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 農業全書 005  最新版へ
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001 第一期分
002 第二期分
003 第三期分
004 第四期分




稲(いね)
 
                 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22
芋(いも)
 1、2                10  11  12  13  14



後序(こうじょ)
01〜04有虞氏之立
05〜10子貢問
11〜15俶
16〜20民之大事在
21〜26而必私置
27〜29周公陳
30〜34崇~天皇詔
35〜40中華言
41〜45書亦居多矣
46〜50以
51〜55於
56〜60家嚴素勉
61〜65乃於
66〜70惟有
71〜75曾聞太玄初
76〜79不
五穀(ごこく)
五穀三草四木
五木(ごぼく・ごもく)



三草(さんそう)
四木(しぼく)






ナガイモ
長芋



八木(はちぼく)






ヤマイモ
薯蕷(やまのいも)
 1、2  3、4  5、6        10  11  12  13  14  15  16  17  18  19









【別冊恵比塵】
農業全書・図

























(目次抜粋)
苧麻と
奥会津関係






五穀(ごこく)
五穀三草四木


三草(さんそう)
四木(しぼく)




長芋













[抜書き]

「神と自然の景観論」 野本寛一・講談社学術文庫

『名君の碑(いしぶみ)』中村彰彦・文春文庫

『日本人はなにを食べてきたか?』 原田信夫・角川ソフィア文庫

『日本中世の百姓と職能民』 網野善彦・平凡社ライブラリー

『ふるさとの生活』 宮本常一・講談社学術文庫

『生きていく民俗 生業の推移』 (宮本常一)

『日本文化の形成 中』 宮本常一・ちくま学芸文庫

『赤い人』 吉村昭・講談社文庫

『庶民の発見』 (宮本常一)

『民間暦』 宮本常一・講談社学術文庫

『歴史・祝祭・神話』 (山口昌男)
『日本の歴史 3奈良の都』 (青木和夫)

『日本人はどこから来たか』 斎藤忠・講談社学術文庫

『日本数寄』 (松岡正剛)

『民俗のふるさと』 宮本常一・河出文庫

『日本の神話と十大昔話』 楠山正雄・講談社学術文庫
『文化と両義性』 (山口昌男・岩波現代文庫)

『現代語訳 日本書紀』 福永武彦・河出文庫

『うるしの話』 松田権六・岩波文庫

『魚影の群れ』 吉村昭・ちくま文庫

『虹の翼』 吉村昭・文春文庫

『城下の人』 石光真清・中公文庫

『増補 幕末百話』 篠田鉱造・岩波文庫

『日本の米 環境と文化はかく作られた』 富山和子・中公新書


【五穀三草四木(ごこく・さんそう・しぼく)】
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【農業全書後序 66〜70】


















































    辧。

惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧不急之察。 而罔世用者之比、相遠萬萬。 遂告父叔乎剞○氏之於棗。 以欲廣布于世曾聞太玄初作桓譚謂其必傳









    察。

惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧
不急之察 而罔世用者之比、相遠萬萬。 遂告父叔乎剞○氏之於棗。 以欲廣布于世曾聞太玄初作桓譚謂其必傳















    比、




    萬。

惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧。 語不急之察
而罔世用者之比、相遠萬萬 遂告父叔乎剞○氏之於棗。 以欲廣布于世曾聞太玄初作桓譚謂其必傳






















    棗。
惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧。 語不急之察。 而罔世用者之比、相遠萬萬
遂告父叔乎剞○氏之於棗 以欲廣布于世曾聞太玄初作桓譚謂其必傳


    
    160807_農業全書・難字








    世。

惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧。 語不急之察。 而罔世用者之比、相遠萬萬。 遂告父叔乎剞○氏之於棗
以欲廣布于世 曾聞太玄初作桓譚謂其必傳





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【長芋】
     141227_長芋より。
     【on facebook】
     うわ、何だろう。
    85センチ×28センチ×16センチの、直方体のダンボールである。詰物の籾殻(もみがら)に埋めてある。ダンボールの境目には福島民報(新聞紙)である。 手で探ると、一、二、三、四本、、、五本かも知れない。
     長芋(ナガイモ)と書いてある。栽培種である。
     自然薯(じねんじょ)という野生(非栽培野良の自生植物)のものとは違うらしい。大和芋(やまといも)というものとも少し違うかも知れない、するっとしている。


     後日に、テレビで見たのですが、何故、するっと真っ直ぐなのか。 畑に2メートル近くもある、パイプ(壁面には通気(水)用に孔が空いている)を挿して、育成するのだそうです。 写真の長芋はそのような栽培をしたものかどうかは不明です。


    150209_人工林−
    全く別の話題であるが、真直ぐ育てる為のパイプではなく、植林するために元々棒状パイプに苗を植える林業の例。 根の土付きの苗を山に持って行って、穴を掘って、埋める、その一連の動作が簡単にできるというのです。

