恵比壽塵報(略称/恵比塵☆YEBIJIN)
YEBIsu Journal Ironical News columns : Japan Intelligence Network
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[10/10/07]
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■[恵比壽塵報]106号:熊との遭遇
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 熊との遭遇

 「ホー、ホッホー」

 K氏の声である。

 道の脇から森の中に分け入る途中で、奇声を発した。
 両手をメガホン代わりにして、「ホー、ホッホー」と遠くに向けて何度か発 声するのである。わたしには、文字で表現すると「ホー、ホッホー」と聞こえ たが、「ッフォー、フォッフォー」と書いた方が近いかも知れない。

 K氏が数十年にわたって定点観察をしている大きなブナの木のある森である。 ここには、熊が生息していることが分っている。その為に、熊を驚かさないよ うに、あらかじめ「森に入るよー」と熊に知らせているのである。

 わたし(筆者)は、この森に三度ほど分けいっている。と書けば聞こえは良 いが、実は、同氏が分けいる後ろから、のこのこと付いて行ったのである。

 最初に同行させていただいたのは09年9月でした。このときは2人だけで ある。森の中の旧道の脇にある岩座(いわくら)のそばで「これが熊の糞の跡 です」と説明された。木の葉にうずもれた地面に跡があるのである。が、みる と少し枯葉以外のモノがあるような気はするが、良く分らなかった。夏場の森 は木の葉と背丈ほどもある笹藪や低木の葉で見通しが効かない。わたしは、落 下するどんぐりが笹の葉や地面の枯葉にに当たる「ガサッ」という音だけでビ クビクしてしまった。

 2度目は、今年の5月、このときには3名。残雪の残る森を固雪渡り(かた ゆきわたり)をしながら、もう少し森の奥のとなりの沢が見える場所まで足を 延ばした。木々は葉を落として、夏の間の繁茂した藪も雪に埋まっているので、 見晴らしが良いのである。雪上に少し土が着いた形で足跡がある。熊の足跡で ある。

ブナの森の見晴らしと、熊の足跡
 足跡の大きさでどれくらいの熊か(親熊か子熊か、はたまた親子連れか)が 判別でき、雪のぬかり具合と解け具合で通行した時間帯(昼か夜か、はたまた 何時間(日)前か)が判別でき、足跡の間隔(や凹み具合など)でゆっくりと 巡回歩行をしていたのか、何かを追って(追いかけられて)走行していたのか などが分る。また足跡の土の着き具合で、いずこより来たりていずこへ向かお うとしていたのかも分るのである。いや、わたしが解かるのではない。山人 (やもうど)なら解かるのである。

 3度目は、今年の7月、4名で。K氏が昭和村に来たある客人に村内の地勢 の紹介と歴史的遺跡(痕跡)とをフィールドワークするということを前日にお 聞きして連れて行ってもらった。そのブナの巨木のある森が、紹介コースに入 っていたのである。

 そして3度の森行きでは、熊は遠目にも実物を見ることはなかった。勿論、 ♪ある日、森の中、クマさんに、出会った。などということもなかった。

 『見えないけれど いるんだよ』
 この森では、クマの気配、痕跡だけ嗅いだ。
 どこかでじっと闖入者が立ち去るのを待っていてくれるのかもしれない。
 「ホー、ホッホー」

    ・ ・ ・ ・

 今年は、長雨と猛暑の影響(と森の樹木の周期があるかもしれない)で、奥 会津でも植物は散々である。長年続けてきたいつものサイクルのリズムが取れ ないのである。その結果、カスミ草などの花々は2週間遅れて咲いて、開花の 最盛期間は1ヶ月も早く終了しそうだという。天候は9月22日までが真夏と なり、9月23日からはいきなり晩秋となってしまった。

 キノコたちは、20日頃迄は気配も見せなかったのに、22日の雨で急に冬 の準備をはじめた。キノコにとって平和な季節は粘菌状のままで、朽ちた木の 中や枯葉の腐植土の中で、アメーバ状にになってのうのうと暮らすのである。 そのキノコ(いや、キノコにはなっていない粘菌類)たちが、冬の準備を始め るのである。粘菌類の冬の準備とは、次世代となる生物の旅立ちの季節である。 旅立ちの季節とは、粘菌類が何らかの危機感を感じて、雷や大雨がトリガとな ってキノコ状に変成して、結果として傘の裏に胞子体を生成して、風に運ばれ たり、動植物に付着して新天地にたどり着き、再び粘菌となって次の季節まで、 半地下系で過すのである。

