[抜書き]『魚影の群れ』


『魚影の群れ』
吉村昭・ちくま文庫
二〇一一年九月十日 第一刷発行
    目次
    海の鼠
    蝸牛

    魚影の群れ
    解説 栗原正哉


    海の鼠

     村は鰯のにおいに満ち、ようやく活気をとりもどした。 そして、段々畑にも一家総出の人の姿がみられるようになった。 春に種芋を植えた甘薯の収穫期がやってきたのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.19)


     その年の生育は例年にもまして順調で、人々は、よく熟した甘薯を掘り上げると俵につめた。 それは、村人たちの主食に供されると同時に、生切干(きりぼし)甘薯としても保存されるのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.19)


     甘薯の一部は、畠の所々ににうがたれた穴の中に貯蔵された。 それは、来年の甘薯栽培のもとになる種芋に使用されるのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.19)


     島とその周辺は、冬にも霜さえおりることのない温暖地であったが、台風の襲来に加えて島に水の乏しいことが耕作物の種類を制限していた。甘薯以外に収穫されるものは、玉蜀黍(とうもろこし)、大豆小豆と人家周辺に栽培される少量の野菜のみであった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.19〜20)


     異変は、麦の種子(たね)蒔きを終えた直後にきざした。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.20)


     或る朝、段々畑をのぼっていった一人の農夫が、畠の表土にかすかな乱れが生じているのを眼にとめた。 かれが指先で土をとりのぞいてみると、蒔かれたばかりの麦の種子が点々と消えていた
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.20)


     黒くうごめいているのは、互いに押し合いながら移動するの大群だった。 海草や貝をあさっているらしくふみとどまっている鼠の一群もあるが、後方からつづく鼠がその一群の体をのりこえて進んでゆく。 その動きには、物に憑(つ)かれたような殺気に似たものが感じられた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.23)


     たしかに付近一帯の島々には、約二十年を一周期に鼠による被害があらわれていた。 古老の口にする言いつたえによると、近くの無人の島になっている黒島と呼ぶ島も鼠の害によって放棄された島であると言い、猫を放したという話も残されている。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.24)


     かれらの住む島でも鼠除(よ)けの念仏が現存しているし、島にぞくする離れ小島にまつわる民話が親から子に語りつたえられている。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.24)


     その小島は、長崎鼻の西方沖合に浮んでいる無人の島で、鼠の害におそれをなした村の先祖が小島を鼠様にささげたという話なのだ。 その民話の影響もあって、村人たちは、離れ小島を鼠島と称して足をふみ入れる者もいない。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.24)


     漁師は、鼠の大群が長崎鼻を磯づたいに西から東にむかって移動していたと証言したが、それは民話の内容と符合するようにも思えた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.24)


     かれらには、鼠の群れにどのように対処してよいのか適当な方策は思いあたらなかった。 鼠に対抗できる器具といえば、村の家々にある金網でつくられた鼠取り器だけで、それも三十個足らずしかない。駆鼠剤(くそざい)のたぐいは全くなく、段々畠の鼠を駆逐する方法は皆無に近かった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.28〜29)


     ようやく畠にたどりついた者たちは、そこがすでに鼠の跳梁(ちょうりょう)している世界であることを知った。 鼠は大小さまざまであったが、成育したものは一様に大きく、しかもその動きは素早い。 そして、鼠の群れは畠の中をあわただしく往き交いながら、口吻(こうふん)を小刻みに動かして麦の穂をあさっていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.29)


     鼠の動きを身をすくめてながめていた農夫は、その齧歯類(げっしるい)の思いもかけぬ頭脳のすぐれた働きをみた。 それは、前日人々を不審がらせた麦の穂の切りとられた現象を解き明かすものであった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.29〜30)


     所々で、鼠は奇異な動作をくり返していた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.30)


     まず鼠は麦の根に立つと、上方に眼をあげて穂のあることを確認するような仕種(しぐさ)をする。 そして、両趾(りょうあし)をひろげて麦の根をはさみこむと、茎をかかえるようにしながら歩いてゆく。 麦の茎は自然と鼠の腹部におされて地に伏し、穂も土の表面におりてくる。 鼠は、茎の上にまたがって進むと、穂に尖った口吻を近づけていった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.30)


     鼠は、所々で茎をかかえこみながら穂のつけ根に鋭い歯を突き立てている。 そして、穂を完全にかみ切ると、片側の趾を茎の外方に出す。 と同時に、茎ははね上って再び直立した。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.30)


     農夫は、体に冷たいものが走るのを意識した。鼠が穂のつけ根をかみ切るまでの動作は、人間の行為そのもののように感じられる。 殊に片側の趾を茎の外方に出す仕種鼠のもとのは思えず、趾と臀部(でんぶ)の動きには、人間の体との激しい類似があった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.30)


     ドブネズミの雌は、妊娠すると二十一日後に十匹近い仔(こ)を生み落し、翌日から早くも交尾に応じて、新たな妊娠期に入る。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.59)