    関連:
      ヤマイモ/ナガイモ
      薯蕷(やまのいも)
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【ヤマイモ/ナガイモ】
    150821_ヤマイモ  (←クリックすると、下記キャプションの画像を表示します)。
    ナガイモの種イモ。 深さの目安は30cmほど。 種イモを寝かせて置きます。 ナガイモのつるは2m以上伸びます。 月に1度、肥料をまきます。 ナガイモは4000年ほど前には中国で栽培されていて、皇帝が薬として利用していました。 秋を迎えて、つるにたくさんの茶色い粒がつきました。 「ムカゴ」です、つるの一部が丸く太ってできたもの。 炊き込みご飯の具としたりバターで炒ればお酒のおつまみになります。 1株から100個ほど収穫、秋に味わえる珍味です。 根元からつるを切り取ります。 つるから20cmほど離れたところを傷つけないように掘ります。 すり下したときのネバネバ成分は「ムチン」、ウナギと同じく滋養強壮を促進するといいます。

    2009年10月23日のこと 2009年10月23日。

    奥会津昭和村小中津川玉屋敷(畑)にて

    関連:
      長芋
      薯蕷(やまのいも)
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【薯蕷(やまのいも)】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 8節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 9節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 10節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 11節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 12節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 13節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 14節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 15節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 1、2節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 16節】
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【薯蕷(やまのいも/やまいも) 3、4節】
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【薯蕷(やまのいも/やまいも) 5、6節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 17節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 18節】
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【薯蕷(やまのいも) 第十六 19節】
    山野菜之類 薯蕷(やまのいも) 第十六 19節

     山薬(さんやく)にする
     藥種にする法は寒中に皮をさり、長さ三寸ばかりに切折り、かき灰又は米粉をぬり、竹かごに入れ、 風にあて陰干にし、或は絲にてあみ、寒中さらしをき、能く干たる時籠に入れ蔵め置くべし。

     薬種にする方法は、寒中に皮を剥いて、3寸ほどの長さで切り折ります。 かき灰(牡蠣殻を焼いて作る石灰)か、米粉を塗って竹籠に入れて、風通しの良い場所で陰干しにします。 または、紐で編んで寒中に(吊るして)晒して置きます。 よく乾いたら籠に入れて保存します。

    都又は城下などの大邑に遠き所の山中にて、山芋は多けれども、運送の費かゝり、 其利なき所柄にては乾山藥に調へ藥屋に賣るべし
    取分き藥種には山中の自然生(じねんじやう)を用ゆるなり。

    都会や城下などの消費地からは遠く離れている山村で、山芋は多く作れるが、運送費を考えると赤字になるような地域では、 乾して粉にして山薬(さんやく)にまで加工して、薬屋に売ると良いでしょう
    特に、薬種用としては、山中に自生する自然薯(じねんじょ)が使われます。


    『山野菜之類 薯蕷(やまのいも) 第十六 19節』(P.201)了
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【稲(いね) 第一 7節】
    五穀之類 稲(いね) 第一 7節

     芸(くさぎ)る事
     さて芸(くさぎ)る事は苗をうへ付けて、十日ばかり過ぐればよくあり付く物なり。 其時は草はいまだ目には見えねども、早草の根は土中にはびこるなり。上の農人(のうじん)は見えざるに芸り、中は見えて後芸(くさぎ)る。 見えても又とらざるは是を下の農人と云ふなり。

     草取り(芸り)の事です。 苗を植え付けて、10日程過ぎると苗は良く根付いてきます。 この頃には、草(雑草)はまだ目には見えませんが、既に土の中には蔓延っているのです。上の農人は草が見えないうちに芸り、中の農人は見えてから芸ります。見えていてもそれでも芸りをしないのは、下の農人。と呼ばれます。
      ほぼ同文の説明が、鋤芸(じょうん)1にもあります。
      此ゆへに上の農人は草のいまだ目に見えざるに中うちし、芸り、中の農人は見えて後芸る也。 みえて後も芸らざるを下の農人とす。是土地の咎人なり
      是土地の咎人なりとまで!


    されば一番草をばうへ付けて後十五六日廿日ばかりにてとり、 されより又やがてとるを報鋤(ほうじょ)と云ふて、相つづき油斷せずとる事なり。

    1回目(1番)の草取り(芸り)は、苗植えをしてから15、6日、20日程でします。 それからまた、もう1回草取りをする事を、報鋤(ほうじょ)といいます。 こうして、続いて油断をしないで草取りをするのです。

    取残しの草はよけいに蔓延る
    取残したる草、同じく根ありて手風に觸れて却てはびこり、苗を妨ぐる事甚し。 頓て間もなく取盡せば、重ねて生る草は苗にをされて榮へかぬる。 其隙に苗思ひのまゝにふとる物なり。 それより段々五番までも芸るべし。 後に草なきとてやむことなかれ。

    取り残してしまった草は、まだ根が残っているので、作業で手風に触れる事によって却って繁茂して、余計に苗の妨げになるのです。 これらを全部取り尽して置くと、その後に生える草は、稲苗の勢いに押されて、あまり育たないのです。 この隙間の期間に、苗はのびのびと思い通りに成長するのです。 こうして、引き続いて5番目までも、草取りをするのです。 だから、草が無いと思って中断してはいけないのです。

