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 農業全書 001  最新版へ
  目次  





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002 第二期分




会津農書
青苧(あおそ)の座
越瓜(あさうり)
朝顔
小薊(あざみ)
アスパラガス
圧条(あつじょう)
家鴨(あひる)
油菜(あぶらな)
茴香(ういきやう)
菘(うきな)
獨活(うど)
梅(ウメ/むめ)1
(ウメ/むめ)2、3
うるかす
漆液の採集
漆の木の栽培
漆の樹液の仕組
漆の木の増殖
うるしの話
白蘇(ゑこ)
荏胡麻(えごま)
豌豆(えんどう)
えんぶり棒
園籬(ゑんり)作法
オクラ
オリンダ



貝原益軒(かいばら)
カクマ
かくれみの
頭芋(かしらいも)
カノ
蕪菁(かぶらな)
カボチャ
榧(かや)
芥(からし)1
芥(からし)2
紵(からむし)
王蒭(かりやす)
水苦●(カワヂサ)
棺槨(かんかく)
乾薑(かんきやう)
甘蔗(かんしゃ)
きのこ
キュウリ
黄瓜(きうり)1
黄瓜(きうり)2
キンポウゲ
銀杏(ギンナン)
くさびら
栗(くり)
烏芋(クロクワイ)
荊芥(けいがい)
罌粟(けし)
牽牛子(けんごし)
檢約
権輿(けんよ)
紅花(こうくわ)
香○(コウジュ)
洪範(こうはん)
●蒿(こうらいぎく)
コキア
コキバシ
こぎ箸
コゴミ
胡●(こずい)
古代布
コエンドロ
殺し掻き(漆)
ゴーヤー
五●(ごし)
胡麻(ごま)



櫻(さくら)

サトイモ
甘蔗(さとうのくさ)
山藥(さんやく)
しおる
シシトウ
紫蘇(しそ)
紫蘇(しそ)巻之十
●蒿(しゆんぎく)
ショウガ
諸葛菜
新じゃが
地黄(ジオウ)
       
時珍
ジャガイモ
じゅずだま(数珠玉)
蓴(じゅんさい)
水利 1
     

菅(すげ)
スダジイ
李(すもも)
ズッキーニ
赤痢とコレラ
芹(せり)
川●(せんきう)1、2
   4、5
ゼンマイ
ソラマメ



瀉寫(たくしゃ)
蓼(たで)
黄花菜(たびらこ)
蒲公英(たんぽぽ)
大黄(ダイオウ)1
大黄(ダイオウ)2
畜産法
蓄積(ちくせき)1
蓄積(ちくせき)2
蓄積(ちくせき)3
萵苣(ちさ)
占城稲(ちゃんはんいね)
土筆(つく/\し)
山茶(つばき)
ツリフネソウ
つわぶき
摘芯(てきしん)
天門冬(てんもんどう)
梯梧(デイゴ)の植林
トウガラシ
蕃椒(トウガラシ)
冬葵子(とうきし)
冬瓜(とうぐわ)
とうもろこし
トウモロコシ
とくさ(木賊)
導管師管(どうかんしかん)



刀豆(なたまめ)
南瓜(なんくわ)
ニガウリ
苦菜(にがな)
ニラ
韮(にら)
庭の植物
ニンジン
胡蘿蔔(にんじん)
蓴(ぬなは)
野稲(のいね)
ノリウツギ



ハーブ
 
ハゼ
畠稲(はたけいね)1〜3 八新(はちしん)
薄荷(はつか)1
薄荷(はつか)2
はとむぎ(鳩麦)
地膚(はゝきゞ)
はゝき草(ほうき草)
鼠麹草(はゝこぐさ)
婆羅得(はらとく)
榿(はりのき)
ハンノキ(榛の木)
麥門冬(ばくもんどう)
バジル
旱稲(ひでりいね)
○麻子(ひまし)
ピーマン
款冬(ふき)
ふせぎ
葡萄(ぶだう)
不断草(ふだんさう)
絲瓜(へちま)
褊豆(へんづ)1
褊豆(へんづ)2、3
ベニバナ
ほうき草
菠薐草(ホウレンソウ)
ほとり苧(そ)
防風(ぼうふ)



蒔足(まきあし)
大豆(まめ)
麻苧(まを)
野蜀葵(みつばぜり)
ミニカボチャ
宮崎安貞傳
木賊(もくぞく)



焼き茄子
柳(やなぎ)1
柳(やなぎ)2
養蚕(ようさん)
養成掻き(漆)
●苡(よくい)
読めない字



ラッカセイ
薤(らつけう)
両鼻の瓜



蕨(わらび)



【別冊恵比塵】
農業全書・図

























(目次抜粋)
苧麻と
奥会津関係




会津農書
青苧(あおそ)の座
白蘇(ゑこ)
荏胡麻(えごま)
えんぶり棒
オリンダ


カクマ
カノ
カボチャ
紵(からむし)
王蒭(かりやす)
きのこ
くさびら
コゴミ
古代布


櫻(さくら)

サトイモ
しおる
ショウガ
新じゃが
ジャガイモ
ズッキーニ
ゼンマイ
ソラマメ


摘芯(てきしん)
天門冬(てんもんどう)
とうもろこし
トウモロコシ
とくさ(木賊)
導管師管(どうかんしかん)


南瓜(なんくわ)
ノリウツギ


ハゼ
畠稲(はたけいね)4
ハンノキ(榛の木)
ほとり苧(そ)


蒔足(まきあし)
麻苧(まを)




両鼻の瓜


蕨(わらび)



[抜書き]

「神と自然の景観論」 野本寛一・講談社学術文庫

『名君の碑(いしぶみ)』中村彰彦・文春文庫

『日本人はなにを食べてきたか?』 原田信夫・角川ソフィア文庫

『日本中世の百姓と職能民』 網野善彦・平凡社ライブラリー

『ふるさとの生活』 宮本常一・講談社学術文庫

『生きていく民俗 生業の推移』 (宮本常一)

『日本文化の形成 中』 宮本常一・ちくま学芸文庫

『赤い人』 吉村昭・講談社文庫

『庶民の発見』 (宮本常一)

『民間暦』 宮本常一・講談社学術文庫

『歴史・祝祭・神話』 (山口昌男)
『日本の歴史 3奈良の都』 (青木和夫)

『日本人はどこから来たか』 斎藤忠・講談社学術文庫

『日本数寄』 (松岡正剛)

『民俗のふるさと』 宮本常一・河出文庫

『日本の神話と十大昔話』 楠山正雄・講談社学術文庫
『文化と両義性』 (山口昌男・岩波現代文庫)

『現代語訳 日本書紀』 福永武彦・河出文庫

『うるしの話』 松田権六・岩波文庫

『魚影の群れ』 吉村昭・ちくま文庫

『虹の翼』 吉村昭・文春文庫

『城下の人』 石光真清・中公文庫


【くさびら・きのこ】
    『農業全書巻之五 山野菜之類 菌●(くさびらきのこ) 第九』(P.124〜125)
    ●:“木而”で1文字。

    くさびら・きのこ
     くさびら、きのこの類是おほし。 山林幽谷に立ちながら枯れ、又は倒れたる朽木などに自ら生ずる物なり。椎かしなどに生ずる物、人に毒せず、此外の木に生ずるは濫りに食ふべからず。
     きのこ(くさびら)の種類は多いです。 きのこは、山林や奥山では、木が立ち枯れしたり、また倒れて朽ちた木などに自然に生えるものです。(しい)の木や(かし)の木などに生えた茸(きのこ)は、人に毒ではないです。 が、これ以外の木に生えている茸は、妄(みだ)りに食べてはいけません!

    又園に作るは、の木同じく葉の肥へたるを濕地の風に吹きすかさぬ所にうづみをき、 常に米●(しろみづ)をそゝぎうるほひを絶やすべからず。 五七日過ぐれば必ず菌生へる物なり。
    栽培するには、葉っぱの肥えた(こうぞ)の木を湿地で風通しの良くない場所に埋めておして、米研ぎ汁(しろみず)をかけて常に湿らせておきます。 5、7日も経過すると、必ず菌が生えてきます。
    しろみず:●は、サンズイに甘の字。米研ぎ汁は想像です。 しろみず


    又畠のうねの中に糞を多くふり、楮木を五七寸に切りうちくだき、菜をうゆるごとくにならべ置きて土をおほひ、 水をそゝぎ長くうるほひを絶やさざれば、先づ初は小き菌生じ、漸々に大きなるが生ずる物なり。 もと楮木なれば毒にならず。
    または、畠の畝(うね)の中に肥料をやり、楮の木を5から7寸に打ち切って砕いて、野菜を植えるように並べて土で覆い、水やりをして、常に湿り気を与えておけば、最初は小さな菌が生えてきます。 そのうちにだんだんと大きくなります。 これは元々楮の木なので、毒ではありません。

    椎の木の中まではいまだくちず。皮はありて、大かたくちたるを日かげの風の吹きすかぬ所に横にねさせ置き、むしろこもをおほひ、上より●水を頻りにかけ、しめり氣を絶やさずし置けば、椎蕈多く生ずる物なり。 他の朽木にも蕈(たけ)は生ゆる物なれど、木の性によりて毒なり。
    または、(しい)の木では、内部までは枯れていなくて、樹皮がまだ残っているがほぼ枯れているような状態の木を、やはり日陰で風の通りの悪い場所に横に寝せて、莚(むしろ)や菰(こも)で覆います。 その上から水をかけて、湿り気を絶やさないようにしておけば、椎茸(しいたけ)が多く生えてきます。 他の木でもきのこは生えますが、原木の種類によっては、毒です。

    五木と椎橿は毒なし。 桑槐(ゑんじゅ)楡(にれ)柳楮五木なり。 此の外榎木に生ずるは常に用ゆべし。
    五木と、椎の木、樫の木は毒がありません。 五木とは、桑(くわ)槐(えんじゅ)楡(にれ)柳(やなぎ)楮(こうぞ)のことをいいます。 このほかには、榎(えのき)に生える茸も食用となります。
    (五木については、五木(ごぼく・ごもく)の項を参照してください)

     又楮の古かぶに成りて、わか立ち出でぬあり。 是を切りて肥地に埋みをけば菌多く生ず。●水などかけをくべし。 久しき楮畠に多きものなり。
    また、楮については、株が古くなって当年枝(シュート)(わか立ち)の生えなくなったような木を切って、 肥えた地に埋めておくと、菌が生えます。やはり、しろみずなどをかけてください。 昔は楮畑だったりした場所には、そういった木が多いものです。
    当年枝(シュート)の表現は、カンケブログを読んで示唆されました。


    (P,168)
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【山藥(さんやく) 第十四】
    藥種類 山藥(さんやく) 第十四

    160208_薗に作る藥種(農業全書)
     山藥は性よき藥にて醫家に多く用ゆる物なり。 寒の中に皮を削りさり(鐡をいむ物なり)、長さ三寸餘にきり、米の粉をふりかけ、 かきまぜ、絲につなぎ、竿にかけ干すべし。 又は棚かむしろにもほすべし。 よく干堅まりた時おさめ置くべし。 うゆる法は菜の部に出せる。 但藥に用ゆるは山にあるをよしとす。

     山薬(さんやく)、とても性のよい薬で、医者も多く使用しています。 寒中に皮を削ります。鉄の刃物は使わない。 長さを3寸くらいに切って、米粉を振り掛けて掻き混ぜます。 それを糸でつないで、竿にかけて干します。または、棚か莚(むしろ)に干しても良い。 よく乾ききって硬くなったら保存します。 植える方法は、菜の部(巻之五 山野菜之類 薯蕷(やまのいも)第十六)を参照してください。 ただ、薬にするには、やはり自然に自生した山芋が最適らしいのです。
      山薬とは、山芋の根を干して粉にしたもの。滋養強壮、下痢止めに功能。(簡便辞書より)

    『藥種類 山藥(さんやく) 第十四』(P.340)
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【うるかす】
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【えんぶり棒】 16/07/17リンク変更

    倉(くら)の中にあった、茶色の木製の道具。
    この写真に写っている道具の話をしたら、庄一さんは「それは『えんぶり棒』だな」とおっしゃったのでした。えんぼり棒に近い発声かもしれない。
    「えんぶり棒」とは、田植え前の田んぼを耕して、水を入れて代掻きをする、その時に、水の上に緩(ゆる)く出ている土の塊(泥ですね)を均(なら)す道具だとおっしゃるのです。 あれは、軽くて、楽(便利)だったわな
    水を張った田んぼの上を、丁(T)字型の道具を引いて均すのです。
    文章:
    奥会津離郷の日(2015年09月23日)より
    画像:奥会津・小中津川にて(2014年05月04日)より

    掲載子は聞き違えて、「えんほり棒」とメモしてしまいました。 それで簡便辞書を引いても出てこないので、どんな字を書くのだろうと思っていました。 ブログに掲載したところ、「エンブリ では?」との御指摘あり。
    エンブリ」→「エブリ(柄振り)」だと、わたしの手持ちの簡便辞書でも載っていたのでした! ということで、柄振り棒という表記であることまで分かりました。 お礼申上げます。

    悪乗りして、facebookにも画像を載せてみました。これだけで判断するには対象物以外の物が写り過ぎていますね(^^;


      1 )竹とんぼの親分、タケコプターが故障しているときにドラえもんが使う。
      2 )緑のワイヤーを長押に沿って貼るとき、これで留める。金釘なんぞは使わない、気が優しい人の使うもの。

      This is called "every_bow" in northern part of Japan(^^;

      なんでも棒
      全てのお辞儀 (^。^) Bowっていろんな意味がありすぎます。どの意味でしょうか? 舳先って意味もそこで仕事をする人も。私これです。それにnorthern part にも住んでますし。

      はい、奥会津では「えんぶり棒/ENBURI_BOU/Every_bow」と呼ぶ農事作業道具です。 田んぼの代掻きをする時に、固まった土(泥)を均す道具でした。
      「えんぶり」は「えぶり」、日本語で書くと「柄振り(えふり)」(^^;
      わたしは、先日(9月)に初めてこの名前を知って(聞いて)「えんほり」とか「えんぼり」と覚えて(メモ して)恥ずかしいブログをつい昨日に書いてしまいました。 会津弁のコトダマは、全世界に通じてしまうモノなのですよね(((^^;←こら!

      緑色のは農業用ワイヤだったのですね。つい電気系統かと勘違い。
      柄を持って振る、えぶりでは言いにくいので「ん」が入ってえんぶりですか。代掻きに使っていたなら、もう今は機械に取って替わられて、博物館に御蔵入?
      よーく目を凝らしてみると、上の握り部分は木、しかも桐のように見える(水に強いから?)。そして振る、代掻き作業をする部分は金属、大きな釘のように見えます。しかも作業のために丸釘タイプでなく、角がついていますね。
      小さな道具にも意味と工夫があるのを後の世の人がどれだけくみとれるでしょうか。これは私の勝手な想像ですが。

      恵比塵を見たら、下も木の棒のようですね。ハヤトチリ。

      Tのどっちが田を掻くのかわかりません。棒なのかTの横棒なのか。
      状況が説明してありますが、田んぼに入ったことのない都会っ子なので???

      デッキブラシの「ブラシ部分が無い」ような道具ですね(^^; 横棒部分をおそらくゆる〜く、田んぼの泥が凸凹になっている部分を押したり引いたりして廻る。 時には、大きな泥の塊をボッコンボッコンと叩いたりしながら。
      あれは、軽くて、楽(便利)だったわな
      横棒(枕の様な形に磨り減っている)部分は、(軽いですが)そこそこの厚さの板でその重みが泥には潜り込 まない程度の塩梅で適度に滑りやすいのでしょう。
      言わば「泥ならし」の道具ですね。 これが「土ならし」の道具になると、校庭にありましたよね、主に野球部が使う道具、それはそれは「重いコ ンダラ」になってしまうのです。←こらぁ!

    ついつい、与太話でした。

    与太話ではない、柄振(えぶり えんぶり)のことは↓こちら。
    【別冊恵比塵】−柄振(えぶり えんぶり)のこと

    16/06/12 追記
    おそらく、以下のような場面で使用するのである。
     さて水をしかけ、田をかく事は、苗をさすべき十日ばかり前にかきならしをき、 うゆべき三日前に代(しろ)ずきと云ひて一遍すきをき、 其後うゆる日竪横三遍むらなきやうにかきならし、其まゝうゆべし。 其大かた常の法なり。五穀之類 稲(いね) 第一 18節』(P.93)
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【白蘇(ゑこ)】
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【とうもろこし】
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【五●(し)を畜法(かふはふ)】
    巻之十 生類養法 五●牛字(し)を畜法(かふはふ) 第一

     家畜の種類
     
    陶朱公曰く、速かに富まんとならば五●をかふべしと。 五●は、牛、馬、猪、羊、驢是なり。 此色々の兒を飼ひ生立(そだ)つるなり。 驢馬と云ふ物は此國にはもとよりなし。 今の耕馬の類ひ是に當るべし。 又家猪(ぶた)は近來長崎近き所にては畜(か)ひ置きて唐人にうると見えたり。

     陶朱公が曰く、速やかにカネモチになりたいなら五種類の家畜を飼いなさい、と。 五●(ごし、●は“牛”と“字”で一字)、5種類の家畜とは、牛、馬、猪、羊と驢馬(ろば)のことです。 これらの子を飼い育てることです。 驢馬(ろば)は元々日本にはいません。現在の農耕馬にあたる動物です(元禄時代)。 豚(家猪)は近ごろ長崎の近郊では飼って外国人(唐人)に売っているらしいです。

    繁殖方法
    先牛馬の生れつきよく性もよきをゑらび、牝牡を三月に入りて共に野にはなちつるませて、 五月になりては又別々にしてをくべし。 其まゝはなし置けば踐合ひつき合ひかみ合ひて痛み損じ、よき子を生まぬ物なり。 さて冬に成りて子を産むべき時分は、又ゆるして遊ばせ自由にすべし。

    先ずは、素姓の良い牛馬を選んで、雌雄つがいを3月に野原に放牧してつるませます。 5月になったら、一旦引き離して、別々に分けておきます。 そのままにしておくと、喧嘩(踏付き、噛付きあい)をして怪我をしたりして良い子が生まれません。 冬になって、産まれる頃になったら、また一緒に自由に遊ばせてよいです。

    馬の子は灰を忌む
    馬の兒は初めて生れ出でたる時灰の氣を甚だいみて、是にあへば死ぬる物なり。 ゆるり、竈などのあたりに近付くべからず。

    生まれたての子馬は、灰の気配をとても嫌います。 これに会うと死んでしまうことがあります。 囲炉裏(いろり、ゆるり)や竈(かまど)など煮炊きや火を使う(暖房)場所には近づけてはいけません。

    牛飼二人分の規模
    よく子をうみ生立つる母馬牛を四五疋も同じく●(こ)を二十疋ばかり二人にて取つなぎして、 隙隙には其牛飼の二人も己が口すぎをすべき得たる仕事の手當をして、 晝夜怠らず飼ひ生立つる法を定めをくべし。

    繁殖力の強い母馬牛を4、5匹と一緒に子牛(馬)を20匹くらいを、二人で世話します。 牛飼二人が食えるほどの仕事の分の手当を与えて、昼夜精勤、飼育させる契約をします。

    家計の一助
    尤牛馬の家を廣く作り、草をいかほども多く刈り入れ、 寒暖の飲食物を時分時分に餘計ある程貯へ置きてやしなひ生立つれば、幾程なくよき牛馬出來る物なり。 多く仕立つる事ならずとも、多少によらず心にかけて養ひ立つれば、農人一方の助となる物なり。

    厩舎を広く作り、草を多く刈り入れて、夏冬の食物餌を充分に供給出来るようにして飼育すれば、 良馬(牛)が生産できます。 大規模にしなくとも、多少に関わらずきちんと世話をして育てれば、農産物だけでない収入が得られます。

    放牧の事
    若又河の邊、池、澤など草むら多き野山にては、必ず多く飼ひ生立て自分の用に餘るをばうりて利を得べし。

    また、水辺のほとりの草むらの多い野山では、多く放牧して自家用に余る分を売って利益を得ることができます。

    土地持ちの分際
    惣じて耕作は牛馬と下人のよきを持たずしては、 いか程肥良の田地をおほく持ちても作りこなす事ならずして、次第にやせあるゝ物なり。 田畠相應より少しは餘るほど持ちたるをよき農人とする事なり。

    いったいに、農業耕作は、優秀な牛馬と使用人がいないと、どれだけ広い田畑を持っていても、耕作が出来なくなれば土地は次第に瘠せてきます。 耕作地は、程ほどに分際よりほんの少しだけ余裕がある程に持っているのが、あるべき農人の姿なのです。

    『巻之十 生類養法 五●牛字(し)を畜法(かふはふ)第一』(P.324)
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【柳(やなぎ) 第九 1節】
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【蓄積(ちくせき) 付檢約 第九 2節】
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【韮(にら)】 ※改訂中※

    【ニラ】
    150820_ニラ  (←クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    類似シリーズの画像は真夜中のNHK・BS、「菜園ライフ」より採取しました。
    奈良時代の書物に記述があり、日本では古くから食べられてきました。 夏になると、ハナニラも収穫できます。 苗を植えて土を軽く押さえます。 たっぷり水やりをします。 株を大きくするため肥料をまきます。 背丈が30cmほどで収穫。 根元から切ります、生命力の強いニラは再び生えてきます。 収穫後はお礼の肥料をまきます。 夏につぼみがでてきます。 ハナニラはつぼみが開く前に収穫します、花が開くと硬くなります。 ほんのりと甘く、炒めて食べるのがおすすめです。 花を咲かせ枯れるまで育てれば、種を取ることもできます。 葉が枯れたら切り取ります。 株の周囲に堆肥をまくことで、翌春から株の成長が良くなります。

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【南瓜(なんくわ)】
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【李(すもも)】
    巻之八 菓木之類 李(すもも) 第一

    李(すもも)
     李は其種子(たね)色々あり。 四月熟し、色紅紫あり、大小、甘き酸きあり。 ふとくて甘きたねをゑらびてうゆべし。
    核子(さね)を冬より土中に埋みをき、春になりて芽少し出でんとするを見て肥地に畦作りし、 四五寸づゝ間を置きて一粒宛(あて)うへ、土をおほひ、上を少しをし付けをきて、 苗ながくなりたる時、臘月より正月の間移し栽ゆべし。 李は耕しこなしたる熟地はいむ物なり。 實る事なし。 其間二間ばかり置きて、一本あてうへ、根の廻りも草あらば去るべし。 李は古木となりてもよく實る物なり。
    正月一日或は十五日石瓦を木のまたに取りかけ置けば多くなるものなり。
     李(スモモ)はその実に色々あります。 4月に熟して、色も紅や紫など、大小さまざま、甘いのも酸っぱいのもあります。 大きくて甘い実の種を選んで植えます。
    種(さね:核子)を冬から土の中に埋めます。 春になったら芽が少しでてきそうなころを見計らって、肥地に畦作りをして、4、5寸間隔で一粒ずつ植えて土で覆って上は少し押し付けておきます。 苗が長くなったらは、12月(臘月)から1月の間に移植します。 スモモはあまり耕したりした肥えた土地は嫌います、実がならないのです。 移植する時には、間を2間ほどあけて一本ずつ植えます。 根の廻りは草かじめをします。 スモモは古木になってもよく実がなります。
    正月元旦かまたは15日(小正月)に、木の股に石瓦を載せておくと実が多く生ります。


     半熟の物を鹽に漬けをき、やがて取出し、乾しさらし、しはみたるを手にてひねり、又さらし、乾し、 肴に用ゆる時湯にて洗へば風味よし。
     半熟の実をしばらく塩漬けにして、取り出して日に当てて乾燥させます。 しわしわになった実を手でもんでひねって、また乾燥させます。 料理する時には、それを湯で洗います。風味のあるあてになります。

    『巻之八 菓木之類 李(すもも) 第一』(P.264)

      正月一日或は十五日石瓦を木のまたに取りかけ置けば多くなるものなり。
      ここにも。これは、ナリキイジメの例でしょうか。

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【しおる】 16/07/09 リンクミス訂正
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【会津農書】 16/07/07リンク追加
    110811_会津稽古堂

    先日、「『会津農書』は『農業全書』より13年前に発行された」、と書かれたパンフレットがFBに掲載されていた。 つまり、本サイトが参考(抜書き)にしようとしている『農業全書』よりも古いのです。
    この本は、著者の佐瀬与次右衛門という会津の人が書かれて、1684年(貞享元年)にまとめられたとのことです。
    現在でも、会津では色々な方が研究されているようです。
    2011年8月11日に立ち寄った稽古堂(会津図書館)でも開架本棚に写本(復刊本?)が陳列されていました。

    関連: 歌農書(うたのうしょ)

    16/07/07 リンク追加
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【蓄積(ちくせき) 付檢約 第九 1】
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【薄荷(はつか) 第十九 2節】 16/05/27追記
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【地黄(ジオウ/じわう) 5節】 16/05/19 未転記追加
    藥種類 地黄(ジオウ/じわう) 第六 5節

     さて浄く洗ひ莚などに攤(ひら)げてよく干しあぐべし。 干かぬる物にて、春までも晴天には毎日出して、中まで黒く成りたるを見て收めをくべし。 大和にて作る法の大抵是なり。
    肥へたる性のよき黒土よし。 大和地黄のすぐれて大(ふと)きは、一斤の代銀二兩許りに藥屋へうると云ふなり。

     地黄の根はきれいに洗って、莚(むしろ)などに広げてよく干しあげます。 なかなか干しあがらないものなので、春までは晴れた日には毎日出して、中まで完全に黒くなるのを確認して保存します。 大和地方で作っている方法は殆んどがこの方法です。
    土質は肥えた性の良い黒土が良いです。 大和地方でそうした適地でとても太った地黄(ジオウ)の根は、1斤で銀2両ほどで薬屋に売れると言います。