     生れた仔の雄は、二十五日もたつと性行為も可能なまでに成熟し、雌と激しく交尾する。 また仔の雌も五十日後には発情して、雄とからみあう。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.59)


     妊娠率は厳冬期と酷暑の夏には少ないが、原則としてドブネズミは四季をえらばず果てしない交尾をつづける。 その結果、ひとつがいのドブネズミは、一年後に一万匹以上にも達してしまうという。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.59)


     それは、島の者たちの口にする「(わ)」という表現そのままの激しい繁殖だが、その発生原因は、むろん環境その他が影響し、その事情は複雑で、これといった一定の基準はないという。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.59)


     日本では、古来から(ささ)の花が咲き実を結ぶと鼠が異常発生するといわれているが、事実、笹の花の一斉開花によって鼠が急増した例は多い
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.59)


     しかし、発生原因はむろんそれだけではない。地震や台風等の天災が起った後、異常発生する例も多く、些細(ささい)な環境の変化に乗じて鼠は島の住民の表現通り〔湧いてくる〕のだ
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.59)


     鼠の数は多く、常識的に考えれば、撒かれた餌は一個残らず食いつくされても不思議はない。 餌の質を変えれば鼠の食う率はたかまるのだが、初めから毒餌を見向きもしない鼠がかなりいるらしい。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.83)


     動物学者の説によると、鼠の警戒心は殊のほか強いという。 鼠が食うことをためらっているのは、餌そのものの性格にもひそんでいるように思えた。
     「光るからじゃないのか
     若い農夫が、思いついたように言った。
     黄燐製剤の露出した餌から発するかすかな燐光は、夜行性の鼠の眼にもとまるはずだし、鼠の大半はその光をおそれて近づくこともしないのではないかという。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.83)


     その意見に異論をとなえるものはいなかった。 光を最もいとう鼠が、燐光を放つ餌に警戒心をいだくことは当然のことに思えたのだ。
     しかし、燐光を発するのは黄燐製剤の本質的な特徴で、それを防ぐ方法はない
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.83)


     久保は、黄燐製剤に大きな期待をかけすぎていたことを悔いた。すべての点で完全な性格をもつ薬剤があるはずはない。 毒餌の半ばが食われ鼠を毒殺しているだけでも、黄燐製剤は駆鼠剤(くそざい)として十分な効果を発揮していると判断すべきではないか。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.83)


     久保は村長に、黄燐製剤の使用についていたずらに不信感をいだくことはないと説いた。 島の鼠を駆除するという作業は、専門家が指摘したように至難なことで、それをなしとげるには根気以外にない鼠が減少していることは確実で、それだけでも黄燐製剤使用による駆除対策は十分な成果をあげているとはげました。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.83〜84)


     村長は、村の者たちを督励して毒餌作りをつづけさせた。 かれは、その作業を持続することに唯一の精神的な支えを見出していたのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.84)


     幸い毒餌の喫食率は五十パーセント前後を上下するだけで、それ以下に大きく低下することはなかった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.84)


     しかし、毒餌の撒布(さんぷ)は、鼠以外の動物にも犠牲を強いるようになっていた。 餌が良質なものに変えられた頃から犬や猫がそれを食うことも多くなり、それらの屍骸を眼にするようにもなっていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.84)


     また近くの丘陵では、時折(とび)の屍骸も発見された。 毒餌を食った鼠は、山中に死場所をもとめて移動してゆく。 それらの鼠は動きも緩慢で、その鼠に鳶がおそいかかる。むろん鳶は、鼠の体内にある黄燐におかされ絶命するのだ
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.84)


     鳶は鼠の天敵で、それを死にまきこむことは村にとって一種の損失であった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.84)


     六月中旬をすぎた頃、家々の天井に(うじ)がはいまわるようになった。
     初めの頃は天井の板と板との間隙(かんげき)に白いものがうごめく程度で、人々は箒(ほうき)ではらい落したりしていたが、日を追うてその数は急激に増していた。 そして、梅雨があけた頃には、天井一面に蛆が這(は)い、鴨居(かもい)から柱をつたわり列をつくっておりてくるようにもなった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.85)


     蛆は絶えず天井から畳に落ち、それは昼夜の別なく食膳の上にも蚊帳の上にも落ちた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.85)


     村の者たちは辟易(へきえき)し、天井裏を調べた。
     異臭が闇の奥から流れ出ていて、そこに懐中電燈の光を向けてみると、蛆におおわれた白いものがいくつもみえた。 眼をこらしてみると、それはおびただしい鼠の屍骸で、そこから蛆が一斉に湧(わ)いているのがみえた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.85)


     このパチンコ式罠は、村人たちに好評だった。 黄燐製剤のように発火するおそれはなく、を湧かせることもない。 それに死骸を確実に視認できることは、久保や村役場関係者にとって駆鼠効果を把握(はあく)できる上で好都合だった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.90)


     しかし、そのパチンコ式罠にも欠点があらわれはじめた。 罠は段々畠に仕掛けられていたが、首をはさまれて即死している鼠をがねらい、器具ごと持ち去ってしまうのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.90)


