにも芝居がかっていて、派手すぎるし、ことによると野心家でありすぎるのではないか、といったような感じだった。
       彼の芝居がかった身ぶりや誇張した言葉づかいも、そうしたものが時代のドラマと合致していた初期の時代には、異様な感じを与えなかった。 今はそうしたものにどことなく作りもの的な感じがつきまとってきた。
        (ドイッチャー、前掲書、四一頁)
     この観察は貴重で的確である。 というのは、ここでは、トロツキーと時代の間に流れ出した隙間風のいかなるものであったかが、適切な表現でいいあてられているからである。 その流れ出る才ゆえに、トロツキーは常人の世界の風向きの変動に合わせて、これの外見を変えることができなかった。 彼のすべての外形は、過剰の知性と過剰の生で彩られていた。 しかしこの過剰の生は常住の世界に立ちかえろうとする者をいらいらさせずにはおかない。 このいらだちは疑惑に変る。 彼はひょっとするとこの世界に属していないのではないだろうか。ウィリアム・ハズリットが、同時代の大演説家、絢爛たる思想家、修辞家を評して(『同時代の人々』古典文庫、日本評論社)、「世間の大部分の人間は、不必要な光輝をおびているものは何によらず阻止することに関心をはらって来た」という表現を使った。 トロツキーを前にした三頭グループの決意も大部分の古参党員のいらだちも多分このあたりに発していた。 この、ここには属していないという印象は、たやすく、「異邦人」という言葉にすり変えられるはずのものであった。
    (《歴史・祝祭・神話 神話的始原児トロツキー》P.195〜197)


    解説 勇気とオプティミズム   今福龍太

     自らが関わり、参加する空間を、たちどころに祝祭のそれに変貌させてしまう不思議な感化力−−山口昌男はそんな力を持った稀有な存在だった。 かならずしも神秘的な霊力というわけではない。 ただ山口が人懐っこい笑顔を湛えてそこに居るだけで、日常の場であったはずの空間が華やぎはじめ、人々を暗黙のうちに縛っていた規則が解除されてゆく。 演劇的な即興の身振りが人々の身体によみがえり、祝祭の空気が立ちのぼる。 平板な秩序へ回帰しようとする無意識の動きを押しのけるようにして、日常の細部に反乱や反秩序の種子を仕組もうとする遊戯的な機知が頭をもたげてくる。
    (《歴史・祝祭・神話 解説 勇気とオプティミズム》P.249)


     教室はもちろん、都会のシンポジウムやトークの場でも、美術館の片隅でも、古書店の薄暗い棚のはざまでも、そして旅先やフィールドでのささやかな交流のひとときにあっても、それは同じだった。 しかもその祝祭は、たんなるお祭り騒ぎに終わることなく、日常性に対する鋭い批評精神の地平と、破壊や死と裏腹になった現実の深淵に拡がる苛烈な風景とを、あざやかな印象として残していった。 生きることの内に、これほど瞬時に真の祝祭が出現しうることに私たちは驚き、山口がみずからの身体も動員しながら説きつづけた「祝祭」なるものの奥深さに誰もが心捉えられることになったのである。 その意味で、山口昌男のすべての著作と行動は、一つの大きな祝祭の絶えざる挙行に捧げられたのだ、ということは可能であろう。
    (《歴史・祝祭・神話 解説 勇気とオプティミズム》P.249〜250)