    『藥種類 地黄(ジオウ/じわう) 第六 5節』(P.334)
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【スダジイ】 16/05/18追記
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【地黄(ジオウ/じわう) 4節】 16/04/29 未転記追加
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【地黄(ジオウ/じわう) 3節】 16/04/26 未転記追加
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【かくれみの】 16/04/25追記

    141025_かくれみの(撮影:14/10/25)

    ヤツデのような木である。かくれみの、というらしい。
    隠蓑】かくれみの
    ウコギ科の常緑小高木。 千葉県南部以西の暖地の陰湿地に生え、庭木ともされる。 高さ五〜一〇メートル。みつながしわ。みそぶた。みつで。からみつで。
    早春の発芽前に幹を傷つけ液汁を取り、黄漆と呼ぶ漆の代用になるともある。


    160416_隠れ蓑(撮影:16/04/16)

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【ズッキーニ】 16/04/07 追記
    150820_ズッキーニ
    (↑クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    キュウリと似ていますが実はカボチャの仲間、ズッキーニとはイタリア語で小さなカボチャの意味。 皮が柔らかい黄色い品種もあります。 原産地が中米といわれるズッキーニは高い気温を好みます。 高温時には蒸れないようにトンネルの裾を上げて換気します。 茎が折れないように支柱をさし、ひもで結びます。 人工受粉をして確実に実をつけさせます。 雌花は根元が太く膨らんでいます。 花の根元が細いのは雄花。 まず雄花の花びらを取ります。 雌花の中心にある雌しべに雄しべの先端をつけます。 花が付いたままの小さな実「花ズッキーニ」も楽しめます。 イタリアやフランスでは夏の風物詩、市場に花ズッキーニが並びます。 花の中にチーズやアンチョビなどを詰めて揚げるのが本場の調理法です。 ダイコンのような大きさです、実は硬くなり株の成長にも負担がかかります。 取れたては皮も柔らかく生でも食べられます。

    あいかわ百姓市で見かけたひょうたん型のズッキーニ。

    あいかわ百姓市 in 有楽町2015年7月11日。
    珍しい野菜には、袋ごとに説明や調理法を書いた紙が入ってました(^^;。

    16/04/07 追記
    上の写真のつる首ズッキーニを売っていた太田洋成さん。 facebookで、ズッキーニの解説を投稿していらっしゃった。転載させていただきます(^^;
    タネ採り作業。秋冬にサボっていた仕事。天気が良かったので、やっとこさ。"Crookneck Early Golden Summer Squash" つる首ズッキーニ。正しくは、つる首サマースクワッシュ。自家採種を始めて、5年目になる僕の相棒。
    サマースクワッシュ」という分類のお野菜はまだ日本では馴染みがない。だから仕方なくズッキーニと呼んでいる。厳密にいうと、サマースクワッシュの中、一部にズッキーニがいるのだ。
    カボチャ類には大きく分けて3種類あって、その下で色々な種に分かれる。日本語と英語それぞれの呼称を挙げると、
    「カボチャ全般」"Squash"
     ↓ ↓ ↓
    【1】「日本カボチャ」"Japanese Squash, Tropical Squash" ネットリ・ベシャベシャ系 → 会津小菊・鹿ケ谷・バターナッツ…
    【2】「西洋カボチャ」"Winter Squash, Kabocha Squash" 甘い・ホクホク系 → えびす・みやこ・坊ちゃん…
    【3】「ペポカボチャ」"Summer Squash(若採り), Pumpkin(完熟)" 色々・シャキシャキ系 → ズッキーニ・そうめんカボチャ・おもちゃカボチャ・つる首サマースクワッシュ

    秋のハロウィンの象徴ジャック・オー・ランタン。日本ではホクホク系の西洋カボチャまでも「パンプキン」と称し浸透してしまったが、これは誤りで、本来は完熟したオレンジ色の果皮のペポカボチャをパンプキンと呼ぶ。 (※もっといえば、発祥のスコットランドでは「ルタバガ」というカブをくり抜いて作る)
    というわけで、いつもは薄いレモンイエローの若採り「つる首サマースクワッシュ」も、完熟すると鮮やかなオレンジ色の「つる首パンプキン」と化し、その果実の中にたくさんのタネを蓄えているのです。
    さあ、そろそろウリ類のタネ蒔きも始まる。今年のハロウィンには、『首吊りジャック・オー・ランタン』を登場させられるよう僕も一所懸命に頑張りますので、会津のみなさまもぜひ『会津小菊ジャック・オー・ランタン』で店頭やお家を彩ろうではありませんか。
    #畑 #野菜

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【蕪菁(かぶらな)】 16/04/01 節欠落追加
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【黄瓜(キュウリ/きうり) 2節】
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【黄瓜(キュウリ/きうり) 1節】
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【キュウリ】
    150819_キュウリ
    (↑クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    つるの節々から出てくるわき芽を取ります。 最初にできた実が大きくなると、これから成長する株の負担になります。 最初の実と2番目の実は小さいうちに収穫します。 大きくなると根が広がるため、株の周囲に肥料をまきます。 つるが支柱の高さまで伸びたら、先端を切って成長を止めます。 キュウリの実は1日で数センチ伸びることもあり、取り遅れると大きくなりすぎ味がおちます。 うまく育てると1株あたり100本もの実がつきます、毎日収穫を楽しめます。

    キュウリは、『農業全書巻之三 菜之類 黄瓜(きうり) 第十一』(P.148)にあり。
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【菠薐草(はうれんさう)】
    巻之四 菜之類 菠薐草(はうれんさう) 第七 

     蒔きて月朔を過ぎざれば、生ひぬ物
     はうれん草は蒔きて月朔を過ぎざれば、生ひぬ物といひならはせり。 然るゆへに月の廿日以後蒔けば、來月初早く生ふるなり(今心むるに月朔に種へて月半に生ふるなり)。

     ホウレンソウ(菠薐草)はタネを蒔いて月をまたがないと生えてこない、といわれています。 つまりは20日頃に蒔けば翌月初めには生えてきます。 (ほんとかどうか)試してみました。 すると、月末に蒔いたら翌月半ばに生えました。

    蒔く時たねを土ともみ合せ、畦作りし、がんぎを少し深くして蒔くべし。 八月早く蒔きて乾馬糞をおほひ、雪霜をふせぐべし。 九、十月さい/\水をそゝぎてうるほすべし(六月に地をよくこしらへ、こゑをうちからし置き、 七月に蒔きたる殊によし)。

    種子は、土と混ぜて揉み合せます。 畦作りをして、ガンギは少し深めにして蒔くとよいです。 8月の早めに蒔いて、乾いた馬肥などで覆って、寒さ(雪霜)除けとします。 9月10月は水遣りをして湿り気を保つようにします。
    6月に地拵えをして、堆肥を打ち枯らして置いて、7月に蒔くともっと良いです。


    又種ゆる法、七、八月の比まく時たねを水に浸し和らげ、取上げかはかし、灰に合せちらし蒔きにし、 其上に糞水をそゝぎ、萌え出でゝ“シ甘”(しろみづ)をそゝぎ、 苗長くなるを見てしきりに糞水をそゝげば、よくさかゆる物なり。 冬春葉をかき取り、春の暮に成りては茎葉老いてこはき時切とり、 熱湯に漬けやがてとりあげさらし乾し、菜園の皆々枯れたる時用ゆべし。

    7月8月頃に蒔くときに、種子を水に浸して少し軟らかくしてから取上げて、これを灰に混ぜて散らし蒔きにしてもよい。 その上に肥水を注いで、発芽したら“シ甘”(しろみず)を注ぎます。 苗が育ち長くなってきたら、頻繁に水肥遣りをすればよく茂ってきます。 冬春の間は、葉を掻きとり食べます。 春の遅い時期になって茎葉も盛りを過ぎて硬くなってきたら切り取ります。 これは熱湯で湯掻いてから晒して乾かします。 他の菜物が無くなる時節には、これを食べるのです。

    又たねを残しをきて、正二月まきたるもよし。 八月苗をしをきてうるほひを得て、移しうへたるもよし。

    また、種子を取っておいて、1月2月に蒔いても育ちます。 8月に苗を取っておいて、潤いを持たせて移植するのもよいです。

    『巻之四 菜之類 菠薐草(はうれんさう) 第七 』(P.167)了
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【款冬(ふき)】
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【獨活(うど)】
    巻之四 菜之類 獨活(うど) 第二十一

     三四月芽立を生ず。 貴賎あまねく賞味する物なり。 里遠き山野に生ず。 冬より土中なる芽を取りて食品とす。 されど時ならざるを食ふは、よからぬ事にや。 山野の空地多き所にては、地をひらきよくこなし、其根を取りわけて多くうゆべし。 其地味よき所にては、甚だ早く榮へ、殊に味よし。 貴賎皆このみ用ゆるものなれば、都近き所、又諸國の國郡など、大邑ある近方にて、 山野の余餘あらば、多く作り立てゝ市中に出すべし。

     3、4月に芽立ちします。 貴人も賤民も誰もが、ほめ味わうものです。 奥深い山の中に生えています。 冬の間から土の中にある芽を採取して食物とします。 しかし、時節を間違うと食べられるものではありません。 山野の空いている土地のある場所では、開墾して地作りをして、その根を沢山植えればよいでしょう。 土地に合った場所では、早く繁殖して、味もよくなります。 身分に関わらず誰でも好んで食するものですので、都会や人の多く集まる近郊地では、山野に空地があるのであれば、広く栽培して市場にだすと良いでしょう。

    『巻之四 菜之類 獨活(うど) 第二十一』(P.179)了
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【胡●(こずい)】
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【防風(ぼうふ)】
    巻之四 菜之類 防風(ぼうふ) 第二十五

     是は藥種の防風にてはなし。 海邊の和らかなる白砂に生ず・ 其茎あかく、その葉も防風に似たる物なり。 茎を取りてわりて膾の具に用ひ、或は酢にひたして食ふ。 甚だ其香よく味よし。 實を取りて砂地の畠に種へて少し手入れすれば、よくさかゆるものなり。 大邑に近き所は、多く蒔きて作り、市町に出すべし。

     これは、漢方薬に使うボウフウとは違うものです。 海岸の柔らかな白い砂地に生えています。 茎は赤くて、その葉もボウフウに似ています。 茎を取って割って膾(なます)の具材にしたり、酢びたしにして食べます。 とても香りもよくて美味しいものです。 実を採取して、砂地の畑に蒔いて、少し世話をすれば、よく繁殖します。 人の多い町場(おおざと、邑)の近くであれば、沢山蒔いて栽培して、市場に出せば売れます。
      どうやら、この説明は、浜防風(はまぼうふう)という植物の説明。 同じセリ科には防風(ボウフウ)という漢方薬にもなる植物があるので注意、ということですね。 簡便辞書によれば、漢方になるのは防風の実で、鎮痛、消熱、解毒に薬効あり。 浜防風は茎や葉を食用にしているのです。

    『巻之四 菜之類 防風(ぼうふ) 第二十五』(P.180)了
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【芹(せり)】
    山野菜之類 芹(せり) 第一

     せりをうゆるは、根を取りて濕地に畦作りしうへ、常に水濕の絶えざるやうにすべし。 地かはけばそだたず。 又濕ある圃(はたけ)に作りてさかへ、肥へたるは殊に甜(あま)く、牙脆く、口中取分き快し。 澤などに生ゆるは、葉の間に蟲ありて、見えかぬるゆへ、若し蟲の子を食すれば毒なりと本草に記せり。 取分け圃の濕地に、筋うへにしたるは刈りて食し、泥水をさい/\そゝげば、跡よりやがて生ず。 味も見かけも、野澤に生ゆるには甚だ勝れり。 朝鮮には、肥へたる田に多く作りをき、鎌にて刈り取り、常に菜に用ゆると云ふ。

     セリ(芹)を栽培するには、根を取って湿地に畦作りをして植えます。 いつも水の湿り気があるようにします。 地面が乾くと育ちません。 湿地に栽培すれば繁殖して、太ったセリは特に旨いのです。 歯ざわりもよくて、芳香で口の中もさっぱりするものです。 特に、圃場の湿地に筋植えにすると、刈り取って食材にできます。 刈り取っても泥水を何度も注いでおくと、その跡からまた茎が生えてきます。 栽培物は味も見かけも自生のものよりも格段によくなります。 朝鮮では、肥田に多く栽培して、鎌で刈り取りをして、常用の菜物として使っている、といいます。

    『山野菜之類 芹(せり) 第一』(P.182) 了
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【野蜀葵(みつばぜり)】
    山野菜之類 野蜀葵(みつばぜり) 第二

     三葉芹うへ様芹に同じ。 水湿の邊り、樹下、かきのもと、其外陰濕の肥へたる所に畦作りしてうへたるは猶よし。 草かじめ、手入れを加ふれば一入さかへ、料理に用ひやはらかにして風味ある物也。 膾、ひたし物、魚鳥の汁煮物などに加へてことに能きものなり。 子よくなりて生へやすく、程なく多くなる物なり。

     ミツバゼリ(三葉芹)です。 植え方などは芹(せり)と同じです。 湿った水辺あたり、木陰のある木の下、垣根の近くなど、日影で湿気がある肥地に畦作りをして栽培すれば尚よろし、です。 草取りなと手間隙をかければ、よく育ちます。 料理に使います、軟らかで風味のあるものになります。 膾(なます)、浸し物、魚や鳥の煮物などに添えるととくに美味しいです。 根はとても育ちやすくて、しばらくするとどんどん繁殖してきます。

    『山野菜之類 野蜀葵(みつばぜり) 第二』(P.182)了
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【烏芋(クロクワイ)】
    山野菜之類 烏芋(くろくはい) 第八

     烏芋、○臍(ほつせい)、地栗(ぢりつ)とも云ふ。 農政全書に曰く、正月に種子をとる。 芽を生ずる時、土がめ等に土をまぜて入れ置き二三月になり水田にうつし、 扨芽さかへて後分ち植ゆべし。 冬春ほり取りて菓子とし、生にても食ひ、煮ても食ふ。 唐にては多く作りて凶年には粮(かて)とすると見えたり。 津の國河内邊に多く作る物なり。

     クロクワイは、ほっせいじりつとも言います。 農政全書には、このように書かれている。 1月に種子を取ります。 芽が出る頃に、土甕(かめ)などの器に土を混ぜて入れておいて、2、3月頃に田んぼに移し植えます。 苗が育ってから、株を分けて移植します。 冬春の間に掘り取って、菓子(お茶うけ)にしたり、生でも食べられるし、煮ても良いです。 また、唐では大量に栽培して、凶年時には救荒食としても食べる、とあります。 日本国内では、津や河内地方では多く作られています。

    『山野菜之類 烏芋(くろくはい) 第八』(P.187) 了
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【●蒿(かうらいぎく・しゆんぎく) 第十八】
    巻之四 菜之類 ●蒿(かうらいぎく・しゆんぎく) 第十八

    160313_農業全書・春菊
     倭俗かうらい菊と云ふ。 又春菊とも云ふ。 本草には八九月に種子をまき、冬春取り食ふ。 茎肥へて味辛く甘し。 四月に薹(こくたち)生じ、黄花あり。 花はひとへなり。 菊に似たり。 其性平にして毒なし。 心氣を安くし、脾胃を養ひ、痰を消し、腸胃を利すとあり。 農業通決には二月にこふるとあり。 是は春の食とせんためならん。 苗の時ひたし物あへ物となして味よし。 冬春たび/\につくり用ゆべし。 花も又見るにたへたり。

     俗に高麗菊(こうらいぎく)という、春菊(しゅんぎく)とも言います。 本草(本草学の本)には以下の様に書いてある。 8、9月に種子を蒔いて冬春の間採って食べる。 茎は太っていて味は辛味のある甘さ。 4月に茎が立ち(薹がたち)、黄色の花が咲く。 花は一重、素直な性質で毒はない。 気持を落ち着かせ、血行がよくなり、痰を止めて、胃腸にもよい。と。農業通決(農業の本)には、2月に種子を蒔く(子を振る)と書いてある。 これは恐らく春に食べるための方法であろう。 苗のときには、おひたしや和え物としても味が良い。 冬春の間も度々作って利用するとよいでしょう。 花の観賞も楽しめます。

    『巻之四 菜之類 ●蒿(かうらいぎく・しゆんぎく) 第十八』(P.177)了
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【蕃椒(トウガラシ/たうがらし) 第二十六】
    巻之四 菜之類 蕃椒(たうがらし) 第二十六

    160313_農業全書・とうがらし
     苗を種ゆる事、又地ごしらへの時分も皆茄子と同じ。 苗長じて後移しうゆべし。 其實赤きあり、紫色なるあり、天に向ふあり、地にむかふあり、大あり、小あり、長き、短き、丸き、 角なるあり。 其品さま/”\おほし。 手入れよければ、一本にも多くなる物なり。 盆にうへて雅玩(てあそび)をたすく、人家おほき大邑に近き所は多くつくりて賣るべし。 其性つよきものなり。 つかへたる食氣を消じ、氣の滞るを散じ、脾胃をくつろげ、魚肉などのあしき氣をけす物なり

     苗の植え方、畑つくりの季節も茄子と同じです。 苗が太く育ってから移植するのが良い。 実には、赤色紫色など、上向きになる物と下向きの物もあります。 大小さまざま、長短もあり、丸いのと角ばったものもあり、トウガラシの品種は様々です。 手入れが良いと1本でも実が多くなります。 盆栽にして観賞するもよし。 近郊に人が多い所では沢山作って売りましょう。 強い功能もあります。 食欲不振の解消、気散ずる、消化を助け、魚肉の臭みも抜けます。

    トウガラシの黒焼き風呂?
    (其性本草にはなし、遵生八牋時珍が食物本草などに見えたり。 世俗は甚だ毒あるやうにいひ侍れども、時珍と張介賓が説にはさはみえず。
    又是をくろやきにし、ゆにており/\用ゆれば、年久しき下血を治するはなはだしるしあり。 但其症にもよるべきか)。

    この功能効果については、本草(ほんぞう)には記載が無い。 遵生八牋(本の名前?)、時珍の食物本草の本などには書いてあります。 とても毒があるように流布されていますが、時珍や張介賓人名?)にはそのような説は見あたらない。
    また、これを黒焼きにして湯に入れると(トウガラシ風呂?)長年の痔(肛門からの出血)などによく利く薬効があります。 ただし、その症状にもよるかもしれません。


    巻之四 菜之類 蕃椒(たうがらし) 第二十六(P.180)了
    現代の作り方は、トウガラシを参照のこと。
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【蓼(たで) 第三】
    山野菜之類 蓼(たで) 第三 

    160313_農業全書・たで
     たでは正二月水邊濕地にうゆべし。 たね色々あり。 常に水邊に生ずるも、又春のすゑ穂を出し、四季絶えずうるはしきも所によりてありと見えたり。 茎葉ともにあかく、葉丸ながきは、和らかにして取分き辛し。
    又豊州彦山の名物とするは、葉ふとく、厚く、少ししはみて、茎葉青く、見かけ藍のごとし。 和らかにして甚だ辛からず。 秋になり大きなる穂を一所より十ばかりも出し、見事なり(彦山の衆徒大蓼と紫蘇をおほく作り、 二色の葉をおほく取り、醤(みそ)桶の下にしき、なれて後、他の器物にわけ、客をもてなし、 或は遠方にも送る。 甚だ味よし)。

     蓼(たで)は、1、2月に水辺や湿地に植えます。 種子の種類は色々あります。 常に水辺に生えますが、春の終り頃に穂を出して、一年中青々としているタデも地方によってはあるようです。 茎や葉が赤くて、葉が丸く長いものは、柔らかですが特に辛い品種です。
    九州の彦山(ひこさん、英彦山)で名物となっているタデは、葉が太くて厚く、すこししわしわして、茎や葉は青く、見かけは藍のようです。 これは柔らかでさほど辛くはありません。 秋になると、一箇所から大きな穂が10本も出て見事なものです。 彦山の宗徒(山伏)はオオタデと紫蘇(しそ)を沢山作って、二色の葉を沢山味噌桶の下にしいて、熟させてから、他の器物に入れて、客をもてなします。 また、彦山名物として遠方にも送っています。これはとても味がよいものです。


    『山野菜之類 蓼(たで) 第三』(P.183) 了
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【水苦●(カワヂサ/かはぢさ) 第六】
    山野菜之類 水苦●(カワヂサ/かはぢさ) 第六

    160313_農業全書・カワチサ
     田園の水邊に多し。 泥溝などの地によく生ず。 子あり。 自づから落ちて春生ず。 生なるを醋みそにて食し、又はさしみ等のもの合せにもよし。 是うへずして多き物なり。 もし溝ばたなどの空地あらば、水近き所にうへたるは、よくさかへ味なほよし。

     田園の水辺に多いです。 泥溝などの場所によく生えています。 実が付きます。実は自然と落ちて春にまた生えて来ます。 生(なま)で酢味噌にして食べます。 また、刺身のつま(付け足し)にも良いです。 特に植えなくとも多く自生しています。 もしも、泥水の溝とかの空地があれば、水辺近くに植えればとてもよく育ちます、しかも味は自生物よりもよくなります。

    『山野菜之類 水苦●(カワヂサ/かはぢさ) 第六』(P.185) 了
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【豌豆(えんどう) 第十四】
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【芥(からし) 1節】
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【芥(からし) 2節】
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【赤痢とコレラ】
    【閑話休題】赤痢とコレラ

    「農業全書」に
    ヒマシ(蓖麻子)、○麻子(ひまし)の事が書いてあったので、抜書きを牽いてみた。 どうも、日清戦争は、兵隊は赤痢とコレラ、そしてマラリアとの戦いでもあったらしいのですね。

    赤痢 『虹の翼』吉村昭・文春文庫より。
       軍医の指示で、忠八はヒマシ油を飲んだ。 ヒマシ油は唐ゴマの実から採取した粘り気のある油で、最も有効な下剤と言われていた。 臭気が強く飲むのが辛かったが、かれは嘔吐をこらえて飲みくだした。 一等調剤手である忠八は、赤痢の薬としてヒマシ油以外にゲンノショウコが有効であることを知っていたので、 看護卒にゲンノショウコ五匁を三合の水で二合に煎(せん)じさせた。 そして、それを一日三回にわけて飲むことを繰り返した。 また、便が赤痢菌の伝染源であるので、消毒のためその上に石灰をまかせ、 さらに看護卒自身に焼酎か酢で絶えず手をふくことを命じた。
      (《虹の翼》P.263)

       そうした処置もむなしく、かれの症状は悪化するばかりであった。便通は日に数十回にも及ぶようになり、意識もかすむ。 肉づきは落ち、体は衰弱した。 便通を終えて辛うじて藁(わら)ぶとんに身を横たえると、すぐに下腹が痛み、 また便通のためふとんの外に這い出なければならない。 そのようなことが繰り返され、衰弱はさらに深まった。
      (《虹の翼》P.263〜264)

       「どうだ、気分は?
       軍医は、気づかわしげにたずねた。
       「なぜかわかりませんが、いい気分です
       忠八は、かすれた低い声で答えた。
       「腹痛は?
       軍医は、聴診器をとり出すと胸にあて、さらに腹部に移動させた。
       「ほとんど感じません
       忠八は、深く息をすった。
       「便通は?
       「まだ一度も……
       忠八の言葉に、軍医は表情をやわらげた。
       「きいたらしいな
       軍医はつぶやくように言った。
       「なにがです?
       忠八は、軍医を見上げた。
       「実を言うと、お前の命も長くはない、と思った。 それなら一つ賭けをしてみようと考え、昨夜、麻黄の粉末を多量にお前に飲ませたのだ。 夜半になって、お前が腹部の激痛におそわれ、嘔吐を繰り返したのもそのためだ。 おれは心配だったが、荒療治が効を奏したらしい
       軍医は、眼を輝かせた。
       忠八は、昨夜の腹痛と嘔吐の現象をようやく理解することができた。
      (《虹の翼》P.272〜274)

    コレラ、マラリア 『城下の人』石光真清・中公文庫より。
       七月の下旬になると、新竹城警備の二百余人のわが中隊も、健康者は僅かに八十名になってしまった。 ほとんどがコレラであった。 私が十歳の時に体験した熊本の西南戦争(明治十年)にもコレラが流行し、明治十九年にも全国に大流行して、兄真澄の妻満子も東京で急死したのであった。 この頃まで、コレラの予防法も治療法もなかったので、成りゆきまかせの状態であった。
      (《城下の人 コレラと青竜刀》P.290)

       病者が多くなると警備にも差支えて来るので、下痢を始めた者も、我慢の出来るだけは我慢して、 健康者と一緒の行動をとっていた。 苦しくなると横になるが、食事も同じ、便所も同じで、しかも蝿が群をなしていたのであるから、 これでは、どんどん伝染するのが当り前であろう。
      (《城下の人 コレラと青竜刀》P.290)

       いよいよ苦しくなって、下痢が続いて、水を飲んでも吐くようになると軍医の診察を受けて入院する。入院ときまれば、死の宣告と同じであった。 戦友に今日までの礼を言い、遺言を述べて、担架で運ばれて行った。 入院と言っても、何の治療も出来なかった。 病室には硝石灰を厚く撒き、その上に蓆(むしろ)を敷いてあるだけで、病室と言うより、 死体置場であった。 この蓆の上の数カ所に、水を満たした桶が置いてある。コレラという病気は、ひどい下痢と吐瀉のために、身体の水分が欠乏してくるが、飲めば吐いてしまう。 こうして苦しみながら死んでゆくのであった。 渇に堪えかねて、下痢をしながら、吐きながら、身を引きずるように、石灰にまみれて、 水桶にたどりつき、水を飲み、水を吐き、そして死んでいった。 死体は蓆で巻き、三カ所を麻縄で締めて、名札をつけてから、東門外で、火葬された。 こうして、病死者の数は戦死者の十倍に達したのである。
      (《城下の人 コレラと青竜刀》P.290〜291)