     村長たちは、それを防止するため罠を近くの樹木に針金でかたく結びつけ、それによって罠の損耗は減少したが、(からす)は、息絶えた鼠の肉をついばみ器具を血だらけにしてしまう
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.90)


     村人たちは、傷だらけの鼠の死骸を回収して餌を新たにつけるが、警戒心の強い鼠は罠に付着した血におびえて餌に近づくこともなくなった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.90)


     村の者たちは新たな作業が課せられた。 かれらは段々畠から鼠の死骸と罠を集めて運びおろす。 そして、罠にこびりついた血を十分に洗い清め、段々畠に仕掛けにゆかねばならなくなったのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.90)


     村人たちは、その煩わしい作業に顔をしかめていた。 そして、鳶にさらわれることも血に汚されることもない金網式鼠取り器を再び使用すべきだという意見を口にするようになった。 鼠取り器の欠陥は大型の鼠をとらえられぬことだが、それを補うために侵入口を広くしたものを特別に作れば支障はなくなるというのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.90〜91)


     そうした状況にあったので、県庁では対策委員会の要望をそのまま受け入れ、入口のひろい金網式鼠取り器を製作させて島へ大量に送り込み、各戸に二個ずつの鼠取り器を貸与した。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.91)


     しかし、鼠取り器も、鼠の体臭がこびりついたものに鼠のかかる率は低かった。 県公衆衛生研究所の意見によると、鼠をとらえた器具は一回ごとに洗滌(せんじょう)する必要があり、それを怠れば捕獲は望めないという。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.91)


     村人たちは、その指示通り鼠をとらえる度に器具を入念に洗った。 が、水の乏しい村では清水を使うことはできず、人々は磯に出て鼠取り器を海水で洗い清めた
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.91)


     海水は、たちまち鼠取り器を錆(さ)びつかせた。 殊に金網の部分は腐蝕(ふしょく)する速度が早く、一カ月もたたぬ間にその大半が壊れてしまった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.91〜92)


     教授は、天敵を重視すべきだと助言した。
     動物世界では、さまざまな種族の動物が互いに牽制(けんせい)し合うことによって、秩序正しい均衡が維持されている。 鼠の特徴は旺盛な繁殖力だが、それを抑制するものが存在しなければ、地球上は鼠によって占められているはずだ。 が、そうした現象が起らないのは、鼠の繁殖力を利用して生きている動物が存在しているからで、それが鼠の天敵なのだという。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.100〜101)


     天敵が鼠を制圧している地域には、鼠禍の起ることもない。 天敵は、鼠の繁殖を一定限度内にとどめる重要な働きをするが、島にはそれらの動物が棲息している気配はなく、それが鼠の大量発生を許した原因になっていると思われる。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.101)


     鼠の天敵としては、イタチテン(たか)、モズ(ふくろう)、などがあるが、島のようにかぎられた地域にもしもこのような動物を送りこむことができれば鼠は激減するはずだし、世界の鼠発生地域でも、天敵の導入によって絶滅にまで追いこんだ例が数多くあるという。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.101)


     教授の言葉に耳をかたむけていた久保は、あと一カ月ほど前玉蜀黍の被害地をまわっていた折のことを思い起した。
     どの畠の玉蜀黍も一本残らず実を食い荒され茎の倒れているものが多かったが、その中で段々畠の頂に近い畠のみは、玉蜀黍が赤い穂毛をたらし実もゆたかにみのっているのに気づいた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.101)


     久保が不審に思って、畠の草取りをしている老人になぜ被害を受けぬのかと問うと、
     「私の畠には、山守り様がおるんですよ
     と答え、畠の隅に久保を案内した。
     老人の指さす草むらに眼を向けた久保は、一瞬足をすくめた。 そこにはかなり大柄な蛇がとぐろをまいていて、朱色の舌をひらめかせている。 それは二メートル近くもある青大将だった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.102)


     老人は、青大将が畠に棲みついているため鼠は恐れて近づかぬという。麦も甘薯も玉蜀黍も、ほとんど被害を受けることもなく収穫していると言った。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.102)


     教授は、久保の言葉に即座に同意した。
     は、夜も行動するので夜行性の鼠をとらえるのに適しているし、事実蛇は鼠を絶好の食物としている。 それに鼠の巣穴にも巧みに入りこんで、生れたばかりの仔を食うこともできる。 蛇の中では、マムシが最も鼠を食うが、青大将も鼠を食う率はかなり高い。 しかも青大将は無毒なので、人に危害をくわえることもなく導入する天敵としては好適だと言った。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.102〜103)


     しかし、村長は久保の提案に同意しなかった。
     島は一年を通じて青草の耐えぬ無霜地で、蛇の棲息する条件を十分にそなえてはいるが、蛇がほとんど姿をみせないのは、村人たちの蛇に対する激しい嫌悪が原因だという。
     村では、働きざかりの男の大半が漁師として海へ出てゆき、留守をまもる女や老人が段々畠の農耕に従事する。
     背負っていた幼児を日陰で昼寝させたりすることが多いが、かなり以前に蛇が幼女の陰部に入りこみ、引きぬくこともできず幼女を悶死(もんし)させた例があった。その話が現在もつたえられて、村人たちは蛇を忌み嫌い、見つけ次第たたき殺すのが常になっているという。
     「蛇はだめです
     村長は、頭を何度もふった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.103)