    浮根浮葉もかぐる
    稲に浮根浮葉とて無用の根葉がわきにはびこるものなり。 是を其まゝをけば、精がわきにぬけて實りあしきゆへ、是をもかぐり去るべし。

    稲には、浮根浮葉といって、無用の根や葉が脇に蔓延ってきます。 これはそのまま放置すると、稲の精がそちらに取られて、実りが悪くなります。 これも、かなぐり(かぐり)取り捨てます。
      会津弁では、かンぐりとかか。引きちぎるような所作ですね。

    物の実りは立根の精より生ずる
    右に論ずるごとく、惣じて物の實りは立根の精より生ずる事なれば、 實をとる物は何れも立根の先にこやしのよく行きわたる養ひを専らとし、 立根のにが土にあたらざる様にすべし。

    前にも書いているように、植物の実りは立根の力で生ずるのです。 実を取る物は、全て立根の先に養分がよく行き渡るように養生することが大事で、 立根が苦土(にがつち、下層の土)に当らないようするのです。
      このことは、耕作(コウサク)17節にも書いている。 大事なことなので、何度でも(^^;
      物ごと穀子は立根より生ずると心得べし。 然る故に根の下に塊もなく又にが土もなきやうにこしらへ、糞も根の下に能く行きわたる心得すべし。

    陽気が立根の力となる
    上の日によく當りたる細土もともに底に入れて、立根是にあひて思ひのまゝにはびこり、 其精を以て上につよく發生する心得、是實を求むる第一の工夫なり。

    地上の良く日に当った細土を一緒に底に入れれば、立根はその土に触れて力が出るのです。 その力によって、上に伸びようとする成長力が出てくるのです。 これは、実を収穫するための基本的な手立てなのです。

    脇根(わきね)
    わき根はいか程さかへはびこりても、其氣皆枝葉のさかへとなるまでにして、 さして實りの益にはならぬと心得べし。
    いにしへは水田の中をも鍬にてうちかじり、熊手にてかきあざりて芸る事も有りといへども、 近代は手にて委しくかきあざり、莠(はくさ)を懇にぬき去るにしく事なし。

    脇根は、どれだけ繁茂しても、その“気”は、全部枝葉に取られてしまうので、それほど実りの為には役に立たないのです。
    むかしは、田んぼの草取りも鍬でかじったり、熊手で掻いたりして草取りをしていた事もありますが、 最近では、手で細かく掻き回してみずびえ(水稗、莠)を丁寧に抜き去るにこした事がないのです。
      このことは、鋤芸(じょうん)10節にも書いている。 大事なことなので、何度でも(^^;
      古は所により水田の中をも鍬にてうち、くまでにてかきたるといへども、 近代は大かた手にてかきあざり(はくさ)をぬきさり、 無用の根葉をもぬきさるをまされりとするなり。

    『五穀之類 稲(いね) 第一 7節』(P.89〜90)
    稲(いね)8節 へ
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【稲(いね) 第一 13節】
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【稲(いね) 第一 2節】
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【稲(いね) 第一 14節】
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【稲(いね) 第一 3節】
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【稲(いね) 第一 15節】
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【稲(いね) 第一 4節】
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【稲(いね) 第一 16節】
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【稲(いね) 第一 5節】
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【稲(いね) 第一 17節】
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【稲(いね) 第一 18節】
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【稲(いね) 第一 19節】
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【稲(いね) 第一 6節】
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【稲(いね) 第一 20節】
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【稲(いね) 第一 21節】
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【稲(いね) 第一 22節】
    〔巻之二 五穀(こく)之類(るい) 稲(いね) 第一 22節〕

     畿内地方での早稲(わせ)を作る方法
     又畿内にて早稲を作る法、先づ種子を雨水(正月中の事也)の節に入りて後、 五日めに水にかし、廿日過ぎて取上げ、 十日目に干し、手引がんの湯を俵の上よりかけ莚などをおほひ、芽を出し、 春分(二月中の事也)の節に入りて苗代に蒔くべし。 尤かゞしをさし、縄をはりて鳥をふせぎ、水のかけ引常のごとくして、苗代にをく事五十日にて初苗(さなへ)となり

     畿内地方で早稲(わせ)を作っている方法です。 先ず種子は雨水(うすい、二十四節気の一つで陰暦正月の中、新暦では二月一八日頃)の節に入ってから5日目に水にうるかします。
    20日過ぎてから取上げ、10日間干します。湯沸しヤカン?の湯を俵の上から掛けて、莚などで覆っておきます。 すると発芽してきます。 春分(しゅんぶん、二十四節気の一つで、春の彼岸の中日、新暦の三月二一日頃)の節に入ったら苗代に蒔きます。
    案山子(かかし)を取り付けて、縄を張って鳥避けにします。 苗代の水のかけ引き方は普通にします。 苗代に蒔いてから50日経つと早苗(さなえ)に育ちます。