       私も、ついにコレラに罹った。 便所でひどい下痢をして兵舎に戻り、井手口寅吉を呼んだ。
       「おい、やられた……
       井手口はすぐ覚った。 私の顔色が変っていたのであろう。
       「中尉殿、大丈夫であります。 井手口がついております。 自分が必ず癒してさし上げます
       そう言って、部屋に病床を作った。軍医に報告すれば入院させられ、必ず死んでしまうから、この部屋で秘密に治療しようと言うのであった。 私は自分の運命を彼に委せた。 井手口はビール壜を五、六本集めて来て、その中に熱い湯を入れて、私の腹に当てた。 冷えて来ると、順々に熱い湯を入れては腹に結びつけて不眠の看病が始まった。
      (《城下の人 コレラと青竜刀》P.291)

       「中尉殿、下痢が出そうになっても、出さないで下さい。 我慢して下さい。 いいですか、決して出してはいけません
       私が堪えられなくなると、井手口は手の親指で私の肛門を押えて下痢を止めた。 遂には疲れて来たのであろう、足の踵(かかと)で私の肛門を押えて夜を徹した。
       「おい、井手口、済まん、ありがとう、こうまでされれば、僕は死んでも悔いないよ」 と言えば、井手口も泣声になり、
       「中尉殿、しっかりして下さい。 弱いことを言ってはいけません。 必ず、必ず井手口が癒して差し上げます」 と寝台に縋りついて肛門を押えたまま、泣き出した。
      (《城下の人 コレラと青竜刀》P.291〜292)

       こんな治療方法に効果があったものかどうか、私には判らないが、医薬品もなくなっていたし、 治療の方法もなかったから、窮余の策として、兵士たちの間で田舎の民間療法でも思い出して、 始めたものだと思われる
      (《城下の人 コレラと青竜刀》P.292)

       私たち軍人が、この初めての外地の戦いを通じて得た経験は、貴重であり、豊富でもあった。 ことに私たちが悩まされたものは、予想しなかった敗残兵の土匪化流行病であった。 わが軍の犠牲は、ほとんどが、この二つによるものであったと言ってもよい。師団長北白川宮殿下外山師団長をはじめ、多くの将兵がコレラとマラリアに仆(たお)れた。 その数は戦死者の十倍であって、軍衛生設備が無に等しいことを示していた。 将兵はこの惨憺たる戦場に堪えて、勝利を収めたのである。
      (《城下の人 夢と現実》P.305〜306)

    マラリア 『虹の翼』吉村昭・文春文庫より。
       八月二十日、日本軍は台湾南部に上陸作戦をおこない、翌日台湾をおとし入れ、 二十九日には安平も占領して、ここに全島を平定することができた。 日本軍の死傷者は約七百にすぎなかったが、病気におかされて死亡、 または内地送還された者は二万以上にも及んだ。 殊にマラリアにかかった者は一万五百十一人にも達した。
      (《虹の翼》P.303)

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【地黄(ジオウ/じわう) 1節】
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【地黄(ジオウ/じわう) 2節】
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【大黄(ダイオウ/だいわう) 1節】
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【大黄(ダイオウ/だいわう) 2節】
    藥種類 大黄(だいわう) 第八 2節

     うゆる法、一科をいくつにもわりて地深きにてよく肥へたる畠を數遍耕しこなし置きたるに、 二月畦作り、菜園の如くして、間を一尺二三寸も廣くうゆべし。 肥地に糞し手入れをよくすれば、一年立ちにも取り用ゆれども、 二年をきたるは性も強し。

     栽培法。 一株(ひとかぶ)を複数に割って使います。 土が深くてよく肥えた畑を何度か耕してこなしておきます。 2月に畦作りをして、野菜畑のようにして、1尺2、3寸間隔で(割った株を)植えます。 土地が肥地で施肥、手入れがよければ1年目でも採取出来ますが、2年置いておくともっとよくなります。

    土氣を浄く洗ひ、葛か串に貫き干し置きて用ゆべし。 是山城の長池などにて作る唐の大黄たねなり。 葉丸く厚くして、つはの葉によく似て、葉少しあかく甚だふとくさかゆる物なり。 前々より有り來る倭大黄とは、根のかたち少し似て隔(かく)別なる物なり。 長池の土は黒土の細沙雑る深き肥地なり。

     掘り取った株は土をきれいに洗い落とし、葛(くず)か串で挿し通して乾かしておいてから利用します。 これが、山城地方の長池などで作っている唐の大黄(だいおう)、唐大黄(からだいおう)の根です。 葉が丸く厚くて、つは(フキ)の葉によく似ていて、葉が少し赤みがかってとても太く育ちます。 昔から(日本の)在来種としてある倭大黄とは、根の形が少し似ていますが別物です。 長池あたりの土は、黒土で細かい砂混じりで土も深い肥地です。

    『藥種類 大黄(だいわう) 第八 2節』(P.336)
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【○麻子(ひまし)】
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【薄荷(はつか) 第十九 1節】
    藥種類 薄荷(はつか) 第十九 1節

    160207_薗に作る藥種
     薄荷、是も藥に多く用ゆる物なり。 作るべし。 二種あり。 一色はりうはくかとて気味のよきあり。 是をうゆべし。 又ひはくかと云ふあり。 あしゝ。 作るべからず。

     ハッカ(薄荷)、これも薬としてよく使われます。 作りなさい。 2種類あり、ひとつはりゅうはっかというもので、とても匂いがよい。 これを栽培すべきです。もうひとつは、ひはっかというものがあります。 これば駄目、作らないことです。
      薄荷は、ペパーミント(peppermint)のことですね。

    『藥種類 薄荷(はつか) 第十九 1節』(P.342)

    薄荷(はつか)2節 へ
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【荊芥(けいがい) 第廿一】
    巻之十 藥種類 荊芥(けいがい) 第廿一

     けいがいも多く用ゆる藥なり。 菜を植ゆる如く畦作りし、たねをちらしまきをき、苗にしてうゆる事薄荷と同じ。 少し間遠にうゆべし。 六月土用に葉を取り干すべし。 七月葉はかへたる時又取るべし。 其後七月花咲きて刈り取りあみて干し、其のまゝ藥屋にうるべし。 少しみのらんとする時刈り取るものなり。

     荊芥(けいがい)も多種の藥薬に使われます。 菜を植えるのと同じ様に畦を作ります。 タネは散らし蒔きにします。 その後の苗植えも薄荷の作り方と同じです。 苗植え時は少し間隔を空けて植えます。 6月の土用の頃に葉を採取して乾燥させます。 7月に代りの葉が出てきたらそれも採取します。 その後、7月に花が咲いたら(全草を)刈り取って編んで乾燥させて、そのまま薬屋に売ります。 少し実が付きそうな時に刈り取ると良いです。
      功能は風邪頭痛腫れ物など。

    『巻之十 藥種類 荊芥(けいがい) 第廿一』(P.343)
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【柳(やなぎ) 第九 2節】
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【梅(ウメ/むめ) 第二 1節】
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【梅(ウメ/むめ) 第二 2、3節】
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【小薊(あざみ)】
    巻之五 山野菜之類 小薊(あざみ) 第十一

    160220_農業全書
     あざみ色々あり。 菜にし食するには萵苣(ちさ)の葉に似て廣く、刺なくやはらかにして、菜園に作る物あり。 苗の時、又はわかき時、葉をかぎ茹(ゆび)きてあつ物、あへ物、ひたし物などに用ゆべし。 精をやしなひ、久しき血をやぶり、新しき血をまし、其性よき物なり。 作様ちさに同じ。 菜園の端々などに作るべし。

     アザミも各種あります。 菜にして食用になるのは、萵苣(ちさ)の葉に似ていて、広く、刺がなくて柔らかいもので、 菜園で作ることが出来ます。 苗やまたは成長中に、葉を掻き取って茹でて羹(あつもの)、和え物、浸し物などに使います。 精力増進、血が新しくなる増血作用もあり、性質のよい植物です。 作り方は、チサ(萵苣)と同じです。 これも、菜園の端っこなどに作っておくと良いでしょう。

    『巻之五 山野菜之類 小薊(あざみ) 第十一』(P.190)
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【苦菜(にがな) 第十二】
    巻之五 山野菜之類 苦菜(にがな)第十二

    160220_農業全書
     にがな、一名は荼(ど)と云ひて古より名ある菜なり。 凡味も蒲公英に類せる物なり。 惡瘡、血淋又は目を明らかにす。 此外さま/”\功能多し。 菜園の端々に少々作るべし。 作り様たんぽゝにかはる事なし。

     にがな(苦菜)は、荼(ど)という植物で昔からある菜類です。 味はタンポポ(蒲公英)などに似ています。 たちの悪い腫物(あくそう、悪瘡)、血尿になる淋病(けつりん、血淋)や目薬にもなります。 そのほかにも色々の功能のあるものです。 菜園の片隅にでも少しは作っておくと良いです。 作り方も、タンポポと同じです。

    『巻之五 山野菜之類 苦菜(にがな)第十二』(P.190)
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【冬瓜(とうぐわ) 第十二】
    巻之三 菜之類 冬瓜(とうぐわ) 第十二

     冬瓜うゆる法、灰に小便をうちしめし置きて、是を泥とかきまぜて、 地に厚くしははゞ二尺(ばかりに筋を切り間四五寸程に)一粒づゝ蒔き、たねの上にも、 又右の灰ごゑを厚くおほひ、水をそゝぎ置きて、其後又水糞をそゝぐべし。 乾く時は水をそゝぎたるよし。
    芽立ち灰をいたゞきて出づるを見て、灰をもみくだき、根のわきに覆ふべし。 其後も糞水をそゝぎ、三月中旬苗ふとく成りて移しうゆべし。

     トウガン(冬瓜)を植える方法。 灰に小便を掛けて湿らせておいて、それに泥を入れて掻き混ぜます。 それをこなして、幅2尺、間隔4、5寸くらいに1粒ずつ種を蒔きます。 その上にも、灰肥を厚く覆って、水を注ぎます。 その後も、水肥を注ぎます。 乾き気味の時には、水を注ぐのがいいのです。
    灰を被ったままで芽立ちしますので、灰を揉み砕いて根の脇を覆います。 その後も、水肥を遣ります。 3月頃に苗が太くなるので、移植(苗植え)します。


     うゆる地の事、畦のはゞ五尺ばかりに作り、又其間を四五尺をきて穴を作り、 肥土を入れ置き、雨を見て一本づゝ土をつけてほり取りてうゆべし。 灰糞を多く置き、水ごゑは度々そゝぐべし。
    さてつるながく出づるを棚をかき引上げをくべし。 又地にはゝせたるもよし。 是も柴などを立てて手をとらすべし。 凡黄瓜とかはる事なし。
    冬瓜はふとく成りたりとも、未だ白き粉を生ぜざるをばとるべからず。 早くもぎたるはくさりやすし。 霜下りてのち、よく熟して白粉のよく出でたるは、春まで置きても損ずる事なし。
    鹽味噌の類に漬け又は干瓢のごとくしても夕がほにをとらず、殊に性のよき物なり。 又切干にするはうすく切りて、灰にまぜて干せば、日よはき時も早く干るなり。 に物あへまぜ物等に用ひて歯もろく味よし。

     (苗を)植える地は、幅5尺ほどに畦作りをします。 その間を4、5尺間隔で穴を掘って、堆肥を入れて、雨もよいの時に、苗を1本ずつ土を着けたままで掘り取って移植します。 灰肥を多く入れ、水肥も度々注ぎます。
    蔓(つる)が長く伸びる頃合には、棚を作って絡ませます。 また蔓は地面に這わせてもよいです。柴などを立てて手を取らせるのもよいです。 胡瓜(きゅうり、黄瓜)の蔓の扱い方と同じです。
    トウガンは太くなってっても、表面に白い粉が出てくるまでは取ってはいけません。 早く収穫してしまうと、腐りやすいのです。 霜が降りてから、完熟して白粉が良く出てきてから収穫したトウガンは春まで置いても腐りません
    塩味噌に漬けたり、カンピョウ(干瓢)の様にしたりしてもユウガオ(ゆうごう、夕顔)にも劣りません、特に相性も良いです。 切干しにするには薄く黄って灰に混ぜて干すと、日当りが弱くなった時でも早く乾燥します。 煮物和え、混ぜ煮物などに使えば歯ざわりも良く味も良いです。


    『巻之三 菜之類 冬瓜(とうぐわ) 第十二』(P.149〜150)
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【萵苣(ちさ)】
    巻之四 菜之類 萵苣(ちさ) 第九

    160219_ちさ
     ちさ種々あり。 葉の丸きあり、長きあり、長くとがりたるあり。 緑色なるあり、うす黒きあり、紫もあり、 中にて葉丸くひろく、たうをそく立ち、久しくさかへ、和らかにして味甘く、五六月まで葉のさかんなるあり。 之を求めてうゆべし。 是は六月にたねを取りをきて、八月早く蒔くべし。 肥地をこしらへ置き、苗さかへたる時、畦作りし、よきほどにがんぎを切り、六七寸に一本づゝうゆべし。 糞水を根のわきよりそゝぎ、シ甘水(シロミズ)小便を二三日に一度づゝ少しあて、 朝そゝぎたるはよくさかへ、やはらかにして、いか程かぎとりても盡くる事なし。
    苗ふとり次第、十月霜月正二月にかけうゆべし。 されども年内うへて細根よく出であり付きたるは、春になりてよくさかへはる物なり。 春になりてうへたるは葉しげからず、其さかへをとるものなり。

     萵苣(チサ、チシャ)各種あります。 葉が、丸い、長い、長く尖る。 色が、緑色、薄黒、紫。 その中で、葉が丸く広く、薹(とう)が立つのが遅く、長く生育して、柔らかで味は甘く、5、6月まで葉が茂っているチサがあります。 この種類を育てると良いでしょう。 これは、6月に種を取っておいて、8月早目に蒔きます。 肥地作りをしておいて、苗が出てくる頃に畦作りをします。 見計らってガンキを切って、6、7寸毎に1本ずつ苗植えをします。 水肥を根の脇から注いで、薄めの小便を2、3日に1回少しずつ撒きます。 朝に注げば、よく茂って柔らかで、どれだけ採取しても減りません。
    苗が太ってきたものを、10月から2月頃まで植えます。 年内に植えて細根がしっかりと育ったチサは、春になってから良く茂ってきます。 春になってから植えたチサは、葉の茂りがよくなくて、(年内植えに比べると)劣ります。


     是も四季ともにたねを蒔きて苗を食し、いつもやはらかにして腹中をなめらかにし、 色々料理に用ゆる物なり。
    又四月たうの立ちたるを折りて皮をさり、水に漬け、苦味をぬかし、醋に浸し、膾のつまにし、 紫蘇漬などにして珍敷き物なり。

     チサは季節を問わず種を撒いて苗を食材として、いつも柔らかで胃に溜まらず(腹中をなめらか)、 色々の料理に使われます。
    4月に伸びきって盛りの過ぎた(薹が立つ)チサを折って、皮を取り、水に漬けて灰汁抜きして、酢に浸して、 なます(膾)の具材にしたり、紫蘇漬(しそづけ)などにして珍味風になります。


    種取用は折っておく
    種子を取るには花咲き實らむとする時、末を折かけて置くべし。 其まゝ置きたるは粃多し。 蚊花を吸ふ故に實り少し。 梅雨の時分、外に有りて花房雨を受けて黒く枯るが故也。 何れにしても枯れぬ程に折り懸け置くべし。

    種を取るには、花が咲いて実がなりそうな頃合に、先を折っておきます。 そのままにしておくと、しいら(粃、実無しの殻)が多くなります。 蚊が花を吸うので結実する実が少なくなるのです。 梅雨時に、花房が外を向いているので、雨で黒く枯れてしまうのです。 いずれにしても、枯れない程度に折って倒しておくのです。

    『巻之四 菜之類 萵苣(ちさ) 第九』(P.168〜169)
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【褊豆(へんづ) 第十六 2、3節】
    褊豆(へんづ) 第十六 2節

     扁豆に黒白の二種あり。 白きは白扁豆とて藥種に用ゆる物なり。 凡此類甚だ多し。 其中に南京豆極めて味よし。 秋の末冬の初おほく實り、莢ともに(但莢のふちの筋を去れば實入りて後もよし)日用の食物に用ひて益多き物なり。 農家多く作るべし。
    此扁豆の類は、其根さへ肥地によくはびこりぬれば、其つるは民家の軒屋の上にはひ、或は籬にはゝせ、 棚をかまへてまとはせ、又屋敷境の嶮き岩ばなさがしき片岸の野山、枯れたる立木などにもはひひろごり、 都べて農家無用の地に生長し、みのり多くよろしき物なり。

     扁豆(へんず)には黒と白の2種類があります。 白い種類は、白扁豆といって薬として使います。ただこれらの種類はとても多いです。 その中では、南京豆はとても味が良いです。 晩秋初冬に実ります。 莢(さや)だけでも日常の食物として使い使い勝手のよいものです。 莢の縁の筋(縫線(ほうせん)?)を取ると実が入っていても大丈夫。農家は大いに作るべきです。
    扁豆の類(たぐい)は、その根だけ肥地に生えていれば、蔓(つる)は軒などに這わせ、または垣に這わせたり、 棚を作って纏わせても、家屋敷の堺の険しい岩のあるようなあたり、片面が急勾配になっているような斜面、枯木などにも這い広がって、 全て耕地として使えない場所でも成長して、実りも多いので手間もかかりません。


    褊豆(へんづ) 第十六 3節

     此類の豆うゆる時分の事、三月の節たねを下し、少し土をかけ、灰を以ておほふべし。 土をおほくかくべからず。 芽立三四寸も出づる時分けて種ゆべし。 尤も種付にするは猶宜し。

     これらの種類の豆を植える時節は、3月に種を蒔いて、少し土をかけて、灰で覆っておきます。 土はあまり多くはかけないことです。 芽立ちが3、4寸ほどになったら、苗植えをします。 種を蒔いて、そのまま(移植しないで)育てても勿論良いです。

    『褊豆(へんづ) 第十六 2、3節』(P.122)
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【褊豆(へんづ) 第十六 1節】
    褊豆(へんづ) 第十六 1節

    160124_へんず
     扁豆又たう豆とも云ふ。 民俗には八升豆とも云ふ。甚だ多く實り、一本に八升もなると云ひならはせり。 又天竺豆近時渡る南京豆、隠元、さゝげなどと云ふも此類なり。

     褊豆(へんづ)は、扁豆(へんず)また、とうまめともいいます。 作っているその地方では、八升豆ともいっています。 とても多く実り、1本で8升にもなる、といわれている事からきています。 また、天竺豆や最近日本も作られてきた南京豆隠元(いんげん)、ささげなどという豆類もこの仲間です。

    『褊豆(へんづ)第十六 1節』(P.121)
    褊豆(へんづ)2、3節 へ

    ついつい、いんげんこき
    以下の【赤字】は、簡便辞書で引きました(^^;

    【八升豆】和名は収量が多いことからとも、古く八丈島を経て渡来したからとも。漢名に黎豆をあてる。おしゃらくまめ
      【御洒落】おしゃれ。おめかし。江戸時代、宿駅などにいた売春婦。

    【天竺豆】八升豆」の異名。「空豆」の異名
      【空豆・蚕豆】空に向かって直立するところから。未熟の種子は煮食、熟した種子はいり豆甘納豆煮豆(あん)や味噌醤油などの原料。 茎・葉は家畜の飼料や緑肥。漢名、蚕豆南豆とうまめやまとまめしがつまめ野良豆
        蚕豆は『蚕豆(そらまめ)第十三(P.117)』にあり。大和豆はたう豆とも。
        【野良豆】のらまめ、「豌豆(えんどう)」の古名。「空豆」の異名。「蔓豆(つるまめ)」の異名
          【豌豆・薗豆】えんどう、のらまめぶんとう。「空豆」の異名
            【文豆】ぶんどう、「八重生(やえなり)」の異名(※下部へ別項)
          【蔓豆】つるまめ、本州、四国、九州、シベリア東部、朝鮮、中国の原野に生える。ダイズの原種と考えられる。家畜の飼料や水田の肥料。ダイズ(大豆)は、『巻之二 五穀之類 大豆(まめ)第十』(P.112)へ。

    【南京豆】南米原産、日本へは中国を経て江戸時代の初めに渡来。 種子は炒(い)って食用、ピーナッツバター・食用油・人造バター・石けんなど。 茎・葉を含め家畜の飼料や緑肥として利用。 とうじんまめとうまめいじんまめおにまめかんとうまめじまめそこまめ落花生ピーナッツ。「藤豆」の異名
      【底豆】そこまめ、「南京豆」の異名
      【落花生】らっかせい、南京豆
      【ピーナッツ】(英peanuts)、落花生のこと。南京豆
      【藤豆・鵲豆】ふじまめ、熱帯アジアないしアフリカの原産、江戸初期、中国から隠元禅師がもたらしたとも。 若いときに採って食用。関西地方ではインゲンマメ扁豆せんごくまめあじまめてんじくまめひらまめ。 「隠元豆」の異名。 「八升豆」の異名
        【千石豆】せんごくまめ、「藤豆」の異名
        【△豆】あじまめ(あぢ‥)、「藤豆」の古名
        【平豆】ひらまめ、「藤豆」の異名

    【隠元豆】未熟果をさやのまま食べるものをさやいんげん、さやの丸いものをどじょういんげんという。 隠元禅師が中国からもたらしたとするが、伝えたものは、別種のフジマメであるとも。 隠元は二種の豆を持参、関東にはゴガツササゲ、関西にはフジマメを広めたという説もあり。 ごがつささげいんげんささげにどささげさいとうさんどまめいんぎん
      【莢隠元】隠元豆。未熟果で、莢のまま食用とする。
      【五月●豆】ごがつささげ、「隠元豆」の異名
      【隠元●豆】隠元豆」の異名
      【菜豆】さいとう、「隠元豆」の異名
      【三度豆】さんどまめ、「隠元豆」の異名莢豌豆(さやえんどう)の異称
        【莢豌豆】さやえんどう、豌豆(えんどう)のこと。豌豆は『豌豆(ゑんどう)第十四(P.120)』にあり。
        【隠元】いんぎん、「隠元」の変化した語

    【●豆・大角豆】ささげ、中央アフリカ原産、日本でも古くから栽培。 白・黒・褐色・赤褐色など品種によって異なる。おびただしい数の栽培品種。 若莢を食用とするサヤササゲ、種子をとるミトリササゲまたはハタササゲに大別。 また、ジュウロクササゲサンジャクササゲなど莢の著しく長くなる一群あり。 種子はの原料、強飯(こわめし)の材料。 女にたとえていう語(男にたとえるのは竹)。
    ささげは、『巻之二 五穀之類 豆エ豆(ささげ) 第十五』(P.120)にある。“豆エ”は掲載子のウソ字です。
      【旗●豆】はたささげ、 熱帯アフリカの野生植物から改良されたといわれる。ササゲの変種。 茎は多くは直立し、豆果は若いときは上を向く。眉豆つぶささげあずきささげみどりささげみささげはたけささげ
        【小豆●豆】あずきささげ、「旗●豆」の異名
      【十六r豆・十六大角豆】じゅうろくささげ、 初めから色が淡く柔軟。若い莢を煮物などに用いる。 ながささげさんじゃくふろさんじゃくささげじゅうはちささげ
        【長●豆】ながささげ、「十六●豆」の異名
        【十八●豆】じゅうはちささげ、「十六●豆」の異名

    【八重生】やえなり、 インド原産、古く中国を経て渡来し栽培。 種子はアズキに似るがやや小さい、緑色または黄褐色。 種子でもやしを作り、粉ははるさめの原料。 一つ株に多数の豆果を結ぶところからの名。 ぶんどうまさめあおあずきりょくずりょくとう
      【緑豆】りょくず、「八重生」の別名
      【緑豆】りょくとう、「八重生」の別名
       緑豆は、『巻之二 五穀之類 緑豆(ろくづ)第十二』(P.117)の項がある。いなかにてはまさめと云ふ、とあり。

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【冬葵子(とうきし) 第二十】
    藥種類 冬葵子(とうきし) 第二十

    160210_薗に作る藥種
     冬葵子、是も藥園に作りて賣るべし。 十一月たねを蒔き夏實り次第に刈收めて、又二番を立つる物なり。 是は小葵とて葉にまたありて花紫なり。 小さくして見るに足る物にあらず。 葉丸くし花大きに愛らしきは藥にならず。

     とうきし、これも薬園に作って売るべきです。 11月に種を蒔いて、夏に実り次第に刈り取ります。 すると、二番立ちも育ってきます。 この種類は、小葵といって葉には切れ目があり、花は紫です。 小さくて観賞して愛でるほどのものではない。 また、葉が丸くて花が大きい愛らしい種類がありますが、この種類は薬にはなりません。
      どうやら、寒葵(かんあおい)か冬葵(ふゆあおい)という植物らしい。 寒葵(かんあおい)であれば、根が利尿薬かぜ薬となる。 冬葵(ふゆあおい)であれば、葉は野菜として食用、種子は利尿薬になる。らしい。

    『藥種類 冬葵子(とうきし) 第二十』(P.343)
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【香○(コウジュ/かうじゆ)】
    藥種類 香○(かうじゆ) 第廿二

    160208_薗に作る藥種(農業全書)かうじゆ
     香○、是大小あり。 小香○とて、葉細くみどり少したはみて、長刀のやうに見ゆる、俗になぎなたかうじゆと云ふ。 園に作る事、又干し上ぐるまで荊芥にかはる事なし。 山野に自ら生ずるが勝れり。