     かれは、小型トラックで山間部の小学校へ出発し、翌日鰻(うなぎ)を入れる籠を荷台に多量に積んでもどってきた。 ふたをあけると、十数匹の青大将が籠の口から一斉に鎌首を持ち上げた。
     周囲で見守っていた吏員たちは、悲鳴をあげた。 が、峯村はなれた手つきで蛇の首をもち、次々に用意してあった四個の頑丈な木箱の中に入れていった。
     すべての蛇が箱におさめられると、久保は箱に縄をかけ、そこに駆鼠剤(くそざい)という荷札をつけた。 むろん村人たちにさとられぬための処置だが、もしもそれが蛇であるとわかれば、箱はかれらの手でつぎつぎに海中に投じられてしまうにちがいなかった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.107)


     役場前の死骸の山が、さらに堆くなった。 餌が倍近くまかれたために鼠の死骸の数は前日よりも多く、一万匹近く殺すことができたと推測された。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.119)


     死骸の処理が、新たな課題になった。 土中に埋めることが最も望ましいが、おびただしい鼠の死骸を収容できる穴を掘ることは大きな労力を必要とする。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.119)


     久保は、それを畠に埋めるべきだと主張した。鼠の体には畠地を十分に肥えさせる養分があるはずだし、各戸の者たちが分担して運び上げれば容易に処分できると思えたのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.119)


     しかし、農耕者たちはその案に不賛成だった。 鼠はモノフルオール酢酸ナトリウムで殺されたものであるし、その毒が土中にしみこみさらに耕作物にも影響するおそれがあるというのだ。
     久保は、その意見に反対することもできず、役場の裏手に穴を掘らせて死骸の一部を埋めさせた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.119)


     毒餌の撒布は一日置きにおこなわれ、死骸は増加する一方だった。
     すでに冬の季節をむかえて海をわたってくる風も冷たかったが、山積した鼠の死骸は下積みされた部分から腐敗しはじめていた。 そして、それは日を追うにしたがって速度をはやめ、役場付近には濃い腐臭がよどんだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.119〜120)


     風のある日には、その死臭が村内に満ち、沖からもどってくる漁師たちも湾に近づくと鼻を手拭いでおおうようになった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.120)


     久保は、その処置に困惑し、郡事務所に重油の供与を依頼した。 そして、鼠の死骸に重油をぶちまけ火を点じた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.120)


     黒煙とともに炎が起って、鼠の体からにじみ出た脂肪の焼けるすさまじい音が湧いた。 鼠の死骸は黒色に変じ、その堆積物(たいせきぶつ)は徐々にくずれていった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.120)


     村には、鼠の焼ける異臭黒煙が満ち、それは海上を這(は)うように流れていった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.120)


     鼠の死骸の焼却は三日間にわたっておこなわれ、その残焼物は村はずれに運ばれて土中に埋められた。 村の者たちは、その作業に疲労の色を濃くしていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.120)


     村人の中には、鼠の死骸を船につみこんで海中に投棄すべきだという意見を口にする者もいた。 久保たちも同調したが、それは漁業関係者の強い反対にあってその案は採用されなかった。農耕者肥料とすることに同意しなかったと同じように、漁師たちは鼠の死骸から流れ出る劇薬が海水を汚染し、魚介類に影響をあたえることをおそれたのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.120)


     その主張は当然なので、結局鼠の死骸は、すべて焼却によって処分することに決定した。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.121)


     昭和二十七年の正月を迎えた。
     鼠の繁殖率も低下する季節ではあったが、鼠はたしかにその数を減少させているように感じられた。
     段々畠に麦の芽が出揃(でそろ)いはじめ、農耕者たちは、その収穫に期待をいだくようにもなっていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.121)


     しかし、その猛毒性の薬液は、島の自然環境の均衡を徹底的に破壊しつくしていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.121)


     ばらまかれた毒餌は鳥類の嘴(くちばし)にもついばまれ、村人たちは、至る所で死んだ(とび)、(からす)を発見し、おびただしいの死骸を見出していた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.121)


     鳥類だけではなく、人家に飼われたも歯をむき出しにして冷たくなっていた。 薬液は、多量の鼠を殺したと同時に、島の動物類も犠牲にしていたのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.121)


     島に鳥のさえずりは絶え、犬や猫の姿を眼にすることも皆無になった。 生きているのは、鼠とそして人間のみであった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.121〜122)


     その現象は、県庁を通じて指導官庁である厚生省にもつたえられた。
     厚生省内では、この問題について激しい意見の対立があった。或る者は、島にとって最大の悩みは異常発生した鼠の被害であり、たとえ島の鳥類等が絶滅してもあくまでモノフルオール酢酸ナトリウムによって鼠を根絶にまで追いこむべきだと主張した。 また他の者は、猛毒の薬液を長期間使用することは避けるべきで、他の駆除方法を実施した方がよいと反論した。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.122)


