恵比壽塵報(略称/恵比塵☆YEBIJIN)
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[08/12/26]
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■[恵比壽塵報]42号:追悼「会津士魂」早乙女貢さん
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 ブラキストン線から繋がって、北海道と会津との関わりなどを考えていたの はここ数日のことである。嬉しいつながりもあれば悲しいつながりもある。
 昨日(25日)のニュースによると、早乙女貢氏の訃報である。23日に死 去されたという。会津に関わる人々にとってはまさに「巨星」であった小説家 です。
 以下は各紙の中から、読売新聞の記事を主とした抄録(ほぼ引写し)です。

     会津藩の立場から幕末を見た小説「会津士魂」などで知られる 歴史小説作家の早乙女貢(さおとめ・みつぐ)さんが23日午前 2時53分、死去。享年82歳。
     旧満州(ハルピン)生まれ。戦後、21歳で日本に引き揚げ、 慶応大中退、山本周五郎の知遇を得て本格的に小説を書き始める。 1969年、「僑人の檻(おり)」で直木賞。
     曽祖父が戊辰戦争で敗れた会津藩士だったことから、敗者の視 点から幕末を描くことをライフワークとし、会津・鶴ヶ城落城ま でを記した「会津士魂」13巻と、明治維新後に青森・下北半島 へ移住させられた会津の人々を描く「続会津士魂」8巻の計21 巻を70年から31年かけて執筆、その分量は原稿用紙1万10 00枚にもなった。「会津士魂」で89年、吉川英治文学賞。
    (主に読売新聞より)
 「会津士魂」を読みつづけていたのは、10年ほど前のことであった。直接 の記録には無いがその頃に荒川氏が来訪して懇談した。同氏は関西方面の出身 者であるが、筆者が会津出身者と知って、その時に「会津士魂」を読んでいる という話題が出たことを覚えている。日録を遡ると1999年3月8日に荒川 氏の来訪記録があることにより10年ほど前だろうと知れるのである。
 その後、「続 会津士魂一」は03年11月23日に読了して、「続 会津 士魂八」は05年7月4日に読了、「続」だけでも1年半以上掛かって読み終 えたことになる。
 日録に残っている、読書感想メモと奥会津のサイトに掲載した文章を再掲し て、追悼の意としておきます。またいつか読む日のために、、、

■きまぐれりれき2004年10月 
 http://www.kkjin.co.jp/boso0100410.htm  2004/10/20
     「続 会津士魂 五」早乙女貢・集英社文庫 4-08-747501-8 (4093)
     斗南(トナミ)藩として移封された後の出来事。副題は「開牧に 賭ける」。広沢安任(ヒロサワヤストウ)が困難な牧畜経営に立ち 向かう話と山川兄弟、柴五郎の苦難の時代の話。解説(高橋千劔破 (チハヤ)氏)によると、この巻ではフィクションとしての物語は 入っていないとのことである。
■昭和村のあいうえお 
 http://www.asahi−net.or.jp/ ̄KD5J−IGRS/showa_aiueo/index.htm
 http://www.asahi−net.or.jp/ ̄KD5J−IGRS/showa_aiueo/index.htm#ki_01

     「続 会津士魂 一」
     「西軍は大芦、両原、喰丸の村々に集まり、大芦を本営にする と見受けられます」との記述がある。
    戊辰戦争の碑が残っているのは見たことがあった。
    (大芦、両原、喰丸とは、現昭和村内の集落名)

     「続 会津士魂 七」
     丹羽五郎の段で、
      このとき、実父の族(やから)は野尻(のじり)代官所に あって兵粮(ひょうろう)調達に奔走していたから、・・ ・・敗色の濃い藩の要請に対して、農民は供出を拒んだ。
       戦線の将兵の兵粮確保は、絶対的なものである。丹羽族 は、一命に代えても、調達せねばならぬという使命感のた め、遺書をしたためて、割腹自殺したのだ。
      (P.103)
     とある。野尻というのは昭和村が合併する前の大芦村と野尻村の 野尻のことである。読んだ記憶があったので「乱雲 戊辰の晩秋」 (馬場勇吾編著)を調べてみるとあった。「代官−丹羽族(にわや から)」として章がさかれてあり、ほぼ同じ内容がより詳細に記述 されている。
      それは、河井継之助が只見につく日の朝早くのことである。 時を移さず、村々の代表は時の危機を説き、丹羽の自刃を 伝えた。領民たちは心を打たれ、家を空にして協力した。
      (「乱雲 戊辰の晩秋」P.113)
    ともある。また、その遺書までが古文書として残っているという。
    「乱雲 戊辰の晩秋」にはその遺書も記載してある。「会津士魂」 は、主人公である鮎川兵馬以外の登場人物は殆ど史実に則っている と思われる所以。

     『乱雲 戊辰の晩秋』馬場勇吾編著/昭和村教育委員会
     帰省の時に『からむし工芸博物館』で購入した本。
    村のどこかで戊辰の戦場になったところがあるというのは知って いたがこれほど詳しい資料が残っているとは知らなかった。

 ・・・合掌・・・

文中にある書籍『乱雲 戊辰の晩秋』は、からむし織の里 織姫交流館で購入(通販) 出来ます。
■からむし織の里 織姫交流館(http://www.vill.showa.fukushima.jp/orihime.stm)
■からむし織の里 通販ページ(http://www.vill.showa.fukushima.jp/tsuhan10.stm)

・ お ・ た ・ よ ・ り ・

(鎌倉支局・わ 08/12/30)
    穏やかな年の暮です。
    きのうは鎌倉の報国寺へ墓参り、そのあと材木座の旧知の漁師、源平衛丸に寄 り、頼んでおいた地蛸を仕入れてきました。
    正月はハゼの甘露煮とタコで飲みながら、大学ラグビーをTVで観戦・・・ウ ヒヒヒ・・・です。

    北海道には柿、そして竹もない(熊笹はあります。これが無いと鮭を捕って歩 く、まぬけなヒグマの絵が成り立ちません)のですが、ブラキストン線のこと は知りませんでした。勉強になりました。

    ブラキストン線のことはあまり知らなかったのですが、ヨコスカ線のことは、 おまかせください。
    横須賀線といえば、鎌倉・・・長谷の大仏の近くに住んでいた、早乙女貢さん の訃報、残念です。
    会津士魂は読んでませんが、あの風貌がよかった・・・いつも着流しで鎌倉の 街を歩いていたそうです。
    一時、途絶えていた、鎌倉ペンクラブの会長もつとめていました。

    年が明けたら、イッッペエヤルベーヨ(かまくらの漁師言葉)。
    よい年をお迎えください。
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一部に苦味の混じる表現がありますがそれは風味です。毒ではありませんので、そのままご賞味下さい(笑)