 山の木の実はどうなのだろうか。天候不順で豊作となる木の実はあるのだろ うか。今年(去年も)は、村内の集落内にも熊が出没しているという。

 佐藤泉ちゃんは、
 || お父さん
 || 『熊』が危ないから、
 || 今日の散歩は中止して
 || 下さい。
 || お分かり?あなたが死んだら、店は、、
 この画像は、ブログ大芦家より転載しました。

 とメモを残して中学校に行った。
 父親の心配もさることながら、父親の現在の一番大事なもの(新しく開店す る店)のことを引き合いにして気づかうのである。

 9月23日から、奥会津に来ていた。
 25日には大芦で開店準備中の「ファーマーズカフェ大芦家」でお昼でも、 とおよばれとなった。佐藤孝雄君がK氏とわたしを招待してくれたのだ。2人 を一緒に招待してくれたのは、わたし(筆者)はクルマの運転をしないからで ある。足がない。K氏が時間を見計らって、廻ってくれるのである。前日に携 帯にメールが入った。『11時頃に着予定、晴れたらフィールドワークも予定』 とある。
 25日は晴れた晴れとはいえない雨が降るかもしれない曇り空だった。『11時頃にまいります、長靴と傘を用意』とある。 道路から外れた場所をフィールドワークするのだ。

 車中では、途中の山の話や、地形と地名の話などを聞きながら、田島町から 長沼勢が侵攻して来て焼き打ちにされた時代の集落の話などを、お聞きする。 この話は、09年9月に博士山の森で聞いた伊達軍の奥会津侵攻の話しや、今 年の7月に折橋のそばのまわりの山(館跡?)の景観の話にもきちんとつなが っている話なのである。単なる歴史文書に残っている記録だけではなく、その 記録と現在も残る地形と地名のいわれ、そしてある集落では歳の神の祭りを取 りやめた話にまでも。

 木地師の跡

 そして、村の大先輩が調査した、「木地師の墓跡」にも分け入った。記憶の 森をあるいたのである。まさに、藪を分け入るのである。「これは漆の木、触 るとかぶれるので注意」。安易に入り込むと森の中には熊以外にも危険なモノ は沢山あります。

 Uターンして、その集落に戻る。橋をわたって大芦へと通ずる峠道がある。 その峠にさしかかる手前に、その集落の愛宕山があり愛宕神社の祠が残ってい るというのです。奥会津のこの村の国道400号沿いには7つの集落があり、 それらの各々の集落に「愛宕山」があるらしいのである。そして、これから出 かける「大芦家」は大芦の中心にある山、やはり愛宕山の中腹にある大山祇神 社の参道(石段)の真下にあるのである。

 すこし、先走ってしまった。が、大芦へと通ずる峠道のそばに高台となった 小山がある。やはり石段の参道がある。前回、大芦の大山祇神社の石段は63 段だということを知った。実際に石段を上ったのであるが、63段というのは 自分で数えたのではなく、教育委員会の案内板にそのことが書かれていたので 知ったのであるが。

 そこで、今度は石段を数えてみた。ところが微妙な道の傾斜から正式?な石 段の始まりがわからないのである。まさか大芦の大山祇神社の石段の数と一致 するなどということはないだろうが、それらしいところから数えていったら、 70段を越えて74段くらいだった。曖昧なのは、しかたがない、戻りにもう 一度数えればよいのである。


 その山頂には、石碑が数個と後から建てたらしい祠があった。K氏は四方を 見渡し、この地は低いが確かに頂(いただ)きの地となっている。違う言い方 だったかもしれないが、どういうことかというと、つまり、連続した地形(不 定曲面)の高度では、この地が最高地となるのである。ま、簡単にいうと、凸 面状地形ということです。
 石碑(石灯篭とか石の祠状)は苔むして、長年の風雪の摩擦で磨耗している。 石碑の文字を見慣れている同氏は、「村中、、」「羽染、、」「、、年」とそ れらの文字を読んでいく。それを聞きながら見ると、確かにそのように読める。