     厚生省から意見をただされた学者たちは、一人残らず後者の意見に同調した。生物学的な自然環境は、多種多様の動物の共存によって、その均衡が巧みにたもたれている。モノフルオール酢酸ナトリウムの使用によって、殊に鳥類が完全に絶滅することは、思わぬ生物の異常繁殖をうながすことにもなる。たとえば蚊、蝿以外に農作物、樹木、草等を蚕食する昆虫(こんちゅう)類などが無際限に増加し、島に植物を絶えさせるおそれすらある。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.122)


     モノフルオール酢酸ナトリウムのようなはげしい毒性をもつ薬品は、短期間使用することはゆるされてもそれを持続することはきわめて危険だと警告した。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.122)


     省内では、これら学者たちの意見を採用しモノフルオール酢酸ナトリウムの使用中止を決定して、その旨を県庁から郡事務所に通達した。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.122〜123)


     郡事務所から指示を受けた久保は、ただちに薬液の使用禁止を村長に伝えた。 村の者たちは、その処置を惜しんだが、鳥影の消えた島の変化に薄気味悪さを感じていたらしくそれに異論をとなえるものはいなかった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.123)


     駆除方法は絶えたが、厚生省からはモノフルオール酢酸ナトリウムの代りにクマリン系殺鼠剤を使用するようにという指示があって、島にその殺鼠剤が送りこまれてきた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.123)


     この薬剤は、鼠の好んで食べる餌に〇・〇二五パーセントのクマリン系毒物が混入していて、使用する場合はダンゴ状に練りかためればよいという便利な殺鼠剤であった。 そして、それを食べた鼠は、血球を徐々に溶かされ、貧血症状を起して衰弱死するという。
     そのような慢性中毒によって鼠を死亡させる性格をもっているので、子供や犬、猫が口に入れても死ぬことはないという安全性もそなえていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.123)


     しかし、最大の短所は、鼠がその餌を一日も休まず数日間連続的に食べなければ効果がないという点にあった。島には食糧が野ざらしになっているし、そのクマリン系殺鼠剤をつづけて食う確率は少なく、島のドブネズミの知能を考えると殺鼠剤を巧みに避けることも予想され、その成果は余り期待できそうにも思えなかった
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.123〜124)


     三月は種芋を苗床にしつらえる季節であったが、村内にはその種芋すら所有する農家もなくなっていた芋を栽培すれば鼠に食い荒されることはわかっていたが、村の者たちは乏しい貯えをはたいて陸地部の農家から種芋を購入し、それを苗床に埋めた
     鼠の群れは、その種芋にも襲いかかった。 が、農夫たちはそれにも屈せず黙々と種芋を埋めかえた。 かれらにとって秋に期待する主な収穫物は甘薯のみで、その植えつけを放棄することは自らを死に追いやることでもあったのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.124〜125)


     常人ならば、すでに土地を放棄して陸地部に生活の資を得る手段をとるだろうが、村人たちは島を去るような気配をしめす者はいない。 かれらは、苛酷な島の生活条件に堪え、鼠の被害にも屈することなく島にしがみついてはなれないのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.125)


     久保は、村人たちの内部にひそむ人間としての本性をみたように思った。人間が土地を支配しているようにみえるが、逆に土地が人間を規制しているのではあるまいか。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.125)


     茸(きのこ)はその生育に合致した土の上にしか生えず、他の土地に移せばその胞子も死滅する。それと同じように村人たちもその風土の上になじみ、他の風土の土地に移動すれば生活に破綻(はたん)をきたすことを知っているのではないだろうか。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.125〜126)


     そのうちに、フィッチの姿は、次第に村人たちの眼にとまらなくなった。野性をとりもどして昼間は身をひそめ、夜の闇の中を走りまわるようになったのかと思われたが、フィッチの死骸が所々に発見されて、その予測も裏切られた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.137〜138)


     島には、古くから鼬科の動物はみられなかったが、島の風土にその肉食獣の棲息に適さない要素がひそんでいるとしか考えられなかった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.138)


     多くの予算を費やしながら鼠駆除の成果があがらぬことに苛立(いらだ)った県庁は、の大群を島に送りこむことを決定した。 そして、その年の秋、県内新聞の協力のもとに仔猫(こねこ)一万匹供出運動を全県下に展開した。 供出謝礼金は一匹について二十円で、各地方事務所に窓口をひらいて受付けた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.138)


     郡事務所の裏庭には猫の啼(な)声がみち、その騒音に執務もさまたげられて、事務所の窓はかたく閉じられた。 久保が集計すると、猫は締切り日までに三六〇〇匹を越えていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.138)