    是より中田晩田十日ほどづゝ間を置きて次第に種子を蒔くべし。

    普通の稲と晩稲(おくて)は、これから10日程ずつずらして、種子を蒔きます。

    五月の節より夏至までの間の雨を梅雨と名付く。 此雨水を得て苗をさす事、凡そ天下一同の最中なり。 此時を失ふべからず。 此梅雨の説は農政全書に見えたり。

    五月(さつき)の節から夏至(げし、陰暦五月、二十四節気の一つ、新暦の六月二二日頃)までの間を梅雨(つゆ)と名付けています。 この季節の雨水を得て田植えをする事は、殆んど世間で一緒の丁度良い時節となります。 この時期を逃さない事ですと。この梅雨の説については、農政全書に書いてある事です。

    若し手廻し怠り中斷して此よき時分をとりうしなへば、後に手入を盡しても必ず實り少し。 いかんとなれば、暖かになるに随ひて、上に發生する氣のみさかんにして、枝葉にはさかゆれども、 立根に精の入る事すくなきゆへ、秋の實り必ずすくなし。

    もしも段取りを怠って中断してこの丁度良い時期を外してしまうと、その後でいくら手入を尽しても実りは少なくなってしまうのです。 その理由は、暑くなるに従って上に育とうとする気が盛んになるので枝葉は栄え茂りますが、立根に精気が漲らなくなるので、秋の収穫はあまり期待できなくなるのです。

    少しは早過ぎて少々早とがめし痛むとも、よき糞を用意しをき、一日も早くうへて秋の實りを求むべし。 惣じて田畠を作るに、此理(ことわ)りを辧へ、工夫鍛錬せずしては利潤も得る事なりがたし。早過ぐる損は少く、遅き損は限りなし

    少し早過ぎて、少々の早期過ぎで痛んだとしても、良いコヤシを用意しておいて、先ずは一日も早く植えて、秋の収穫を期待する方が良いのです。 いったいに田畑を作るには、この理(ことわり)を弁(わきま)えて、創意工夫をしなければ利を得ることは難しいのです。
    早過ぎは少しの損はあっても、遅くなる損は限りが無い。ということです。


    稲のみにかぎらず、作り物において専ら工夫鍛錬し、才覺手廻しを用ひては、利潤まさらずといふ事なし。 殊に稲は天下一同に廣く作る物なれば、少しの出来まし有りても、積りては莫大の穀まさり、 天下國家の賑ひとなり、諸民を救ひ助くる根元となれば、一入心を盡すべし。

    稲だけに限ることではありません。 作り物においては、専ら創意工夫をして、才覚と段取りを良くすれば、利益が増えないということは無いのです。 そして、稲は日本国中どこでも同じく作る物です。 少しの増収だとしても、それが積れば莫大な穀物の増加となるのです。 それは天下国家の賑わいともなるのです。 民人達を救い助ける根本でもあるのです。特に専心すべきことなのです。

    力たらずして事ゆかずとばかり心得るは愚かなる事なり。才覺工夫を用ゆべし。

    どうせ非力なので上手く行かないと諦めて歎くのは愚かな事なのです。 自分なりの創意工夫をするのです。

    『巻之二 五穀之類 稲(いね) 第一 22節』(P.94)了

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【稲(いね) 第一 12節】
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【稲(いね) 第一 1節】
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【稲(いね) 第一 8節】
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【稲(いね) 第一 9節】
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【稲(いね) 第一 10節】
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【稲(いね) 第一 11節】
    五穀之類 稲(いね) 第一 11節

     稲干し
     刈干す事は高田は其まゝ、其田に攤げほすべし。 深田の干すべき地なき所ならば、溝の土手に木をうへをき、其枝またにかけてほし、 又は竹を三本結合せ、泥中にしかとさし立て、 其さき二方に稲一把づゝさして干す事水所にて専是を用ゆべし。

     刈って干す方法は、(地面の乾いた)高田であればそのまま田に広げて干します。
    深田で干す場所が無いところでは、堀の土手に木を植えておいてその枝股に掛けて干します。 または、竹を3本結い合せて、泥の中にしっかりと挿し立てて、その先2方向に稲を1把ずつ刺して干します。 水のある場所では専らこの方法で干します。


    刈り収めの手廻し
    惣じて刈りおさむる物は、稲にかぎらず、油斷なく水火の來るを防ぐがごとく、いかにも速かにすべし。 手廻しゆるくては多くの苦勞目前に空しくなる事間(まゝ)多し。 取り分き稲はいまだくたれざる中に刈り收むべし。

    なんでもそうですが、刈り収める作業は稲に限らず、出水や火消しのように、ぬかりなく速やかに作業をします。 段取りでのんびりしていると、せっかくの苦労がもう少しのところで駄目になってしまう事も度々あるのです。 特に稲は、まだくたれ(腐)ないうちに、刈り収めます。

    霜稲のこと
    霜稲は一霜にあはせさらし堅めてかるもあるなり。 霜にあはざれば青米もあり、其上田にてよくさらさずして早く刈收めたる米は來夏損じ、 蟲も付きて甚だ減るものなり。 さて一霜二霜もあはせて刈りたるは久しくおさめ置きても損ぜぬものなり。

    ただ、霜稲という、一霜に遭わせて晒し堅めてから刈る稲もあります。 これは、霜に遭わないと青米のままだったりします。 その上、田んぼでよく晒さないで、早めに刈り収めてしまうと翌夏には損じてしまいます。 また、虫に食われて減ってしまうのです。 そして、霜に1、2回遭わせてから刈ると、長期間保存しても損じないのです。