     コウジュは、大きいものと小さなものがあります。 小コウジュというのは、葉が細く緑色、少し撓んでいて薙刀(ナギナタ)の様に見えます。 それで、俗にナギナタコウジュといいます。 栽培の方法と、干し上げる方法もケイガイ(荊芥)の作り方と同じです。 ただ、山野に自生しているコウジュの方が薬効があります。
      利尿剤、解熱、浴湯料。暑気払い薬。江戸時代には、霍乱(かくらん)の薬として、旅行者が携行した。とあり(以上は簡便辞書より)。 霍乱とは、熱中症のようなもの。

    『藥種類 香○(かうじゆ) 第廿二』(P.343〜344)
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【茴香(ういきやう) 第十一】
    藥種類 茴香(ういきやう) 第十一

    160207_薗に作る藥種
     ういきやうは屋敷内など肥地をゑらび作るべし。 やせ地にはよからぬ物なり。 蒔き置き、苗にして菜をうゆるごとく、間を二尺ばかりに廣くうゆべし。 うへ付けにするもよし。 其年はいまだ子少し。 尤も見合せ糞を用ひてよし。

     ういきょうは、庭などの肥地を選んで植えるとよい。 瘠せ地では育ちにくいです。 タネを蒔いて、その後、苗植えにします。間隔は2尺ぐらいに離して広めに植える。 植え付けにしてもよいが、その年はまだ実が少ししかなりません。 状態を見て肥を入れてもよいです。
      茎葉実ともに香りあり、香味料に。 実は健胃剤、去痰剤、石鹸などの香料に。くれのおも(呉の母)、アネイスとも。

    『藥種類 茴香(ういきやう) 第十一』(P.339)
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【天門冬(てんもんどう) 第十五】
    藥種類 天門冬(てんもんどう) 第十五

    160207_薗に作る藥種
     天門冬は山谷に自ら生ずる物なり。 されど、苗を藥園にうへ、糞養をよくすれば根甚だ多く大(ふと)し。 蜜漬にし、砂糖につけて好き物なり。 深く柔かなる地にうへ、枝竹にはゝせ、又棚を作りまとはするもよし。 纔の土地にても手入によりて根甚だ多く出る物なり。 春苗をうへて九十月堀り取るべし。 是又藥屋にうりて利なき物にあらず。

     てんもんどう(天門冬)は山野に自生します。 それでも、苗を圃場に植えて施肥をして世話をすれば、根がとても太くなります。 蜜漬にしたり、砂糖に漬けても大変美味しいものです。 深い軟らかな土に植えて、竹の枝などに這わせるか、棚を作って纏わせてもよいです。 わずか(纔)の土地でも、手入れ次第で根は沢山出来ます。 春に苗を植えて、9、10月に掘り取ります。 これも薬屋に売れば、そこそこの利益はあります。
      天門冬は、草杉蔓(くさすぎかずら)という植物らしいのです。 ひょっとして、この植物ではないかと思います。自信がないのですが、とても気になる植物です。

      −120504_伊南へ・久川城跡−
      これは、2012年5月4日に、南会津町の伊南地区にある久川城跡地です。 地形や構築物(上物はありませんが)は史蹟として保存されている場所です。 そしてこれが、蛇の鬚(じゃのひげ)とか慰が鬚(じょうがひげ)という植物ではないかと想像しています。

    『藥種類 天門冬(てんもんどう) 第十五』(P.340)
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【瀉寫(たくしゃ) 第廿三】
    藥種類 瀉寫(たくしゃ) 第廿三

    160207_薗に作る藥種
     たくしやは水田にうへてよし。 是も藥屋にうるべし。 藺をうゆる法に同じ。 丹波にて尤多く作る。

     たくしゃ(沢瀉)は水田に植えます。 薬屋に売れます。 作り方は、藺(い、イグサ)と同じです。 丹波地方が最大の産地になっています。
      匙沢瀉(さじおもだが)、塊茎からつくる漢方薬は利尿・止渇剤。とあり。

    『藥種類 瀉寫(たくしゃ) 第廿三』(P.344)
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【麥門冬(ばくもんどう) 第廿四】
    藥種類 麥門冬(ばくもんどう) 第廿四

    160207_薗に作る藥種
     ばくもんどう、是に大小二種あり。 大きなるはやぶの中に多し。 紫花をひらく。 性尤もよし。 大小共に圃に通りをなしてうへ、時々糞水をそゝげば、其根子大きなり。 圃に作りたるは大にして、野に生ゆる物にまされり。

     麦門冬(ばくもんどう)は、大小2種類あります。 大きい物は藪の中に多く自生しています。紫の花が咲きます。薬種としての性質も良いです。 大小共に、圃場に列を作って植えて、時々肥水を注げば、根っ子は大きくなります。 圃場に作れば大きく育って、野に自生している物に優ります。
      蛇の鬚(じゃのひげ)、慰が鬚(じょうがひげ)、竜の鬚(りゅうのひげ)、はずみだま、

    『藥種類 麥門冬(ばくもんどう) 第廿四』(P.344)
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【家鴨(あひる) 第三】
     生類養法 家鴨(あひる) 第三

     あひるは池河など水邊にて多く畜ふべし。 水草も多く稗など多く作るべき餘地ある所尤よし。 其邊りに小屋を作り、内に楼(とぐら)を作りて狐狸などの災なき様に、いかにも堅くかこひて、 雌鳥十あれば、雄鳥二つか三つの積りにて、土地と手前の分量によりて、いか程多くも畜ふべし。 雑穀粃は云ふに及ばず、浮草を多く入れ、又は野菜のゑりくづをいか程もおほく入るゝ事一入よし。 晝は水中に遊び、夕方悉くむらがり集り來たり、塒に入るやうに常にならはしをくべし。 他の仕事のならざる下人童などある物なれば、其口すぎは必ずある物にて、年中の玉子は利分となるべし。 一鴨一年に百五六十の卵は産む物なれば、百雌鴨の卵凡一萬五六千、此値安くとも一貫目餘はあるべし。 三分一は飼料萬の費となりても、過分の利潤なり。 池澤など人家に近き所あらば、才覚ある人は見立てゝ多く畜ふべし。 手足の不具なる物、農事のあらく強き働らきなりかぬる者に守り飼はすべし。 第一は其者の困苦を助け慈仁ともなるべし。

     アヒルは池や川などの水辺で多く飼うと良いです。 水草も多く、稗(ひえ)などを多く作るような場所で余っている土地があればもっと良いです。 水辺のそばに小屋を作って、中に塒(ねぐら)を作ります。 キツネやタヌキに入られないように、厳重に囲いをします。
    メス鳥10羽に対してオスを2、3羽くらいの配分で、土地と自分の力量で出きる規模で飼えば良いです。 餌は、雑穀、籾ガラは勿論、浮き草など、または野菜の選りクズなどを多く入れると一層良いです。 昼は水の中で遊んで、夕方には一斉に集まってきて、塒に入るように訓練して慣れさせます。
    重労働の出来ない人や子供などがいたら、その人たちの食い扶持程度の稼ぎにはなり、1年中の卵の分は丸々利益にもなります。 アヒル1羽で1年に150から160ほどの卵を産むので、100羽の雌なら、1萬5、6千個です。 値段にして安く見積っても1貫目程になります。 1/3を飼料代や人件費その他としても、結構な利益が出ます。 家の近くに池や沢など水辺の土地があれば、目論見算段のできる人は計画して多く飼うことです。 体の不自由な人や、農作業の重労働に向かない人に見張りと世話を頼んで飼えば良いと思います。 それは、困った人を助ける事にもなり、慈善にもなる事です。


    『生類養法 家鴨(あひる) 第三』(P.326〜327)
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【川●(せんきう) 1、2節】 16/06/29改訂
    巻之十 藥種類 川●(せんきう) 第七 1節

    (●は“草かんむり”に“弓”)

    141019_せんきう

     川●も良藥なり。 古は本朝にはなかりしを、寛永の比長崎よりたねを傅へ來て、大和にて多く作る。 其外諸所に作るは性よからず。

     せんきゅうも良い薬です。 昔は日本にはありませんでした。 寛永時代に長崎に苗根(たね)が伝えられて、関西地方で多く作るようになりました。 その他の地方で作っているのは質が悪いです。

    巻之十 生類養法 藥種類 川●(せんきう) 第七 2節

     先づたねに取り置く事は、蘆頭と又は小節のある細き所をほり取る時期にゑり分け置き、 桶か箱に砂を入れいけ置きて、すぐれて肥へたる性よき土の上畠を冬よりさい/\耕し熟したるを、 又二三月の比よくこなし畦作りし、横筋を麥をうゆるごとく、八寸一尺許りも間を置きて切り、 ならびの間も六七寸に一科づゝうへ、土をおほひ置き生へて後芸ぎり培ひなど他の作り物に同じ。

     苗根(たね)を取り置く方法です。 蘆頭とまたは小さい節のある細い部分を、掘り取る時に選り分けて、桶や箱に砂を入れて活けておきます。 肥沃で性の良い土の上畑を冬の間に何度も耕して熟させておきます。 2、3月頃に土をよくこなして畦つくりをします。 麦を作る時の要領で、横筋を8寸から1尺ほど間を置いて畦を切ります。 植える並びの間は6、7寸に一株ずつ植えて、土を覆います。 生えてきてからの、草むしり培い方法などは他の作物と同じです。
      蘆頭(ろず):薬用の植物の根や茎で、薬用にならない部分。(簡便辞書より)

    『巻之十 藥種類 川●(せんきう) 第七 1、2節』(P.335)
    川●(せんきう) 3節
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【川●(せんきう) 3】 16/02/08変更
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【川●(せんきう) 第七 4、5節】
    巻之十 藥種類 川●(せんきう) 第七 4節

     掘り取る事は十月十一月の間よし。 鬚をよくむしり、わきの細根も悉く去りて、浄く洗ひかはかしおくべし。

     掘り取り(収穫)は、10、11月頃です。 ヒゲはよく毟って、脇の細い根も全部なくして、きれいに洗って乾かしておきます。

    巻之十 藥種類 川●(せんきう) 第七 5節

     釜に湯を立て一あは煮て箸にてさして見るに、よくぬくる時其まゝあぐべし。 煮へ過ぐればあしゝ。 干し上る事は干過ぐると云ふ事なし。 是又四物湯の一色。 其外諸方に多く用ゆる物なり。 山下など性よき肥地ある所にては多く作るべし。 厚利の物なり。

     釜で湯を沸かして、一煮立ちさせます。 煮あがり具合は箸をさしてみて、するっと抜けそうなら出来上がり、そのまま釜から上げます。 煮過ぎるのは良くないです。 ただ、乾燥させるのは、干し過ぎということはありません。 これも、4大薬湯のひとつです。 山裾などで良い肥地がある場所では作るべきです。

    『巻之十 藥種類 川●(せんきう) 第七 4、5節』(P.335)了
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【婆羅得(はらとく) 第十】
    諸木之類 婆羅得(はらとく) 本草に出づ 第十

     白木と云ふ。 實あり。 油をとる。 江州所々にあり。 畠にうゆ。 民用を助くるといへり。

     白木というものです。 実があり、油を取ります。 江西省には各所にあります。 畑に植えます。 日常生活でも有用です。

    わからない、、、中国の本「本草」をそのまま引写したのでしょうか。 波羅門(バラモン)とか梵天(ぼんてん)の木とか、「わかりませーん」。
    白木があまりにも一般呼称と思ったが、簡便辞書で芋蔓引きをしてみると、【白木】しろき【白木】しらきトウダイグサ科の落葉小高木。種子は食べられ、灯油や髪油の原料。材は白色で細工物、薪炭などとする。ひろはしらきこくどのかしとある。
    これなら、実あり。油をとる。民用を助くる。は辻褄が合うかも。こら!


    『諸木之類 婆羅得(はらとく) 第十』(P.304)
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【山茶(つばき) 第十二】
    山茶(つばき) 俗に椿の字を用ゆるは非なり 第十二

     山茶は花を賞するのみならず、實を取りて油とすれば甚だ民の用を助く。 山邊など屋敷廻り、土地を見合せて多くもうゆべし。 幹は材木ともなるものなり。

     ツバキ(山茶)は花を愛でるだけではなく、実から油をつくると大変生活の役に立ちます。 山裾や家のそばなど、土地の具合で勘案して多く作っても良いでょう。 幹は用材にもなります。

    『諸木之類 山茶(つばき) 第十二』(P.305)
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【蒲公英(たんぽぽ)】
    巻之四 菜之類 蒲公英(たんぽぽ) 第十七

     たんぽゝは秋苗を生じ、四月に花さく黄白の二種あり。 花は菊に似てあいらしき物なり。 夏穂を取りをき正月蒔きて苗にして移しうゆるもよし。 山野におのづから生ふるを苗にするもよし。 味少し苦甘く料理に用ゆる時、葉をとりて茹き、ひたし物、あへ物、汁などに料理してよし。
    是を食すれば大用の秘結をよく治するなり。 圃の廻り菜園の端々、多少によらずかならずうゆべし。 食毒を解し氣を散じ、婦人の乳○(にうよう)を治す。

     タンポポ(蒲公英)は、秋に苗が出てきます。 4月に花が咲きます。花は黄色と白色と2種類あります。 また花は麹の花にもにてかわいらしい花です。 夏場に穂を採取しておいて、正月頃に蒔いて苗植えにするのも良いでしょう。 野良に自然に生えてきているのを、苗にしてもよいです。 味は、少し苦くて甘いです。 料理に使う時には、葉を摘んで湯びきして、浸し物や和え物、汁などに使います。
    食べると、便秘にも効果があります。 庭の隅とか植栽地の端っことか、多少に関わらず植えておくと良いです。 食物の毒消し効果もあり、気持ちを落ち着かせたり、婦人の乳の腫物(にゅうよう、火ヘンに“癰”で1字)(病気か乳がでないとか?)にも効果があります。


    『巻之四 菜之類 蒲公英(たんぽぽ) 第十七』(P.176)
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【菘(うきな) 第三】
    菘(うきな) 蕪菁に似て別なり 唐の書に何れも別に出せり 第三

    蕪菁(かぶ)に似ているが別物です、唐の書でも別項としている。と明示しています。

     うき菜と云ふ、京都にてはたけ菜と云ふ。 苗に蒔きて溝に水をしかけたるを水菜と云ふ。 近江の兵主菜(ひやうずな)、田舎にて京菜と云ふ。 ほり入菜と訓ずるは誤なり。 江戸菜は其根大根のごとく長し。 其蒔きやううへ様共に蕪菁に同じ。 其味蕪菁にまされり。 菜の上品とす。 其品類多しといへども、京都、近江、江戸にあるを尤よしとす。 根大きなるあり。 小きあり。
    藥中に甘草あるを服する人菘を食すべからずと云ふ。 凡菘かぶらの類雇醫しらずして、大根と同じく地黄にいむと云ふ。 あやまりなり。
    又菘の實の油をとりて刀剣にぬればさびず。

     うきな(菘)と言います、京都でははたけ菜と言っています。 苗を作ってから、水のある場所植えたものをミズナ(水菜)と呼んでいます。 近江地方では兵主菜(ひやうずな)と呼ばれて、田舎の方では京菜と呼んでいます。 ほりいりな(掘入菜)と読んでいるのは間違いです。 江戸菜と呼ばれるその根が大根の陽に長いものもあります。 これらの蒔き方や植え方は、蕪菁と同じです。 蕪菁よりも味が良いです、菜類の中では上品といって良いでしょう。 この様にウキナのの品種は多いですが、京都、近江、江戸で栽培している品種が良いと言われます。 根も大きい物や小さい物もあります。
    カンゾウ(甘草)の入っている薬を飲んでいる人は食べてはいけないと言われています。 うきなや蕪(かぶ)は、雇い医者要らずといって、大根と同じく地黄(じおう)と一緒に食べてはいけない?(大根と一緒に植えるべからず?意味は違うかも?)とも言われますが、これは間違いです。
    また、ウキナの実の油は、刀剣に塗ると錆びません。


    『菘(うきな) 第三』(P.133〜134)
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【油菜(あぶらな)第四】
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【宮崎安貞傳】
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【畠稲(はたけいね)、旱稲(ひでりいね)、野稲(のいね) 第二 4】
    畠稲(はたけいね) 又旱稲(ひでりいね)共云ふ、又ゐなかにては野稲(のいね)とも云ふ 第二 4

     唐にて毎度旱損する國に、此旱稲のたねを他國より求め来りて作りてより後、飢饉のうれへを助(たす)かりたりと農書に記せり。是占城稲のたねと見えたり。
    然れば何れの村里にも田には水乏しく、畠にしては湿氣ありて思ふやうに耕作のなりがたき所かならずある物なれば、 畠稲の作り様心あひをよく考へて作り試むべき事也。
    思ひの外相應して水稲の利分におとらざる事もあるなり。
    前に述るごとく、惣じて其所に前々より作り来りたる物ばかりと思ひ入り、 奮きならはしにまかせ、更に廣く才覺工夫をば用ひずして、偏に管の穴より天をうかゞひたるふぜい、 又は怠り無精(ぶしやう)にして他の作り物は此地にはあはぬとばかりおもふは無鍛錬の至り、口おしき事なりと、古人も譏(そし)り戒めたり。
    尤土地風氣の違にて、かつて其所に合はざる物も有りとは見えたれども、 それは稀なる事にて、大かたは手入れしかけによりて出来る物なれば、 五穀は云ふに及ばず、あらゆる品々の物たねを求め、其法をならひて心を盡し作りて見るべし。
    間には其の名物と云ふ物程こそなくとも、思ひの外に利を得る物もあるべし。
    土の性も人の才智と同じ心にて、必ず得手不得手ある事なれば、 委しく心を用ひて其地の相應を能く見わけ、能く其手入をならひてつとめたらんには、 只今まで作り来れる纔の田畠の内にても、其利潤そくばくもちがひあるべし。

     唐では、毎年日照りで(稲の)取れない地方で、この旱稲(ひでりいね)の種子をよそから持ち込んで栽培をするようになってから、飢饉の心配がなくなってとても助かっている、と(唐の)農書にも書いてあります。 これはおそらく、占城稲の種子だろうと推察できます。
    国内(日本)のどこの村里でも、水の引けない田圃や、畑にするには湿り気が多くてなかなか思うように栽培の出来ない場所は大抵ありますので、そういう場所では、作り方や(他の植物)との効率を考えに入れて、畠稲を試しに栽培してみるとよいです。
    案外、水稲よりも利分が高いこともあります。
    前述しましたが、ここで昔から作ってきた物がいいのだ、と思いこんで旧風に固執して、創意工夫をしないで、管の穴から天井を覗くような狭い見識ではいけないのです。 または面倒くさがって、他の作り物はここらあたりでは不向きだ、と思ってしまうのは口惜しいことです。「まず、やってみる」昔の人もそう言ってます。本名俊正先生も言ってました(笑)。
    もっともその土地土地の気候風土の違いで、合わない物もありますが、それは稀な事で大抵は手入れと工夫によって栽培できるものなのです。 五穀は勿論のこと、それ以外の作物についてもタネを入手して、栽培方法を教わって丹誠込めて作ってみることです。
    なかには、名物になる程ではなくても、そこそこに利のある作物をつくれるものです。
    土質にも、人の性格と同じ様に得手不得手もあります。 詳しく調べて(試して)みて、その土地の性質を見極めて、丹念に作り方を覚えて励めば、今まで既存の作物をなんとか作ってきた瘠せ地であっても、 その利益はたいそう違ってきたりするものです。


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畠稲(はたけいね) 又旱稲(ひでりいね)共云ふ、又ゐなかにては野稲(のいね)とも云ふ 第二】
    『農業全書巻之二 五穀(こく)之類(るい) 畠稲(はたけいね) 第二 1〜3節』(P.94〜96)

     畠稲の種子も色々あり。 土地所の考へして利分のまされるを作るべし。
     畠稲のタネも色々あります。その土地風土を考えて高利となるものを作りましょう。

    粳(うる)あり、糯(もち)あり、其中に
    占城稲(ちゃはんいね)と云ふは糯にて、米白くその粒甚だふとく、穂の長さ一尺余もあり て、其から大きに高くして蘆のごとし。
    ウルチ米やモチ米もあります。 その中でも、占城稲(ちゃんはんいね)という種類は、モチ米で、白米であり、粒はとても太いです。 穂の長さだけでも一尺以上もあって、背丈は大きく長く、アシ(蘆)のようです。

    是畠稲の名物なり。土地にあひたる所にてはおほく作りて、過分の利潤を見るべし。
    これは、畠稲の中でも代表格といってよいでしょう。 土地との相性がよい所では沢山栽培して、とても利益のあるものです。

    凡旱稲を作る地は水田にしては水乏しく、又畠にしては湿氣ありて、両様ともに宜しからざる地に是をうゆれば、水稲にも勝れて実りあ る物なり。
    一般的に、畠稲を作る土地は、水稲を栽培するには水の供給が出来にくかったり、また普通の畑にするには湿気がありすぎたりしている場所に作れば、水稲よりも生育に良く収穫できます。

    肥へたる地は尤もよし、大かたの土地にても湿気ありて、少(ちと)深く和らかなる地に宜し。
    肥えている土地が良いのは言うまでもありませんが、大抵の土地でも湿り気があって、土が深く柔らかい場所が適しています。

     苗地の事、冬よりくはしくこなし、雪霜にあはせてさらし置きたるに、 熟糞をうちをきて籾を水に浸す事、三日にして取あげ、日にあて口の少しひらくを見て、 灰ごゑを用ひて横筋を少し深くきり、麥の蒔足(まきあし)ほどにむらなくまき、土をおほふ事も麥に同じ。
     苗地については、冬の間に細かくならして、雪霜に合わせて晒して置きます。 そして、熱糞をそのままにして籾(もみ)を水に三日ほど浸してから取り上げます。 それを日に当てて芽の口が少し開き始めたら、(苗地に)灰肥を撒いて横筋を少し深めに切って、麦を撒く間隔(麦の蒔足)と同じ程度にむらのない様に蒔きます。 そして土で覆うことも、麦と同じようにします。

    若し地かはきたらば、うすき水ごえをそゝぎて土をおほふべし。
    土が乾いたら、薄めた肥を注いで土で覆います。

    猶相つゞきて旱(ひでり)せば、其後も度々水をそゝぐべし。
    連日、雨もない時には、その後も時々水をかけます。

    苗二三寸にもなりたる時、畦のたかき所をふみ付くべし。但うるほひある時はふみ付くべからず。
    苗が二、三寸にも伸びたら、畦の高い所を踏みつけます。 ただし、土が湿っている時には踏みつけてはいけません。


     同じく種子を蒔く時分の事、二月半より四月まではくるしからず。
    この種子を蒔く時節については、二月半ばから四月までなら何等問題はありません。

    さて移しうゆる事、甚だ肥ゑたる地を好むにもあらず、荒しをきたるを秋より度々耕し、 細かにこなしをきて、苗の長さ七八寸なるを待ちてがんぎを少しふかく切りて、灰ごゑを以て、 葱(ひともじ)をうゆるごとく、一科(かぶ)に三四本、痩地(やせち)ならば四五本 づゝうゆべし。
    苗を移植する件ですが、さほどに土が肥えていなくとも大丈夫だす。 放置しておいた畠を、秋頃から時々耕して、土は細かくこなしておきます。 苗の長さが七、八寸になったら、少し深くがんぎ切って、灰肥を撒いて、ネギを植えるような要領で、一株に三、四本の苗を植えます。 土が瘠せているようであれば、四、五本ずつにします。

    かぶ殊の外ふとる物なれば、肥地ならばかたのごとく薄くうゆるべし。
    株は意外と太ります。 土が肥えているようだったら、薄めに植えます。

    中うち芸ぎり培ふ事麥とかはる事なし。
    中打ち草取りの方法も、麦の扱い方と同じです。

    中うちの度ごとに色を見てよく熟したる糞水をうすくしてかくべし。
    中打ちをする時には、その色を見て、十分に熟した水肥を薄めて撒きます。

    惣じて甘味のつよき物なるゆへ、濃糞(こきこえ)又はあたらしくつよき糞をば必ず用ゆべからず。蟲氣する物なり。
    濃い肥料や新しくてよく熟成していない肥料は使ってはいけません。虫が集ります。

    『農業全書巻之二 五穀(こく)之類(るい) 畠稲(はたけいね) 第二 1〜3節』(P.94〜96)

    畠稲(はたけいね)4
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【蓄積(ちくせき) 付檢約 第九 3節】
    蓄積(ちくせき) 付檢約 第九 3節

     倹約蓄積と吝嗇は別物だぞ

     又こゝに一種の人あり。
     こういう種類の人も世の中にはいる、その例をあげよう。

    吝嗇の心其痼疾となり、唯金銀米銭を妄りに貪り納むることをのみ好み、 是を積貯へて更に用ゆることなく、君親の難儀といへども見つぎ 助ることもなし。

    ケチで貯めることしか心になくるとという病気だ。 ただ金銭や米を無暗に貯め込む事が生きがいとなってしまって、貯めるだけ貯めて使う事を知らない人です。 世話になった人や親の難儀を見ても援助しようともしない人です。

    まして親類朋友の困窮を勞りめぐむ心もなく、仁愛慈悲の心絶えはて、 一向欲心ふかくして義理の心なき類あり。

    ましてや、親類や友人の困窮を見ても励ましたり喜捨する気持も無く、仁愛とか慈悲とかの心は一切廃れていてないのです。 ただただ、欲深人間で、義理などという気持などさらさら起きない類の人種です。

