恵比壽塵報(略称/恵比塵☆YEBIJIN)
YEBIsu_Journal Ironical News columns : Japan Intelligence Network
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[08/12/24]
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■[恵比壽塵報]40号:ブラキストン線(その2)
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 ブラキストンを考えていたら、福島民友の記事が飛び込んできた。

 吉田一穂氏を「ブラキストン線の向こう側の詩人」と名づけたセイゴオ氏流 になぞらえるならば、「ブラキストン線を越えた会津人の歴史」の話である。

 昭和女子大人間文化学部講師である遠藤由紀子博士の著作による「近代開拓 村と神社」という本が出版されたとの記事が福島民友新聞に掲載された。同女 子女史が郡山市出身という事も掲載理由の一つであろうが、その内容というのは、 斗南藩から北海道へ渡った会津藩士がどのようにして誇りを無くすことなく生 活していったかについて調査したものである。拠りどころとしての名君藩主保 科正之を祀る土津神社の分霊について調べることにより、新天地に渡った人た ちの帰属意識の変遷を論じた。(抄録責:恵比塵)

 という内容である。「土津」は確信がないが「ハニツ」とと読むようである。
 記事全文は引用せず、URLだけ記しておく。
 ■遠藤さんが論文出版 会津藩士と土津神社分霊研究
 http://www.minyu−net.com/news/topic/1224/topic1.html

 遠藤さんの写真付記事である、西川センセー(出たがり女医)似の美形でも ある。いや、そのことは同女史の功績と新聞発表とは関係が無い、と信じたい。

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 北海道には固有の歴史文化財が無いとお嘆きの諸兄もいらっしゃるが、昨年 (07年)7月20日に北海道栗山町ご出身の方から明治初期の北海道の地図 資料をいただきました。『明治4年8月まで統治させた開拓使 省・藩・士族・ 寺院などの支配地』というものでした。(左の画像ですが、おそらく遠藤さんは ご自分の研究資料としてとうの昔に入手されていらっしゃると思う。)

 これを見て筆者は、北海道の開拓使(屯田兵)と会津の関わりについて、い きなり了解してしまったものでした。それは、星亮一氏の『奥羽越列藩同盟』 という本を読んでいたからでした。

 こんなメールを差し上げた。
     以下の記述は、『奥羽越列藩同盟』(星亮一・中公新書)からの 引用です。ITさんのお友達にも、是非ともこの本をお勧め下さい。 星亮一氏は、戊辰戦争にこだわりつづける作家(研究者)です。

     ・・略・・

    >>「明治4年8月まで統治させた開拓使 省・藩・士族・寺院などの・・
    >> この地図面白いと思いませんか?

     開拓使のマーク位置に当てはまる地名は、以下の会津人の開拓使 の行動と殆ど重なります。

    ■会津藩首席家老梶原平馬の妻は、日本で初の女性校長となった。

     妻貞の事跡について、平成五年に『私立根室女子小学校長水野貞 事跡』と題する川上淳、本田克代氏の論文が『根室市博物館開設準 備紀要』第七号に掲載された。
     水野は貞の旧姓で、研究論文によると、根室以前は函館の相生町 に住んでおり、この近辺には雑賀孫六郎ら旧会津藩関係者が多くい たという。(P.199)
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     根室には、ごくわずかの会津人しかいなかったが、余市には多く の会津人が移住していた。
     これは下北移住以前に、北海道開拓の先兵として送り込まれた人 々であった。
     会津人川俣兵司の『炉辺夜話』(余市市農業発達史)に会津人の 暮らしが綴られている。[以下に原文](P.200-201)
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     余市に入植するまでの間、北海道開拓使の方針が二転三転し、そ の間、生活費を稼ぐために日雇稼業の日々が続いた。当時のことが 東藤太の談話として『小樽市史』に収録されている。[以下に原文] (P.202)
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     こうして余市に定住するが、当時の余市周辺はアイヌの人々の住 家がぽつぽつある程度で、ほとんどが無人の荒野であり、開墾は難 渋を極めた。[以下に原文](P.203)
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     明治三年以降は下北半島の斗南藩領から瀬棚(せたな)、太魯 (ふとろ)方面に移住した会津人もいた。現在の瀬棚町や北檜山町 である。そこに会津町を作ったが、「会津町は土地卑湿(ひしつ) 起伏凹凸甚だしく、北方は石礫(せきれき)の河原にして、降雨毎 に馬場川は氾濫し、明治十二年、三年頃迄は間々小舟を以って往来 して出没徘徊し、寂寞の状、言語に絶せり」(『瀬棚町史』)とい った有様で、多くの人が空しく辺境の露と消えていった。(P.204)
 ここまで。

 これらのいきさつとの出会いは、全くの偶然が差配した。が、クリスマスイ ブの日に、三つのことごとが、フォーカスされて、そして、収束したのである。

 松岡正剛氏の有名なフレーズに、「遊星的郷愁」という言葉がある。ついつ い長くなってしまうので「その1」では強引なまとめをして、記憶の彷徨は十 年ほどのサイクルであらはれることを書いた。遊星とは惑星のことである。ひ とつひとつは規則正しく円運動をしているのだが、その遊星に乗っている位置 や角度によって、遭遇しては遠ざかるモノは各自それぞれである。これらを象 徴する言葉として複雑系という言葉もありであろう。一度出会ったかもしれな いモノにふとした拍子で、再会するのである。一度であったとは自分が出会っ たモノではないかもしれない。
 ただ、そこにあるモノがたちあらはれるのである。ムツカシクいうと、垂迹 (すいじゃく)とか和光同塵(ワクヮウドウヂン)というのだろう。モノがあ るコトに気付く。いや、逆かもしれない。「気」が付くからあらはれてみえる。 それは同時かも知れない。

 「気」があらはれる(顕はれる)と、「心」があらはれる(洗はれる)ので ある。

 メリークリスマス! メリー・クリスマス!

公開時一部伏字と、本文文章を若干改竄しました。
■掲載図表について。
  下記ページを紹介される方からいただいき、縮小加工して掲載しました。
  東京理科大生越教授のブログと北海道歴史探検関係
   http://ogose.air−nifty.com/blog/2007/04/post_460a.html
   http://www.namara−hokkaido.net/guide/rekitan/entry.php?id=201
  お礼を申し上げます。

09/04/11誤字訂正
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一部に苦味の混じる表現がありますがそれは風味です。毒ではありませんので、そのままご賞味下さい(笑)