    『五穀之類 稲(いね) 第一 11節』(P.91)
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【芋(いも)第十五 1、2節】
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【芋(いも)第十五 3節】
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【芋(いも)第十五 4節】
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【芋(いも) 第十五 5節】
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【芋(いも) 第十五 6節】
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【芋(いも) 第十五 7節】
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【芋(いも) 第十五 8節】
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【芋(いも) 第十五 9節】
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【芋(いも) 第十五 10節】
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【芋(いも) 第十五 11節】
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【芋(いも) 第十五 12節】
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【芋(いも) 第十五 13節】
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【芋(いも) 第十五 14節】
    山野菜之類 芋(いも) 第十五 14節

     赤芋のこと
     又赤芋とて茎あかく大きにしてひたし物あへものなど種々料理に用ひて能きものあり。 作る法はつねの芋に同じ。 少ししめり氣ある肥地にこゑを多く用ひ手いれよくすれば、茎大きにのび味よし。 多く作れば賣りて益おほし。

     赤芋(アカイモ)という茎が赤くて大きいサトイモもあります。 これは浸物(ひたし、おひたし)や和物(あえもの)などの色々の料理に使って重宝します。 栽培方法は普通のサトイモと同じです。 少し湿り気のある肥地にコヤシを多く用いて手入れを良くすると、茎は大きく伸びて味も美味です。 多く作って売れば利益は大きいです。
      赤芋を簡便辞書で引くと、「とうのいも(唐芋)」の異名、「さつまいも(薩摩芋)」の異名。とあります。 ここでの説明の赤芋は、唐芋(とうのいも)の方ですね。 ちなみに、唐芋(とうのいも)は、サトイモの栽培品種とあり。海老芋。猿芋。ぼどう芋。麺芋。

    『山野菜之類 芋(いも) 第十五 14節』(P.195〜196)了
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【農業全書後序 56〜60】











    業。

家嚴素勉窓下蛍雪之業 而未南畝○○之事。 以故辭之不敢肯。 尚猶乞之不措。 遂無峻拒乃於暇日再三検閲。














    事。

家嚴素勉窓下蛍雪之業
而未南畝○○之事故辭之不敢肯。 尚猶乞之不措。 遂無峻拒乃於暇日再三検閲。


    “南”の下から3文字
    
    160624_農業全書後序











    肯。

家嚴素勉窓下蛍雪之業。 而未南畝○○之事
故辭之不敢肯 尚猶乞之不措。 遂無峻拒乃於暇日再三検閲。












    措。
家嚴素勉窓下蛍雪之業。 而未南畝○○之事。 以故辭之不敢肯
尚猶乞之不措。 遂無峻拒乃於暇日再三検閲。











    拒。

家嚴素勉窓下蛍雪之業。 而未南畝○○之事。 以故辭之不敢肯。 尚猶乞之不措。
遂無峻拒 乃於暇日再三検閲。





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【農業全書後序 71〜75】













    傳。

曾聞太玄初作桓譚謂其必傳 三都賦成洛陽為之紙貴。 如今此編者亦繍梓功訖田o野翁爭相求之以熟農桑之術。 則擧世之民必免凍餒之憂。 施及上之人則不戸以知稼穡之艱難而不敢荒寧亦善乎。














    貴。
曾聞太玄初作桓譚謂其必傳
三都賦成洛陽為之紙貴。今此編者亦繍梓功訖田o野翁爭相求之以熟農桑之術。 則擧世之民必免凍餒之憂。 施及上之人則不戸以知稼穡之艱難而不敢荒寧亦善乎。


















    o














    術。
曾聞太玄初作桓譚謂其必傳。 三都賦成洛陽為之紙貴。
今此編者亦繍梓功訖田o野翁爭相求之以熟農桑之術 則擧世之民必免凍餒之憂。 施及上之人則不戸以知稼穡之艱難而不敢荒寧亦善乎。

















    憂。

曾聞太玄初作桓譚謂其必傳。 三都賦成洛陽為之紙貴。 如今此編者亦繍梓功訖田o野翁爭相求之以熟農桑之術
則擧世之民必免凍餒之憂 施及上之人則不戸以知稼穡之艱難而不敢荒寧亦善乎。


































    寧。

曾聞太玄初作桓譚謂其必傳。 三都賦成洛陽為之紙貴。 如今此編者亦繍梓功訖田o野翁爭相求之以熟農桑之術。 則擧世之民必免凍餒之憂
施及上之人則不戸以知稼穡之艱難而不敢荒寧 亦善乎。





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【農業全書後序 76〜79】






    乎。
亦善乎。 然則必傅紙貴亦未知。 何必侍予之言而後顯乎。 姑書歳月於此以為他後之證云。

















    知。
亦善乎。
然則必傅紙貴亦未知。 何必侍予之言而後顯乎。 姑書歳月於此以為他後之證云。
















    乎。
亦善乎。 然則必傅紙貴亦未知。
何必侍予之言而後顯乎。 姑書歳月於此以為他後之證云。





















    云。
亦善乎。 然則必傅紙貴亦未知。 何必侍予之言而後顯乎。
姑書歳月於此以為他後之證云。





     元禄丙子桂月日
               後學筑前州貝原好古


    『農業全書 後序 76〜79』(P.376)了
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【農業全書後序 11〜15】