    かゝる人は凡下はいふまでもなし。

    こういう輩(やから)は、凡人にもいることは言うまでも無い、だが。

    たとひ高位大禄の富貴を極めたる人といふとも、唯其金銀を守る畜類のごとく人とはいひがたし。

    たとえ出世して高給取りで大金持ちになったといっても、ただその自分の金を囲い込んで蓄財しかしないような人がいるが、これももはや人とは言い難い。

    古人是を銭を守るやつこといへり。

    昔の人はこういう人を、守銭奴といったのです。

    檢約と吝嗇との差別を我身によくわきまへて用捨し、又人の上をも辧へて懇に是非すべき事なり。

    もったいない(倹約)という事とケチで物惜しみ(吝嗇)との違いは、しっかり弁(わきま)えなければいけないのです。 また、人の上に立つような人は特にです。使う時には使うという、分別と深い判断力をもっていなければなりません。

    奢と吝とは是天の咎人なりと云ふ事をよく知るべし。

    つまり、自分だけの奢りや物惜しみ(ケチ、吝嗇)は天に対する犯罪人だ、ということです。

    『巻之一 農事總論 蓄積 付檢約 第九 3節』(P.82)了
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【貝原益軒(かいばらえきけん)】 16/01/16追記 16/01/21追記
    貝原楽軒というのが貝原益軒(かいばらえきけん)のこと(別号)だったとは知らなかった件。 その時代の文人がそうなのかは知らないが、貝原益軒さんもわりと冗談好きだったような、別号では「貝原損軒」とも名乗っていた(確か辞書で見ました)。

    141031_備忘

    貝原益軒】かいばらえきけん
    江戸前期の儒者、本草学者、教育者。福岡藩の家臣。名は篤信。 初号、損軒。松永尺五(せきご)、山崎闇斎、木下順庵に朱子学を学ぶ。 民生日用の学を重んじて、庶民を啓蒙。晩年、古学派的傾向を示した。 著「益軒十訓」「黒田家譜」「大和本草」「慎思録」「大疑録」など。 (一六三〇〜一七一四)
      16/01/16 追記
      名は篤信とありますが、 【宮崎安貞傳】には、
      友人貝原楽軒之を刪補し、楽軒の弟篤信之を評して曰はく、、、
      との記載があります。委細不明のままですm(_ _)m(16/01/16)。

      16/01/21 【訂正】楽軒は益軒(損軒)の兄と判明しました。

    松岡正剛『日本数寄』(ちくま学芸文庫)を並行して抜書きしていると、そこに貝原益軒が立ち上ってきたのです。
    松岡正剛さんの本は、端から端まで抜書きしたくなってくるのです。掲載子の抜書き間違い、転記ミスもあります(すみません)。 が、ここにその部分を転載します。 ゴマメの歯軋りのような編集力で(^^;
       江戸の人工知能
       麻田剛立(ごうりゅう)と三浦梅園、梅園の弟子の脇蘭室、その蘭室の弟子の帆足万里

      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.331)

       その帆足万里の科学概論ともいうべき『窮理通』の自序に、こんな一節がある。
        西人の学、累を積みて進み、日になり月にすすみ、明季以来、可辟児の天を論じ、欠夫列児の星を比し、波意玄斯の下降を算し、奈端の索引をを微する、花蕊雌雄の弁、気水分析の方、その器械にあるや、顕微の鏡、排気の鐘、層累生焔の柱、升降候気の管、その学の便して、智を益するもの、また東方のよく及ぶところに非ざるなり。 先生の時にあたりて、その言おほいに備わる。

      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.331)

       ここで奇怪な漢字があてられている可辟児はコペルニクス、欠夫列児はケプラー、波意玄斯は光の波動説のホイヘンス、そして奈端はおよその察しがつくように、索引こと引力の発見者ニュートンである。花蕊雌雄の弁気水分析の方とはそれぞれリンネの植物分類学とラヴォアジェらの化学をさしている。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.331〜332)

       万里は、これら西人の学にあたる成果がそれまでの日本にまったくなかったことを指摘した。 さらに真空ポンプやガルヴァーニ流の起電装置などが発達しなかったことを嘆きつつも、そのうえで、やっと先生の時にその言が備わったと書いた。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.332)

       先生とは三浦梅園のことだった。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.332)

       西人の学と梅園の学を比肩させる帆足万里の視点は、何の用意もなくできあがったのではない。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.333)

       江戸時代の中期、貝原益軒と荻生徂徠(おぎゅうそらい)こそがその先鋒だった。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.333)

       この二人の作業仮説には、それ以前にはまったくといってよいほど乏しかった「方法を問う自由」というものがあった。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.333〜334)

       そしてここから、江戸後期の梅園、昌益、宣長、馬琴、京伝、北斎らに象徴される「編集の冒険」の時代が出奔してきたものだった。 どんな時代であれ、編集の冒険は方法の自由のあとにくるものなのだ。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.334)

       元禄屈指のエンサイクロベディストの益軒が『大疑録』を書いたのがなんと八十四歳だったということは、デカルトが方法的懐疑を早々と二十代前半に持ち出したことにくらべて、いかにも東西の差異を感じさせる。 が、そこにかえって、“江戸からの出発”がまことに懸命なものであったことをうかがわせるものがあった。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.334)

       益軒の生きた時代は寛永から正徳におよぶ日本儒学の完成期にあたっている。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.334)

       すでに程子と朱子の理気哲学はこのあいだにすっかり日本化をとげた。 御用学問になった。 その一部始終を見てきた益軒が、満を持したというにはものすごすぎる高齢の八十四歳の最後になって、老いの一徹ともいうべき大疑をぶつけたのだ。 われわれの国の実直なマテリアリズムと、そして方法の自由は、ここから萌芽した。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.334)

       益軒の大疑は形而上と形而下の境目にむけられていた。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.334)

       儒学の流れが誤った観念主義に陥ったという批判にむけられたのだ。 そしてせめて「易」の原点に戻るべきであることを説いた。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.334〜335)

       ここで益軒は、易では天にあるものは現出しているものだから「象」とみなし、地にあるものは触れられるものだから「形」とみなすという立場をとった。 形の有無が一種のクリティカル・ポイントで、形より上が「天」、形より下が「地」にあたる。この天に陰陽の二気があり、それぞれが流行交通しあっているというのである。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.335)

       ここにいう「気」とはまさしく生成するものの本体だった。 その交通の状態が「道」だった。ところが朱子学の系譜では、陰陽の現象を形而下におしこめ、代わって「理」を持ち出してこれを道とみなすようにしてしまった。 つまり、形而上に理が、形而下に気がふりあてられた。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.335)

       これでは思索の対象のなにもかもが理の観念の中に投げ入れられるだけであり、〔陰陽成象〕と〔開物成務〕を重視した易が生かされないではないか、生成の気が生かされなくなるではないか、そのように益軒は疑ったのだ。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.335)

       興味深いことに『大疑録』は益軒の遺志によって伏せられた。 そして死後三年たったのちに門人の竹田春庵によって荻生徂徠に示された。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.335)

       そこで益軒のバトンをうけた徂徠が重厚に走った。
      (《日本数寄 江戸の人工知能》P.335)

      [抜書き]『日本数寄』(松岡正剛)

    農業全書には、各所に“陰と陽”と“天”で説明している文章が散見するのです。 まさに、貝原益軒は、後に『大疑録』で書かれる“形而上と形而下の境目”。 それを農業全書の記述内で、実践していたのではないだろうかと、大言壮語な妄想をしたのでした。はい、まったく藪睨みな勘違いの読書のたのしみでした。
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【土筆(つく/\し) 黄花菜(たびらこ) 鼠麹草(はゝこぐさ) 第十四】 16/01/21改訂
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【紫蘇(しそ)巻之四】
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【紫蘇(しそ)巻之十】
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【銀杏(ギンナン/ぎんあん)】
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【栗(くり)】
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【蓴(ぬなは/じゅんさい)】
    農業全書巻之五 山野菜之類 蓴(ぬなは/じゆんさい) 第五

    160313_農業全書・じゅんさい
     俗にも蓴菜と云ふ。 池溝などに生ず、 葉丸く少しながく、形蓮のごとくにして小し。 其葉水の上にうかぶ。 其茎水のごとくなる物つき白くしていさぎよし。 茹(ゆびきもの)となし、すみそにて食ふべし。 又はすひ物、ひたし物とす。 唐にては甚だこれを賞し、あつものにして食ふ。 本草には醋を忌むとあれども、今の人なべてすみそにて食ふ事多し。 又一種●菜(あささ)とてあり。 蓴に似て同じからず。 葉のきれこみありて少し大きなるは●菜なり。 葉のきれこみなくて小なるは蓴なり。 蓴も●も唐の詩文にもつゞれり。 蓴は和歌にもおほくよめり。

     ぬなわ(沼縄)である。じゅんさい(蓴菜)と俗称する。 池や沼に生える。 葉は丸く少し長い、形は蓮の葉に似ていて小さい。 葉は水面に浮ぶ。 茎は寒天のようなヌルヌルしたものが付いていて清らかですがすがしい。 湯引きをして酢味噌で食べます。 または、酢の物、御浸し(おひたし)などにする。 唐ではとても珍重されて、吸い物(羹)にして食べる。 『本草綱目』には酢では食べないとあるが、現代の人は大抵は酢味噌にして食べることが多い。 またあさざという植物があり、ジュンサイに似ているが同じものではありません。葉に切れ込みがあって、少し大きいのはあさざです。 葉に切れ込みがなくて小さいのがジュンサイです。蓴菜(じゅんさい)もあさざも唐の詩文にも出てきます。 ジュンサイ(蓴菜)は和歌にもよく歌われています。

    ぬなはとあるのは、簡便辞書を引くと沼縄(ぬなわ)と載っている。●菜(あさざ)とあるのははなじゅんさいとも載っている。

    和歌にもおほくよめりとある。手持ちの抜書きを検索してみるとありました。
       たとえば平安末期の歌謡を集めた『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には、山野からの、 松茸(まつたけ)・平茸(ひらたけ)・滑薄(なめすすき)・蓮(はす)の種・芹(せり)・ 蓴菜(じゅんさい)・牛蒡(ごぼう)・濁活(うど)・蕨(わらび)・土筆(つくし)・山の芋・ 山葵(わさび)・根芹(ねぜり)など、といった食品が謡われており、 河海に関しては、海老(えび)取りや小魚(ざこ)取りの人々をテーマとした歌謡も収められている。
      (《第四章 農業と自然》P.91)『日本人はなにを食べてきたか?』 原田信夫・角川ソフィア文庫

      五五 〔神功(しんこう)皇后〕髪長姫(カミナガヒメ)
      そこでオホサザキノ尊は、天皇から歌を頂戴(ちょうだい)して、カミナガ姫を賜(たま)わったことを知るや、驚喜して、次のような歌を詠んで答えた。
        36
        水渟(みずたま)る 依網(よさみ)の池に
        繰(ぬなはく)り 延(は)へけく知(し)らに
        堰杙築(ゐぐひつ)く 川俣江(かはまたえ)の
        菱茎(ひしがら)の 刺(さ)しけく知(し)らに
        吾が心(こころ)し いや愚(うこ)にして

        (水たまる依網(よさみ)の池に、底深く生えた蓴菜(じゅんさい)は、茎(くき)を長く延ばしているとは知らなかった。 堰杙(いぐひ)を打った川俣江(かわまたえ)で、菱(ひし)の枝が這(は)っているとは知らなかった。 父君のお気持を知らないでいたこの私の心は、本当に愚かなことでした)
        (《現代語訳 日本書紀 五五 〔神功(しんこう)皇后〕髪長姫(カミナガヒメ)》P.248〜249)

      中国の故事から作られた4文字熟語で【蓴羹鱸膾】(じゅんこうろかい)という言葉もある。
      故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と(すずき)の膾(なます)の味を思い出して、張翰は辞職して帰郷したという「晋書‐文苑伝・張翰」の故事があるらしい。 そこからふるさとの味おさえがたき故郷を思う気持。とな。

    『農業全書巻之五 山野菜之類 蓴(ぬなは/じゅんさい) 第五』(P.185)
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【菜之類 ●■(ふだんさう)】
    菜之類 ●■(ふだんさう) 第八

     上方にては、たうちさとも云ふなり
     ●■又の名は甜菜(かんさい)共云ふ。 畦作り種子を蒔く事、大根と同じ。 二月蒔きて四月苗のふとるに任せてうつしうゆるもよし。 菜の絶間にあるゆへ、料理色々に用ゆべし。 乾しても用ゆる物なり。 又八月蒔きて十月苗ふとるを畦作りし、五六寸に一本づゞ種へ、糞水を頻りにそゝげば、甚だしげる物也。 四季絶えずあるゆへに、不断草と名付くるなるべし。 又本草には茎を灰にやき、あくにたれて衣を洗へば、其白き事玉の如しと記せり。

     関西(かんさい)では、とうちさとも言います。
     フダンソウ、またの名は甜菜かんさい)とも言います、
    作り方は大根と同じです。 2月に蒔いて4月には苗が太ってきたら植替える。 普通の野菜の絶間に使えるので、料理各種に用いられます。乾かしても使います。 また、8月に蒔いて10月に苗が太ってきたら畦つくりをして、5、6寸間隔に植替えて、水肥を欠かさなければとても育ちます。 一年中食べられるので不断草と名付けられました。 『本草綱目』によると、茎を焼いて灰を作り、その灰汁で衣服を洗うと真っ白になると書いてある。
      ●■(ふだんさう)
        ●(ふだん):草かんむりに“君”
        ■(さう)草かんむりに“達”
      不断草】は簡便辞書によると
      漢名、恭菜。とうぢさふだんないつもなちょうせんなとある。 なるほど、唐萵苣(とうぢさ)、朝鮮菜、つまり中国渡来ということですね。
      甜菜に(かんさい)とルビが振ってある。甜菜を漢字で調べると“てんさい”。砂糖大根、さとうぢさ、ビートともある。ややこしそうなのでここまで(笑)。


    『農業全書巻之四 菜之類 ●■(ふだんさう) 第八』(P.168)
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【園籬(ゑんり)を作る法(はふ)】
    巻之九 園籬(ゑんり)を作る法(はふ) 第十四

     生垣の木の種類
     いけがきに作る木は、臭橘(からたち)、枸杞(くこ)、五加(うこぎ)、 秦椒(さんせう)、梔子(くちなし)、刺杉(はりすぎ)、楮、桑、櫻桃(にはさくら)、細竹色々多し。 此等の類よし。
    中にも臭橘うこぎ枸杞勝れて宜し。
     生垣に使われる樹木は、からたち(臭橘/枸橘)、くこ(枸杞)、うこぎ(五加木)、サンショ(山椒)、くちなし(梔子)、コウゾ(楮)、クワ(桑)、にわざくら(庭桜/櫻桃)、細竹など色々あります。
    なかでも、クチナシうこぎ(五加木)くこ(枸杞)は特に勝れています。

    生垣の木の種類
    臭橘は盗賊の防ぎ是にこゆる物なし。 くこ、うこぎの二色は葉は菜にし茶にしても用ゆべし。 根は共に良藥なり。 酒にも造る。 枸杞子は効能ある物なり。
    からたち(臭橘)は泥棒避けには最良です。 くこうこぎは、葉を食材にしたりにしても用いることができます。 根は薬にもなる。また、も造れる。くこし(枸杞子)はよく効くものです。

     からたち(臭橘/枸橘)
     うゆる法、臭橘は九月よく熟したるを核子をとり浄く洗ひ、糞土に合せ、麻の蒔足(まきあし)ほどにちらしまき、土を厚くおほひをくべし。 よく生ゆる物なり。
     からたち(臭橘)は、9月によく熟したサネ(核子)を取ってきれいに洗って、肥土(灰土?)に合せて、 麻の種蒔きの仕方と同じくらいに散し蒔きして、土を厚めにかけておきます。 これで上手く生えてきます。
      【枸橘・枳殻】からたち:実はそのままは食べられないが、漢方では乾燥して健胃薬にする。とある(簡便辞書より)。 また、カラタチは唐橘(からたちばな)の略とも。

     くこ(枸杞)
     枸杞はさし木、取木よく活くる物なり。 同じく唐ぐこは肥熟の地を菜をうゆるごとく畦作りし、糞を多くうちさらし置きて、 茎を四五寸にきり、葱をうゆるごとく四五本づゝ一科にうへ、其間も葱ほどにして土を厚くおほひ、 しかと踐付け置きて、さい/\糞水をそゝげば、さかへ茂る事はかりなし。 細根よく生へたるを見て移しうゆるもよし。
    其まゝ畠に韮などのごとくうへ付けにして、刈取りて葉を料理し、 跡に糞水をかけ置くも、ほどなくさかへてたび/\刈り用ゆべし。
     くこ(枸杞)は、挿木(さしぎ)でも取木(圧条(あつじょう))どちらでもよく活きてきます。 唐ぐこも同じです。 肥えた熟地に野菜を植えるような要領で畦作りで肥料(堆肥など?)を多めに撒き散らして晒しておきます。 茎を4、5寸ほどに切って、ネギ(葱)を植えるように4、5本ずつを一まとめにして、間隔もネギと同じくらいに植えて、土を厚めに掛けます。 しっかりと踏みつけておきます。 たびたび水遣り(水肥)をすれば、いくらでも育ってきます。 その後、細根が生長する頃を見計らって移植します。
    畑にニラ(韮)の様に植え付けておいて、刈取って葉を料理にも使います。 刈取った後も水肥をしておくと、しばらくして新芽が育ってくるので、何度でも刈取って使えます。
      【枸杞】くこ:果実は赤色、乾燥したものを枸杞子(くこし)という、煎じて強壮薬や、枸杞酒にしたりする。根皮解熱剤若葉枸杞飯、また茎葉は枸杞茶にする。とある(簡便辞書より)。
      参考:ナガネギ 韮(にら) ニラ
      根元から切ります、生命力の強いニラは再び生えてきます。

    生垣の骨木
    生がきの時は何にても骨になるべき木を四五尺に一本づゝうへをきて、横ぶちをゆひ、 犬猫もとをらざる様にすべし。 骨にはしゆろ、桑、所によりて杉、檜もよし。 枝葉を上に少し付け置きたるは物のさはりともならず。
    生垣を造るには、骨となる木(支柱)が重要です。 支柱となる木を4、5尺間隔で1本ずつ植えておいて、横に結い合わせます。 犬猫も通れないようにします。 支柱木としては棕櫚(シュロ)、桑、場所によってはや檜(ひのき)でもよい。 枝葉が垣の上に少しくらい伸び出しても、邪魔にはなりません。

     うこぎ(五加)
     五加木は冬春さし木に多くしをきて、是も根を生じて移しうゆべし。 此外の色々も苗をし置きて移しうゆべし。
     うこぎ(五加木)は、冬から春の間に挿木を沢山しておいて、根が生え出したら移植すればよい。 その他の木でも各種苗を準備して移植すればよいのです。
      【五加・五加木】うこぎ:古く中国から渡来して人家に栽培され、時に野生化、小さなとげのある灰白色の枝。 果実は黒くなる。多く生垣に用い、若葉は食用、根の皮は五加皮(ごかひ)、乾燥させて漢方で滋養強壮剤。 とある(簡便辞書より)。

    生垣のまとめ(要諦)
    籬いか様下には刺ある物を厚くうへ、骨に横ぶちをしかと結ひたるは、盗賊の用心となり、 かひ/"\しく見ゆるのみならず、 實を取り花もありて、山居村居の屋敷廻りには色々の籬を作りをきて、 家事を助くる計事ともなるべしと記しをけり。 所によりて骨に梅櫻もよし。
    生垣の基本は、下の方には刺(とげ)のある植物を厚めに植えることと、 隣り合った支柱はよこぶち(横付置?)をしっかりと結びつけることが泥棒避けになります。 几帳面できちんと防犯しているようにも見える効果もあります。 それだけでなく、実も利用出来るし花も咲く、山間地方の屋敷廻りではいろんな垣根(生垣、籬(まがき))は 食生活を助ける材料ともなるものです、と書いておきましょう。 場所によっては、支柱には梅の木や桜の木もよいですネ。

    『巻之九 園籬(ゑんり)を作る法(はふ) 第十四』(P.308〜309)
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【ジャガイモ】
    150820_ジャガイモ
    (↑クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    土を戻したら完了です。 明治時代に「男爵」はアメリカから、大正時代「メークイン」はイギリスから輸入されました。 種イモを抜かないように根元を押さえて抜きます。 芽の数を少なくすることで、大きなイモが育ちます。 株と株の間に肥料をまきます。 土を寄せて株を安定させます。 瘠せた土地でも栽培できることが注目されヨーロッパ全土に広がりました。 つぼみが付き始めたら肥料を与えるタイミング。

    ジャガイモの風景(奥会津昭和村産)

    朝、じゃがいも掘りの続き(2011年8月13日)

    新じゃが(2014年8月1日)と 新じゃが、その後(2014年8月9日)

    ジャガイモらしき記述は農業全書にはないのです。 ついつい簡便辞書に頼ってその訳を調べてみると、以下の様にある(抄録)。
    ジャガ芋は「ジャガタラいも」の略で、日本には慶長三年オランダ船がジャカトラ(現在のジャカルタ)から伝えられた、 はじめ観賞用に栽培されていたが、明治七年北アメリカから優良種が輸入され、作物としての栽培が増した。
    ここから農業全書の刊行の時代は、その名前(じゃがいも)はあったかも知れないが、観賞用でしかなかったと想像される。 つまりは、宮崎安貞翁(と貝原樂軒)は、衣食住の素材として農業全書に記述するには価(あたひ)せず、と判断されたのでせう(笑)。

    慶長3(1598)年、オランダ船がジャカトラ(現在のジャカルタ)からジャガイモを伝えてから、 二百年ほど経った寛政年間(1789−1801)には日本でも一部では栽培していたらしい。 そして、奥会津(南会津)の南山天領地にジャガイモが伝わった事績のことを、鈴木真也氏が「いのちの継承−会津の食から−」という文章に載せています。 それは、天保11年(1840)年のことでした。
       またこの年、南会津の天領地に平岡文次郎なる代官が着任する。 江戸時代の南山天領最後の代官となる人物である。 彼は天保十年の翌年、凶作に喘ぐ南山天領の農民の暮らしを見て、江戸表よりジャガイモを取り寄せ、 農民に作付けを指導して大成功を収め、南会津の農民を飢餓から解放した。
       ジャガイモはすでに江戸時代の寛政年間にヨーロッパから日本に伝わっていたが、 今と異なりその普及に気の遠くなるような時間を要している。 また彼は田んぼの畦に大豆を植えることを指導したり、様々な活躍をする。 名代官として南山天領地の農民達の信望も厚く、 退官するときは惜しまれながら南山領を去ったともいわれている。

      (「いのちの継承−会津の食から−」(2001)より)

    そして平成27(2015)年の現在も、その背景を含めた会津の歴史を調査されている菅家博昭氏は、15/11/15のブログでこの様に記されている。

      幕府代官の平岡文次郎の人徳と尽力、有徳人・富者の義務

    これはまさに現代の為政者に望まれる義務ではありますますか!
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【ショウガ】
    150819_ショウガ
    (↑クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    芽の数4個を目安に大きなものは割って使います。 深さ30cmの穴を掘り、種ショウガを植えます。 土を埋め戻して完成です。 芽の周りに雑草も生えてしまいました。 ショウガの芽は折れやすいので、慎重に雑草をとります。 熱帯アジア原産のショウガにとって乾燥は天敵、ワラをしいて湿度を保ちます。 雑草を防ぐ効果もあり、一石二鳥です。 掘り出しやすいように茎を切り取ります。 2か月以上保存すると、「ひねショウガ」として強い辛みを味わえます。

    生姜の種は、農協やニトリ、コメリ?などで売っている。

    150504_奥会津へ・田島町にて2015年5月4日。

    ショウガ、
    『農業全書巻之四 菜之類 薑(はじかみ) 第五』(P.162)
    乾薑(かんきやう) 『農業全書巻之十 生類養法 藥種類 乾薑(かんきやう) 第十一』(P.339)

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【乾薑(かんきやう)】
    巻之十 生類養法 藥種類 乾薑(かんきやう) 第十一

    151113_かんきやう
     かんきやうを製する法、生姜(しやうが)のよく肥へ、 実したるを十一月のころざつと湯煮して石灰に和し、よくほしあげ藥屋にうるべ し。 其値生姜にて売りたるに所によりをとるべからず。 生姜の種へやうは菜の部に記せり。
     干しショウガ(干姜・乾薑:かんきょう)を作る方法です。 大きめに育った生姜(しょうが)を11月の頃に、ざっと煮立ててから石灰にまぶしてから乾燥させて、薬屋さんに売ります。 そのままで売るよりも地方によっては値が上がります。 生姜(しょうが)の育て方は、「菜の部」に書いておきました。

    『巻之十 生類養法 藥種類 乾薑(かんきやう) 第十一』(P.339)

    関連:ショウガ
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【山野菜之類 甘蔗(かんしゃ/さとうのくさ)】
    『農業全書巻之五 山野菜之類 甘蔗(かんしゃ/さとうのくさ) 第十八』(P.208)
    151107_サトウキビ
     甘蔗は其葉●苡(よくい)に似たり。 暖國にそだつ物なり。 近年薩摩には、琉球より取り傅へて種ゆるとかや。 是を諸國に廣く作る事は國郡の主にあらずば、速やかに行なはれがたかるべし。庶人の力には及びがたからん。是常に人家に用ゆる物なるゆへ、本邦の貴賎財を費やす事甚し。 是を種ゆる事よく其法を傅へ作りたらば、海邊の暖國には必ず生長すべし。 若其術を盡くして世上に多く作らば、みだりに和國の財を外國へ費しとられざる一つの助たるべし。 然れば力を用ひ、是を世にひろめたらむ人は、誠に永く我國の富を致す人ならんかし。 是を種ゆる法は農政全書等に委し、いまだ其たねさへ此國になき物なれば今こゝに略す。