     しかし、そうした県庁や市役所の期待にもかかわらず、その猫も島の鼠を駆逐することはできなかった。
     規格にはずれた大柄の野良猫は鼠をとらえることはできたが、仔猫は、大きな鼠の姿におびえて足をすくませ後退(あとじさ)りをくり返すだけであった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.139)


     それに猫たちは、鼠と闘いその肉を食うことによって飢えをしのぐ必要は全くなかった。 主として山間部から集められた猫には、その嗜好に合う貴重な食物が浜に野ざらしにされていた。たちは安易な方法をえらんで浜に集まると、煮干しを食いあさりはじめたのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.139)


     は、鰯(いわし)を天日に干す昼間に行動することは少なく煮干しの被害も耕作物に比較して軽かったが、煮干し加工業者昼間でも煮干しをねらうになやまされることになった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.139)


     久保のもとには、加工業者からの苦情が殺到した。 が、それも一カ月ほどのことで、猫の間に伝染病が蔓延(まんえん)したらしく、下痢症状を起す猫が続出してその数も急減していった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.139〜140)


     その年の甘薯玉蜀黍大旱魃の影響を受けて収穫は少なく、県庁では救援食糧を島に送りこんだ。 が、その食糧にも鼠がむらがって村の者たちの口に入ったのは半ば近くにすぎなかった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.140)


     しかし、村人たちは、晩秋になると段々畠に麦の種子をまいた。 島の風光は依然として美しかったが、鳥の姿もなく、村には鼠の体からにじみ出る饐(す)えたような匂いがしみついていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.140)


     翌年の夏、島の北方にある御五神(おいつかみ)の十七戸の全世帯の住民が、日振島に移動した。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.140)


     その小さな島には、戦後満州からの引揚者たちが県の保護のもとに開拓民として入植していたが、二年前から大量発生した鼠の群れに耕地を荒され、島をのがれ出たのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.140)


     しかしそうした話も、村の者たちになんの驚きもあたえなかった。 すでに鼠が島に出現してから三カ年が経過していた。 中央官庁や、県庁、郡事務所の努力にもかかわらず、駆除法はすべて鼠を根絶するまでにいたらず、一層繁殖の度は増している。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.140〜141)


     村人たちの顔には、諦(あきら)めの表情がしみつき、鼠を見る眼もなんの感情も浮んではいなかった。 かれらにとって、鼠害は、島を例年のように襲う台風や旱魃(かんばつ)と同質の避けることのできない宿命のようにも感じられていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.141)


     かれらは、鼠と同居している生活にいつの間にかなじみはじめていた。 金網式鼠取り器はあったが、かれらはそれを仕掛けることもやめ、クマリン系殺鼠剤の撒布(さんぷ)も怠りがちであった。 それらの器具や薬剤で百匹や二百匹捕殺し毒殺したところで、島にみちた鼠の群れになんの影響もあたえることはないことを知っていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.141)


     鼠は自由に繁殖をつづけ、その眼をぬすんで村の者たちは漁獲物を金銭にかえ、耕作物を口に入れればよいのだとも思っていた。 御五神島の開拓者たちは、島への移住者であるのだから島を放棄することも自然だが、自分たちには先祖たちがしがみついてきた島を離れることはできないのだと、自ら言いきかせていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.141)


     島にやってくる久保の顔にも、疲労の色が濃くしみついていた。 が、かれの眼には、村人たちの気怠(けだる)い光は淀(よど)んでいなかった。 かれの胸を占めていたのは、自分の無力感に対する苛立ちのみであった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.141)


     かれは、郡事務所の者たちが自分に鼠係長という渾名(あだな)をつけていることを知っていた。 が、かれはそれはそれでよいのだと思っていた。 もしも自分が鼠駆除から手を引いてしまえば、島の者たちは鼠との雑居生活に少しの疑念もいだかず、それを自然の成行きだと諦めきってしまうにちがいない。 そして、国も県も郡も島にみちている鼠に対する関心もうすらいで、やがては駆除も放棄してしまうかも知れない。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.141〜142)


     かれは、鼠係長と陰口をきかれてもあくまで島の鼠駆除に力を注ぎたいと思っていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.142)


     そうしたかれにとって、村人たちの間にひろがっている弛緩(しかん)した空気はやりきれなかった。 島の実生活者であるかれらが相つぐ被害に駆除に対する気力を失ってしまった心情は理解できたが、それはかれらの自滅に通じることを意味するものであると思った。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.142)


     久保は、鼠駆除の空気をふるい立たせるため鼠の尾を一本三円で買い上げる運動に手をつけた。鼠の死骸を持ってくる手数をはぶいて、その尾を切って持ってこさせる手法をとったのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.142)


     久保の計画に強い反応をしめしたのは村の子供たちで、その捕獲法は久保たちの意表をついたものであった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.142)


     かれらは、子供らしい知恵で釣竿(つりざお)を手にして鉤(はり)に餌(えさ)をつけ、石垣の間の巣穴に垂らす。 たちまち竿がしなって、鼠が暴れながら釣り上げられる。 子供たちはそれを棒きれで叩き殺し、小刀で尾部を切り束状にして村役場に持ってくるのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.142〜143)