    畝。

載南畝 周雅垂文。 此皆為天時以授人。 盡地力而豊上レ食。 前脩云。 民之大事在農。








    文。
載南畝
周雅垂文。 此皆為天時以授人。 盡地力而豊上レ食。 前脩云。 民之大事在農。

















    人。
載南畝。 周雅垂文。
此皆為天時以授人。地力而豊上レ食。 前脩云。 民之大事在農。














    食。
載南畝。 周雅垂文。 此皆為天時以授人。
地力而豊上レ食。 前脩云。 民之大事在農。







    云。
載南畝。 周雅垂文。 此皆為天時以授人。 盡地力而豊上レ食。
前脩云。 民之大事在農。



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【農業全書後序 5〜10】





    政。
子貢問政。 夫子告亦以食為首。 葢生民之道。 不一日而無者也。 聖人豈輕之哉。 平秩東作虞書立制。 載南畝

子貢(しこう)が政(まつりごと)についてたずねた(問いました)。

【子貢】中国、春秋時代衛の儒者、政治家。姓は端木、名は賜。孔子の弟子。弁舌の才と、貨殖の才。魯、衛の相となる。












    首。
子貢問政。
夫子告亦以食為首。 葢生民之道。 不一日而無者也。 聖人豈輕之哉。 平秩東作虞書立制。 載南畝


すると子(孔子)はこう告げました、食が足りて初めてやり繰りが出来るのです。

為首 首が回らない(困窮)の反対と解釈して、
それ子亦告げて、食足りて、首が為れり。と読んでみました。





    道。
子貢問政。 夫子告亦以食為首。
葢生民之道。一日而無者也。 聖人豈輕之哉。 平秩東作虞書立制。 載南畝


それが生きる民人の道なのです。

 かき ふた?










    也。
子貢問政。 夫子告亦以食為首。 葢生民之道。
一日而無者也。 聖人豈輕之哉。 平秩東作虞書立制。 載南畝


一日たりとも無くてはかなわぬことなのです。









    哉。
子貢問政。 夫子告亦以食為首。 葢生民之道。 不一日而無者也。
聖人豈輕之哉。秩東作虞書立制。 載南畝


聖人たる者は、どうしてこれを軽んじましょうぞ。

反語表現ですね。
聖人、豈(あに)之(これ)を軽んじる哉(や)。











    制。
子貢問政。 夫子告亦以食為首。 葢生民之道。 不一日而無者也。 聖人豈輕之哉。
秩東作虞書立制。 載南畝


秩序を平らかにして、虞の国の農作の事を書いて、制(きまり)を立てたのです。

【東作】(とうさく)
「東」は春の意味、春の耕作のこと。田づくり、耕作、農作。

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【農業全書後序 1〜4】








    也。
有虞氏之立官也。稷教一レ稼為初。 洪範八政以食為先。 武王之所重在民食子貢問政。

中国古代の聖天子、舜が、このしくみを創られたのです。

【有虞氏】舜をさす。
    抑々天下をだやかに、上下和順し、萬民各所を得て安樂なりしは、唐堯虞舜の御代にしくはなし。
堯舜(ぎょうしゅん)
『農業全書巻之十一 附録 1節』(P.346〜347)
『農業全書巻之一 農事総論 耕作 第一』(P.47)







    一レ



    初。
有虞氏之立官也。
稷教一レ稼為初。 洪範八政以食為先。 武王之所重在民食子貢問政。

舜は、民人(国のたから)に作物を作ること命じて、農事の本(もと)を初めて教えたのです。

 きび
    こゝを以て上古の聖王より後代賢知の君に至り、天子みづから大臣をひきいて春の始田に出でて、手づから農具を取り、田を犂き初め給ふ事あり。
    上古の時代から、聖王、賢君、天皇は自ら君臣をつれて、春の田作り、農具を使って田おこしをされたのです。











    先。

有虞氏之立官也。 以稷教一レ稼為初。
洪範八政以食為先。 武王之所重在民食子貢問政。

「書経‐洪範(こうはん)」の八政には、先ずは食が大事、とあります。

【八政】禹王が堯舜以来の思想を整理集大成した「洪範九疇」という政治道徳に関する九つの原則のうちの一つが、八政。 五行、五事、八政、五紀、皇極、三徳、稽疑、庶徴、五福
洪範(こうはん)
『巻之一 農事總論 蓄積 付檢約 第九 2』(P.81〜82)









    食。

有虞氏之立官也。 以稷教一レ稼為初。 洪範八政以食為先。
武王之所重在民食子貢問政。
載南畝

武王(ぶおう)の重んずる所は、民人の食(生養)にありました。

    生養の道は耕作を以て始とし根本とすべし。
『農業全書巻之一 農事総論 耕作 第一』(P.47)



青文字は、全て想像訳です。以後の「後序」の青文字も同じ。
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【農業全書後序 16〜20】