     甘蔗(かんしゃ/さとうのくさ:砂糖黍)は、葉が●苡(よくい)に似ています。 暖国に適しています。 最近は、薩摩では琉球国から持ち込んで植えているらしいと聞きました。 これを日本国中に広めるには、国や県が率先して推進しないと手におえません、個人の裁量では無理です。 砂糖(糖分)は食に必要なものです、輸入に頼っているので国中の財が(外国に)流れていってしまいます。 サトウキビを栽培する方法を調べて育成すれば、海辺の南国では必ず生産出来ると思います。 栽培技術を尽して、各地で作れるようになれば、むやみに外国から金で買うこともなくなれば国の蓄財ともなります。 このサトウキビ栽培を積極的に奨励して、世の中に広める人がいれば、その人は将来にわたって永く富国政策を実施したことで感謝されるでしょう。 これを栽培する方法は『農政全書』などに詳しく書いてあるのです。 ただ、まだその種さえも日本にはないので、(もったいないですが)これ以上には書けない(のが口惜しい)。

    『農業全書巻之五 山野菜之類 甘蔗(かんしゃ/さとうのくさ) 第十八』(P.208)

    未だ見ぬ甘蔗(かんしゃ)、どうやらサトウキビのことらしい。『農政全書』を紐解いて歯噛みしているのです。(想像です)
    おそらく砂糖は高価な輸入産品だったのでしょう。 その代金として日本から金や銀の流出を憂えているのですね。 庶人の力には及びがたからん。国産自給の為の強い農政が必要ですと。 平成の現代は、砂糖どころか農産品までも自由化の波に洗われて、主食であり文化の基層でもある米でさえも危ないのです。 (TPPじゃねぞ!このやろ!)とは書いてありませんがついつい。
      『農政全書』は、宮崎安貞(かまたは貝原益軒)が【農業全書】を執筆するに際して参考にした明代の 中国の農書、全60巻。明末の徐光啓撰。一六三九年初版。古来の農家の説を総括して自説を述べ、さらに西洋の新知識を加えて農学を集大成した書。(簡便辞書より)
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【罌粟(けし)】
    農業全書巻之四 菜之類 罌粟(けし) 第十四

     けしは花の白き一重なるが實多くかうばし。 料理には是を用ゆる物なり。 又花紅紫色々あり。 是を米嚢花と云ひて、詩にも作れり。 花殊に見事にて、菜園にうへて尤も愛すべき物なり。 されども千葉の色あるは實少なく、子の色も雑色にて料理によからず。
     ケシは白い一重の花の咲くのが、実も多くて香ばしいので、料理にはこちらを使います。 花が紅紫と色々あって、米嚢花(べいのうか)と呼ばれる詩題にもなったりするケシもあります。 こちらは、花が特に見事で庭に植えて愛でられます。 ただ、沢山の葉のあるケシは実が少なくて、実の色も冴えないので料理等には使えません。

     蒔き時分の事、秋の半いか程も地を細かにこなし、中分に肥し、畦を平らかによくならし、 八月半比蒔くべし。 地を少したゝき付けて薄く蒔きたるがよし。 たねを灰と沙に合せ、筋うへにても、ちらし蒔きにても各々心にまかすべし。 種子おほひはするに及ばす。わらはゝきにてさら/\とたねのかたまらざる様にはきをくべし。 生ひて後芸ぎり間引き、中を度々かきあざり、ふとるにしたがひて段々正月までまびきて菜に用ゆべし。 又云く、若しむら生ひせば蒔きつぐべし。 小さなへらにてほりて移しうゆるも生ひ付く物なり。 人糞など多く用ひて、餘り肥へ過ぎれば葉に虫付きて實らざる事もあり。 冬中よき程に見合せ糞し培ひ、春雨の中たをれぬ様にすべし。 肥えたる沙地におほく作りて利あるものなり
     種を蒔く時節について、秋の半ばに土をよくこなしておいてそこそこに肥やしを入れて、畦は平らに均して8月半ば頃に蒔きます。 地面は少し叩いて(固め?)にして薄く蒔くのがよいです。 種を灰と小砂に混ぜて、蒔き方は、筋に蒔いても散して蒔いても気分次第でよいです。 蒔いた跡に土は掛けなくて良い。 蒔いた種が固まっていないように、藁箒でさらさらと掃いておきます。 生えてからは、草とりをして混んでいるところは間引きします。 茎と茎の間は時々草取りをして土掻きをします。 大きくなって来たら正月頃までは、間引きした茎は野菜代わりに料理に使います。 もしも斑(むら/ウセクチか?)があったら、空いている所に追加で蒔いてもよいとも言います。 または他の場所から箆(へら)で掘って移植しても生長します。 人糞などを多く使って肥料を遣りすぎると葉に虫がついて実がならないこともあります。 冬の間は枯れない程度に様子を見て肥やして培いをして、春になって雨に倒伏しないようにします。 肥沃な砂地に沢山作ると利益のでるものです。

     藁箒の別の使い方がここに出てきました。

    花の咲くころ葉に虫の付く事
    (但花の咲くころ葉に虫の付く事おほきゆへ、よく心を付け、もしむしの付くべきならば、 いたまぬやうに葉を切りさるべし。 むしおほく出来ては葉をくひからし、後には實をもくひつくし、 其むしなほも其ほとりのうへものに害をなす事、はなはだおほし。 ゆだんなく葉をきりてさるべし)。
    (開花時期に、葉に虫が付く事が多いので気をつけましょう。 もしも虫がついてしまったらそれ以上に被害がないように葉ごと切ってしまいます。 虫が大量発生すると葉を食い枯らしてその後は実も食い尽して、それでも足りずに傍の他の植物にまで被害が拡大することもよくあります。 油断大敵、とにかく虫が葉っぱに付いたらそれらの葉は全部切って捨てることです)。

    『農業全書巻之四 菜之類 罌粟(けし) 第十四』(P.173〜174)

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【王蒭(かりやす)】
    巻之六 三草之類 王蒭(かりやす) 第七

    151023_カヤの木他
     かりやす、畠にうへて能く生長す。 春苗をうへて手入れをは、秋分(八月の中を云ふ)の後雨氣を去る事、五七日もして、よく日にあはせて刈り取るべし。 雨の後やがて刈れば黄色なし。 刈りては日に干すべし。 若し雨にあへば用に立たず。煎じて黄色を染むべし。
     カリヤス(刈安・青茅)は、畠に植えるとよく生長します。 秋分の日(秋の彼岸の中日、新暦では9月23日あたり)の後の秋雨の気配がなくなって小一週間もした頃に、日に合せて刈り取ります。 雨の後にすぐに刈ってしまうと黄色にはなりません。 刈った後は天日に干します。その時にも雨に合うと役に立たなくなります。 煎じた汁が、黄色の染料になります。

    『巻之六 三草之類 王蒭(かりやす) 第七』(P.230〜231)

    これは、コガヤというものとは違うのだろうか。簡便辞書によると、
    【刈安・青茅】かりやす:イネ科の多年草。各地の山野に群生、古来染料植物として栽培。 ススキに似てやや小形。高さ一メートル内外。 葉は互生し、長さ二〇〜四〇センチメートルの広線形でやや薄く、 下部は鞘(さや)状に茎を包む。 夏から秋に、茎頂から三〜六本に枝分かれした花穂(かすい)を出し、 枝穂の各節に二個ずつの小穂をつける。 小穂には芒(のぎ)がない。秋に刈り取って、その煎汁を黄色の染料に利用する。 かりやすぐさ。やまかりやす。とある。

    奥会津ではコガヤのことをカリヤスというそうです。 奥会津昭和村では昔から、からむし栽培には必要な植物でした。 それを刈る人が少なくなってコガヤも減少したそうです。最近になってまた復活させようと動き出している人もいらっしゃいます。 奥会津で呼称しているカリヤス(コガヤ)は植物学的には、「オオヒゲナガ カリヤス モドキ」Miscanthus intermedius (Honda)Hondaという名前らしいのです。
    (後節の説明は、菅家博昭氏のブログ等を参照しました)

    からむし栽培に寄り添う草(植物)で、からむし織を染める・・・という妄想でした(笑)

    かやぼっちの風景


    奥会津にて朝散歩1(2015年9月21日) と 
    散歩(2012年10月28日) と 
    ドライブ(2012年10月26日)。





    コガヤの風景

    左:記憶の森を歩く/ナラ林の紅葉(2015年10月26日)より
      コガヤ(オオヒゲ ナガカリヤス モドキ)とキャプションあり。 (撮影:菅家博昭氏)。元表示画像をサイズ加工しました。
    右:5月2日、大芦散策(2010年5月2日)より
      大芦、山崎。カヤボッチ。これはコガヤだという。主にからむし焼きに使うカヤで丈が低い。 別名カリヤスともいうと教わる。駄洒落を言おうとしたら、本当に「刈り易い」から来ているのだというのである。
      2010年5月2日、同氏のスタディツアー(「大芦家」主催)準備でのフィールドワークに同行させていただいたとき。

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【榧(かや)】
    巻之八 菓木之類 榧(かや) 第十五

    151023_カヤの木他
     かやは實も木も諸木に勝れたる物なり。吉野にてうゆる法、秋よく熟し自ら落ちたるをひろひ、中にてふときを肉共に肥地にうへおき、 二三年の後土を付けて移しうゆべし。 是に大小あり。 又甘味多きあり。 小さくして澁氣あるもあり。 うゆる時たねをゑらぶべし。
     カヤ(栢または榧)は実も木も優れています。 吉野地方で植える方法。 秋によく熟して落下した実を拾い、その中でも大きいものを果肉がついたままで肥地に植えておきます。 2、3年後に根に土を付けたままで移植します。 カヤの実には、大きさも色々、甘味のある実も多いです。 小さくて渋味のあるものもあります。植える時には、種(実)を選びましょう。

     取収むる事は秋熟し落つるを拾ひ、俵に入れ、池川にさはしをき、皮たゞれたる時洗ひ、 干上げて俵などに入れ置くべし。
     実を収穫する時は、秋に熟して落ちたものを拾って俵に入れます。 それを池や川に晒しておいて皮が崩れてきた頃に洗って、乾燥させて俵などに入れて保存します。

     吉野にてはよき榧の木十本餘も持ちぬれば、一かどの渡世の助となる事となり。 されば子に家をゆづれるには、榧の木何本を子に遺し、何本は隠居の分などゝわけあたゆる事とかや。 然れば何國にも山中には地味吉野にをとらぬ所もあるなれば、領主よりも心をそへられ、里人よく心にかけ、の子(み)うへをし、 其外うるしなどを植へたて、漸々に盛長し多くならば、 多年の後はからざる福を得、其里大きににぎはひ市をなすべし
     吉野地方では、良いカヤの木を10本ほどももっていると、そこそこの生計の助けになると言います。 子供に家督を譲る時には、カヤの木何本は子供の分、何本は隠居の分などと分配して相続するそうです。 そういう木なのです、どの地方でも吉野に勝る地味の場所はいくらでもある筈です。 領主(地方役人)からも栽培を推奨して住民に説き聞かせてカヤの木を植えることです。 これは農政の問題です。 その他にも、桑や漆や楮など。そういう木を推奨して植えていって、段々と成長して増えていけば、数年後には思いの外の利得となり、その生産地は賑わい市が出来ることでしょう。

    『巻之八 菓木之類 榧(かや) 第十五』(P.280〜281)

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【紅花(こうくわ)】
    農業全書巻之六 三草之類 紅花(こうくわ) 第五

     紅花は、是又三草の一つにて、古来より作りて織物、糸、其外絹布を染めて濃薄によりて品とし、 世に用ひ大切の物なり。
     紅花(ベニバナ)は、これも三草のひとつです。 古来より栽培され、織物や糸や絹布などの染料として利用されてきた大切な植物です。 染めた色の農薄の度合が品質の良し悪しとなります。

     うゆる地の事、土性極めてよく光色ありてうるはしきは、作れる花の色もよく染付きよし。 黄赤黒の土の尤肥良なるをゑらびて作るべし。 高き田の性よきは猶宜し。
     植える場所は、土性がよくて土が光るような色があり麗しい土だと、色も良くて染付き具合の良い紅花ができます。 土は黄、赤、黒土が適していて、特に肥えた土壌を選んで栽培します。 高い場所の性の良い田んぼなどは言うまでもなく良い場所です。

    夏より數遍耕しさらし、糞をうち熟しからし置きたるに、霜月の初申の日蒔くべし。 又、八月地をよくこなし、畦作りし筋を切り、たねを酒に浸す事、一宿、灰糞、やき土にてたねを合せ蒔くべし。 さのみ厚く蒔くべからず。
    畑は夏から数回耕して晒しておき、肥を撒いて熟成させて散して枯らしておきます。陰暦の11月(霜月:しもづき)の初の申の日(さるのひ)に種を蒔きます。

    苗二三寸の時中うち芸り、人糞ならばいかにも久しく枯れたるを以て葉にかゝらざる様にわきよりかくべし。 苗ふとりさかへては人糞は云ふに及ばす、新しくけがらはしき糞を用ゆれば、さき曲りて花房とならぬ物なり。
    苗が2、3寸になったら中打ちして草をとります。 肥やりが人糞なら熟してから長い間枯らしおいたものを使用して、葉に掛けないように脇から掛けます。 苗が成長してからは、人糞はもとより、獣類の肥料を使用すると、枝先が曲がって花が付かなくなります。

    鶏の糞、又は糟鰯にても苗のちいさき時に多く用ひて、中うちさい/\して芸り培ひ、 うすからず厚からずよき程に間引き立てゝ、四五月朝いまだ日の出でざるに花よくひらきて、 わきにたるゝを見てつむべし。 ひらきてもいまだ色黄にして、わきにたれざるはつむべからず。
    鶏糞やまたは鰯の糟などについても、苗の小さい時には多めに使って、あとは、こまめに中打ちをして草取りと培いをします。 あまり薄くならないようにかといって厚くならないように間引きをします。 4、5月の頃、日の出前には花は咲きます。脇に垂れている花を摘み取ります。 花が開いていても、まだ黄色だったり、脇に垂れていない花は摘まないようにします。

    摘み取りてはざつときざみ、臼にてつき、清水に漬けて、やがて取上げしぼり、 何にてもきれいなる物にひろげ、草の葉をおほひ、日風も當らざる所に二三日もをき、 少し色付き白かびの出づるを見て餅に造り日に干すべし。
    摘み取った花は、ざっと刻んで、臼で搗いて、清水に漬けます。 それを取り上げて搾り、きれいな敷物の上に広げて、草の葉で覆って、日光や風に当らない場所に2、3日置きます。 少し色がついて白カビが出てきたら、餅(団子状に丸めて?)にして日に当てて乾かします。

     又、出羽の最上にて、花を作る法あり。 ことなる事なし。 これはつみ取りて清水に漬け、やがて取上げてしぼり、莚に攤げ、物をおほひおきて、 少しねたる時餅には造らず、其まゝ乱れ花にして干し上げ、箱に入れをくなり。
     また、山形県地方(出羽最上)で、作る方法があります。 これも殆んど同じ方法です。 摘み取って清水につけて、取り上げて搾り、莚に広げてその上に覆いを掛けます。 少し熟成し始めたら、餅にはしないでそのままバラバラに散した状態で乾燥させて、箱に保存しています。

     苗の時、間引きてゆがき、菜にし食するに、其性よく味もよし。 市町近き所にては園菜とし、少し厚く作りて段々間引き取りても利なき物にあらず。 又、實を多く収め置きて燈油に用ひ、優れて光もよく、油多き物なり。
     間引いた苗は、湯がいて食べると味もよいです。 トカイに近い場所ならば、園菜と同じ様に初めから厚めに種を蒔いて、少しずつ間引いて売れば少しは利益もでます。 また、ベニバナの実を多く収穫して灯油として利用しても、明り具合がよいです。 油分が多いのです。

     又、紅花は苗より念を入れ、いか程心を盡しても、卒爾に糞を用ゆれば、 忽に先曲りくせ付く物なれば、下地をなる程よくこしらへ、糞を多くうちさらし置き、 蒔く時鶏糞など其外よく枯れたる糞を灰に合せ、下にしきて蒔くべし。 後は草かじめ、中うち培ひ、間引き立てゝ置くべし。 土地に相應し、肥地に多く作りては勝れて厚利を見る物なり。 地心を能くえらぶべし。 又、子を牛に飼ひたるもよし。
     ベニバナは苗のときから、よく注意してこまめに手間隙を掛けて養生しても、軽率に施肥などをすると、 たちまち枝が曲がってくせがついてしまいます。 種を蒔く前に土つくりを丹念にして、肥を多めに打って晒しておきます。 種は鶏糞などやその他十分に枯れた肥料を灰と一緒にしたものを敷いて、その上に蒔きます。 その後は、草かじめ、中打ち、培いをして、苗は間引きます。 その土地に相応する、肥えた土に多く栽培すると、高値で売れます。 土地の性質を見極めて判断することが重要です。 また、ベニバナの実は、牛の飼料にもなります。

    『巻之六 三草之類 紅花(こうくわ) 第一』(P.227〜228)

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【葡萄(ぶだう)】
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【櫻(さくら)】
    『巻之九 諸木之類 櫻(さくら) 第八』


     櫻は本朝の名物にて、唐其外の國々に稀なる物と見えたり。 花の事は云ふに及ばす、山林に多くうへては材木、薪にもすぐれてよし。 書籍をきざむ板(はん)にしては是にこゆる木なし。
    うゆる法、實のよく熟し落ちたるを拾ひあつめ置き、赤土にてもよく肥へたる少しねばる土地よし。 畦作り菜畠のごとくこしらへ、取りて其まゝ五月蒔きたるよし。 又来年二月早くまき、土を厚くおほひ糞水をそゝぎ、尤蒔く時粉糞に合せまきたるは尚よし。 上を踐み付け置くべし。 よく生ゆる物なり。 肥地に蒔きて草かじめし、手入を用ゆれば、間一年にては二三尺もふとり、 細根よく生ずるゆへ、盛長ことの外安き物なり。
    薪にしてはよくもえ、火つよく、伐るもわるも快し。 且又大かたの磽地にても生長しふとりさかゆる事速かなり。
    又若木の時、上皮を剥ぎては、かばと云ひて檜物屋に多く用ひ、其外細工に用ゆる物なり。
    本木を伐りてもやがてかぶより若葉出でて、ほどなく榮ゆるなり。 花を賞し材を用ゆ。 多くうへて國用を助くる良木なり。 殊に本朝の名木なれば、子を取り置きて必ずうゆべし。 赤土、黒土に宜し。 沙地を好まず。 吉野、仁和寺、奈良何れも黒土なり。
     桜は日本特有のもので、唐や外国にはほとんどないらしい。 花は勿論のこと、山林に植えれば用材にも薪にも優れています。 版木(本を印刷する板)にするには桜の木を超えるものはありません。
    植える方法は、熟して落ちた実を拾い集めておいて、肥えた赤土で少し粘り気のある土がよいです。 菜畑と同じ様に、畦を作って、実をそのまま五月に蒔けばよい。 または、翌年二月早々に蒔いて、土を厚く覆って肥水を注ぎます。 蒔く時に、粉肥と一緒に合せて蒔くのはなおよいです。 蒔いたその上は踏みつけておきます。これでよく生えてきます。 肥地に蒔いて、まわりの草をきれいにして手入れをすれば、1年で2、3尺にも育ち、また細根がよく延び、よく育ちます。
    薪にしてはよく燃えます、火力も強く、また桜の木は切るのも割るのも快いものです。 そのうえ、石の多い地味のやせた土地(磽地)でもよく育ち、成長も速いです。
    若木の時には、上皮を剥いで、カパといって、曲物(まげもの)などの檜物細工、木工細工にもよく使われます。
    桜の木は主幹を切っても、その株から若葉が出て暫くすると茂ってきます。 桜は花を愛でて、その木材も使えるとても有用な木です。多く植えましょう。 特に桜は日本の花ともいえます。 実をとっておいてどしどし植えるべきです。赤土や黒土にはよいですが、砂地は好みません。 吉野、仁和寺や奈良の地はどこも黒土の風土です。


     八重ざくらは異やうの物なりと兼好法師は書きたれども、 今洛陽の名木奈良初瀬の花を見れば世塵を忘れ、惣に世の外に出でて仙郷に遊べる心ちぞし侍る。 それば、公武の貴人の弄べるはむべなり。
    神の社の前うしろ、寺院のほとりにまめやかに此木をつぎ種へなばも年を重ねて後何國の地にても 大和洛陽の花の景色をうつすべし。 其事を司れる人は必ずこゝろを用ゆべし。今民用の事を記する序、はからず心にうかべるまゝ他のあざけりを忘れて、 にげなき事を妄りにこゝに書(しる)すものなり。
     兼好法師は、八重桜はあやしげな花、と書きましたが、まさに今、京都左京(洛陽)の名木桜や、奈良初瀬の桜花を見れば、世俗を忘れて仙人の郷に遊ぶ心持ちがします。 それらを高貴な人たちがきそって悦ぶのも「むべなるかな」ともいえましょう。
    神社の前や後ろ、寺院の庭のほとりにきめ細かに桜の木を植えれば、数年の後にはどこの地方でも、大和の国の都の花の景色を観賞出来るというものです。 神社寺院の管理をあずかる人は、特に植樹にも心を使わないといけません。 ついつい、桜の使い勝手の良さを書く序(ついで)に、他人に笑われそうな思いついた、余計な事を、書いてしまいました。てへっ。


    『巻之九 諸木之類 櫻(さくら) 第八』(P.301〜302)


    わたし(掲載子)もここに、
    今『農業全書』を書き写すついでに、はからず心にうかべるまゝ他のあざけりを忘れて、 にげなき事を妄りにこゝに書(しる)すものなり。

     
    善意について(2014年5月4日) と  奥会津・朝散歩2(2015年9月20日)
    わたし(掲載子)がはじめてこの木に気づいた時(2010年)は、添木に押さえつけられて曲ったままではないか、という感想からでした。 それ以来この木を訪問するたびに観察しました。 その結果5年掛けて「この木は放置されたままで朽ちている」と判断したのです。 たたまたま見かけて、思いつきで書いた訳ではないことを理解いただくために、その履歴(証拠)として載せておきます。
    決して、村の悪口とは思われませんように、と願いながら。
    5月5日、朝の散歩(2010年5月5日)
    下中津川、熊野神社境内。
    どこかのゴルフクラブ関係の緑化推進運動の社団法人の寄進木らしい。 寄進したときに境内に立てたらしい固有名詞の標識だけが目立つ。 その時だけの善意の押売り、、と、思ってしまう。 枝は雪折れを避けるために結わえたままである。 木を押し付けたら、春になったら世話しに来てほしいと思う。 これでは、宣伝(免罪符だ)の標識しか残らなくなってしまうではないか。


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【榿(はりのき)】
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【菅(すげ)】
    農業全書巻之六 三草之類 菅(すげ) 第十一

    菅(すげ)
     すげを種ゆる法、八月古かぶを引きわりて三本程づゝ一手に取り、 間を五寸許をきて稲をうゆるごとくに、糞は何にてもいとわず。 鰯などは云ふに及ばず。 有る所にては牛馬鹿などの毛を糞にするもよし。 二三月の此わかく出づる心葉をぬきて捨つべし。 此のゝ置けば、わきの葉さかへず。 刈り干す事は、藺にかはる事なし。 土用の中刈りて晴日に干し上げ、莚に包み煙の當らぬ所にをくべし。長短をゑり分くる事は桶を前にをき、其中にて本をつきそろへ末を取りて長きを上とす。 天氣を見合せ二三日に干し上げざれば色よからず。 若し夕立にあへば色あしきのみならず、さび入りて用に立たず。 菅を作る地は深田の稲の出来過ぐるを上とす。 相應の地にては稲にをとらぬ厚利の物と云へり。 笠にぬふ人手間ある所などはおほく作るべし。

     菅(スゲ)を植える方法です。 8月に(纏まった)古株をほぐして、3本ほどずつにして、5寸間隔くらいに稲を植えるように植えます。 肥料は何でもよいです。鰯などは勿論です、牛、馬、鹿などの毛を肥料にするのもよいです。 2、3月に若葉の出始めに芯となる葉を引き抜いてしまいます。 これを残しておくと脇の葉が広がりません。 文字通りの摘芯(てきしん)ですね。 刈り取って乾燥させる方法は藺草(いぐさ)と同じです。 土用の頃に刈って日向で干してから、莚(むしろ)で包んで煙の当らない場所で保管します。 菅の葉の長さを選別するときは桶を使います。 桶の中に、菅の根元側を下にして立てて葉先の長いものを抜き取ります。 この光景はどこかで見た気がする。 勿論長いものが良いです。 乾燥は天候を見ながら、2、3日で乾燥を仕上げないと色がよくありません。 また、夕立にあったりすると、色が悪いだけでなく、割れてしまって使い物にならなくなります。 菅を栽培する場所は、深田で稲も出来過ぎるくらいのところが最上です。 菅に適した所では稲よりも利潤が大きくなります。 笠を作る人手間などがある地域では、多く栽培すればよいと思います。

    『農業全書巻之六 三草之類 菅(すげ) 第十一』(P.241)

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【ミニカボチャ】
    150820_ミニカボチャ  (←クリックで、下記キャプションの画像を表示します)。
    最近ではミニカボチャが人気です、狭い面積で育てられる空中栽培がおすすめ。 保湿保温のためにかぶせたシートに穴をあけ苗を植えつけます。 カボチャはつる植物、15m以上伸びます。 つるの節々からわき芽が出てきました。つるが伸びてきたら、たくさん実がなるように先端を切ります。 わき芽は3つ残しましょう。 残した3つのわき芽が伸び始めたら、支柱で苗を四方囲み立体的に組み立てます。 つるを上へと伸ばすことでコンパクトな面積で栽培ができます。 横に広がったつるは上へ誘導します、つるはひもで支柱に結びつけます。 雄花の先端を雌しべにつけて人工受粉をします。 雌花が受粉するのは午前9時ころまで、朝のうちに行ないます。 株の周りに肥料をまきます。 ひもで作ったネットで支えます。 収穫のタイミングは「へた」の状態でわかります。 コルク状の筋ができたら熟成の合図。