 祠の中には、奉納幡(近所の方が人生の節目などに祈願した幡)が並べられ、 白っぽい石像が2体、赤を主とした布の着物で飾られていた。
 「これが、オシラサマというものですか?」
 「いや、愛宕様なのでオシラサマではありません」

 そして、祠の裏側に廻って、なだらかな斜面から、まわりの山々などの位置 関係を確かめていらっしゃったのだ。

 と、突然、「わ、熊だ!」
 一瞬、何事かと思った。すると、カラマツ林の藪の中を黒い大きな生物が、のその そのそと、遠方に歩いていく後ろ姿を見たのである。
 わたしは、後ずさりしながら慌ててシャッターを切った。しかし、後で確認 してみると、熊は写っていなかった。カラマツ林と藪の風景写真であった。

熊がそこを!

 2人して、早々にその場所は、離れた。
 K氏は、先ほどは、わたしに向かっての警告で大きな声を出したが、いたって冷静である。
 「大人の熊です。親子連れだったら、向かってきたかもしれません。」
 と聞いてから、後で怖くなった。

 熊はもう何度も見ているK氏でさえも、「こんなに近くで見たのは初めてで す」という。わたしは、近くでも遠くでもどちらでも、檻に囲まれていない環 境で生きた熊を見たのは生まれて初めてである。
 「5mほどの至近距離、熊が先に気付いてくれたので、事なきを得た」とい ったことが、当日のTwitterと後日のブログに掲載されていた。

 この場所は、集落のすぐそばである。まさかという安心感もあったので警戒 しなかったのかもしれない。また、博士山の森の入口ではするように「ホー、 ホッホー」と声は出さないで入った。儀式ともいえる発声をしなかったのは、 ご近所の方々がその声を聞いたら、「何事か?!」とびっくりされることを慮 (おもんぱか)ったのかもしれません。

 わたしは、
 「戻りにもう一度数えればよい」
 と思っていた石段の数を数えるのを、忘れてしまっていた。


写真掲載につき、先行公開です。

【参考・掲載画像元サイト、資料など】

奥会津昭和館/2009年秋の入口『四里四方散歩』

ブログ別冊恵比塵
  5月2日、博士山散策(2010/05月)
  大芦家『雪の墓標』上映会へ(2010/07月)
  スタディツアー(2010/07月)
  9月25日スタディツアー(私設)(2010/09月)
  9月25日両原(2010/09月)
  9月25日両原フィールドワーク(2010/09月)

第4回スタディツアー配布資料(紙媒体:菅家博昭氏製作)

『木地師の跡を尋ねて』馬場勇吾編著/昭和村教育委員会
 「木地師の跡を尋ねて 山中の墓に手を合せ乍ら」
 一千年も昔の事、近江の国小椋谷で発祥した木地師は、君ヶ 畑高松御所と蛭谷筒井公文所の氏子として「氏子狩」または 「氏子駈」という帳面に連綿と記録に残されてきた。
 木地師は、原木の関係で、同じ処に二十年とか五十年とか住 んでいて、原木が尽きれば次の土地へ引越して行く、という宿 命的な職業を約一〇〇〇年の歴史として持っている。
 連綿とながれ続け奥会津にも移住してきたその木地師の住ん だ跡は今は殆どは墓として諸処に残っている。発祥の地の滋賀 県永源寺町への調査訪問のルポルタージュからたどり古文書と 伝説をたよりにその場所を探して、昭和村に残っている11ヶ 所の地区の全てのお墓の写真と墓碑銘の克明な記録。
《奥会津昭和館/昭和村のあいうえお》より。


・ お ・ ま ・ け ・

(熊との遭遇、迫真の手書き記録)

    左は遭遇当日に描いた説明用メモ。右は後日に来客に説明したホワイトボード。


【改訂】
10/10/08 25日の天候誤認。
10/10/08 参考サイトリンクミス訂正。
10/10/26 杉→カラマツ。変更。
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