    農。
民之大事在農。其然乎。 不其然乎。 古之王者貴為天子。 富有四海而必私置籍田蓋其義有三為。









    乎。
民之大事在農。
其然乎。其然乎。 古之王者貴為天子。 富有四海而必私置籍田蓋其義有三為。










    乎。
民之大事在農。 不其然乎。
其然乎。 古之王者貴為天子。 富有四海而必私置籍田蓋其義有三為。













    子。

民之大事在農。 不其然乎。 不其然乎。
古之王者貴為天子 富有四海而必私置籍田蓋其義有三為。









    海。

民之大事在農。 不其然乎。 不其然乎。 古之王者貴為天子
富有四海 而必私置籍田蓋其義有三為。





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【農業全書後序 21〜26】















    為。
而必私置籍田蓋其義有三為。 一以奉宋朝親致其孝。 二以訓乎百姓有一レ勤。 勤則不匱也。 三開之子孫。 躬知稼穡之艱難違也。 周公陳無逸以告成王先知稼穡之艱難者以此也。















    孝。

而必私置籍田蓋其義有三為。
一以奉宋朝親致其孝 二以訓乎百姓有一レ勤。 勤則不匱也。 三開之子孫。 躬知稼穡之艱難違也。 周公陳無逸以告成王先知稼穡之艱難者以此也。















    勤。
而必私置籍田蓋其義有三為。 一以奉宋朝親致其孝
二以訓乎百姓有一レ勤。 勤則不匱也。 三開之子孫。 躬知稼穡之艱難違也。 周公陳無逸以告成王先知稼穡之艱難者以此也。










    也。
而必私置籍田蓋其義有三為。 一以奉宋朝親致其孝。 二以訓乎百姓有一レ勤。
勤則不匱也。 三開之子孫。 躬知稼穡之艱難違也。 周公陳無逸以告成王先知稼穡之艱難者以此也。










    孫。

而必私置籍田蓋其義有三為。 一以奉宋朝親致其孝。 二以訓乎百姓有一レ勤。 勤則不匱也。
三開之子孫 躬知稼穡之艱難違也。 周公陳無逸以告成王先知稼穡之艱難者以此也。

















    也。
而必私置籍田蓋其義有三為。 一以奉宋朝親致其孝。 二以訓乎百姓有一レ勤。 勤則不匱也。 三開之子孫
躬知稼穡之艱難違也。 周公陳無逸以告成王先知稼穡之艱難者以此也。





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【農業全書後序 30〜34】


    ~



    云。
崇~天皇詔云。 農天下之大本也。 旨哉。 況亦 朝廷之立制也。 以新年年中祭祀之首者有以也。 中華言農耕之道者。










    也。
崇~天皇詔云。
農天下之大本也。 旨哉。 況亦 朝廷之立制也。 以新年年中祭祀之首者有以也。 中華言農耕之道者。






    哉。
崇~天皇詔云。 農天下之大本也。
旨哉。 況亦 朝廷之立制也。 以新年年中祭祀之首者有以也。 中華言農耕之道者。







     






    也。
崇~天皇詔云。 農天下之大本也。 旨哉。
況亦 朝廷之立制也。新年年中祭祀之首者有以也。 中華言農耕之道者。























    也。
崇~天皇詔云。 農天下之大本也。 旨哉。 況亦 朝廷之立制也。
新年年中祭祀之首者有以也。 中華言農耕之道者。





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【農業全書後序 27〜29】





























    也。
周公陳無逸以告成王先知稼穡之艱難者以此也。 本邦之邃古 天照大~始教耕植之道以供生民之食。 自是以來聖~相承無此不一レ急。 崇~天皇詔云。













    ~














    食。

周公陳無逸以告成王先知稼穡之艱難者以此也。
本邦之邃古 天照大~始教耕植之道以供生民之食是以來聖~相承無此不一レ急。 崇~天皇詔云。











    ~












    急。
周公陳無逸以告成王先知稼穡之艱難者以此也。 本邦之邃古 天照大~始教耕植之道以供生民之食
是以來聖~相承無此不一レ急。 崇~天皇詔云。





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【農業全書後序 35〜40】










    者。
中華言農耕之道者。其家學而列之於九流。 且種藝之書亦居他矣。 如本邦古此術空傅于農夫之口頭。 而未有下筆之於汗簡者上。 且其所傅之法亦類乎謬柱契一レ舟者不尠。 書亦居多矣。
















    流。

中華言農耕之道者。
其家學而列之於九流 且種藝之書亦居他矣。 如本邦古此術空傅于農夫之口頭。 而未有下筆之於汗簡者上。 且其所傅之法亦類乎謬柱契一レ舟者不尠。 書亦居多矣。













    矣。
中華言農耕之道者。 有其家學而列之於九流
且種藝之書亦居他矣。本邦古此術空傅于農夫之口頭。 而未有下筆之於汗簡者上。 且其所傅之法亦類乎謬柱契一レ舟者不尠。 書亦居多矣。























    頭。

中華言農耕之道者。 有其家學而列之於九流。 且種藝之書亦居他矣。
本邦古此術空傅于農夫之口頭。 而未有下筆之於汗簡者上。 且其所傅之法亦類乎謬柱契一レ舟者不尠。 書亦居多矣。


