    気多神社渡御祭〔9〕 2012年8月15日。

    ゆうごうカボチャは同じ場所では作らない。
    2012年8月15日に奥会津小中津川で聞いた話。 「ゆうごう」とは夕顔(ユウガオ)のこと。

    カボチャは、『農業全書巻之三 菜之類 南瓜(なんくわ) 第十四』(P.151)のことらしい。


    数年前から流行中の赤カボチャ。うまい、そうだ。
    収穫、表面を水洗し、コモの上で乾かす(2日ほど)。 直射日光時には1枚上にコモを掛ける。

    (菅家博昭さんのプログより転載しました、画像は減量加工)
    赤カボチャは奥会津金山町の特産品で有名です。町のゆるキャラにもなっています。 隣の昭和村でも生産しているようです。 この写真は、おそらく「『道の駅』からむし織の里」への出荷用の赤カボチャかもしれません。

    参照 16/04/07 リンク追加
    ズッキーニ(カボチャの解説あり)
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【ゴーヤー(ニガウリ)】
    150821_ゴーヤー(ニガウリ)
    (↑クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    ウリ科の植物ニガウリ(ツルレイシ)、最近ではゴーヤーの名前で親しまれています。 ふちがギザギザしているのが特徴です。 苗を植える前に、たっぷりと水を注ぎます。つるが成長していく夏を待ちます。 伸びすぎたつるを切り取り、風通しを良くします。 鮮度が落ちやすいゴーヤー、家庭菜園では取れたてを味わいましょう。
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【トウガラシ】
    150821_トウガラシ  (←クリックで、下記キャプションの画像を表示します)。
    辛み成分のカプサイシンは、食欲を増進させ血行の働きを良くします。 高温多湿を好むトウガラシ、苗が小さいうちは保温します。 一番初めに咲いた花は「一番花」と言います、ここから実がなり始めます。 実に栄養を集中させるため、一番花より下節々から出る芽を摘み取ります。 摘み取った芽はピリッと辛く「葉トウガラシ」として、佃煮や油で炒めて食べてみましょう。 シートの裾をめくり肥料をまきます。 赤い実よりも先に「青トウガラシ」も収穫できます。 素手で触るとピリピリするので手袋をしましょう。 赤く熟成する前の青トウガラシは火を通すと辛みが弱まります。 一方赤いトウガラシは加熱することで辛味が一層増します。 株全体の実が真っ赤に熟してきました、株ごと引き抜いて乾燥させます。

    カプサイシン関連、オリンダ の項にあり。
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【ハーブ】
    150821_ハーブ  (←クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    薬用から食用まで、その用途はさまざま、1万種類を超えるといわれます。 坑酸化作用があるといわれ「若返りのハーブ」と呼ばれるローズマリー。 ローズマリーは草丈20cmからが収穫適期、枝先を摘み取ります。 スペアミントは草丈20cmから収穫開始。 葉先が黄色く変わっています、原因は栄養不足と乾燥です。 秋まで育てるとスパイスのディルシードを収穫できます。
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【ラッカセイ】
    150821_ラッカセイ  (←クリックで、下記キャプションの画像を表示します)。
    沖縄でジーマミ(地豆)と言うのは地中に豆ができるから。 ホクホクした食感と甘み、家庭菜園ならではの風味を試してみてください。






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【オクラ】
    150820_オクラ  (←クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    オクラはハイビスカスと同じアオイ科の植物、大きく鮮やかな花を咲かせます。 オクラの種。 粒が硬いため、一昼夜水に浸すと発芽しやすくなります。 保温保湿のためにかぶせたシートに穴をあけ、種を4粒まきます。 水やりをしたら完了です。 発芽したら株を2本に減らします。 葉が縮れてアリが集まっています。 葉の裏にいたのはアブラムシ、汁を吸われてしまいました。 被害が大きい場合は、思い切って種をまき直します。 今度はアブラムシ予防の農薬をまきます。 草丈10cmほどになったら株を1本だけにします。 肥料をまいて、株の成長を促します。 大きな花が咲きましたが、わずか1日で落ちてしまいます。 オクラは株の下から順に実ります。 収穫したところから下の葉は切り取ります。 風通しがよくなり、株が順調に成長します。 収穫が1日遅れただけで硬く筋ばります。 そのままにしておくと、実つきが悪くなるので切り取ります。
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【バジル】
    150820_バジル  (←クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    代表的なスイートバジル、パスタやピザのトッピングにかかせません。 湯を注ぐと水色のハーブティーになり、香りと色合いが楽しめます。 酢に漬け込めば、ルビー色のきれいなビネガーができます。 草丈が高くなり花が咲きました。 脇から新しい葉が出てきて、長い間収穫を楽しむことができます。 ヨーロッパの食文化に根付いているバジル、原産地はインドや熱帯アジアといわれています。 たくさん取るときは枝ごと切り取ります。 葉をすり潰してジェノベーゼソースができます。 晩秋、枝が枯れて種ができました。 枝ごと切り取って乾燥させます。 翌年の種まき用に保存したり、湯を注いで茶にすることもできます。 何度も収穫しながら、さわやかな香りを楽しみましょう。
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【胡蘿蔔(にんじん) 第六】
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【ニンジン】
    150820_ニンジン  (←クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    ニンジンの種。 ニンジンの種は発芽を促すため、一昼夜水に浸します。 溝をつくり種をまきます。 発芽まではこまめに水をやり、土が乾かないようにします。 隣の葉とふれ合わない程度に芽を抜きます。 倒れないように土を寄せます。 種まきから1か月は、土が乾かないように注意します。 肥料を追加します。 土と混ぜて株元に寄せます。 最終的には10cmほどの間隔。 小さくてもニンジンができています。 柔らかいので葉もおいしく食べられます、サラダや天ぷらにおすすめ。 西洋ニンジンが日本に伝わったのは江戸時代、短期間で日本中に広まりました。 葉の根元をつかんで引き抜きます。

    『農業全書』の説明はこちら→胡蘿蔔(にんじん)

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【アスパラガス】
    150820_アスパラガス
    (↑クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    白いアスパラガスは光を遮って育てたもの、ソフトな食感と甘さが特徴です。 最近では紫色の品種も人気、坑酸化作用のあるアントシアニンが豊富です。 1度植えると数年以上収穫を楽しめます。 アスパラガスの根株。 土をかぶせて水やりをしたら完了です。 1年目は養分を根に貯える期間、収穫しないで茎を育てます。 1か月に1度、肥料をまきます。 株元に土を寄せて安定させます。 アスパラガスの草丈は2m近くなります。 茎が細いので折れないように支柱を立てます。 小さなつぼみが付きました。 気温が下がると葉が枯れてきます。 堆肥をまくことで根を寒さから守ります。 春を迎え新芽が萌え出してきました。 暖かくなると1日で10cmも伸びます。 取れたては甘みの強さが格別、穂先は生で食べられます。 1度植えたら毎年収穫できるアスパラガス、春には栄養満点な旬の味を楽しめます。
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【ピーマン・シシトウ】
    150819_ピーマン・シシトウ
    (↑クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    芽の周りに雑草も生えてしまいました。 一番花よりも下、葉のつけ根から出ているわき根を摘み取ります。 草丈が伸びると横に広がるため、茎が支柱に沿うようにひもで結びます。 株の周囲に肥料を追加します。 ピーマンは株を疲れさせないため、最初の実は小さいうちに収穫します。 6cmほどの実から収穫します。

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【サトイモ】
    150819_サトイモ
    (↑クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    アブラムシです。 葉の養分を吸い、病気の原因になります。 一番大きい親イモに子イモが実り、さらに孫イモが連なっています。 イモはねじるように引っぱると、簡単に外すことができます。 長期保存のコツは、極端な低温を嫌うため、冷蔵庫に入れないこと。 土の中に埋めると、鮮度を保つことができます。

    里芋の種芋は、農協やニトリ、コメリ?などでも売っている。

    150504_奥会津へ・田島町にて2015年5月4日。

    サトイモのことは、『農業全書巻之五 山野菜之類 芋(いも) 第十五』(P.191)にある。 また、里芋との明記はない。むかしは、芋といえば、現在の里芋(サトイモ)だったことが想起されますね。
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【蕨(わらび)】
    巻之五 山野菜之類 蕨(わらび) 第十三

    150717_蕨(わらび)
    ワラビ、ゼンマイ、コゴミ、カクマのことなどが書いてあるらしい

     蕨、紫蕨(ぜんまい)、薇(いのて)、是皆山中に生じ田圃に作る物にあらず。 此ゆへに委しく記さず。 蕨は生にては性あしく味もよからず。 鹽づけよし。 ほしたるは出羽の秋田より出づる物、柔にして味よし。 ぜんまいも食様は右に同じ。 加賀より出づる味尤もよし。 倭俗に今狗脊(くせき)と書くは非なり。 狗脊は唐より来る藥なり。 紫蕨は本草蕨の集解に出でたり。 茹き干して種々料理によし。 薇は深山幽谷に生ず。 味甚だにがく、蕨より大なり。 朱子詩傅又荘子にも出でたり。 本草綱目に記せる薇は是にあらず。
     ワラビ(蕨)、ゼンマイ(紫蕨)、カクマ、これらは山に自生するもので、栽培作物ではありません。 それなので、ここでは詳しく説明しません。
    ワラビは生では食べ難く味も悪いです。塩漬けにするとよい。乾燥させたワラビは出羽国秋田産が柔らかで味がよいです。
    ゼンマイも食べ方はワラビと同じです。加賀産が一番味も良い。
    国内で、俗に狗脊(くせき)と書きますが、これは間違い、狗脊は唐から輸入する薬のことです。 ゼンマイ(紫蕨)については、『本草綱目』の蕨(ワラビ)の項にまとめて記述されています。 茹でて乾燥させて、色々な料理に使われます。
    薇(カクマ?:いので)は、深山幽谷に生えています。味は大変苦くて、ワラビよりも大きいものです。 これは、「朱子の『詩傅』」や、『荘子』に出てきますが、『本草綱目』に書いてあるワラビ(蕨)のことではありません。

    『巻之五 山野菜之類 蕨(わらび) 第十三』(P.190〜191)

      薇(いのて)がわからない。が、深山幽谷に生ずとある。 簡便辞書で、「いのて→イノデ」を引いたら、猪の手が出て来た。 シダ類ウラボシ科の常緑多年草とある。
      狗脊(くせき)と俗にいうのは間違いと書いてあるので、「狗脊」を引いたら「おおかぐま」と出て来た。 これもシダ類ウラボシ科の常緑多年草とありました。 それで、これ(薇(いのて))は、カクマのことではないかと勝手に想像しました。

      ただ、猪の手は、関東地方以西で、平地から低山に生えとあり、 狗脊(おおかぐま)は、紀伊半島南部以西、四国、九州から東南アジアにかけて分布し、やや乾いた森林内に生える、とあるのです。 つまりは東北地方では自生しないとも判断できてしまう。おおかぐま(大かぐま)の小さいものをかぐま(カクマ)と言うかもしれないと気をとり直す。

      自分の知見と手持ち資料での調査はこの程度までで限界。さて、こんなテキトーな想像で判断していいものやら、当てずっぽうでも書いてみたのには、以下のような理由から(^^;

      2010年の春に、菅家博昭さんがブログやTwitterでこれらのこと(特にカクマのこと)の聞き取りを発表しておられます。
      カクマとは標準和名ではヤマドリゼンマイのことを言う。
      コゴミは(クサソテツ)のこと。

      2010年05月30日(日)の同氏のTwitterより。
      カクマは、ゆでてから、もとからひっこいて、皮と綿を取る。 そしてワラのムシロに並べて干す。 ゼンメはあたまの綿を取ってがら、ゆでる
      posted at 18:26:27

      山んなかの陽当たりにより、オドゴゼンメが出ないどごがある。オンナゼンメだげででっどごは日向きでねぇどご。
      posted at 18:30:34

      カクマは、谷地どか崖っ地に遅れて出てくる。 ノマどかさよぐ採りに行った。 カクマはではだちは採らんにぇえだ。 一尺くらいに伸びてがら、株に五本ぐれぇ出てくるから、一本残して取る。 きはかたまんねでやっけいがら。 食っては、ウルイどおんなじ、キコキコどって、歯切れいぇえだ。
      posted at 18:43:59

      石走る 垂水の上の
      早蕨の 萌え出づる春に
      なりにけるかも
          志貴皇子
     
    150811_蕨 ↑これは日本の歌(笑)

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【絲瓜(へちま)】
    『農業全書巻之三 菜之類 絲瓜(へちま) 第十五』
    −150612_若冲−
    −150212_へちま−
     絲瓜、わかき時は料理にして食す。 同じく漬物にして極めてよき物なり。 老いて皮厚く、堅くなりたるを干して其後水に漬け置けば、肉くさり上皮のきて、其筋あらき布のごとく成りたるをもみ洗ひ乾し置き、是に て器物をあらへばたとひぬりたる物にても引めも付かず、物のあかを能くとり、又湯手に用ひて甚だよし。 うへ様雑瓜に同じ。 垣にはゝせたるよし。 此瓜は疱疹(ほうそうはしか)の藥なり。 其外にも功多し。 (P.152)

    若いへちまは料理にも使う。漬物などもとてもよい。
    成長して皮が厚くなったへちまを乾燥させて、その後水に着けておくと、果肉が腐り皮も剥げて、筋だけが残り粗布の様になるので。それを揉み洗いして乾燥させます。
    これを使って食器などを洗えば塗物などでも傷が付きません。 また、垢がよく落ちますので、風呂のタオル(手拭い)代りにとてもよいです。
    ヘチマの育て方は、他の瓜類と同じです。 垣に這わせるのがよいでしょう。
    また、へちまは、疱瘡(ほうそう)や麻疹(はしか)の薬にもなります。それ以外にも色々の効用があります。 アカスリ、美容液、等など。かな。

      −150215_ヘチマ入り石鹸−
    タイの土産で、ヘチマ入り石鹸というものをいただいたので、特に記しておく。15/02/12

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【摘芯(てきしん)】
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【牽牛子(けんごし)】
     牽牛子とは、朝顔の種の事。

     牽牛子(けんごし) 第十三

     
    150710_牽午子
     けんごし、黒白の二色あり。 子の白きが値段少し高し。
     アサガオのタネ(牽牛子)は、白と黒と二種類あります。 白い種が値が高いです。

    是又屋敷廻り餘地あらばうゆべし。 かきにはゝせ藪にもまとはせ、其外他の物のさのみ盛長せざる所にうへ置きて、竹を立てははすべし。 土地の費へさのみなく長くはひまとひ、子多くなる物なり。 子を二月蒔き置きて、三月移しうゆるもよし。 かきのもとなどにうへ付けにして、少し糞灰などかけ置くべし。
    家のまわりに空地があれば植えましょう。 垣に這わせ、藪にまとわせてもよい、他の植物のあまり育たない場所に植えて、竹を立てて這わせてもよい。 土の養生はさほどしなくとも、長く這いまとい種が多く実ります。 種を二月に蒔いて、三月に移植するのもよいです。 垣根の下などに植えて、少し肥料灰などをかけて置けばよいでしょう。

    秋の末子熟し蔓も枯れて後下に筵など敷き、垣ををしたをし打ちて取るべし。 又一々つみ取るもよし。 多少により所によるべし。
    秋の終りごろに、実が熟して蔓もほとんど枯れてしまってから、下に筵(むしろ)などを敷いて、垣ごと押し倒して叩いて収穫します。 または、一つ一つを摘み取ってもよいです。 それは、分量と場所をわきまえて効率のいい方法で収穫すればよいでしょう。

    藥屋に賣りて利なき物にあらず。 又子を多く取り油をしめ取るもよし。
    薬屋に売れば少しはたしにもなるでしょう。 沢山取って、搾油するもよし。

    (P.339〜340)

       下に筵(むしろ)など敷き、垣を押し倒し(をしたをし)打ちて取るべし、何とも豪勢な採集方法です。 これは、ムカゴの収穫なども(おそらく)そうだったのでしょう。

       141102_朝顔
       はたと気づいた。農業全書には観賞を主たる用途とするだけの草木についての記述はないのである。 それらの植物が実用とされるものについて書かれていると今頃になって気づいたのでした。 以下は簡便辞書で調べたことですが、元々は薬用(下剤利尿剤)だったのです。 薬用としては平安時代初期から栽培しているとありました。
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【ほうき草】
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【木賊(もくぞく)】
    巻之十 生類養法 藥種類 木賊(もくぞく) 第廿五

    木賊
     木賊は藥にも用ゆ。細工につかふ時はとくさと云ふ。 庭にうへてもめづらし。 正月に奮茎を悉く切り取るべし。 新茎生じて美なり。 本草に曰く、四月に取るべし。 又曰く取るに時なし
     木賊(もくぞく)は、薬にも利用します。 細工(研摩)に使うときは【とくさ】(木賊)と呼んでいます。 庭に観賞用として植えるのも風情があります。 正月には、古い茎を全部切り取っておくと、新しい茎が生え出てきて綺麗です。 本草(『本草綱目(ほんぞうこうもく)』)には、四月に取るべし、とあります。 が、また、いつ取ってもいい(取るに時無し)ともあります。よくわかりません(笑)。

    15/07/04 上野公園にて
     うゆる地は細かなる肥地の柔らかなるにうへ、しば/\水をそそげば、くきふとくのびやかにして用ゆるにたへたり。
     植える場所は細かな肥えた軟らかい土に植え、時々水をあげると、茎は太く伸び伸びと育ち、使い物になります。

    『巻之十 生類養法 藥種類 木賊(もくぞく) 第廿五』(P.344〜345)
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【ほとり苧(そ)】
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【越瓜(あさうり)】
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【大豆(まめ)】
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【ノリウツギ(糊 空木・卯木)】
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【笹】
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【ツリフネソウ】
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【キンポウゲ】
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【読めない字】
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【梯梧(デイゴ)の植林】
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【庭の植物】
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【トウモロコシ】
    150820_トウモロコシ
    (↑クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    消毒された印として着色されていることがあります。 くぼみをつくり種を3粒まきます。 トウモロコシの種は鳥の大好物、食べられないよう不職布をかけます。 根が広がっているので、そのまま引き抜くと隣の株も抜けることがあります。根元をハサミで切りましょう。 トウモロコシは多くの肥料を必要とします。摘み取ったトウモロコシの皮をむくと、 ベビーコーン(ヤングコーン)として利用できます。 確実に実らせるため、人工受粉をします。 雌花のひげに花粉が付着すれば受粉完了。

    別項に、とうもろこしあり。

    トウモロコシは『五穀(こく)之類(るい) 蜀黍(もろこしきび) 第八』(P.110)の項に「玉蜀黍(なんばんきび)」とあり。
    16/04/19 リンク変更
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【●苡(よくい)】
    五穀(こく)之類(るい) ●苡(よくい) 第十九

    簡便辞書より。植物「じゅずだま(数珠玉)」の漢名。また、「はとむぎ(鳩麦)」の漢名ともする。

     ●苡是二種あり。 其粒細長く、皮うすく、米白く粘りて糯米のごとくなるが、眞(しん)●苡なり。 藥にもこれを用ゆべし。

     よくいには二種類あります。
    粒が細長くて、皮が薄く、その実が白くてもち米(糯米)のようになるのが、本来のよくいです。 薬としてもこれを使います。


    一種又丸く、實は少くかたきあり、うゆべからず。 又一種菩提子(ぼだいし)とて大きなるあり。 珠數とす。

    一種類は、粒が丸くて少し堅いものがあります。これは植えないで下さい。 また別の一種には、菩提子(ぼだいし)と呼ばれる大きい実のなるものがあります。 これは、数珠(じゅず)として利用します。

     うゆる地の事、尤濕氣を好む物なり。 何にても糞しを多く用ひ、旱(ひでり)せば水をそゝぎ、常にうるほひを保つべし。

     植える場所については、この植物は好湿性があることを考慮してください。 いずれにしても、肥料を多く与えて、日照りには水遣りをして、いつも潤いを持たせます。

    畦作りつねのごとくし、五六寸に一本づゝ見合せうへ、厚く土をおほひ、芸ぎり培ひ別法なし。

    畦作りは普通の畦の通りで、5、6寸に一本くらいの間隔で植えて、土は厚く覆い、草むしり培いにも特別の方法はありません。

    苗ながく心葉出づるを節をかけてぬき捨つべし。 心葉をぬかずして置きたるは實少し。 九月霜ふりて實を取収め、よく干して米にする事は蒸し乾し、すりくだき米のごとくこしらゆるなり。

    苗が長く主茎の葉(心葉)が出てきたら、節のところから抜いてしまいます。 この処置をしないで、心葉を残しておくと、実が少ないです。 九月に霜が降りてから収穫して、よく乾燥させコメとして使う時には蒸し乾かして、摺り砕いて米紛と同じように調理します。

    宿根(ふるね)より生ふるは、から堅く、子(み)少し。 二三月蒔き置きて移しうゆべし。

    去年の根(宿根)から生えたものは、殻が堅くて、実も少ないです。 2、3月頃に蒔いておいて、移植します。

    實は●苡仁と云ふ。 藥種なり。 性のよき物なり。 病人の食物に調へて用ゆべし。 粥になり、飯に交へ、だんごにしたゝめ、様々料理多し。 葉を米にまぜ、飯に調ずれば、その香早稲米の飯のごとし。 茶を煎ずるに葉を少し入れば香よく味もます物なり。

    実はよくい仁といいます。(仁:果実の核。さね、たねのことか) 薬になります。性の良いものです。 病人の食べ物として調理してください。 粥にするもよし、ご飯に混ぜてもよし、だんごにしてもよし、さまざまな調理法があります。 また、その葉をご飯に混ぜて炊くと、その香は新米のご飯のようになります。 お茶を煎じる時にも、この葉を少し混ぜると、香もよくて味も一入美味くなります。

    『五穀(こく)之類(るい) ●苡(よくい) 第十九』(P.124〜125)
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【胡麻(ごま)】
    『農業全書巻之二 五穀(こく)之類(るい) 胡麻(ごま) 第十八』

     
    150220_胡麻
     胡麻は五穀の内に入りて食物となる物なり。 是は油麻脂麻などとこそ云ふべきを、古へ漢國の使者が胡國より種子を取り来る故、かくは號すると也。
     胡麻は五穀の内の一つで食物となります。 油麻とか脂麻と言ったほうがよいところですが、むかし漢国の使者がペルシャ(胡國)からタネを入手したので、このように胡麻と言います。

     早晩の二種あり。 白黒赤の三色あり。 黒きが食するには藥なり。 中にもすきとをりありて白きが油多し。 其さや六角なるもあり。 是は實の色うすあめ色也。
     早生と晩生があります。色は白黒赤の三色ありますが、食べるのには黒い胡麻がよいです。 透き通るほど白い種類もあります。白い胡麻は油が多いです。 また、鞘の形が六角のものもあり、これはあめ色の実です。

     蒔き時分の事、三四五月雨の後しめり氣あるに蒔くべし。白地は胡麻に宜しとて、細沙の肥へたるによく出来る物なり。 上半月胡麻をうゆべし。 下半月は實少し。春蒔きたるは虫付きて生立にくし。 よくそだてば實多し。 夏まくは長じ安し。 されども實は少し。地のこしらへいか程も細かにこなし置き、うるほひよき時分を待ちて畦作りし、一反に凡種子を五六合の積りして、沙と合はせむらなき様に蒔くべし。 蒔きたる上をこまざらへにてさら/\とかるくかき、或は柴をたばね。一方に縄を付け、蒔きたる上を引きならしたるもよし。 種子おほひ厚ければ生じかぬる物なり。 中うち三度許(ばかり)し、見合せよきころに間引くべし。 肥地は薄きが取實多し。 尤蒔糞を多く用ゆべし。
     タネをまく季節はは、3、4、5月頃の雨の後の湿り気のある時に蒔きます。 土は「白土は胡麻によい」と言われ、細砂の肥えた土によく生育します。 月の上旬に植えるのがよいです、下旬に植えると実が少ないです。春蒔きが付きやすいですが、育てば実は多いです。夏蒔きは育てやすいですが、実は少ないです。 畑の土は、どれだけでも細かにこなしておき、湿り気の按配のいい時に畦(あぜ)を作り、タネは一反に5、6合くらいのつもりで、砂と合せてムラのないように蒔きます。 蒔いた上をこまざらいでさらさらと軽く掻きます。 または、柴を束ねて片方に縄を付けて、蒔いた上を掃くように均(なら)すとよいです。 タネの覆いが厚いと芽が出にくいです。 中打ちは3回ほどして、手頃な長さにときに間引いて下さい。 肥えた土は薄い方が実が多くなりますが、蒔くときの肥料は多くしたほうがよいです。(?)。

     かる時分の事、本なりのさや一つ二つ口をひらかんとするを見て刈取り、下に筵などをしき、 上にもこもむしろにておほひ、ニ三日も蒸しをき、其葉腐りつるをふるひすて、小束にたばね、多き時はやねの如くふき、少きは兩方よりたばねたる胡麻を立てかけ口のひらくを見て打ちとり、又本の如く兩方より立かけ干し、二三日も間を置きて又うつべし。 此のごとく四五遍うちて悉く盡すべし。
     刈取る時期は、主茎の鞘(サヤ)が一つか二つ口を開けそうなタイミングです。 下に筵(ムシロ)を敷いて、刈取った上にも菰筵(コモむしろ)を被せて、2、3日蒸し晒します。 腐った葉を振(ふる)い棄てて、小束にします。 刈取った量が多い時には屋根葺きのように重ね積みます、少量の時には束同士を立てかけて干して、口が開くのを見てから打ち取ります。 2、3日も間をおいて打ちます。このようにして、4、5回も打って全部の実を打ち尽します。