     栗の毬を巣穴につめるという発想も、突然思いついたわけではない。 或る玉蜀黍畠の近くを通った時、その茎に松葉を袴(はかま)でもはかせたように刺を下方に向けてくくりつけているのを見た。鼠が実をねらって駆け上がるのを防ぐための工夫だが、その畠の玉蜀黍の被害は少なかった。
     専門の学者や研究家は、そのような処置を笑うにちがいない。 が、松葉を茎にくくりつけた畠の持主は、鼠の領分に一歩ふみこんで鼠のいとう方法を自分なりに考案し実行に移している。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.144〜145)


     商事会社からは、試験の結果鼠の皮は横に強靭(きょうじん)だが縦に裂け易く、袋物には使用不能だという返事が来た。 久保は、さらに毛のみを活用できる方法はないかと問うたが、温暖地の小動物の毛は商品価値に乏しいという回答が寄せられ、鼠の毛皮を売る案は挫折(ざせつ)した。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.146)


     学者たちも、駆除方法について思いがけぬ方法を提案してきた。 或る教授は、鼠に避妊薬入りの餌をあたえて繁殖率を低下させるべきだと言い、他の学者は巣穴に毒ガスを注入したらどうかと進言してきた。 が、それらはいずれも実施不可能のことばかりであった。 学者や研究者たちも、疲れきっていたのだ。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.146)


     鼠が島に繁殖してから、七年目を迎えた。
     その秋に実施された記号法による調査で、島に棲息している鼠の数は百二十万匹と判定された。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.146)


     村の者たちは、鼠のことに話題が及ぶと、
     「どうならあ(どうにかなるだろう)
     という言葉を口癖にした。 かれらの根気もつき果てていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.147)


     鼠にかこまれた生活は、かれらにとって変哲もない日常生活に化していた。種芋を苗床に埋めれば、鼠はその畠にむらがる。 村人たちは、他の者が苗床に種芋を埋めるのを待って、自分の苗床の被害をなるべく少なくすることをはかった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.147)


     翌年麦の収穫期が迫った或る夜、村は時ならぬ賑(にぎ)わいにつつまれた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.147)


     村にただ一つある寺の住職が鼠退散の読経を終えると、村人たちの手にした松明(たいまつ)に火が点ぜられた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.147)


     人々は(かね)を叩き、島につたわる供養踊りを舞いながら段々畠にのぼってゆく。松明の火が蛇行しながら進み、傾斜の中腹に達すると篝火(かがりび)が数カ所で焚(た)かれた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.147)


     炎は、海面を渡ってくる潮風になびき、篝火は火の粉を散らす。 その炎に赤々と顔を染めた村の者たちは、鉦を鳴らし声をはり上げて唄い、手足を激しく動かして踊りつづけた
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.147)


     かれらは、火を焚き鉦を鳴らし唄い踊ることによって鼠をおびえさせようとしていた。 半裸になった男たちの踊りの輪に、女も子供も加わった。 かれらは陽気に笑い、おどけたように手足を動かしていたが、それは物悲しい光景でもあった
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.147)


     漁師は、魚群をとりまくように網を海中に入れた。 が、船を接近させたかれの眼が不意に露出した。海面を泡立たせているのは、鰯ではなかった。 鼻先をあげ犇(ひし)めき合うように泳ぐ小動物の群れであった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.153)


     かれは、ドブネズミが泳ぐ能力をもっていることは知っていたが、それは小川を渡る程度のものであると思っていた。 が、鼠の群れは島からも半島部からも遠くはなれた海上を泳いでいる。 小さな趾(あし)を懸命に動かして、鼠の群れは一団となって波のうねりに起伏しながら進んでする。 かれらの頭は、一様に半島部の方向にむけられていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.153)


     漁師たちは顔色を変え、網を怱々に匆々(そうそう)にまとめるとその夜の漁は中止して島へもどってきたという。
     「島の言い伝えに鼠の海渡りという話も残っています。 漁師は本当に鼠が泳ぐのを見たのです
     村長の声は、うわずっていた。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.153)


     久保には、信じがたい話だった。 漁師は幻影を見たのではないかとも思った。 しかし、島に鼠が減少し半島部に鼠の大量発生がみられるという現象は、その漁師の言葉が事実なら簡単に説明がつく。 つまり食糧の乏しくなった鼠が、島から海を渡って半島部に集団移動しているのだ
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.153〜154)


     人間の力は、遂に鼠の群れになんの影響もあたえはしなかった。 むしろ久保たちの行為は島の鳥類を絶滅させ、多くの鼬(いたち)、猫、犬を殺してしまっただけだった。 そして、その間鼠は、村人たちの食糧をむさぼり食い交尾し妊娠して無数の仔をまき散らしていった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.156)


     かれは、鼠課長という言葉を耳にするたびに、物悲しい無力感におそわれた。 そして、鼠すら見捨てた島にしがみついて生きつづける村の者たちの生活を思い起した。かれらは強靭な人間たちなのか、それとも土地を離れることのできぬ無器用な人たちなのか、かれにはいずれともわからなかった。
    (《魚影の群れ 海の鼠》P.156)