    上。
中華言農耕之道者。 有其家學而列之於九流。 且種藝之書亦居他矣。 如本邦古此術空傅于農夫之口頭。
而未有下筆之於汗簡者上。 且其所傅之法亦類乎謬柱契一レ舟者不尠。 書亦居多矣。


























    尠。
中華言農耕之道者。 有其家學而列之於九流。 且種藝之書亦居他矣。 如本邦古此術空傅于農夫之口頭。 而未有下筆之於汗簡者上。
且其所傅之法亦類乎謬柱契一レ舟者不尠。 書亦居多矣。





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【農業全書後序 41〜45】





    矣。
書亦居多矣。 故暗其術其法。 無財成輔相之益而有助長不耘之害者往往皆然。 良可歎也。 予父執宮崎翁自幼好學。 其在草莽身履乎耕稼之場













    法。

書亦居多矣。
故暗其術其法財成輔相之益而有助長不耘之害者往往皆然。 良可歎也。 予父執宮崎翁自幼好學。 其在草莽身履乎耕稼之場




























    然。
書亦居多矣。 故暗其術其法
財成輔相之益而有助長不耘之害者往往皆然。 良可歎也。 予父執宮崎翁自幼好學。 其在草莽身履乎耕稼之場









    也。
書亦居多矣。 故暗其術其法。 無財成輔相之益而有助長不耘之害者往往皆然。
良可歎也。 予父執宮崎翁自幼好學。 其在草莽身履乎耕稼之場
















    學。
書亦居多矣。 故暗其術其法。 無財成輔相之益而有助長不耘之害者往往皆然。 良可歎也。
予父執宮崎翁自幼好學。 其在草莽身履乎耕稼之場





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【農業全書後序 46〜50】
















    場。
其在草莽身履乎耕稼之場 而心熟種藝之業。 且譽閲於華夏之農書而窮耕藝之術。 深造其奥黙識其妙。 今也齡超懸車日垂末暮是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説











    業。

其在草莽身履乎耕稼之場
而心熟種藝之業 且譽閲於華夏之農書而窮耕藝之術。 深造其奥黙識其妙。 今也齡超懸車日垂末暮是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説






















    術。

其在草莽身履乎耕稼之場。 而心熟種藝之業
且譽閲於華夏之農書而窮耕藝之術 深造其奥黙識其妙。 今也齡超懸車日垂末暮是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説















    妙。

其在草莽身履乎耕稼之場。 而心熟種藝之業。 且譽閲於華夏之農書而窮耕藝之術
深造其奥黙識其妙 今也齡超懸車日垂末暮是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説

















    暮。

其在草莽身履乎耕稼之場。 而心熟種藝之業。 且譽閲於華夏之農書而窮耕藝之術。 深造其奥黙識其妙
今也齡超懸車日垂末暮 是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説





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【農業全書後序 51〜55】
























    説。

是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説 纂脩以為一書。 欲農業之亀鏡蒐編有年而草創之功既就。 簽之日農業全書。 終託之於予家嚴日休翁刪正。 家嚴素勉窓下蛍雪之業










    書。

是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説
纂脩以為一書農業之亀鏡蒐編有年而草創之功既就。 簽之日農業全書。 終託之於予家嚴日休翁刪正。 家嚴素勉窓下蛍雪之業


























    就。
是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説。 纂脩以為一書
農業之亀鏡蒐編有年而草創之功既就。之日農業全書。 終託之於予家嚴日休翁刪正。 家嚴素勉窓下蛍雪之業















是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説。 纂脩以為一書。 欲農業之亀鏡蒐編有年而草創之功既就。
之日農業全書。 終託之於予家嚴日休翁刪正。 家嚴素勉窓下蛍雪之業




















    正。

是乎鏗於其平日明試之法與中古書所載之説。 纂脩以為一書。 欲農業之亀鏡蒐編有年而草創之功既就。 簽之日農業全書。
終託之於予家嚴日休翁刪正。 家嚴素勉窓下蛍雪之業





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【農業全書後序 61〜65】










    閲。
乃於暇日再三検閲。飾其文義明其餘意以塞其責。 亦請豫序諸後。 然而吾損軒翁己序之詳矣。 今復奚言哉。 惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧






















    責。

乃於暇日再三検閲。
飾其文義明其餘意以塞其責 亦請豫序諸後。 然而吾損軒翁己序之詳矣。 今復奚言哉。 惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧












    後。

乃於暇日再三検閲。 修飾其文義明其餘意以塞其責
亦請豫序諸後 然而吾損軒翁己序之詳矣。 今復奚言哉。 惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧
















    矣。
乃於暇日再三検閲。 修飾其文義明其餘意以塞其責。 亦請豫序諸後
然而吾損軒翁己序之詳矣。 今復奚言哉。 惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧









    哉。
乃於暇日再三検閲。 修飾其文義明其餘意以塞其責。 亦請豫序諸後。 然而吾損軒翁己序之詳矣。
今復奚言哉。 惟有乎宮崎翁成此編以為農家之懿範則有乎人世博且鉅與俗間之著書多談無用之辧





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