     又胡麻を夫婦にて同じく蒔けば實多しと云へり。 是妄言に似たる事といへども、陰陽變化の理りしゆべからず。 芸ぎり中うちたび/\して、畦の中いかにもきれいにすべし。 相應の地ある所にては、多く作るべし。 厚利ある物なり。 旱を好みて雨年によからず、他の作り物は少し旱傷みする所も胡麻にはくるしからず。
     胡麻は、「夫婦で同じに蒔けば実が多い」と言います。 戯言(たわごと)のようだと思うかもしれませんが、陰陽変化は深遠な理(ことわり)があるかも知れません。 草むしりと中打ちは何度もして、畦の中は出来るだけきれいにします。 相応の土地(場所)があれば、沢山作りましょう。大変役立ちます。 旱(ひでり)の年がよくて雨降りの年はよくないので、他の作物が日枯れしてしまうような所でも胡麻は問題なしです。

    『農業全書巻之二 五穀(こく)之類(るい) 胡麻(ごま) 第十八』(P.123〜124)

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【麻苧(まを)】
    140703_麻苧

    目次に「麻苧」“まを”とある。

    140705_麻苧の例

    「麻苧」“まを”。(P.217)


    同上(P.218)図。 麻(あさ)でない事は確かですね。

    ついでに、“からむし”の意味での漢字と読みについて、他の本で目についたところを掲載する。
    転載文章は、まったく“からむし”のことについての内容ではありません。

    こちら(『庶民の発見』(宮本常一))は、「麻苧」“まちょ”とある。

     犬神の場合は、京都の犬神人に端を発するともいわれるが、祈祷にあたって犬の頭蓋骨(ずがいこつ)を呪法(じゅほう)に用いたことに由来するかと思われる。 犬はしばしば呪法に用いられたようであり、しかもそうした呪法を必要とした仲間も多かった。 たとえば『鉄山秘書』によると、「安部正重という者が、金屋子神(かなやごがみ)の神託によってタタラを用いて製鉄をはじめたが、正重は狩人で多くの犬をつれており、金屋子神は犬ぎらいで、犬に追われ、麻苧(まちょ)の乱れにつまずいて倒れ神去りました。 そのため、タタラへは犬を入れない」という話がのっている。 しかも安部氏はもと陰陽師(おんようじ)で「吉凶善悪をさすことたなごころを指すごとし」といい、その占いには「往古(おうこ)の降下の髑髏(どくろ)に向って祈念加持する」ともある。(《庶民の発見 七 底辺の神々》P.314)
    [抜書き]『庶民の発見』(宮本常一)

    【麻苧の乱れ】
    昔は定型句として存在した? 人が走ってつまずくほどの、麻苧の状態とは、畑のことか、刈取った束か、皮剥ぎをした茎のことか、苧挽きをした皮の山か。



    [抜書き]『歴史・祝祭・神話』(山口昌男)に引用文として載っている。

     織田信長の中にわれわれの見出すのは「例外」と「新しさ」、つまり、やはり、風流(日本的バロック)の具体化なのである。
      其時信長の御仕立、髪はちやせんに遊ばし、もゑぎの平打にてちやせんの髪を巻立て、ゆかたびらの袖をはづし、のし付けの太刀、わきさし二ツながら、長つかにみごなはにてまかせ、ふとき苧なはうでぬきにさせられ、御腰のまはりには猿つかひの様に火燧袋、ひやうたん七つ、八つ付けさせられ、虎革、豹革四つかはりの半袴をめし。
               (太田牛一本『信長公記』角川文庫)

    (《歴史・祝祭・神話 日本的バロックの原像》P.77〜78)

    【苧なは】:苧縄?
    〔太き苧縄腕貫にさせられ〕
    この“苧”は、読み方自体がわからない。 織田信長の衣(異)装の説明の段。


    (菅家博昭氏のブログより転載しました)
    掲載子は、活字で見つけただけですが、奥会津の菅家博昭さんは、古文書で当該個所を見つけて、発表しておられます。
    この写真ではルビはふられていませんが、同ブログの中では、“麻苧”の文字にさりげなくルビもつけてある個所もありました。
    アサの繊維を「あさを(麻苧)」ともいいます。
    鹿沼市「麻苧(あさお)町」


    宮本常一氏の『民俗のふるさと』には「垣内(かいと)のムラ」という題の文章に以下の記述がある。それはムラの起こりについての解説であるが、たまたま“苧”の文字を見つけた。
    と、ここに“苧五畝”が出てくる。注進状とあるので、何らかの争議の為に僧良円が、「ここは我が物であるぞよ」と明示(主張)したものだと思うが、それにしてもこれがからむしのことであれば、承保年間に伊賀名張郡では既にからむし畑は管理されていたことに為る。
    ここから(も)妄想ですが、会津「横田中丸城主山ノ内下野守季基家系之事」に伊賀国名張郡という文字があるのです。
      一 天児屋根命二十二世の孫藤原氏大祖大織冠正二位内大臣鎌足十七代後胤 首藤刑部丞俊通は相州鎌倉雪下山ノ内に住源氏属因茲世俗山ノ内と称 其より子孫山ノ内を家名とす
       近江国蒲生郡高嶋郡坂田郡甲賀郡浅井郡
       伊勢国三重郡飯高郡
       伊賀国名張郡合八郡
      を領近江国横田川城に住居す後に彦根と改・・・

    つまり(恐る恐る)、会津のからむしは伊賀国名張郡が本源の地、となる。 とすればこれを傍証として、会津野尻郷(現昭和村)には、600年の歴史どころか、この際少なくとも940年の歴史(2015年現在)として中世からの由緒を述べたててもよい事にならないだろうか。
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【カノ】
    カノ焼きのカノ。大抵は、仮名(平仮名またはカタカナ)文字で表示している。 あるところで、“火野”と表記した例を見た事がある。どんな文字を書いても宛字となってしまうのかもしれないが、 以下のような表記を見つけた。

    【越後国蒲原郡小川荘(外篇越後国蒲原郡之一)】に、 〔苅野畑とて山間の草木を焼、 其跡に栗(ママ)・稈・蕎麦・麻等を植、〕とあり。

    この苅野は、カノのことに違いないと思う。 ただ、こういう引用をしたいときに限って、“粟(あわ)”が“栗(くり)”と書かれていたりするので、悩ましい事例となってしまいます(笑)
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【殺し掻きと養成掻き】
    以下は、[抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫より。

     さて、漆を採る方法に二種類ある。 今年一年間で木が枯れるまでに採れるだけ採るのを「殺し掻き」という。 気長に木を養成しながら毎年採るのを「養成掻き」という。 養成掻きは大きな傷をつけていっぺんに採るということはしない。 少しずつ木を成長させながら汁を採るのである。 毎年採るということは、何年間かにわたって採るのであるから、結局、量的にはそのほうが多い。 殺し掻きは、一年でもって枯れることを承知のうえで採れるだけ採る。 もっとも、殺し掻きの場合でも、樹を立ち枯れにさせないで、幹の根元を鋸(のこぎり)で切っておくと、翌年はそちこちの根から何本も新しい芽が勢いよく噴き出してきて、成長率も二割方迅速に十年のものなら八年くらいで成木となる。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.50〜51)

    [抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫


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【漆の樹液の仕組】
    以下は、[抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫より。

     漆の液は漆の木の皮と木質のあいだに最も多く蓄積されている。 だから、これを採るときには、皮だけ破って、奥の木質を傷つけないようにすることが肝腎である。 あまり深い傷をつけると、かえって汁が木の中に吸い込まれて、噴き出さなくなる。 皮の上から傷をつけて、皮下の漆層が破れたという程度のとき、いちばんよく漆が噴き出るわけである。 最初から大きな孔をあけたら、たくさん出るというわけにはゆかない。 とりあえず傷をつけて、その傷の周囲にストックされている樹液を採集して、そのあと木自身に天然の絆創膏(ばんそうこう)を貼らせ、「腐りどめ」を行おうというのがコツである。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.48)

     いったい漆の木は人間のためにああいうふしぎな汁を持ち合わせているわけではない。 なにかの拍子に幹や枝に傷がついたとき、樹みずから樹液を噴き出して自然治癒の絆創膏の役をさせるのである。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.49)

     しかし、それと同時に、木自身も吹き出ただけの液の不足分を補給しなければならない。 最初にあちこちに傷をつけても、木はとりあえず現在の持高(もちだか)しか噴き出す能力がないから、それを噴き出してしまうと、木自身すぐつぎの補給にかかるわけであるが、その補給にかかると、これは前に持ち合わせた分量以上の生産に入るわけである。 だから第二番目り三日目につける傷は、最初の傷の倍くらいの大きさにするわけである。 そうするとそれまで製造していたやつをどんどん噴き出すわけである。 しかし、同時にこの補給作用のために、漆の樹自身は成長作用をやめて、漆液の製造工場に転換することになる。 平和産業が軍事産業に変ると同じようなものである。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.49〜50)

     そういうことで七月から八月いっぱいは、日光の照りよりもよし、温度もよし、同化作用、呼吸作用ともに、漆を生産するのに都合のいい季節になる。 それを見はからって傷をしだいに大きくし、最大の傷にまでして、採集量を最大限にまでたかめるわけである。いっそ搾油機にかけてしぼったらというのはまったくの素人考えで、漆の木が現在持っている液量は微々たるものなのである。 それを生産工場に転換させるようになってくると、非常にたくさんの漆が木の内部で製造されることになるから、たくさん量が採れるわけである。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.50)

    [抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫
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【漆液の採集】
    以下は、[抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫より。

     漆液の採集時期
     漆の木は日本では、成年十二年ごろから漆の液を採るのに採算があうようになるが、老木になればなるほど樹液の産出量が多くなるのである。

    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.44)

     漆は落葉樹だから毎年六月ごろになると、葉がぜんぶ茂り、新芽も枝になって成長する。 葉が出きったころから漆液の採集にかかる。 採集の期間はこの六月ころから十一月ごろまでである。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.44〜45)

     六月から七月のはじめごろまでに採れる漆は水分が最も多く「>初鎌(はつがま)」という。 七月中旬から八月いっぱいくせいまでに最も良質の漆が採れる。 この最良質の漆を「盛り物」「夏物」といって、上塗(うわぬり)用の黒漆にも透明漆にも適している。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.45)

     九月に入ると「あと鎌」といって、水分もしだいに少なくなり、この期間に採れる漆は主として下地塗(したじぬり)(八一頁参照)専用で、上塗りや、色漆(五五頁参照)を作るには適さない。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.45)

     十月ごろからの採集を「止掻(とめがき)」(最後の〔とどめ〕をさす意)といって、漆液の水分がなくなるせいもあるが、漆自体も濃度を増してきて、粘っこいどろんとした状態になる。 そういう漆でも、漆には違いなく固まれば非常に堅くなるから、その方面の用途に適しているけれども、サラサラしないから、そういう漆で絵を描くには向かないし、色も悪い。 たとえば同じ赤い粉を入れても、発色の度合が「夏物」の場合よりも非常に悪い。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.45〜46)

    [抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫
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【漆の木の増殖】
    以下は、[抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫より。

     増殖するには
     漆の木を増殖するには二つの方法がある。 一つは根分け法で、いま一つは実生(みしょう)から漆木を栽培する法である。

    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.40)

     漆の木はいっぺん植えると、四方にはびこった根からそれぞれ、また、芽をふく。 漆液を採りきって役に立たなくなった木の場合でも、根元から切っておけば、翌春は残された根から何本も芽をふく。 がんらい、漆の木の根は杉や松のように地下に垂直に入らないで、横根で浅くはびこる。 だから少し掘るとすぐに根が現われる。 その根を五十センチメートルくらいの長さに切って根だけ土中に生けておくと、その根から芽が出て成長するのである。 これを根分け法といって、いちばん確実な増殖の方法である。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.40〜41)

     いま一つの実生から苗木を作る場合には、雌木のほうが多く植えられる。 前述のように漆には雌雄あるが、雌木はその表皮がなめらかで、液を採取する場合にも好都合だが、雄木の表皮はざらざらして粗く、採取のとき漆に無駄が出やすい。 木肌からも苗木のうちから雌雄の判別がつくのである。 しかし、雌雄の風媒花であるから、雌木だけでは実ができない。 したがって、実生から苗木を作る場合には雄木をも適当に混植する必要がある。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.41)

     この実生から、増殖する方法は、根分け法よりも苗木を育てる時間がかかる欠点はあるが、根分け法よりも植林後の木の寿命がいくらか長いといわれている。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.41)

    [抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫
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【漆の木の栽培】
    以下は、[抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫より。

     漆の木の栽培
     漆の木はもとは野生の樹木であったが、需要量が多くなるにつれ、人工的にさかんに栽培されるようになり、日本ではかなり昔からほとんど栽培の漆である。 というのは、奈良時代から漆液は米と同じように年貢として徴収されていたし、封建時代には何千本植えたら扶持(ふち)を与えるとか、大小の帯刀を差許すとかいって、いろいろと奨励策が領主大名によって講じられたくらいだからである。 また貢物の中身に漆がひじょうに多かった時代もながくつづいたようである。

    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.39)

     漆を栽培するには、空気が温潤であること、太陽光線がよくあたること、土地が肥えて風当たりがよいこと、この三つの条件がいる。 山ならば日当りのよい中腹以下ということになる。 中腹以上は肥料気が少ないが、以下だと主として落葉が肥料になっているし、谷間に水がしじゅう流れて、湿度も高いからである。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.40)

     したがって、漆の木の栽培には大量に密生させた林を作るのはよくない。 枝と枝とすり合うほどの密生になるとどちらかが枯れてしまう。 はじめから杉のように木と木の間隔が近すぎるような植林はできない。 適当に間隔をあける必要がある。 しかし、林そのものとしては、ある程度一ヵ所地方にまとまっていないと、漆液の採集のうえでは能率が上がらないから、林はだいたいみな互いに近距離のところに植林されるのが普通である。
    (《うるしの話 1−2 漆−−そのふしぎな樹液》P.40)

    [抜書き]『うるしの話』松田権六・岩波文庫
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【頭芋(かしらいも)】
    里芋の塊茎。親芋。
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【占城稲(ちゃんはんいね)】

    141103_占城稲
    占城稲(ちゃんはんいね)とある。『農業全書』より。
    この名前はどこかで見た。探してみた。見つけた。
     また中世後期から、唐法師(とぼし)・大唐米(だいとうまい) もしくは占城(チャンパ)米などと称されるインディカ型の赤米が、広く栽培されていたが、 これらが近世中期には、ほとんど排除されるようになる。 これらのインディカ米は、ジャポニカ種とは味は異なるが、干害・水害に強く、 早熟で肥料も少なくてすむ、という特徴があった。 このため農民の間で歓迎され、年貢にはジャポニカ米が用いられ、赤米が彼らの食用に供された。
     ところが元禄期頃になると、水田生産力が質的にも著しく向上し、 商品としての米の価値が高まるにしたがって、農民たちもジャポニカ米に力を入れ、 赤米の減少としう傾向が顕著となる。 こうした量的・質的な水田生産力の展開に支えられて、元禄期の都市部では、 白米の常食化が進行し、白米病である脚気(かっけ)が江戸などで流行病となり、 大きな社会問題にまでなっている。

    (《第八章 米社会の完成》P.161)
    [抜書き]『日本人はなにを食べてきたか?』原田信夫・角川ソフィア文庫


    インディカ米とジャポニカ米については、以下の抜書きにもあり。
    [抜書き]『日本文化の形成 中』宮本常一・ちくま学芸文庫の「家畜と農耕」

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【うるしの話】
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【養蚕(ようさん)】
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【導管師管】
    ある日の夜中のテレビで、導管と師管の図が写った。その時のキャプチャが左の画像。140926_導管師管。 以下はパソコンのおまけ辞書より。
    【導管・道管(どうかん)】 被子植物の木部の主要部分で、根から吸収した水分、養分を上に送る働きをする組織。 円柱形または多角柱形の細胞が縦に連なり成熟の過程で細胞壁は木化し、両端の隔壁に穿孔ができて、 水を通しやすくなる。
    【篩管・師管(しかん)】 植物の維管束の篩部の主要素で、主に葉でつくられた同化物質の通路となる管状の組織。 細長い細胞が縦に連なっていて、細胞の隔膜には多くの小孔(篩孔)があって篩(ふるい)状を呈する。

    恐らく中学校の教科書に載っていることなのだ。が、とっくに忘れていたか元々覚えていなかったか。 上の図を見た時に、つい半年ほど前の事を思い出した。菅家博昭氏が放送大学の公開講座で『奥会津の小さな暮らし』というタイトルで講師をされると聞いて出かけて聴講した時のことでした。 その時のスナップ写真がこれ(→)でした(笑)。

    140308_奥会津の小さな暮らし
    同氏の講義は、奥会津の小さな暮らしを見つめ続けることにより世の中の社会、生活、歴史へと森羅万象につながるのでした。
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【古代布】
    141017_古代織の由縁かも
    奥会津某村の「からむし織り」の紹介で、『古代織』だったか『古代布』だったかの文言を使っている文章がある。 このことについて、疑義をとなえる方もある。それはそうでもある、奥会津に今でも作られているからむしが『古代』ということではないからである。

    抜書きしている本の中に、からむしが出てきた。それを抜粋すると、以下のような説明になる。
     一九五四(昭和二九)年、山口県下関綾羅木(あやらぎ)で、弥生式土器が発見されてそこに一片の布が付着していたはすの研究で有名な大賀一郎博士が調査したところ、ここに付着していた布は、からむしの茎の皮の繊維で出来ていたというのです。 縦糸十本に横糸二十本ぐらいの織物であるとのこと。
    (《日本人はどこから来たか 米をはじめて食べたころの人々》P.143)
    [抜書き]『日本人はどこから来たか』斎藤忠・講談社学術文庫

    大賀博士といえば、奈良時代(だったか)の蓮(ハス)の種を発芽させた、『古代蓮』の復元者として有名な方です。 そのことを思ったら、ひょっとして、今でも奥会津某村に関わる「からむし」のことを喧伝するには、この大賀一郎博士に便乗した(かもしれない)のはうなづける気もするのと、『古代織』と表現した由来はこのあたりにあったのではないかと思ったのでした。
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【青苧(あおそ)の座】
    140905_青苧(あおそ)の座
     室町時代には、“青苧(あおそ)”という文字を使った芸能座名もあった。らしい。現代では、“御園座”という名前の劇場はありますね。これも元々は、“御苧の座”だったなどということは恐らくありえませんネ(笑)。
     しばらく結崎座にいた観阿弥は、やがて競争者の多い大和を離れて京都に動く。 幼名の観世丸から観世座をおこすのはそのころだろう。
     けれどもまだまだ観阿弥が芸能を制したわけではなかった。 近江の山階・下坂・比叡・みまじ・大森・酒人、宇治の守菊・藤松・梅松・幸の諸座、伊勢の和屋(わや)・勝田・青苧(あおそ)の座、摂津の鳥飼座など、けっこう多くの芸能座がその勢力をもっていた。 どこが室町芸能の覇者になるかわからない。 (《日本数寄 風流過差》P.086)

    [抜書き]『日本数寄』(松岡正剛)
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【こぎ箸(ばし)】
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【棺槨】
    140810_棺槨
    「杉」の解説の段。 棺槨(かんかく)と読む。 あたりをつけて辞書で調べた。遺体を納める箱、つまり、ひつぎのことである。
    〔棺槨とすべし。〕とは、ひつぎにしなさい。ということですね。

    「杉」の効用と用途に出てくる。
    とにかく、この時代は杉は褒めちぎられているのです。
    〔又云ふ、国所に良材多しといへども、杉檜に勝る木なし。〕
    〔国のたから又上もなき物なり。〕
    (P.292)
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【焼き茄子】
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【新じゃが】
    140801_新じゃが
     でかい新じゃが薄皮を爪で剥いてつるんつるんにする、電子レンジのテキトウメニューでチンする。 私が選んだ電子レンジのメニューでは50分と出た。 心配になったので、40分で止めた。
    なんと、じゃが芋は薄皮の下からも焼けた皮が出来るのですよ。 それをガスレンジ(魚焼の方)で、焦げ目をつける。 丸々を、輪切りにして、田舎味噌をこすり付けて食べます。
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【蒔足(まきあし)】
    140809_常套句だったらしい

    「山椒」を種から生育させるときの種の蒔き方。
    蒔足(まきあし)がわからない。おそらく、種を蒔く時の間隔とかそのリズムのようなものなのだろう。
    その蒔足がどれくらいかを、「麻」を例として表現すれば、昔の人(江戸時代)の人はこれで諒解してしまったのだろう。
    その、「麻の蒔足」とはどのくらいのことか、どれほどに「ちらす」のか。
    このことは、『カラムシと麻』という記録映画に、麻の種を蒔く映像が記録されている。
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【紵(からむし)】
    140706_一文字「紵」で「からむし」の例


    『日本の歴史 3奈良の都』より。
    画像からわざと外したわけではないのだが、
    1行前の上部は、「『』の朝服」とあり、
    [抜書き]『日本の歴史 3奈良の都』(青木和夫)
      当該箇所
       この利苅優婆夷(とかりのうばい)の話は、平安初期に薬師寺の僧景戒(きょうかい)が著わした『日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんぽうぜんあくりょういき)』に収められているが、景戒は経を売りにきた者を、かつて優婆夷から盗んだ当の盗人だといっている。 平城京の市には、たしかに盗品を売る者もいた。正倉院文書の一通には盗難届があり、それを受理した左京職(けいしき)が東市司(しし)へ回送している事実が注意をひく。 左京六条二坊に住むその被害者は、左大舎人(おおとねり)寮の少属(しょうさかん)で大初位(そい)下の安拝常麻呂(あへのつねまろ)といった。 大初位下は三十階ある位階の下から三番目だから、典型的な下級官人である。 天平七年(七三五)八月二十八日の夜に盗まれた品は左記のごとくであった。
        麻の朝服 一。
        葛(ふじ)の布半臂(ぬのかたぎぬ) 一。
        帛(きぬ)の褌(はかま) 一。
        麻糸抜 一。
        帛の被(ふすま) 一。
        紵(からむし)の帳(とばり) 一。
        調(ちょう)の布の帳 一。
        被(ふすま)の●(はこ) 一。
        ●:クサかんむりに呂
        緑の裳 一。
        青の裳 一。
        ●(酒器) 一。
        ●:一文字で“金斗”
        赤●(うるし)の真弓 一。●:“染”の字の、「九」が「七」
        幌(ほろ) 二。
       朝服(官人の制服)・布半臂(綿入れの半纏(はんてん))などは、常麻呂自身のものであろうが、緑や青の裳(腰巻ふうのスカート)は、その妻のらしい。貴族ならこれらはみな絹でつくる。 常麻呂夫妻の家にもし絹があれば、盗人はもちろん盗んだはずである
      (《日本の歴史3奈良の都 平城遷都》P.89〜90)

    紵の帳(からむしのとばり)】これはやはり、「蚊帳」のことかもしれません。
    つまり、同じ布でも、用途によって麻と紵(からむし)は分けていた。 とか、紵(からむし)は藍とは別の染料(キハダ)で染めていたとか。 キハダ(黄檗:おうばく)で染めた紙は黄檗紙というらしいのです(辞書で引いた)。 それは、“虫害に強く、古く写経などに使われた”ともある。
      同書89頁には、以下の記述もあり。
      三巻の経は、虫がくわないように、黄蘗(きわだ)で染めてあったのである。

    “麻糸抜”というのも分らない。
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【刀豆(なたまめ)】
    140713_刀豆(なたまめ)

    FBにキヌサヤの話題が出ていたので、あたりをつけて辞書と『農業全書』を引いてみました(^^;



     なた豆是を刀豆と名付くる事は、剣の形に似たる故なり。
    三月初めうへ、にておほひ、古き筵ぎれ其外何にても此類のくさり物など覆ひをくべし。
     又種へやう、多より穴をほりこゑ土を入れ置き、春になりて一粒づつ目の方を下になしてうへ、少し土をかけ、灰にておほひ、土おほくかけず、其上にふるきざうりの類何にてもかるき物をおほひ置き、五七日の後は去りてよし。
    めだち出で、根葉少し生ずるを見て、糞水をそゝぎつる長くなるを待ちて竹を立て、是にまとはせ、又籬(かき)をゆひかきにはゝするもよし。
    風にうごかぬ様につよくすべし。
    うごけばおほく実ならず

    是又肥地に糞を多く用ゆれば、過分に実なる物なり。
    但かきに種ゆるには其間を近くうゆべからず

    『農業全書巻之二 五穀(こく)之類(るい) 刀豆(なたまめ) 第十七』(P.122〜123)
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【コキバシ】
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【ソラマメ】
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【薤(らつけう)】
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【水利】1
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【水利】2節
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【水利】3節
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【水利】4節
    『農業全書』巻之一 水利 第七 4節

     木綿、藍、其外高利を求むる畠物、雨うるほひのなき時分毎日水をそゝぎ水糞をかくる事、是を以て渡世にする作人の能くしれる所なり。 委しく記すに及ばす。
     木綿や藍、また高利益生み出す畠作物については、雨の潤いの無い季節には毎日毎日水遣り(みずやり)をして、水肥(みずごえ)としているのです。 このことは、これらの生産を生業として営んでいる専業農家の方々にとっては、まったく当り前のことなのです。 あまりに当り前のことで、言わずもがなの事なので、詳細は省きます。

    『巻之一 水利 第七 4節』(P.77)了
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