    蝸(かたつむり)牛

     その席に集まった者たちは、飼育されているという蝸牛が例のやつではないだろうかと推測する点で一致していた。 例のやつとは、巨大な体をしたアフリカマイマイ、別名ジャイアント・マイマイという蝸牛だった。
    (《魚影の群れ 蝸牛》P.159)


     その握り拳(こぶし)よりも大きい黒色の殻をもつ蝸牛はアフリカを原産地とし、隊商のラクダの趾(あし)などに付着した卵によって、数世紀をついやしてインドからさらに東南アジアへと伝わった。 さらにそれらが太平洋諸地域に急速にひろがったのは、第二次世界大戦によるもので、日本軍戦車の移動とともに、そのキャタピラに食いこんだ卵が各島々にばらまかれたのだ。
    (《魚影の群れ 蝸牛》P.159)


     アフリカマイマイは、驚くような悪食をしめす蝸牛だった。 アフリカマイマイが密林の中を群れをなして進むと、樹林は裸になり昆虫(こんちゅう)も絶える。 戦時中日本兵の死体もそれらの好餌(こうじ)となり、蝸牛同士の共食いもさかんだった。むろん耕作地は、全滅の憂目にあった
    (《魚影の群れ 蝸牛》P.259)


     「会員制じゃ市場に出廻っているかどうかつかめなかったわけだ。 どうだ、どうせ出て来たついでだから、会員の家をまわって念のためたしかめてみよう
     と、課長が言った。
     車は、橋を渡り繁華な町をぬけ、幾つかの坂を登りおりした。 そして、閑静な住宅街に入ると、鉄の門扉(もんぴ)をかまえた洋風作りの邸(やしき)の前でとまった。
     玄関のブザーを押すと、五十歳ぐらいの年齢の女が出てきた。
     課長が名刺をさし出し来意を告げると、女の顔に一瞬困惑の色がうかんだ。 が、妙に取り澄ました表情になると、
     「そんなものは見たこともありません
     と、言った。
    (《魚影の群れ 蝸牛》P.186)


    魚影の群れ

     津軽海峡には、太平洋の三陸沿岸を北上してくる黒潮暖流と、日本海を流れてくる対馬(つしま)海流が流れこんでくる。 その二つの暖流に乗って、マグロの群れが姿を現わす。
    (《魚影の群れ 魚影の群れ》P.265)


     二方向からやってくるマグロの種類は同じで、本マグロが主になっているが、その年によってビンチョウカジキなどのマグロがやってくることもあった。
    (《魚影の群れ 魚影の群れ》P.265)


     漁場は、下北半島の突端にある房次郎たちの村の前面にひろがる海面で、明治末年頃から村の漁師は延縄(はえなわ)漁業でマグロをとった
    (《魚影の群れ 魚影の群れ》P.265)


     大型の帆かけ船に十数名の漁師が乗りこみ、一年の半ばはマグロ漁に専念していたが、昭和に入ってから船も小型になって、漁師が単独で一本釣りをするようになっている。 それは、村特有の漁法で、漁師たちに多くの恩恵をあたえていた。
    (《魚影の群れ 魚影の群れ》P.265)


     かれの水揚げ量は、その年も漁が開始されてから他の猟師のそれを上廻る成績をしるしたが、かれは前年よりも体の疲労がはげしくなっているのに気づいていた。
    (《魚影の群れ 魚影の群れ》P.265)


     「俊一さんも真剣なのよ。 熱意を買って教えてやって、ね
     登喜子は、すがりつくような眼をして言った。
     房次郎は、呆(あき)れたように登喜子の顔を見つめ、俊一の強引さに腹が立った。 俊一の行為には、すべて自分の思う通りになるという不遜(ふそん)な考え方がひそんでいる。 かれは、登喜子と結婚するために勤め先をやめ、房次郎から漁を教えてもらう目的で村に移り住んできた。 それは健気(けなげ)な行為だとも言えるが、房次郎の意向を無視したもので、そのまま容認する気にはなれなかった。
    (《魚影の群れ 魚影の群れ》P.268)


     房次郎は、他人の言葉をきき入れることは皆無で、それは妻に対しても同様であった。 自分の言葉に妻が少しでも反発すれば、かれは妻に黙ったまま物を投げつけた。 感情の激するのを抑えつけることができず、漁からもどってきた折に妻が近くに外出していて留守にしていると、かれは十日も二十日も不機嫌そうに口をつぐみつづけていた。
    (《魚影の群れ 魚影の群れ》P.270)


     かれは、早朝に家を出ると、夕方まで海の上で一人で過す。 その孤独感をいやすために家へもどってくるのだが、待ってくれているはずの妻の姿がないと、かれは激しく苛立つ。 つまりそれは妻に対する強い愛情によるものだったが、妻には理解しがたい冷酷さに感じられたのだ。
    (《魚影の群れ 魚影の群れ》P.270)